夜、星が散らばって【3】
家に到着すると、こちらは雲がなく空が晴れていた。星がさらさらと輝いている。あの日から、星の光は南の微笑に似ている。太陽ほど強くない。月ほど目立っていない。でも確かに光っていて、優しい熱で俺を照らしてくれる。
「ただいま」
そう言いながら玄関のドアを開けると、「おかえり」と南がドアマットに立って待っていた。その穏やかな瞳と瞳が絡むと、幸せがこぼれて笑みになってしまう。俺は後ろ手に鍵とチェーンをかけると、靴を脱いで南の髪に触れた。
「ここで待ってたのか?」
「車の音がしたから」
「そっか。寒くなかった?」
「司こそ。今夜は冷えるらしいよ」
「南がいるから平気」
そう言って南に口づける。南の熱い味に舌を伸ばすと、ひかえめに柔らかい舌が応えてくる。南が俺のスーツをきゅっとつかむ。
「……南」
少し唇を離して、愛おしい名前を呼ぶ。瞳が間近で触れ合う。ふたりとも潤んでいる。長かった。一日は本当に長い。まして数年間離れていた時期があったなんて信じられない。
「司……」
「ん?」
「朝までは、一緒だよね」
俺はもう一度、南に口づけようとした。が、何となく視線を感じてリビングへのドアを見ると、我が家の末っ子の奏がじーっとこちらを観察していた。俺はばつが悪く、でも南を突き放しはせずに抱きしめて、「見せもんじゃないぞ」と言う。
「見せつけているのかと」
「初恋迎えてから言え」
南は俺の腕の中から奏を顧みて、同じくばつが悪そうに、俺の胸に額をあててうつむいた。俺は南の肩に顎を乗せて、「築たちは」とそのままの体勢で奏に訊く。
「築くんはお風呂。授くんは、そこで響くんに宿題手伝ってもらってるよ」
「受験生が宿題ごときを手伝ってもらっててどうするんだよ」
「響くん甘やかすからねえ」
奏はからからと笑って、暖かそうなリビングの中に入っていった。俺と南はそれから軆を離した。「飯食うか」と言うと、南はまだ頬を染めながらこくんとした。
「お、司おかえりー」
「おかえりなさい」
俺が顔を出すと、授と響がダイニングのテーブルから声を揃えた。奏はゲームをしている。南はキッチンに行って、俺はネクタイを緩めながら授と響の手元を覗きこんだ。
「何? 数学?」
「これ日本語じゃないんですけど」
「ちゃんと二年のときに習ったところだよ」
「俺は数字は一桁しか分からんのですよ。五十メートル走るのにも二桁ありえんのですよ」
「それはそれですごいけどな、これくらい理解しておかないと高校は留年があるぞ」
「留年……ですと」
「留年したら、時野さんは先に卒業することになるよ」
「くっ、こんなんに桃との仲を邪魔されるとは。言語の壁が憎い」
「いや、せめてそれは英語の宿題に言え」
俺は授を小突いて、「写させんなよ」と響に言っておくと、スーツを着替えにリビングを出た。すると、ちょうど築が明かりをつけて、階段をのぼろうとしていた。築は俺の若い頃にそっくりに育った。「風呂空いたぜ」と言われて、「南と入る」とか返してみると肩をすくめられた。
「そういやさ、授と響が勉強してて思ってたけど、築は進路考えてんのか?」
「先公と同じこと言うなよ」
「考えてないな」
「家は出ると思うけど」
「大学行かないのか」
「え、雪とか大学生でひとり暮らししてるぜ」
「仕送りされてるだろ、普通に」
「バイトはやるけど。大学なあ……したい勉強が特にないんだよな」
「確かに、お前の将来ってヒモ以外浮かばないよな」
築は舌打ちして、ふと「資格でも取ろうかな」と言った。「資格か」と俺は確かにこれからは強みになっていく提案にうなずく。
「で、何の資格だよ」
「………、スクールカウンセラーとか」
口の悪さが周知の息子の思い設けない言葉に、不謹慎にも噴き出すと、「俺の頃はっ」と築は癪に障っているままの口調で言った。
「何にもなかったから」
「何にも」
「……何も、どこも、誰も、知識を正しいものだって教えてくれなかった」
俺はまじめに築を見つめた。「俺には事実しかなかった」と築はそっぽを向きながらつぶやき、俺は築を紫から引き離した日を思い出した。確かに、息子たちの中で一番繊細に傷ついているのは築だ。「いいんじゃないか」と言うと、築は俺を見た。
「悪いな、笑って」
「……いきなりに聞こえたのは分かってる」
「お前はどっちも知ってるもんな。理解できない気持ちも。理解できる気持ちも」
「まあな」
「お前なら、正しく教えられるよ。やってみろ」
築はちょっと咲ってうなずくと、二階にのぼっていった。あいつも考えてましたか、としみじみ感じながら俺は和室でスーツから私服に着替えた。
ダイニングに戻ると、南が俺と自分の夕食をテーブルに並べていた。俺は椅子に腰かけ、南は隣に座って、授と響の勉強を眺めながら夕食を取った。奏がたまにゲーム相手に声を上げている。にぎやかだったけど、俺と南が食事を終えて、ぼんやりテーブルに頬杖をついて、家事を終えた南が隣に戻ってきたときには、子供たちはみんな二階に引き上げていた。
「築がさ」
「うん」
「スクールカウンセラーの資格とか言い出した」
南も噴き出したけど、「確かにいろいろ経験してる子だからね」とうなずいた。
「いろいろ経験ね」
「変な意味じゃないけど」
「変なことも事実やってるんだけどな」
「司に似ただけだよ」
「……やっぱ、実は雪ちゃん気になってんのかなあ」
「僕はそう思う。認められない本命がいるから、探したりするんじゃないかな」
図星の俺は苦笑したあと、南を見た。南も俺を見て、首をかたむける。
「響は弁護士だよな」
「うん」
「授は陸上っつーか、桃ちゃんといい家庭」
「うん」
「奏は何だろうなあ」
「楽しみだね」
「ちゃんと育っていくもんだなー」
「みんな司に守られてるからね」
「みんな」
「そう。僕も」
南は身を乗り出し、俺の口元にキスをする。俺は逃がす前に南の唇を食む。
「ずっと昔から」
キスを繰り返しながら、南は優しい声でささやいた。
「司は僕を守ってくれる。司が僕に話しかけて、いつもかばってくれてなかったら、全部、なかったんだ」
南はやっぱり、星の光のように微笑む。
「みんな、司のおかげなんだ」
南の腕を引いて、もっと深く口づけをした。南はそれに応えて、まろやかに舌が溶け合う。軆の芯が痺れて、甘い陶酔が広がっていく。
俺と南を認めない奴もいる。理解できない奴もいる。心ない眼も刺さる。それでも、俺は──
「……愛してるよ、南」
「僕も。愛してる、司」
そう、俺にはこんなにも幸せになれる相手がいる。この男の微笑がそばにあればそれでいい。それで、俺はこいつらを守ることができる。星のようにいつまでも、ずっと、最後まで。
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