好きな女の子
俺の好きな女の子、花村桃寧ははっきり言ってかわいい。
ちょっとアシメトリーの入っているショートボブ、くっきりした二重と長い睫毛でぱっちりした黒い瞳、毛穴など開かない小ぶりな鼻、白くて柔らかそうな頬、化粧なんかしなくても桜色が咲く唇、華奢な首からつながる豊かな胸の曲線、すらりとした肢体だけど身長は低くてちまちましている。
そう、これでもかという美少女なのだ。
もちろん性格も穏やかで友好的、誰かの悪口なんか耳にすると少し表情が陰る。けして嫌味ではない、逆に「桃寧ちゃん、気分悪くしたならごめんね」と悪口を言っていたほうが謝りはじめる。すると彼女はひかえめに笑顔を作り、「きっとそんな嫌な人じゃないよ」とディスられていた人をフォローする。
女神か。天使か。聖女か。くっそ。マジでかわいい。
そんなわけで、花村はもちろんモテる。うちの高校の野郎は、たいていは花村に憧れるだろう──一度は。
話はここからだ。花村はモテる。まあお断りされる哀しい奴はどんまいとして、中には彼氏という名誉を得る奴もいる。しつこいが、話はここからなのだ。
花村は男子とつきあうことになっても、すぐに別れてしまう。誤解しないでほしい、実は花村がビッチですぐに男に飽きるという話ではない。むしろ、花村は一生懸命彼氏に尽くしてくれるそうだ。そんな花村に、男は必ずこう言って別れを告げてくるらしい。
「ごめん……ほかに、好きな子ができたんだ」
そして、あっけなく花村はフリーになる。無論、「俺はそんなことあるものか!」という一途を自称する男は絶えないわけで、やがて花村はまた男子とつきあう。
しかし、やはり彼女は、「好きな子ができた」と言われて男に振られてしまうのだ。
──春休みが終わって、薄紅の桜がひらひら舞い散る中、無事高校二年生になった。中学まで日和ってきた俺には、出席日数や試験結果で進級できるかできないかがあるのは、地味にプレッシャーだった。同じ高校に通う同中の親友、倉持咲世はそんな俺に「どんだけ小心だよ」と面倒臭そうにあきれていたが。
始業式の朝はよく晴れていた。青空からの陽射しに温もりも感じるけれど、抜ける風はまだ少し涼しい。咲世と一緒に満員電車の密度に死にかけて、駅から高校までの並木道は、あふれるように桜が満開だ。
笑い声や挨拶が飛び交って、ああまた毎日学校かなんて思う。留年しなくて何よりだが、二年生になると勉強のレベルが猛然と変わると聞いているので、そこは憂鬱だったりする。「勉強ついていけるかなあ……」とふとぼやくと、「ついていけなくなった時点で、あきらめて退学すればいいだろ」と咲世は恐ろしい提案を吐き捨ててあくびをした。
咲世は黒の短髪で、鬱陶しいという理由でいつも前髪をあげている。眉はしっかりしているが、眼つきが悪いと言われることもある眼光の鋭さがある。口元も、何だか捻くれたへの字が多い。しかし鼻梁や頬筋はすっとしているので、ちょっと気を遣えばそこそこいけるんじゃないかと思う。軆つきは筋肉がついてがっちりしているし、背も高い。
対する俺は、ガキの頃は「もしかして女の子?」と言われていたような、ひょろい野郎だ。視線がキョドりやすいので、前髪をつい伸ばし気味にしてしまう。口もあんまり快活ではないし、まだ頬から顎の線が直線的に削れ切っていないせいか、さすがに女顔ではなくても童顔だ。筋トレしよう、とよく思うのだが、息切れが始まると静かに横たわって、「筋トレとは」とか考えはじめる。
こんな俺と咲世が仲良くなったのは、中学一年生のときに同じクラスになったのが切っかけだ。中学に入学して三ヵ月も経っていない、まだクラスの結束もなまたまご状態のとき、無謀にも林間学校があった。咲世は「あいつ不良じゃね」と言われ、俺は「あいつ根暗じゃね」と言われ、あぶれ者同士、何となく無言のままリクリエーションも飯盒炊爨も協力していたら、そのまま仲良くなっていた。何だかんだ、ここまで親しくなれた友人は咲世が初めてなので、俺は親しくつきあえて嬉しいとか思っている。
到着した高校の校門をくぐると、チューリップやパンジーが咲き乱れる花壇の中の掲示板に、新一年生と新二年生のクラスが張り出されていた。すでに二年生から進学に向けたクラス編成になるので、三年生になるときにはクラス替えがない。俺たちの本当の高校生活が、このクラス替えにかかっている。
人だかりを縫って、俺はじいっと張り紙に自分の名前を探し、先に咲世の名前を三組に見つけた。続いて、立川水雫という自分の名前を見つけたので、俺はやや離れたところにいた咲世の腕をつかんで揺すぶった。
「おい、同じクラスだぞっ!」
「誰と? 花村?」
「俺とお前だろうが──あ、花村は何組だろ。待て、教室行くのはそれ見てから」
「まだあきらめてねえんだな……」
「花村に魅力を感じないお前がおかしい」
「だから、俺は好きな女が別にいるって言ってるだろ」
「例の年上のいとこ? まだあきらめてないのか」
「っせえな。花村の名前探してこい」
俺はまた人だかりに戻って、花村桃寧、花村桃寧、と心で繰り返しながらその四文字を探した。一組、二組、三組に入って生唾を飲みこむ。花村と同クラなら、俺の高校生活は薔薇色決定だ。どきどきしながら、名前の羅列を目でたどっていると──
「……あ、三組だ」
ふと隣でそんな澄んだ声がしたので、ん、と隣を見た。見て、咳きこみそうになったのを必死で抑えた。
いつのまにかそこにいたのは、この高校のブレザーの制服を着こなした花村桃寧だったのだ。
俺がぽかんとその横顔に見蕩れていると、彼女も俺を見た。大きな瞳に俺がくっきり映る。「あ、立川くんだ」と花村が愛らしく微笑んだので、俺は心臓はどくんと大きく脈打ち、こういうときのくせで視線がキョドる。
「えと、あの……」
「久しぶり。立川くんは何組だった?」
「あっ、と、……三組です」
「わ、同じクラスだよっ。中三のとき以来だね。よろしく」
「お、おう。よろしく」
……俺のこと、憶えててくれたんだ。確かに、俺は花村と中学も同じだった。三年生のときには同じクラスにもなった。でも、俺はいつも咲世のクラスに逃げるか、教室の隅でスマホをいじっているような奴だった。なのに、花村は俺のことをクラスメイトとして認識してくれていたのか。
やばい、泣くぞ。これは、泣いていい奴だぞ。
そんな花畑なことを思っているうちに、「じゃあ、また教室でね」と花村は掲示板の前から去ってしまったが、俺はじーんと沁み入る胸に安らかに泣きそうになった。さいわい、「今から召されるような面すんな」と咲世に頭をはたかれて、人だかりの中で男泣きする前に我には返った。
「女神だ、やっぱ花村は女神なんだ」
靴箱に向かいながら力説する俺に、咲世は聞き飽きた顔で背伸びなんかしている。
「俺なら、絶対にほかの女に揺れたりしないのに」
「それ、みんな言うからなー」
「俺は違うぞ、マジで違うからな」
「じゃあ告れよ」
俺は急に虚ろな目になって、「そんな勇気があったら……」と情けなくつぶやいた。咲世はあきれて、「で、同じクラスは分かったけど、俺たち何組だよ」とか、そこは自分でも確認しとこうぜなことを訊いてくる。それでも俺は「三組だよ」と素直に教えてやりながら、ほんと花村に告る勇気があれば、と思った。
そうしたら、俺は誓って、花村から目移りして彼女を傷つけたりしないのに。
そうして、俺の高校二年生──本当の高校生活が始まった。クラスの男子は、花村と同じクラスになれて喜びに満ちている奴がほとんどだ。そんな野郎どもに、女子連中は花村に嫉妬するより、「今度はちゃんとした奴を選ばなきゃ!」と彼女の世話焼きおかんになっている。
さっそく花村は、先輩にも同級生にも後輩にも、よりどりみどりに告られているようだ。なぜみんなそうあっさり、「好きだ」というひと言を伝えられるのだろう。それは、聖女のような女の子なのにというより、本当に、好きな女の子に告白するってそんなに簡単なことなのかという感覚だ。「死にたい」のほうがまだナチュラルに言える俺は、ネガティヴすぎるのか。
花村のことは、中二までは近くで見たことはなかったので、「本当にそんなにかわいいのかなあ」くらいだった。中三で同じクラスになって、本当にそんなにかわいかったのでひと目惚れしてしまった。でも、話す機会はなかったし、近くの席になれることもなかった。遠くから見ているだけだった。
咲世だけが、俺が花村に熱をあげていることを知っていた。そんな咲世なので、今回再び花村と同じクラスになれて、「もう告白しろよ」とけっこうせっついてくる。そう言われると、しゅんと花村の魅力を語る熱弁を止めてしまう俺に、咲世はため息をついた。
「水雫、今日の放課後、ちょっと待たせるかも」
その日は静かに春雨が降っていた。昼休みになり、何やら教壇で担任と話していた咲世は、弁当を先に食いはじめていた俺の前の席に勝手に座ってそう言った。
「何で? 呼び出し?」
「何でだよ。志望する大学の資料、見せてもらえるらしいから」
「は? 二年になって二週間でそういうことすんの? やばい、俺まだトリマーになりたいとしか考えてない」
「ちゃんと考えてるじゃねえか。俺は医学部ってだけで、医者になるかは分かんねえし」
「お前の家、そういや耳鼻科だったな。継ぐの?」
「さあな。医学部に進むのは避けられそうにない」
「虚しいな……」
「うっせえ。だから、ちょっと担任と話し合いするんで──まあ、先に帰ってもいいぜ」
「いや、待つよ。靴箱のとこでスマホやっとく」
「サンキュ。あ、弁当持ってくる」
そう言って、咲世は立ち上がって自分の席に向かう。俺はそれを目で追って、咲世が医学部かあ、と鮮やかな緑のブロッコリーをマヨネーズに浸してから口にふくむ。
咲世は不良どうこう言われるが、昔から成績はいいのだ。俺は咲世のスパルタでこの進学校に受かったようなものだった。マヨつけてもブロッコリーはまずいな、ともぐもぐしていると咲世が戻ってきて、そのあとは俺たちは一緒に昼食を取って、昼休みが終わるまでだらだらしゃべっていた。
五、六時間目が終わって終礼すると、担任が咲世に声をかけにいっていたので、俺は黙ってひとりで教室を出た。俺は友達がいないくせに、単独行動は心細くて苦手だったりする。咲世と友達になる前は、孤立してしまう自分にかなりへこんでいた。
下校生徒の波に流されながら階段を降りつつ、周りがみんな笑っているのが、何かしんどい。ほんと意気地がねえな、と内心自嘲しつつ、靴箱に行き着くと壁際にもたれてスマホを取り出し、ブラストゲームのアプリを起動させた。
黙々とブロックを消していたときだった。「あ、立川くん」とあの澄んだ声がして、どきっと心臓が跳ねる。
まさか。そう思ってスマホから顔を上げると、生徒はみんな雨にぶつくさしながら校舎を出ていく中、俺の前で花村が立ち止まっていた。
「何? ゲーム?」
そう言って花村が俺の手元を覗きこんできて、その髪からふわっといい香りがして、完全にテンパった俺はエロ動画を観ていたわけでもないのにスマホを隠してしまう。そんな俺に、花村はおかしそうにくすりと咲った。
「何かいけないもの見てた?」
「いやっ、ゲーム……だけど、……そんな、見るほどのものでは」
「どんなゲーム?」
「ブラスト……だけど」
「そういうタイトル?」
「いや、そういう種類というか。同じ色のブロックを隣り合わせて消していくゲーム。条件があるブロックもあるけど」
「条件とか、むずかしそうだね」
「そんなことないよ。パズルゲームでは一番さくさく進めやすいと思う」
「そうなんだ? 私、キャラクターの何とかドロップってゲームを少しやって、すぐダメだーってなっちゃった」
「あ、ドロップはコツいるよな。俺も下手くそだ」
「それよりは簡単?」
「うん。ヒマつぶしになる」
俺がそう言うと、「あ、そうだ」と花村は何か思い出した表情になった。アシメトリーの毛先が揺れる。
「あのね、立川くんがヒマそうだったら、一緒に帰っておいてくれないかって倉持くんに言われたの」
「はっ?」
裏返った声が出る。何。何だ咲世。お前は何をお願いしているのだ。
明らかに動揺を見せる俺に、花村はちょっと不安そうな面持ちになる。
「女子と帰るとか、やっぱり立川くんは嫌かな」
「えっ? いや、……そんな、ことは」
「じゃあ、一緒に帰ろうよ。地元も一緒なんだし」
「花村、……さんの、友達は」
「みんな部活あるから、帰りは私いつもひとりなの」
「部活、一緒にやったりしないの」
「うん、家で家事しなきゃいけないからね。両親は仕事がいそがしいんだ」
うおおお、花村は家事もできるのか! やばい。結婚したい。
──という本音は顔に微塵も出せず、視線をおどおどさせながら、「じゃ、……帰ろうか」と変態みたいに息切れしないように気をつけながら、俺は言った。すると、花村はぱあっとそこだけ晴れて虹が出たみたいに笑顔になって、「うんっ」とうなずいた。
【第二章へ】
