かわいいと思うけど
何が何だか分からなくなってきて、俺は勝手に話すのもどうかと思ったが、中間考査対策の勉強をホームセンターのフードコートで行なったとき、咲世に桃寧の家庭環境を吐いてしまっていた。
「花村の弟が、男の娘ねえ……」
いつぞやの約束通り、俺のおごりでハンバーガーのランチセットを食べながら、咲世はなかなか面倒臭そうにつぶやいた。五月が終わりかけ、梅雨の気配なのか今日は外は曇っている。日曜日なので、周りの席はほとんど埋まってうるさいくらいだ。
しかし、俺の家には今日は杏梨の友達が来ているし、やたら仲のいい咲世の両親は、ひとり息子が出かけていちゃついている最中らしい。俺はさわやかな味のカルピスをストローですすり、「マジであの野郎、猫だわ」と歯軋りをする。
「猫ではないだろ」
「何考えてる分かんねえもんは、猫なんだよ」
「猫をディスるな」
「咲世はああいうの好きなの?」
「猫は好きだけど、花村の弟は顔も知らねえよ」
「まあ、かわいいけどさ。かわいいよ? 確かにかわいい」
「かわいいばっか言ってるぜ」
「しかし、いきなりちんこ触ってくるのは女子として……女子じゃないけど。もう、ほんと分かんねえ」
「男同士なら、挨拶でやってる奴らいるからなー」
「ただのホモ予備軍だろうが」
「間接キスで勃ったお前も、ホモ予備軍だけどな」
俺はカルピスをノートの上に噴き出しかけ、何とかこらえた。
「だ、だってさ。反応は生理現象だから」
「ホモ陽性だな」
「違うわっ。つか、あれほぼ女なんだぞ。どう見ても美少女で、そんな子のいい匂いとか嗅いだら何かあるだろ」
「いい匂いとか言ってるし……」
「うっ。でも、俺はあの弟うざったいんだよっ。もっと桃寧といちゃつきたいわけ。どうやったら、俺がべたべたしたいのは桃寧だって桃寧に分かってもらうかだよ」
「言えば?」
「いちゃつきたいとか言えるか、恥ずかしいわ」
咲世はてりやきハンバーガーにかぶりつき、うまそうなレタスのしゃきっという音が俺にも聞こえた。俺はまず桃寧と夢月のことを話そうと思って、カルピスしか注文しなかった。
「弟をもっとスルーすることはできねえの」
「スルー」
「実際、弟は花村の言う通り、お前に構ってほしいんだろうし」
「そうなのか……? それで膝枕とかさせんの? あれは下僕とか思ってない?」
「嫌いな奴の膝に頭乗せたいか?」
「やだ」
「だから、弟なりにお前を慕ってるのは確かなんだよ」
「男なのに……」
「てか、その弟が好きになるの、どっちなわけ?」
「どっちと言いますと」
「ホモなのか? それとも、女装は趣味のストレート?」
俺は眉間に皺を刻んで止まり、そういやそれは考えたことなかったな、と気がついた。というか──
「夢月は桃寧が好きだろ」
「嫌いではなさそうだな」
「いや、そうじゃなくて。姉以上に見てる節が」
「『おねえちゃんを泣かしていいのは』あたり?」
「そう。ガチの独占欲じゃん」
「そういう、度の過ぎた姉弟もいるんじゃねえの」
「血縁ナメんなよ。俺は妹に執着なんか欠片もないぞ」
「お前のとこが仲悪すぎだろ」
「咲世は両親がいちゃあまで、自分には兄弟いねえから分かんねえんだよお」
「じゃあもう知らん。勉強するぞ」
咲世は淡々と教科書を開き、俺は手を伸ばしてそれを奪うと、たたきつけるようにテーブルに置いて閉じる。
「正直な」
「うん」
「ちんこ触って平然としてるのは、ホモかもしれないとも思って」
「はい」
「それも……何か、怖い」
「怖いか」
「怖いな」
咲世は唸って背凭れに寄りかかると、難儀そうに腕を組む。
「ホモでお前を狙ってるなら、構われたがるのも筋通るしな」
「……そうなんです」
「お前は弟は姉狙いとか思ってんだろ?」
「それも思う、けど。うーん、何だろ。そのへんが不透明で、余計に夢月が怖い。だから桃寧に逃げたい。そう、俺は逃げたいんだ。夢月から逃げて、桃寧と一緒に過ごしたい。夢月入ってくんな。察しろ。部屋に引きこもれ。じゃなきゃ家を出てくれ」
「ボロクソだな。逃げたいって……ま、弟とか知ったこっちゃねえ気持ちは分からんでもない」
「だろ? 俺が興味あるのは、桃寧なんだよ」
「そうだよな。しかし、花村にそれを言うのは恥ずかしいんだな」
「恥ずかしい……」
咲世は一瞬白けた目をしたが、「じゃあ」と話を続ける。
「弟には言えないのか」
「え」
「弟のほうに──刃向かうのが怖いなら、相談でもするみたいに言えばいいんだよ。姉貴とふたりになる協力してくれとかさ」
「え……邪魔されるじゃん」
「そもそも、邪魔すんなって弟に言っちまうほうが早いだろ」
しばし考えこむ。桃寧に対し、夢月がどうでもいいことをどう伝えるかばかりに悩んでいたが、夢月と向き合うという手か。あれにはっきり物申せるかなあ、と不安もあるが、咲世の助言通り「相談なんだけど」とか切り出すのは可能かもしれない。
「んー、それなら、今度夢月とちゃんと話してみようかな」
「そうしろ。ほら、勉強だってやらないとやばいだろ」
俺はうなずいて、今度は咲世が教科書を開いても邪魔せず、おとなしく自分も同じ数学の教科書を開いた。「このへん授業で泣きそうだったんだけど」と俺が範囲の一部をしめすと、「はいはい」と咲世は受験のときみたいに俺に勉強を教えてくれる。教師の早送りのような授業でぽかんとしそうになっている俺も、咲世との勉強会でこうして追いつけている。友情に感謝だ。
目が疲れてくるまで勉強をやったあと、ランチタイムは終わっていたけど、俺はやっとチーズバーガーとフライドポテトにありついた。咲世は勉強しながら、ハンバーガーもナゲットも平らげていた。勉強の礼も兼ねて、フライドポテトはLサイズにしたので、「食っていいぞ」と言うと咲世は素直に口に運んでいた。
「水雫、このあとどうする?」
「わんこかな」
「ああ……。俺はゲーセン寄っていくか」
「まだ親いちゃついてんの?」
「ずっと顔合わせてても、いつも仕事だからなあ」
前述通り、咲世の家の耳鼻科の個人病院で、おじさんが医院長、おばさんも看護師として働いている。仕事中は甘いオーラなどなく、結婚していると知らない患者さんも多いらしい。
そのぶん、休診日にはそれこそ膝枕なんかやったりしてべたべたしている。それは俺も見たことがある。俺の両親も別に険悪ではないが、ふたりきりになると、どちらかと言えば照れてしまっている感じだ。なので、俺が初めて見た「ラブラブ」の権化は咲世の両親だったりする。
「俺も桃寧とあんなふうにしてみたい……」
「学校では仲良くしてるじゃねえか」
「いや、こう、ふたりっきりでさ。俺しか知らない桃寧の顔を見たい」
「それはセックスをしたいと言ってるのか?」
「せっ……さらっと言うな、お前」
「それくらいさらっと言え」
「せ……。ん、まあ。それもしたいですね」
「敬語。避妊しろよ? 何なら今日、ドラッグストアでコンドーム買っていけ」
「売ってんの?」
「コンビニにも売ってるんだぞ」
「うそっ? って、何で咲世がそんな情報持ってんだよ。お前、童貞だよな? 違うの?」
「……まあ、それはさておき──」
「経験ある奴の反応じゃねえか。年上のいとこか? いつ? マジで?」
「あいつじゃねえよ……高一のとき、三年の先輩とそんなだった時期があるんだよ」
「つきあってたのかよ。聞いてないし」
「つきあってねえのにやってるから、言えなかったんだろうが」
「何で?」
咲世は言葉につまって変な顔をしたあと、「お前は花村に一途だから」と息をつく。
「処理みたいなそういう関係、軽蔑するかなって」
俺は咲世の眼光が決まり悪く閉じるのを見つめて、不意にへらっと咲ってしまうと、「そっかあ」と何だか嬉しくなる。
「軽蔑はしないぞ」
「……うん」
「男だもんなあ」
「そうだな」
「お前には処理でも、その先輩のほうは、お前のことよかったの?」
「卒業して会ってないな。大学でちゃんと彼氏作るっつってたし」
「ふうん。いろいろあるんだな、男と女も」
「お前は男と揉めてるけどな」
「揉めてはないしっ。ただ邪魔なんだよ。あー、桃寧の弟は敵になると思ったけど、ほんと敵だ」
俺は仏頂面になり、咲世はおかしそうに咲ったあと「そろそろ解散するか」と言った。「んー」と答えた俺は、急いでハンバーガーの残りを口につめこむ。
食べたあとの紙屑も勉強道具も片づけると、フードコートを出た。咲世はゲーセンの入っている二階へと、俺は一階の奥のペットショップへと向かうので、エスカレーターのそばで「じゃあな」と手を掲げて別れた。
最後にここに癒されにきたとき、ずいぶん貼りついて眺めていたラブラドールの子犬はいなくなっていた。家族見つかったんだな、と思いながら、ショウケースの中で歩きまわったり、ボールで遊んだり、眠ったりしている子犬たちを眺める。
新しく仲間入りしていた子犬の中にスムースのミニチュアダックスがいて、くっそかわいいなと観察してしまう。まだ冷やかしの目にもさらされていないせいか、無邪気にガラスに近づいてきて俺の瞳を見つめ返してくる。
やばい。飼いたい。
なぜうちの両親は、俺の愛犬を持ちたい願望は叶えてくれないのか。絶対に世話するのに。費用は小遣いから差し引いていいのに。マンション自体だって、確かペットOKなのに。って、こいつ尻尾まで振ってくれてるぞ。かわいい、ともはや呪詛のように内心でつぶやき、よし、ダックスなら小型だしいいだろう、と懲りもせずに親にこいつの家族加入を嘆願してみようと誓う。
そしてそのあと帰宅した俺は、「水雫はその子が死んだとき、自分も死のうとするでしょ」となかなか穿った意見でダックス家族加入を親に却下され、おまけに「ミニチュアダックスかわいいとか言ってる男ヒく……」と杏梨にはドン引きされた。
かわいいもんは仕方ないじゃねえか、と俺はすっかりむくれて部屋に戻ると、でも夢月をかわいいと思っちまうのはまずいよな、なんてぼんやり考えた。
【第九章へ】
