取られたくない【2】
うじうじ悩んでいるうちに、すぐクリスマスイヴが近づき、その前に終業式がやってきた。今年のクリスマスイヴは土曜日だから、終業式は二十二日の木曜日だ。ここのところ僕はずっとぼんやりしていて、気づいたら二学期最後のホームルームも終わって放課後になっていた。
最近、家にいると落ち着かない。誓にいちゃんが訪ねてくると、僕はもうその顔も見れなくてつらい。睨みつける度胸はないし、泣くのはかっこ悪いし、どんな顔をすればいいのか分からない。まあ、登校で否応でも部屋を出なくてはならない朝は冬休みだからしばらく来ない。閉じこもるしかないか、と席を立ったとき、「長川くん」と呼ばれて僕ははっと顔を上げた。
一瞬蒼樹かと思ったけど、違う。名字で呼ばれた。それに女の子の声だった。そこにいたのは、美坂さんだった。蒼樹とはよくじゃれていても僕はあんまり話したことがないので、狼狽えて教室を見渡す。蒼樹は教室の入口にいて、目が合うと肩をすくめた。
「長川くん?」
「あっ、は、はい」
思わず敬語で美坂さんを見直すと、美坂さんはちょっと恥ずかしそうに微笑んでから、「あのね」とかばんからワインレッドのラッピングを取り出した。
「これ、その──クッキーなんだけど。渡してもいいかな」
「えっ。あ、……え?」
「クリスマス。受け取ってくれたらいいから」
「で、でも」
「迷惑、かな」
「いや、その──あ、蒼樹の友達だから?」
「そう、じゃなくて……」
「蒼樹にはあげないの?」
「あいつにも、あとで適当に何かあげるけど。長川くんには、これをあげたいの」
「……はあ」
いらないと突っぱねる理由もないので、僕はその包みを受け取った。クッキー。何で僕なんだろ、と首をかしげつつ「ありがとう」と言うと、美坂さんはぱっと笑顔になって「じゃあ、またねっ」と入口に走っていって、蒼樹の肩をたたくと教室も出ていってしまった。ぽかんとしていると、蒼樹がやっとこちらに歩み寄ってきて、「どいつもこいつもクリスマスだなー」と言った。
「蒼樹もこれもらったの?」
「何であいつの手作りクッキーを俺がもらうんだよ」
「え、手作りなの?」
「そう言ってたぜ」
「……変なの」
僕がぼそっと言うと蒼樹は噴き出して、「尚里もそこそこ鈍感じゃん」と言った。僕は蒼樹を見上げてから、「えっ」と声をもらし、やっといきなりクリスマスにプレゼントをもらう理由に思い当たる。でもそんなわけはないと思ったから、「それは違うよっ」と慌てて蒼樹に言った。
「そんな、美坂さんが僕のこととか、そういうのじゃないと思うよ。蒼樹と仲がいいから、」
「まあ、それは中身見てから考えなさい」
「中身……」
つぶやいて、僕がその場でラッピングを開けようとすると、「帰ってからにしてやれ」と蒼樹に苦笑された。でも僕は焦ってしまう。だって、蒼樹は美坂さんのことが──
「蒼樹、僕、……僕は、だって、おねえちゃんが」
「尚里は好きな奴いるとは言っておいたんだけど、それでもいいから渡したいって」
「………」
「やっぱ、まじめな奴ほどクリスマスを口実にするよなー」
僕は手の中の包みを見つめた。まじめな奴ほど。誓にいちゃんは、きっと、すごくまじめにおねえちゃんが好きだ。本当に、大丈夫なのだろうか。もし、おねえちゃんと誓にいちゃんに何かあったら──
帰宅して、僕はベッドサイドに座り、かばんに入れてきた美坂さんのプレゼントを改めて取り出して開封してみた。ほのかに甘い香りがして、メッセージカードが入っていた。開いてみると、短い文章が記されてあった。
『長川くんへ
いつも蒼樹と仲良くしてくれてありがとう。
蒼樹のことを偏見しないでいてくれる長川くんのことが好きです。
よかったら、連絡先交換してください。
美坂つばめ』
そして、美坂さんのものらしき連絡先が記されてあった。僕はそれを見つめて、ため息をつくと、どうしよう、とクッキーの入ったふくろもメッセージカードもかたわらに置いて、まだ学ランのままの膝の上で手を握った。
こんなの、困る。美坂さんは、たぶん蒼樹の好きな人だし。僕だっておねえちゃんが好きだし。でも、無視するには美坂さんはクラスメイトで、来年教室で会わなくてはならない。気まずいことになるのも面倒だ。
あんまりどうでもいい人に連絡先教えたくないんだけどなあ、と思ってしまうのだけど、どうでもいい人だとか言えないし。何で僕のことなんか好きになるんだろう。蒼樹のほうがかっこいいし、仲もいいだろうし、何で蒼樹に応えてあげてくれないんだろう。
少し考えよう、とふくろの口を閉じると、メッセージカードを下にしてつくえに置いておいた。それから制服を私服に着替えて、一階に降りるのも億劫でベッドに横たわった。
蒼樹にも相談しづらい。おねえちゃんには何となく言いたくない。誓にいちゃんは応援なんかしようとするんだろうなあ、と思って、かすかにこめかみで静電気のようないらいらが芽生えた。
そうして、ついにクリスマスイヴ当日になった。おねえちゃんは朝からばたばたと支度をしていて、けっこう楽しみなのかなあと朝食を取りに一階に降りた僕の表情は曇る。白いセーターにワインのコーデュロイのスカート、黒いタイツを合わせたおねえちゃんはかわいい。髪もほどいていて、「おかしくないかな?」と言われて僕は小さくこくんとした。
朝食は食べていくみたいで、おねえちゃんは僕の隣でバターと蜂蜜のトーストを食べる。僕がのろのろとサラダを食べるうちにおねえちゃんは軽く朝食を済ませてしまい、またばたばたと二階に上がっていった。「騒がしいなあ」と出勤前のおとうさんは笑って、お昼からパートに出るおかあさんも「急に女の子らしいね」と微笑んだ。僕だけ素直に祝福できない。
「ナオには、デートする女の子はいないのか?」
突然おとうさんがそんなことを言ってきて、僕はびっくりして首を横に振った。
「おとうさん、ナオくんはまだ中学生なんだから」
「最近の子はいろいろ早いだろう」
「まあ、デートしたかった女の子ならいるのかな?」
デートしたかった女の子。おねえちゃん。僕は曖昧に首をかしげることしかできなかった。
「出かける前にこれこれ。みんなにクリスマスプレゼント」
降りてきたおねえちゃんは、そう言って僕たち家族三人にそれぞれプレゼントを渡した。おとうさん、おかあさん、最後に僕に銀色のラッピングを手渡してくれて、「ナオのぶんは一番考えたから」と言ってくれた。「ありがとう」と受け取ると、おねえちゃんは僕の頭をくしゃっと撫でてくれる。
僕からも何か用意すればよかったな、と思っているとチャイムが鳴った。どきんと顔を上げると、「チカかな」とおねえちゃんはリビングに行って、カウチに用意していたコートとバッグを取り上げる。
「じゃあ、いってきます」
「あんまり夜遅くならないようにね」
「遅くなるくらいなら、チカくんの家に泊まってこい」
「もう、おとうさんやめてっ。今日はナオが夜まで家にひとりになっちゃうんでしょ。早く帰ってくるよ」
僕はおねえちゃんを見つめた。「ケーキとチキン、予約したの取って帰ってくるからね」とおねえちゃんはにっこりして、僕はプレゼントを握りしめながらうなずく。
もう一度チャイムが鳴って、「あー、はいはいっ」と言って、おねえちゃんは玄関に走っていった。僕はうつむいて唇を噛んでいたけど、手の中のプレゼントのふくろを見つめて、急に立ち上がった。「ナオくん?」とおかあさんに呼ばれたのは無視して、玄関に向かう。黒のコートを羽織ったおねえちゃんは、茶色のムートンブーツを履こうとしていた。
「おねえちゃん」
おねえちゃんは僕の声に振り返り、「ん?」と笑顔を作った。おねえちゃんはもちろん化粧していて、香水の匂いもする。僕は言いよどみそうになっても、思い切って口を開く。
「さ、寂しい、から……今日、家でひとりで、寂しいから」
「うん……?」
「早く、帰ってきて」
おねえちゃんはぽかんと僕を見つめて、ふと柔らかく微笑すると、玄関の段差で身長が変わらない僕をふわりと抱き寄せた。シトラス系のいい匂いがする。「寂しい」と僕がもう一度言うと、おねえちゃんはうなずいて「ちゃんと帰ってくるよ」と頭をぽんぽんとしてくれた。
「ふふ、ナオが甘えてくれるのが、あたしには一番のクリスマスプレゼントだ」
「ん……」
「あたしが変な相談してから、ナオ、元気なかったから。そういうの言って甘えてくれて嬉しい」
そう言ってから、おねえちゃんは軆を離し、「また夜にね」と僕の頬を軽くたたいてくれた。僕がこくりとすると、おねえちゃんは「じゃあいってきます」とドアを開けた。
「ミキ」と誓にいちゃんの声がして苦しくなったけど、我慢してその場にとどまる。「チカ、急かしすぎだし」と言いながらおねえちゃんは家を出ていって、ばたん、と玄関のドアが閉まった。
ブーツの靴音が遠ざかっていく。僕は息をついて、おねえちゃんにもらったプレゼントを開いて覗いてみた。もこもこした白と黒のボーダーのマフラーだった。刺繍やワッペンがついていて、凝ったデザインのものだ。一番考えた。その言葉が嬉しかった。大事にしよう、とそれを抱きしめると、僕は表情を取りなしてから食卓に戻った。
そのあと、おとうさんが出勤して、おかあさんも家事をして僕の昼食を作ると出勤していった。家でひとりになったけれど、明るい演技をしなくていいので、むしろ気が楽だった。暖房と電気カーペットを入れたリビングでテレビを見ながら、おとなしくおねえちゃんの帰りを待った。
少し日が落ちてきたな、と十六時過ぎに感じてカーテンを引き、電気をつける。足元の電気カーペットがぬくぬくしていて、床に横たわると軆がぽかぽかする。テレビもすごくおもしろい番組を流しているということもなく、たまにスマホでSNSを見たりして、ぼんやりとしていたら微睡んできた。
そのままゆらゆら眠ってしまって、どのぐらい経っただろう。物音を聞いた気がしてはっとして、僕は軆を起こした。テレビがつけっぱなしの部屋で、僕以外、誰もいない。
時計を見ると二十時が近かった。おねえちゃん、と真っ先に思って、まだ帰宅していないのかと不安になったときだった。
「ただいま……」
物音がしていた玄関から、おねえちゃんがリビングのドアを開けてすがたを現した。「おかえりなさい」と僕は言ったけど、おねえちゃんは何やらぼーっとしていて僕を見ない。
「おねえちゃん? どうしたの」
僕が立ち上がってそう言うと、おねえちゃんはやっと僕を見た。その瞳がかすかに濡れていたから、僕は狼狽して一瞬言葉を失う。
何? どうしたんだろう。
「……あ、ケーキとか忘れた。やばい。取りに行かないと」
「お、おかあさんがパート終わるから頼めばいいよ。おねえちゃん、何かあったの?」
おねえちゃんは僕を見つめて、「ううん」と上の空につぶやいて、「大丈夫」と続けた。それでも、朝までの元気がないのは明らかだ。僕はおねえちゃんに歩み寄り、その顔を覗きこむ。
頬がちょっと赤い、気がする。お酒でも飲んだのだろうか。
おねえちゃんはため息をついて、「あー……」と天井を仰いで声をもらし、急にがくっとその場に座りこんだ。どう見ても何かおかしいおねえちゃんに、僕はとまどい、誓にいちゃんと何かあったのかと心配になる。
「……ナオ」
「な、何?」
「ごめんね」
「えっ」
「……何か、ごめん」
「何で? おねえちゃんは何にもしてないよ」
しゃがみこんだ僕をおねえちゃんはじっと見つめてきて、そっと僕の頬に触れた。その手はすごく冷たかったけど、嫌ではなかった。僕はおねえちゃんの手に自分の温かい手を重ねて、「おねえちゃんが帰ってきて嬉しい」と笑顔で言ってみた。すると、おねえちゃんはかえって瞳をひずませ、涙を落としはじめた。
「おねえちゃん──」
「私……も、」
「え」
「ナオが、待っててくれてよかった」
「………、僕はいつもおねえちゃんを待ってるよ。味方だよ」
「うん」
「おねえちゃんのそばにいるよ」
「ん。ありがと」
「僕は、おねえちゃんが──」
大好きだよ。そこまで言いかけ、さすがにそれには口をつぐむ。言葉が消え入って不自然かと思ったが、おねえちゃんはなぜだか泣いていて気にかける様子はなかった。膝におろしても、僕たちはぎゅっと手をつないでいた。
誓にいちゃんと、何かあったのだ。それは分かった。でも、正直おねえちゃんのこんな反応は考えていなかった。無意識に、誓にいちゃんがおねえちゃんは泣かせることはないと思っていた。何をしたのだろう。もしおねえちゃんを傷つけたのだとしたら、僕は誓にいちゃんを絶対に許さない。
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