カラーサークル-30

双葉の頃から【3】

「あけましておめでとうございます、雪さん」
「あけましておめでとう。元気だった?」
「何とか。今は風邪なんかひいてられないし」
「俺たち受験生だよ」と言いながら、授は鍵をかけると、ひょいとドアマットに飛び乗る。
「俺は勉強しなくてもいいんだけどなっ」
「高校行かないの?」
「いや行きますよ。部活で推薦もらってるんだ」
「あー、あんた陸上が何かすごかったわね」
「へへー」
「授は少し勉強したほうがいいと思うけど」
「響はもちろん進学よね?」
「うん。合格圏内とは言われてるけど、入学後の授業も厳しいだろうから勉強してる」
「よし、じゃあ響からご褒美ね」
 そう言ってコートのポケットからお年玉ぶくろを取り出すと、響より授が声を上げた。「響からよ」と言いながら、あたしもブーツを脱いで家に上がらせてもらう。
「雪姉は、昔から響に甘い気がします」
「昔、どんだけあんたの築捜索を手伝ってやったと思ってるのよ」
「あー」とか言う授に、響もあたしも笑いを噛む。そのとき、「雪ねえちゃんっ」と響の背後のドアから茶髪の頭が覗いた。
「あけましておめでとー」
 無邪気ににっこりとしたのは、響の弟の奏だ。とりあえず「あけましておめでとう」と言ったあと、「あんた髪染めたの」と息をつく。
「うんっ。南くんの真似ー」
「あ、南さんと司さんは? ふたりにも挨拶しなきゃ」
「その前にそのふくろが気になる」
「ほら響、君がもらわんと俺の番が来ない」
「ふたりに挨拶してからよ」
「ふたりともリビングにいるよ。築にいさんは部屋で寝てるみたいだけど」
「あれは、朝に相変わらず生意気だったから最後でいいわ。入っていい?」
「うん」と三人が声を揃え、あたしはリビングに顔を出した。すると、テレビの前のソファに司さんと南さんが並んでいた。ふたりとも、振り返るととても優しい笑みを浮かべてくれて、「久しぶり」と司さんが軽く手を掲げてくる。
「お久しぶりです。あ、あけましておめでとうございます」
「おう、おめでとう」
「雪ちゃん、綺麗になったね」
 南さんが微笑んで、「化粧覚えましたから」とあたしは照れ咲う。「香水の匂いがする」と奏が子犬みたいに言ってきて、「これくらい普通よ」とあたしはいったんポケットにしまっていたお年玉を取り出す。
「はい、響」
 そう響にふくろを差し出すと、響は一瞬遠慮しそうな顔をしたものの、「ありがとう」と受け取った。授と奏が手元を覗きこむので、響は躊躇いがちにふくろを開いて、「諭吉がいる!」と授が声を上げる。
「あたしの両親と、おじいちゃんとおばあちゃんからだから、わりといい額じゃないかしらね」
「わあっ、次、俺!」
「いや、推薦勝ち取った俺!」
 ぎゃあぎゃあうるさいので、授と奏には一緒に差し出しておいた。ふたりは中身を覗いて歓声を上げる。
「そんなにもらったの?」
 南さんが気がかりそうに首をかたむけ、「何か悪いな」と司さんがあたしに謝る。あたしは首を振ると、「おじいちゃんたちは」とソファの方に歩み寄る。
「司さんたちにもあげたほうがいいのかって言ってましたから」
「いや、勘弁」
「いつもお世話になってるから、それでじゅうぶんだよ。伝えておいて」
「了解です」
 あたしはくすりとして、「朝に築に会いましたよ」と肩をすくめる。
「え、そうなの?」
「はい。大晦日までいそがしくて、朝にこっち着いたんで」
「ん、でも大学って休みは長いよな」
「友達とか?」
「まあ、そんなもんです。明日の夜には帰ります」
「やっぱ、彼氏でもできたのか」
「いたら、そもそも帰ってこないですよ」
「はは、そっか」
「雪ちゃんに彼氏ができたら、築はふてくされるのかな」
 南さんが笑いながら言うと、「地味にショック受けそうだよなー」と授が口を挟んでくる。
「あたしは築は遠慮しますけど」
「雪ちゃんが築もらってくれたら俺たちは安心なんだけどな」
「にいちゃんのほうが嫁設定」
「あいつ、すぐ浮気するんじゃないですか? あたしは司さんと南さんみたいに、安定した関係がいいです」
「本命ができたらふらふらしないって、本人は言ってたぜ」
「雪姉しかいないと思うんだよなー、にいちゃんがおとなしくなるのって」
 こまねく授にあたしは苦笑してから、「これ築に渡したいんで」とお年玉を見せる。
「部屋、行っていいですか」
「どうぞ。そろそろ起きてもらわないと」
「何かあるんですか」
「みんなで初詣行こうかなって」
「奏がりんご飴いちご飴うるさい」
「だって食べたいもん! 回転焼きカスタードも!」
「俺はたこ焼きと焼きそばがいい。あとB級グルメ」
「授は、時野さんとも初詣行くんじゃないの?」
「中学生同士の初詣には、資金がないのですよ」
「俺らを露骨に財布扱いすんな。築も行くとは言ってたから、雪ちゃん、様子頼む」
「分かりました」とあたしはわいわい騒がしいリビングを出て、しんと冷えた階段をのぼった。二階の廊下はもう暗かったけど、スイッチがどこかまでは分からない。
 記憶をたどって築と授の部屋のドアをノックすると、何やら物音は聞こえた。「入るわよ」とあたしは勝手にドアを開けて中に踏みこむ。
 覚えのある匂いがする室内は、暗かった。が、どうやら築は、二段ベッドの下でふとんと毛布に絡まれている。寝息の規則正しさから見て、まだ起きていない。暖房がきいているのでドアを閉めると、ベッドサイドに近づいてまくらもとを覗きこんだ。
 暗目にもずいぶんとかわいらしく、すやすやと眠っている。艶やかな黒髪が伏せられた睫毛にかかって、肩の上下も穏やかだ。「築」と呼んでみても、返事はない。
 床にしゃがみこみ、女たらしかあ、とシーツに頬杖をつく。やっと司さんと南さんを理解した様子になったら、築は次第に女の子をたらしこむようになった。「にいちゃんには雪姉だと思ってたのに」とそのときにも授には言われた。
 あたしは曖昧に咲うしかなかった。築なんて、手のかかる弟みたいなもので、本当にそういう相手としては見れない。
「築」
 もう一度呼んで、あたしは築の肩を揺する。
「ん、……あ?」
「いい加減起きなさい」
「え……あー、何、雪……?」
「みんなで初詣行くんでしょ」
 築は唸ってふとんを頭にかぶった。けれど、すぐあたしがそれを引っ張って剥がす。
「何だよ……」
「初詣」
「そんなん……マジで行くのかよ」
「ちゃんと本命できるように祈ってきなさい」
 築は目をこすって、ごそごそと鈍く身を起こした。ひざまずいていたあたしは立ち上がり、ベッドサイドに腰掛ける。
「……寒い」
「暖房きいてるじゃない。あたしなんか、今の部屋で暖房なんか入れないわよ」
「何で」
「そういうふうになっていくのよ」
「……やっぱ男か」
「は?」
「男にこうされたら寒くないだろ」
 築の腕があたしを引き寄せ、背中を抱きこむ。しょっちゅう家出の真似事で、授にもみんなにも迷惑をかけて。でも、あたしが帰る日だけは、絶対に面倒を起こさず、ふたりきりになった隙にこうして甘えてきた。
 分かっている。築はいつだって、寂しいだけなのだ。
 あたしはお年玉を取り出すと、ふくろを築の手に握らせた。
「……何」
「お年玉もらってるうちは、まだよ」
 築は軆を離して手の中のふくろを確かめ、小さく舌打ちした。あたしはベッドを立つと、「早く用意して降りてきなさい」とドアへと向かう。
「雪」
「ん?」
「……今年もよろしく」
 言葉と裏腹に捻くれている口調に噴き出し、「こちらこそ」と言って部屋を出た。今年も。そう、できればずっと。この家庭が芽生えた頃から、あたしはここに憧れてきた。双葉だったつながりは、いつしか豊かな大木になって家族を支えている。
 不協和音だった築もだいぶ変わった。その素直じゃない目をまっすぐにして、彼があたしを見つめることがあるのなら。
 少し考えるかもしれないな、と一階のにぎやかな声に混ざれる夢に、あたしは小さく微笑んだ。

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