カラーサークル-22

息もできない【1】

 美由くん本人は、ゲイってわけじゃない。たぶん。しゃべったことがないから、言い切ってしまえないけど。
 いや、きっと言い切っていい。美由くんはゲイじゃない。でも、親が男同士で内縁のように暮らしている。けして本人の問題ではないのに、あんなにみんなからハブかれている。
 だから、もし、あたしのことがみんなにばれてしまったら──
 中学二年生のときだ。クラスに転校生が来て、それが有田ありたさんだった。美少女だったとか、そんなのではない。むしろ地味なくらいだった。後ろで束ねられたセミロング、やる気のなさそうな目や口元、頬から顎にかけての曲線は丸っこい。
「よろしく」とひと言だけ挨拶して、さっさと席へと歩いていった。新しい学校になじむ努力なんかせずに、つまらなさそうに窓を見ていた。一匹狼、と言うとぴったりかもしれない。
「有田さんって、何か取っつきがないっていうかさ」
「あんまり友達できなさそうだよね」
「前の学校でもあんなだったのかな?」
 友達がそんなことを話していて、あたしは有田さんを盗み見ていた。視線を感じたのか、友達の声が届いてしまったのか。ふと有田さんがこちらを一瞥した。友達は気づかずにまだ話している。
 そんな友達のことだろうか。あるいは、そんな子たちと友達であるあたしのことだろうか。あたしの目を見たまま、うっすらとだけど、有田さんは嗤笑した。
 思わず、ぱっと視線を外した。どく、どく、と心臓が喉まで響く。恐る恐る、もう一度有田さんを見た。相変わらず窓の向こうを眺めている。
 錯覚? いや、違う。確かに目が合った。
 軆の芯が熱くなってきていた。恥ずかしかった。あたしが感じていることを、透かし読みされたみたいだった。
 ──こんな子たちと仲良くしてる自分、くだらない。
 それから、何だか有田さんを気にしている自分がいた。誰とも慣れあわず、楽しくなさそうに空を見たり、つくえに伏せて寝ていたりする。そういうのが、かっこいいな、という憧れが始まりだった気がする。いつのまにか、視界に有田さんがいるのが当たり前になって、また目が合ったら話しかけよう、となぜか決意したりしていた。
 けれど、有田さんがまたあたしに目を向けることはなかった。やがて、有田さんに関するうわさがどこからか流れこんできた。有田さんは、高校に進学する頃には、元いた町に戻ることが決まっている。その町にとても親しい友達も、仲のいい彼氏もいる──
 それを知ったときの絶望感で、やっと自覚した。憧れじゃない。話しかけたい。近づきたい。それはつまり、あたしは有田さんのことが──
 男子を苦手だと感じる自分は知っていた。何というか、男は気持ち悪い。できれば、近づいてほしくない。電車やバスがすごく苦手だ。男がそばに立つだけでぞっとする。好きな男子なんて、当然できたこともない。
 ああ、あたし、女の子が好きな人なんだ。そう自覚した頃、学年が上がって有田さんとはクラスが別れてしまった。そして、同じクラスになったのが美由くんだった。
 有田さんを見るだけでもいい。そう思って、ただ眺めるのが日常になっていたのに、クラス替えでそれも奪われてしまった。栄養をもらえなくなったように、あたしは息も絶え絶えになってしまった。でも、有田さんのクラスに行く口実もない。そのクラスに友達でもいれば、まだ休み時間に保養することができたのに。飢えるほど恋しくて、近づけない厚い壁に窒息する。
 くだらない友達でも、こういうとき、あの子が好きと打ち明けられたら、何か協力してもらえるのかもしれない。でも、誰にも言えなかった。失って困るような友達はいない。だからこそ、いつも話している友達には話せなかった。よほど信頼していないと話せない。同性に恋をしているなんて。
こころのクラス、美由くんいるんだよね」
 桜がだいぶ散った四月の末、数学の教科書を忘れたから貸してくれと友達が訪ねてきた。「ちゃんと返してよね」と言いながらあたしが教科書を差し出すと、教室を覗いた友達がそんなことを言った。あたしはクラスをかえりみて、有田さんの気だるい感じではなく、大人びていてクラスに混じらないその男子生徒をちらりとした。
「やっぱハブられてんだね」
「あの人、何かあるの?」
「心、知らないの?」
「同じクラス初めてだもん」
「それでも、有名だけどなー」
 言いながら友達はあたしの耳元に口を寄せた。
「美由くんの父親って、男同士で暮らしてるんだよ」
 眉を寄せた。とっさに意味が分からずにいると、友達は続けた。
「要するに、ホモなんだよ」
 ぎょっと目を開いて美由くんを見た。綺麗な黒髪、眼鏡の奥の落ち着いた瞳、ほっそりした軆。
「え、じゃあ、美由くんもそうなの?」
「さあ。否定も肯定もしてないらしいけど。親がそうだったら、やっぱ子供もそうなるもんかもね」
 あたしは視線を下げた。それはたぶん違うと思った。あたしの両親は至ってごく普通のストレートだ。親を見本に性が決まるなら、同性愛なんてきっと生まれない。
「男同士なのに、どうして子供いるの?」
「さあ。そのへんは知らない」
「養子かな」
「だとしたら可哀想だよね。ホモに育てられてもねえ。イジメられるだけじゃん」
 美由くんに目を動かす。大人びて、クラスに染まっていない。染まれて、いない。それは、同じクラスになってすぐ感づいた。無視。陰口。疎外。このクラスのそういう毒は、美由くんに向けられている。
「ま、心も美由くんには近づかないようにね。教科書ありがと」
 友達はあたしの肩をたたいて、ざわめく廊下に溶けていった。そしてすぐチャイムが鳴って、慌てて席に戻って教科書を取り出す。
 何度か美由くんを見てしまった。男のことなんて興味ないし、分からない。それでも、美由くん自身はストレートであるような気がした。どんな親御さんなのだろう。同性と暮らして、どういうわけか子供もいる。うらやましいな、と思った。
 気持ちは、相変わらず有田さんにある。たまに廊下ですれ違うと、鼓動が通ってつっかえていた息が少し楽になる。有田さんは変わらずに単独行動だけど、それはここに根づいても意味がないと思っているということなのだろうと胸が痛くなる。頑張って、そうとう頑張って話しかけても、たぶん相手にされない。有田さんの居場所は、あくまでいずれ戻る町なのだ。想う徒労感に泣きたくなると、不意に思うようになった。
 美由くんのおとうさんはいいな。好きな人と結ばれていいな。
 そんなことを言ったら、どんな両親だって結ばれたから子供が生まれているのだけど。何というか、そのかたちは別に誰にでも相談できる恋愛だろう。あたしの恋は、誰にも言えない。分かってもらえない。
 美由くんのおとうさんもあたしみたいに閉塞してもおかしくないのに、堂々と同性の好きな人とつながっている。せめて、あたしも有田さんが好きだということに自信を持てればいいのに。でも正直、真っ先に来るのは「気持ち悪くてごめんなさい」とか、そんな卑屈だ。
 美由くんのおとうさんって、どんな人なのかな。一緒に暮らしてる相手も、どんな人なのかな。話す機会なんてないのは分かっている。だから、せめて美由くんと話せるようになれたらいいのに。

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