赦されなくても
事情を知られたからと言って、別に糸山と親しくなるなんてことはなかった。無駄にいらいらと観察するのはやめようと思ったが、糸山にしたって、俺に懐かれすぎても面倒臭がりそうだ。
ただ、糸山が大事にしている奴ならば、里菜にひどいことをするのは仇で返すことになるのだろうなと思った。あの日、糸山が俺を助けてくれたのは変わりない。だから、こんなのやめないとなあ、とぼんやり考えはじめていた。
中間考査が過ぎ、十一月になった。展示だけのくだらない文化祭をひかえ、しばらくその準備で放課後の教室が使えなくなった。展示する作品は、個人でなくクラス共同で作る。俺のクラスはちぎり絵だった。
「何かつまんないねー」と色紙をちぎりつつ、藤香たちは作業からハブかれて窓際の席でおとなしくしている里菜に目をやる。俺も里菜を眺めて、「何か飽きてきたな」と不意につぶやいた。「え?」と声を揃えて三人はこちらを見る。
「何それ」
藤香が俺を覗きこみ、「そのままだろ」と俺は頬杖をつく。
「サトイモの反応って見飽きた」
「じゃあ、何か違うことやってみる?」
「あいつに合わせて考えんのもめんどいし……もういいんじゃね」
三人は顔を見合わせ、「本気で言ってんの」と藤香が言う。俺は頬杖をほどき、「いちいち構ってやるのも鬱陶しい」と色紙を二枚に破る。「それはそうだけど」と言ったきり、藤香たちは黙ってしまう。
俺は色紙を細かくしながら、不自然ではないかと心配もよぎっていたが、顔に出さず、ちぎった色紙をふくろに入れた。
「とりあえず、俺は抜ける。お前らも教師にばれる前にやめとけば」
そう言い残し、俺は席を立って、ほかの作業をしているクラスメイトのところに行った。「何かやることある?」と訊いてみると、ちぎられた色紙のふくろとスティック糊を渡され、「このへんに貼っていって」と言われる。
俺が台紙に糊を塗って、色紙の破片を並べていると、「あたしもやる」と藤香が追いかけてきた。「ちぎる奴もいるだろ」と言うと、「あのふたりは続けてるから」と藤香は転がっていた糊を手に取る。
憮然としているふたりを見るふりで、俺は糸山を見た。糸山も作業に参加せず、つくえに伏せって寝ている。
これで、あとは糸山が里菜のそばにいれば、里菜の心も軽くなっていくだろうか。俺が謝ったって、きっと里菜の心は癒やされない。俺にできるのは、あの虐げをやめることくらいだ。いまさら「ごめん」なんて、そんな言葉、通用するわけがない。
文化祭が終わっても、里菜には何もしなかった。藤香たちも俺がやらないならとやめてしまったようだ。
それでも、俺は家に帰りたくないのは同じだから、放課後は教室に居残って宿題や予習をした。静まり返った教室で、ノートを走るシャーペンの音が響く。だいぶ寒くなったけれど、俺ひとりのためにエアコンはつけられないから、足元がうっすらと冷える。
帰りたくない。
帰ったらきっといる。
でも、遅ければ今日はもういないかもしれない。
淡くそんな期待をして、ずるずると教室に残る。しかし、ちらちらと脳裏によみがえる記憶に気が散って、シャーペンを持つ手が震えそうになる。
不気味な笑顔。コーヒーの臭い。生温かい吐く息が幻聴になって、焦りのような恐怖感がこみあげてくる。
それに、居残るといっても十六時くらいから日がかたむきはじめる。静かな闇夜の中を歩くのも不安だから、俺は気が重いのを引きずって、十七時前には帰路につく。
「早原って煙草吸うの?」
十一月の下旬にさしかかった、冷たい風の強い日だった。さすがに教室も冬服に染まった昼休み、一緒に弁当を食っていた藤香がそんなことを訊いてきた。
かあさんがいそがしそうに毎朝作る弁当をつついていた俺は、藤香を見て、「吸わねえし」と昨夜の残りの肉じゃがを口に運ぶ。里菜に手を出すのをやめて、あとのふたりとはあんまりつるまなくなった。
「ほんとに?」
「俺が吸うとこ見たことあんのかよ」
「ないけどー」
「じゃあ分かってるだろ」
「……ふうん」
藤香はおもしろくなさそうにサンドイッチを食べて、「何でだよ」と俺はじゃがいもを飲みこんで首をかたむける。
「んー、サトイモがさ」
俺は一瞬手を止め、藤香を見直す。
「あいつがどうしたのか」
「今日、体育あったじゃん? 着替えのときに、サトイモの背中に火傷があったんだよね」
「火傷」
「穴を空けるみたいな感じの。煙草押しつけたらあんなかなあと思って」
「………、俺じゃないけど」
「ふうん。まあいいんだけどさ。あんまり火傷するような場所でもないよなーと思っただけ」
俺はたまご焼きをもぐもぐとしながら、背中に火傷、と反芻した。
俺じゃ、ない。どうやら藤香でもない。あのふたりか? いや、俺と藤香を離れてから、あのふたりは至って地味な生徒になっていて、おそらく違う。
もしや、別の奴にイジメられはじめたのか。それはありうる。どいつだよ、と教室を見まわしてもぜんぜん分からない。
沸き起こってくる感情に、我ながらうんざりした。俺だって、里菜にさんざんひどいことをしてきた。だから同じことを人がやっても責められない。なのに、誰かが里菜に手を出していると思うと──
いらつく。
「おい」
翌日の藤香が寄ってこなかった休み時間、俺は里菜の席に行って、そんな乱暴な口調で声をかけた。里菜はびくっと肩を揺らし、俺を見上げてくる。怯えた瞳を見つめ、俺はにこりともできずに言う。
「今日の放課後、用事あるか」
「えっ……、あ、ない、けど」
「じゃあ教室に残れ。いいな」
とまどった顔をした里菜が返事をする前に、俺はつかつかと自分の席に戻って、ふうっと息をついた。
くそっ。何であんなふうにしか言えないんだ。でも、「何もしないから」なんてつけたしたら逆に怪しい。藤香たちは一緒ではないと言えばよかったか。いや、俺ひとりで何かすると思われても仕方がない。いつも主犯は俺だったのだから。
しかし、里菜を呼び出してみて、俺はどうするつもりなのだろう。火傷の犯人を訊き出したいのか。そしてその犯人からかばうことで、里菜に許してもらおうとしているのか。
そんなもんで許せるかよ、と自分のしたことの重さに滅入ってくる。何無駄なことしてんだ、と考えるほど情けなくなってきてつくえに伏せると、チャイムが鳴ったので、憂鬱な顔で教科書を取り出した。
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