おねえちゃんが好き【2】
部屋に入って、ドアを背中を預けて閉めて、どきどきする心臓に手を当てた。姉弟でも結婚できる、と蒼樹は言った。法律では、僕とおねえちゃんは男女としておかしくない。それでもやはり、伝えていいのだろうかとまだ迷ってしまうし、気づかれたらいけないのかなと不安になる。
おねえちゃんに嫌われるのだけは嫌だ。でも、このまま弟に徹するのもつらい。僕は、おねえちゃんの単なる弟ではいたくない。こんな僕をおねえちゃんに受け入れてもらうには、どうしたらいいのだろう。
夜はおとうさんもおかあさんもいて、家族四人でおでんの夕食を食べた。蒼樹も褒めていたけど、僕のおとうさんとおかあさんは仲がいい。僕とおねえちゃんのことも大事にしてくれる。僕はおとうさんと血のつながりがないけれど、自然に「おとうさん」と呼ぶことができる。あんまり記憶に残っていない実の父親のほうが、よほど「おとうさん」とは呼べなかった。その父親と口論が絶えなかったおかあさんも、今、おとうさんと結婚してすっかり穏やかになった。
ぐつぐつといい匂いの湯気が立ちのぼるお鍋から、おとうさんもおかあさんもどんどん好物を取っていくので、おねえちゃんが煮たまごとか厚揚げとか僕の好きなものを取って皿に載せてくれる。「ありがとう」と言うと、おねえちゃんは微笑んでから、「あたしたちの好きなものも残してよね」とおとうさんとおかあさんに抗議する。
「ちゃっちゃと食べて取っていきなさい」
「味染みるの待つでしょ、普通」
「おとうさんは薄味が好きだからなあ」
そう言って、おとうさんが巾着をおたまですくおうとすると、「それはあたしが沈めた奴!」とおねえちゃんは巾着を箸で抑える。そんなやりとりに笑ってしまいながら、僕はひと口大にちぎった厚揚げを食べる。
「でも、ナオくん、お鍋で自分で食べたいもの捕まえておく練習しなくて大丈夫?」
ごぼう天を食べるおかあさんにそう言われて僕が首をかしげると、「もう来月でしょ」とおかあさんはカレンダーを振り返る。
「修学旅行」
僕ははたとして、前々から憂鬱だったその行事を思い出す。
そうだ。十一月には修学旅行がある。
「修学旅行ってお鍋なの?」
おねえちゃんに問われて、僕は首をかしげて「分かんない」と答える。
「おねえちゃんは中学のときどうだった?」
「お鍋ではなかったと思うけど」
「じゃあ、大丈夫……じゃないかな」
そう言っておかあさんを見ると、「おかあさんはお鍋だったなあ」と肩をすくめられる。
「修学旅行は何泊だ?」
「二泊三日だった気がする」
「ミキが寂しがるなあ」
おとうさんが笑って、ほんとかな、とおねえちゃんを見る。おねえちゃんも僕を見て、「寂しいし、心配だわ」と僕の頭をくしゃっと撫でた。
「グループは友達と組めるの?」
「たぶん。試験終わったし、もうすぐ班決めがあると思う」
「クラスに仲いい子いたよね。見た感じ、不良みたいな。ナオがああいうタイプの子と仲がいいっていまだに意外」
「蒼樹、いい奴だよ」
「分かってる。嫌な子だったらナオが懐くわけないもん」
おねえちゃんはにっこりとして、僕は嬉しくなりながら煮たまごを食べる。蒼樹のことを誤解する人も多い中、おねえちゃんに理解してもらえると一番嬉しい。
「仲いい子と一緒だったら、おかあさんたちも安心ね」
「ナオはミキのことなんか心配せずに、楽しんでこいよ」
「『なんか』って何。んー、でも、おみやげは楽しみにしてる」
みんなに言われてこくんとしながらも、行きたくないとかやっぱり言えないなあ、と思う。小学校のときも、一年生の林間学校も、僕はいつも内心行きたくないと思っている。誰にも言えずにおとなしく参加しているけれど、本当はいつだって、おねえちゃんと離れる夜なんか過ごしたくない。
十一月に入った日、六時間目が学活だったのでそのときに修学旅行の班を決めた。男子は五、六人で同じクラスなら誰と組むかは自由で、僕は蒼樹と三人で固まっていたクラスメイトと組んで同じ班になった。行動や点呼するときは女子の班とも一緒で、それはくじで決める。僕たちと組む女子の班が決まった瞬間、「げっ」と蒼樹が声を上げたので見てみると、女子のほうでも美坂さんが蒼樹を認めて顔を顰めていた。
「何で蒼樹なの。最悪……」
「こっちの台詞だよ」
「また長川くん巻きこんでるし」
「だから、尚里は普通にダチだっての」
「問題起こさないでよね?」
「はいはい、委員長様」
美坂さんは眉を寄せながらも、「つばめー」と同じ班の女子に呼ばれてそっちに行ってしまう。蒼樹を見上げると、うんざりしたため息をついているから笑ってしまう。「笑うなよ」と蒼樹は僕を小突き、「ほんとはちょっと嬉しい?」と訊いてみる。すると蒼樹は、「冗談」と仏頂面になった。
美坂さんは、このクラスの後期のクラス委員長だ。さらさらの黒髪のセミロングとか、ちょっと澄ましたような顔立ちとか、成績だけでなく容姿も優等生だ。蒼樹の幼なじみと訊くと、確かに正反対でびっくりする。蒼樹は「あいつが硬すぎるから、こっちは折れたんだよ」と言うけれど。
そのあと、最後にバスや新幹線の席を決めた。班とは関係ないとのことだったものの、僕と蒼樹は早々に隣同士になれた。「これで全部決まったな」と蒼樹はあくびをして黒板を離れ、僕はそれを追いかける。
「尚里、今回は大丈夫か?」
「えっ」
「林間のとき、夜は眠れてなかったじゃん」
バスの席で騒いで揉めるみんなからひと置き離れて、窓際にもたれながら蒼樹が僕を見る。僕は決まり悪く笑ってから、「どうだろ」と目を伏せる。
「今回もそんなに眠れないかも。小学校のときからそうだから」
「そっか。まあ、俺もどうせそんな眠らないだろうから、つきあってやるよ」
「ん。ありがと」
分かってくれている蒼樹に何とか笑顔を作っても、嫌だなあと視線が上履きに落ちる。
本当に、バカみたいだけど。情けなくて、恥ずかしいけど。おねえちゃんと離れて眠る夜が嫌だ。
別にもうおねえちゃんと一緒に寝ているわけではないし、わけもなく怖くなって泣き出してしまう夜もない。それでも、いざ不安になってもおねえちゃんが隣にいる安心感で、僕は眠れるのだ。だから、家を離れる泊まりがけの夜は僕はいつだって眠れない。
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