Honey Marry-14

選びたいのは【2】

 尚里の中学もあたしの大学も冬休みが明けて、いつも通りの毎日になった。冬休み中、会わなかった彩季は、今は尚里を優先したいというあたしの誓への答えに、「答えになってない気がするけど、ブラコンは解せた」と言ってあたしの肘鉄を食らった。
 そしてあたし、彩季、誓は大学で後期の試験があり、それぞれ二月に入った頃から春休みになった。
「ただいまー」
 ゆっくり長くなってくる陽射しの中で、出かけることもなく家のリビングで漫画を読んでいると、不意に尚里のそんな声がした。中学生の尚里はまだ三学期の途中だ。「おかえりー」と玄関に顔を出し、う、と思った。
 尚里はひとりではなく、例のどう見ても不良の友達と一緒だった。鋭い眼つきの子で、「お邪魔します」とか言われても、とっさに「どうも」としか返せない。スニーカーを脱いだ尚里が、「あのね」と重そうなかばんをおろす。
「一緒に学期末テストの勉強しようと思って。お菓子とかあったかな」
「あー、おかあさんが何か買ってきてたかも」
「そっか。蒼樹、ちょっと待ってて。飲み物、お茶でいい?」
「おう」
 尚里はあたしの横をすりぬけてキッチンに行き、それを見送ってからあたしは蒼樹くんを盗み見る。制服、着崩してるし。髪、染めてるし。ピアスだし。本当に、何でこれが尚里と仲良くしているのだろう。
 いや、内気な尚里と親しくしてくれているのはありがたいのだけど。友達だよな、とつい疑ってしまう。尚里パシリにされてないよな、とか。いや、実際そうだったら尚里も怯えているだろうし、ちゃんと友達なのだろうけど。
 スナック菓子のふくろとカップふたつを持ってきた尚里に、「かばんどうすんの」と蒼樹くんは言って、「あ」と尚里は言われて気づいたように声をもらす。そんな尚里に蒼樹くんは笑って、「じゃあかばんは俺が持ってくし」と尚里のかばんを持ち上げて奥の階段に向かった。「ごめんね、重いのに」と尚里はそれを追いかけていく。気遣いはあるのか、とあたしはその様子を観察してひとり納得する。
 それは、あたしにだって彩季とかいるんだけども。尚里には尚里の友達がいるんだよな、とため息をついてしまう。尚里の中学生活をあたしはあまり知らない。知ったってあたしはそこにいなくて寂しいしなあ、なんて思ってソファに戻ると、伏せていた漫画を手に取る。
 一冊読み終わって、次の巻をソファの脇に置いているふくろから探していたときだった。「おねえさん」と呼ばれて、ん、と顔を上げたあたしは眉を寄せた。いつのまにか、リビングの入口に蒼樹くんがもたれて立っていた。「嫌そうな顔」と蒼樹くんがにやにや笑うので、あたしは咳払いしてから表情に笑顔を貼りつけておく。
「何? ナオは?」
「トイレ借りるって出てきただけだから、とっとと訊くけど」
 蒼樹くんはこちらに歩み寄ってくると、ソファの背もたれに頬杖をついてあたしを覗きこんでくる。
「おねえさんは、尚里をどう思ってんの?」
「は……?」
「分かってない? 知ってて遊んでる?」
「……何言ってるか分かんないんだけど」
「そっか。幼なじみの野郎とはつきあうつもり?」
「はっ?」
「デートしたんだろ」
「何で、そんな──」
「尚里に聞いた」
「………、別に、関係ないでしょ」
「俺にはね。尚里は気にしてるよ」
 さっきから、何を質問されているのかよく分からない。だから思わず黙ってしまうと、蒼樹くんは首をかたむけて笑った。
「はっきりしたほうがいいと思うよ?」
「はっきり、って」
「幼なじみとは、その気があるかないか。それに、尚里とどう接していくか」
「……何であんたにそんなの、」
「俺の幼なじみがね。女だけど。尚里を狙ってるよ?」
「えっ」
「そいつに尚里を取られちゃっていいんなら、俺が今言ったことは気にしなくていいんだけどね」
 蒼樹くんはにっこりしてから、ソファを離れてリビングも出ていってしまった。あたしはそれを見送って、急にざわついてくる心に視線を落とした。
 狙ってる。尚里を狙ってる。そんな女の子が、いるのか。尚里は? 尚里はその子をどう思っているのだろう。やっぱり──嬉しい、のかな。想われたら、やっぱり嬉しいよな。そうなんだ、と息を吐くと、何だか気だるく漫画を投げて天井を仰いでしまう。
 尚里に彼女ができるまで。そう思った。それまで、誓のことも考えないと決めた。
 なのに、すでに近くに尚里を想う女の子がいる。その子は尚里に告白はしているの? 尚里のほうはその子をどう思っているのだろう。ふたりがつきあいはじめたら、あたしは誓のことを考えなきゃいけない。尚里に彼女ができて、それだけできっと茫然としているのに、その上──
 はっきりする。誓とつきあうか、つきあわないか。彩季にも言われた。それは答えになっていない。尚里のことを先に考える、それでは誓の想いに何も返答していない。そして、尚里とどう接していくか。彼女ができたら、なんて言っておいて、尚里に彼女ができるのがあたしはきっと嫌だ。
 けれど、だとしたらあたしは尚里にどうしてほしいのだろう。いつまでも恋人を作らず、「おねえちゃん」と懐いていてほしいの? そんなの、尚里には酷だ。あたしは、いったい尚里とどうしたいのだろう。
 そんなことをぐちゃぐちゃ考えこんでいるうちに、二月はどんどん過ぎて、バレンタインが近くなってきた。カレンダーを眺め、また面倒な行事が来たな、と思った。普段は特に億劫でもなく、さくっと尚里と誓にチョコを渡すけれど、今年は違う。特に誓に対し、答えを出すいい機会になっている気がする。
 まだ何にも考えていない。というか、尚里は例の女の子からチョコと共に確実に告白されるはずで、それが気になって自分のチョコどころではない。何かもう全部しんどい、とあたしは春休みなのに彩季の部屋を訪ね、どろどろと悩みを吐くと、ベッドに顔を伏せてしまった。
「弟の恋愛は弟の問題でしょ」
 ベッドサイドに腰かけて爪を磨きながら彩季はそう述べて、「分かってるけど」とあたしはシーツを殴る。
「やだもん! ナオに女とか!」
「どんな女か見たの?」
「見てないけど」
「お似合いかもしれないよ」
「あの不良の幼なじみだよ? てか、あいつマジ感じ悪かったし」
「的は射てるでしょ」
「何であれに指摘されなきゃいけないの?」
「誰が指摘しようと、美希音は確かに誓くんにはっきりすべきだし、弟に対しても逃げてんのかブラコンなのか正直になりな」
 あたしは顔を上げて息をつき、そう言われたってなあ、とうじうじ考えこむ。
「誓は……何か、考えたくないんだよね。しばらく考えずにすむっていうので、かなりほっとしたというのはある」
「その気ないんじゃん」
「分かんない……。一緒にいるのは楽しいし。楽でもある。嫌いじゃないんだよ」
「恋愛というか結婚向きかな」
「やだよ、やめてよ」
「誓くんと結婚したら楽だと思うよ」
「楽って。楽で結婚するの?」
「楽な結婚が一番いい」
「………、尚里とは、何か、その女の子に対して、部外者入ってくんなって感じ」
「弟に執着するのは、誓くんへの答えを引き延ばしてるわけじゃないわけね?」
「うん。ほんとに、尚里に彼女ができなければ何より……って、何かあたし最低な姉だな!?」
「わりと」
「尚里の幸せを祝福できない。もう彼女候補もいるのに。尚里取られたくない」
「弟からして、それはもう気持ち悪いんじゃないの?」
「きもっ……ち、悪い?」
「あたし、兄弟にそんなふうに思われて恋愛邪魔されたら、ヒくわ」
 あたしはずーんとまたベッドに伏せった。気持ち悪い。そうか。あたしは気持ち悪いのか。尚里にとって、あたしは気持ち悪い……。
「でも、まあ──美希音の弟も、聞いてる限りはなかなかシスコンだから」
「……ん」
「ブラコンとシスコンで、相性はいいのかもしれないね」
「でも、気持ち悪い……」
「『おねえちゃん』っていまだに呼んでるのがすごいわ。中二でしょ? 『姉貴』とか、せめて『ねえちゃん』じゃん。下手したら『美希音』って名前呼びだよ」
「ナオはそんな野蛮な子じゃない」
「あたしからしたら、弟もちょっと気持ち悪いわ……」
「ナオはかわいいよ! 弟としてベストだよ。目に入れてもいいよ」
「それ、孫ね。じゃあ、美希音の中では弟のが比重重い感じだね」
「そう、かなあ。うん」
「じゃあ、惰性で誓くんへの答えを出さないのやめたら? 今告られた時点で、縁がなかったんだよ」
「……チカ、傷つかないかな」
「傷つくでしょ」
「わざわざ傷つけるの?」
「振るっていうのは、得てしてそういうもんだから気にすんな」
 そう言って彩季は爪にふっと息をかけるけど、いいのかなあ、とあたしはまだ燻ってしまう。
 でも、確かにいくらあとまわしにしていても、自分が誓とつきあっているイメージが湧かないというのはある。だとしたら、せめて早く振ってしまうのが優しさなのだろうか。そのあとも幼なじみではいたいというのは、振る時点であたしが誓に対してあきらめないといけないのかもしれない。誓があたしとつきあいたいと願うのをあきらめさせるみたいに。

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