カラーサークル-24

息もできない【3】

「えと、どちら様ですか」
 男子生徒が言って、あたしはすくみそうになりながらも、思い切って訊いてみる。
「み、美由くんって」
「は?」
「美由くんって、美由響くん?」
「え、あー、まあ」
「美由くんの友達なの?」
「いや、兄弟だよね」
「はっ?」
「つっても、腹も種も違いますけどね」
 男子生徒はからからと笑った。何だかよく飲みこめなかったけど、とりあえずこの男子生徒は美由くんとつながっているらしい。だったら、伝言くらい頼めるかもしれない。
「あたし、美由くんと同じクラスの志井心っていうんだけど。あの、美由くんに『ありがとう』って──『あたしも一度話したい』……というか、その、」
 何と言えばいいのだろう。うまく説明できない。
「美由くんに、何か用事があるの?」
 女子生徒のほうがくみとって、あたしはこくこくとうなずいた。
「ふうん。用事あるなら、あいつはいつも学校帰りに図書館にいますよ」
「え、学校の?」
「駅前のでかいとこ。最近は受験勉強あるから長居はしてないけど」
「今日も行ってる?」
「たぶん行ってるんじゃないすか」
「そっ、か。ありがとう、行ってみる」
「志井さんだよね。一応、美由くんに何か伝えておこうか?」
 女子生徒が気遣ってくれたけど、「大丈夫」とあたしは咲った。
「直接話したいから」
 あたしはふたりに頭を下げて、とっとと担任に日誌を預けにいった。サインをもらって帰宅許可が下りると、すぐドアへと引き返す。あのふたりはいなかった。兄弟、と改めて謎に思いながらも、職員室を出たあたしは早足で学校もあとにした。
 図書館。この街には駅前にひとつしかないから、間違えることはない。冷たく抜ける風に上着の胸元をつかみながら、学ランのすがたはないか捜しながら急ぐ。空が暗く落ちてくると、視界が悪くなっていく。
 やがて、図書館が見えてきた。すれちがってないよなあ、とちょっと不安になる。長居はしていないとあの男子も言っていた。やっぱ伝言頼んだほうが確実だったかもしれない、と思いながら横断歩道で立ち止まり、車道の向こう側を見たときだった。
「……あ、」
 思わず声がもれた。向こうも行き交う車越しにいるあたしに気づいたのが分かった。驚いてたたずんで、青信号になって駆け寄ったのはあたしだった。いつのまにか、ひどく息が切れていて、名前を呼ぶ前に胸を抑える。
「だ、大丈夫?」
 あたしを窺ったのは、藍色のマフラーを巻いた美由くんだった。あたしは顔を上げると、「何か」と咳きこみながら言う。
「男子と女子が、美由くんの話してて。男子のほうが、美由くんの兄弟だって、図書館にいるって教えてくれて」
「あ、ああ。たぶん、水瀬授だと思うけど」
「その、ええと──あ、ありがとうって。あたしも言おうと思ったの」
 美由くんはよく分からないように首をかしげ、あたしはとりあえず深呼吸して走ってきたまま混乱していた頭を整理する。
「また話せたらいいねって、メモ見たの」
「あ、……鬱陶しいかなとも思ったけど」
「ううん。嬉しかった。あたしも、美由くんと話したかったから」
 薄暗くなっていく中、美由くんはあたしを見て困ったように微笑んだ。
「そんな感じあったから」
「えっ」
「変な意味ではなくて。そうでしょ?」
「……うん。あ、ああ──あのふたりには、美由くんに告りたいとか思われたのかな」
「あとで会うから、否定しておくよ。少し話す?」
「いいの?」
「うん。寒いから、一応図書館入ろうか」
 うなずいて、歩き出した美由くんについてあんまり来たことのない図書館に入った。物音がすうっと消えた静けさに、話とかしづらいかも、と思ったけど、それは美由くんも察したのか、自販機も並ぶ、スマホで話したりするところまで連れていってくれた。並んで長椅子に腰掛け、荷物もおろす。暖房も行き届いているので、上着も脱いだ。
「今朝は、びっくりした」
 そう言った美由くんに、あたしはその横顔を見る。
「みんな、僕と何かでペアになると嫌がるから」
「美由くんは、何も悪くないし。いいじゃんね、おとうさんも」
 美由くんは咲って、「ありがとう」と言った。意外と普通に咲うんだな、と思った。
「あたしは、どんなおとうさんなのかなって、すごく気になってた」
「そうなんだ。僕の父は優しいよ。おっとりしてる感じ。授──例の男子の父親が、僕の父のパートナーで一緒に暮らしてるんだけど」
「あ、だから兄弟」
「そう。授の父は、すごく僕の父を愛してくれてる。ふたりともしっかりしてるんだけどね、それはお互いがそばにいるからなんだと思う」
「何かいいね、そういうの。うちの親なんて、何で結婚したんだかよく分かんないよ。仲悪いわけじゃないけどさ」
 息をついて、空中を眺める。そんなよくある普通の両親だ。あたしが女の子を想っているなんて知ったら、それこそクラスメイトが美由くんに向けている目をあたしに刺してくるのかもしれない。
「美由くん」
「うん」
「みんなが美由くんの敵ではないと思うんだ」
「え」
「きっと、美由くんのおとうさんみたいな子も、ほんとはいると思うの。あの中学にも、意外と」
「……そうだろうね」
「あ、あたし──」
 声が震える。一瞬目を伏せてから、思い切って口にする。
「あたしも、そうだしね」
「えっ」
「あたし、も……好きな人が、女の子なの」
 美由くんが眼鏡の奥で目を開く。あたしは軆が発熱するのを感じて顔を伏せる。
「あんまり、自分はそっちだなーとか思ってるわけじゃないけど。男はやっぱり、違って。好きな人ができて、初めて分かった」
「クラスの人?」
「二年のときのクラスメイト。話したこととかはないの。有田さんって、分かる?」
 美由くんは考えてくれたけど、首をかしげた。
「僕は知らないかな。ごめん」
「ううん。転校生だったし、目立つタイプでもなかったし。だいたい知ってるの、前住んでたところに彼氏もいるとかね」
「そうなんだ」
「有田さんは失恋でいいけどね、別に。いつかは誰かとつきあいたいし。それは女の子がいいし」
「一応、気持ちは伝えないの?」
「えっ、いや、伝えても気持ち悪いでしょ。彼氏いるって、明らかにストレートだし。友達でもいいとかは、かえってつらいし」
「……そう、だね。僕の親もそうだったみたいだし」
「え」
「元は親友だったんだよ、ふたり。友達でもいいって気持ちもあったけど、同時に、友達なのがつらかったって言ってた」
「うん……。すごいね、友達ってことは、ゲイってことで知り合ったんじゃないんだ」
「みたいだね。ゲイなのかな、あのふたりは。どちらかというと、相手以外受けつけない感じだけど」
「そっか。あたしは──ダメだな、できれば早く次の人見つけて、忘れたい。想ってても、何にも実らないし。たまに彼女とすれちがって、やっと息ができて、それ以外はずっと息ができないの」
「好きなんだね」
「……バカみたいだけどね」
「大切なことだと思う。僕自身はまだ恋とかしたことないけど、想う人がいるってだけでも、すごく心が支えられるんだよね」
「……うん」
「実らせろとは言わないけど。無理に殺すこともないんじゃないかな」
 美由くんを見た。美由くんは優しく微笑んでくれた。実らせなくていい。その言葉を反芻した。でも、殺さなくてもいい──
 あたしは小さくうなずいた。やっぱり、分かったくれた。美由くんならと思っていた。何だかやっと出口を見つけたみたいに、ほっとして泣きそうになって、またうつむいた。
 有田さんを想うと、息もできなくなる。光を与えられない緑のように、感覚がなくなっていく。でも、一目でもいい、そのすがたで瞳を照らされたらあたしは元気になれる。
 この気持ちを、誰かに肯定されたかった。美由くんは分かってくれた。「卒業までたまに話せるかな」と言うと、美由くんはうなずいた。「たぶん」とあたしは潤む目をこすって、自分でもこの気持ちをきちんと認める。
「少なくとも卒業までは、あたし、あの子が好きだから」

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