用法用量は守らない

 私を振った彼氏に言われた。私をクビにした上司にも言われた。「怖い」って。「お前が怖い」「あなたが怖い」って。
 そう言われて、見捨てられた。
 確かに、喧嘩になったときすがるような真似はしたけど、私、あなたに迷惑かける気なんかなかったよ? なのに、お前は重いからストーカーになる前に別れたいって何?
 ねえ、仕事中にぶっ倒れてうわごとが出たのは悪かったよね。けど、ひとりでぶつぶつ言うのが気持ち悪いってうわさになって、そうしたら、励ますどころか首を斬るの?
 分かんない。わけ分かんない。私、そんなに人から見たら「怖い」のかな?
 失恋と失業が重なって、元から弱かった私のメンタルは崩壊した。たまに相談に行っていたくらいの心療内科に、週一で通うようになり、毎回先生の前で泣き崩れた。
 精神安定剤と睡眠薬を処方されるようになった。初めはほとんどプラシーボ効果で、飲めば落ち着いていた。
 でも、次第に一度に飲む量が増えはじめて、不安定な診察が続いて雪だるま式に手に入る薬も増えた。
 でも、今、それでも足りない。
 私の楽しみは、ちゃんぽんで薬を飲むこと。眠れない夜。乗り越えられない闇。耐えられない黒。薬をたくさんお酒で飲みこんで、無感覚の波にさらわれる。
 夜が嫌い。眠れない夜が嫌い。WEB漫画でも読みながら寝落ちしてしまえる夜はいいのだけど、意識が冴え渡ってしょうがない夜がある。
 そんなときのために、私の部屋にはピーチリキュールが置いてある。これを冷蔵庫にあるオレンジジュースと混ぜてしまえば、甘くて飲みやすい定番のカクテルの出来上がり。
 私はお酒をあんまりおいしく飲めるタイプじゃないから、せいぜい飲めるのがこれだけなのだ。お酒がおいしいなら、人生もちょっと違ったのかもしれないと思う。
 スマホをいじりながら、十八時になったのを知る。私にとって、今から「夜」だ。どんどん精神が混迷してくる。
 おかあさんが夕食を作っていて、その匂いでおでんだと知る。まあ、冬なのでおでんは多い。そして、おでんは嫌いだ。鍋は家族で食べなきゃいけない。
 おとうさんが、「次の仕事はどうなんだ」ってうるさい。次の仕事の前に、健康な精神が必要だって、あの人は分かってない。甘えだ、怠けだ、そんなふうに思っているのが口調で筒抜け。
 おかあさんはそこまで思っていなくても、私が昼間もリビングの日向でぼんやり座っていると、不安そうにしている。
 あー、死にたいな。死んだら楽だよな。
 死ねば両親の心配も終わるわけだし。私に未来なんかがあるから、あのふたりはいろいろ考えなきゃいけない。
「今日は一日何してたんだ」
「……別に」
「おい、まだこいつを病院なんかに行かせるのか」
「先生も心配と仰ってて」
「患者にはみんなにそう言うだろう。客みたいなもんだからな」
「病院は、お前が通ってるキャバクラじゃねえんだよ」
「何だと!?」
「すみませんっ、あなた。私から言って聞かせるので──」
 ほかほかした匂いにはそぐわない、家族三人のぎすぎすしたいつもの夕食。
 これが毎日。ねえ、いつまで毎日?
 ぞっとする。そして、二十代半ばで家出のあても資金もない自分が情けない。
 お風呂はサボって、二階の部屋にこもった。時刻は二十一時。今夜はおかしくなりそうだから、薬を吟味しますか。
 しっかり、冷蔵庫からペットボトルのオレンジジュースも取り出してきた。
 とりあえず、精神安定剤。いらいら用、不安用、緊張用、頓服も二種。この五種類を、一シートずつ。
 次に睡眠薬! 睡眠薬は八種類出ている。飲むと無意識に行動してしまう奴、これは多いとダメ。それは少なめにして、まあ四十錠くらい見繕うかな。
 あとは、一日三回の薬で百錠までおぎないましょうか。
 私はいつも、百錠までしか飲めない。それ以上飲むと、胃が錠剤でごろごろして受けつけなくて、猛烈に気分が悪くなって、最悪吐いて、意味がなくなる。
 薬物自殺って楽そうだけど、なかなか大変なんだから。
 そうして、リキュール多めにしてカクテルを作る。リキュール多いと、酒臭くなって結局まずいんだけど。私は炭酸も飲めないから、缶チューハイさえ無理なのだ。
 オレンジジュースをたっぷり紙コップにそそいで、割り箸をマドラーにしていっちょ上がり。
 ──さあ、いただきます!
 ビニールのぷちぷちをつぶしていくみたいに、薬をシートから押し出して、五錠ずつくらいまとめてラムネみたく口に放っては、ごくんとお酒で流しこんでいく。
 味わわない。苦いのは嫌い。ただ効いてくれたらいいの。強烈に感覚を痺れさせてくれたらいいの。
 機械的に、ひょいっとぱくっと薬をいただいて、胃から意識を焼いていく。
 脊髄にいらいらと絡みついていた静電気。心臓をもやもやと覆っていた黒雲。指先から取れなかったかたかたという震え。私を不安にさせていたものが、次第に溶けて、散って、消えていく。
 ついに百錠飲むと、ベッドに仰向けになって、それでも吐きそうになる。でも、早くも頭がぐにゃぐにゃしてきたぞ。
 いい感じ。この感じがいい。重くなっていく肢体。この分解されていくようなときがあるから、私は、何か、何とか、生きるのか……な……
 ──どう考えても越えられそうになかった夜も、ほらね、心も軆も麻痺した仮死状態になれば、一瞬でおしまい。
 ああ、どうせなら、このまま目なんか覚めなきゃいいのに!

     ◆

 白い光。
 朝。
 トイレ行きたい。
 脚が動かない。
 頭ぐらぐらだ。
 吐きそう。
 身動ぎで何とか床に落ちる。
 立てない。
 廊下を這いつくばる。
 数十分。
 便器に取りつく。
 服を脱ぐ腕が上がらない。
 そのまま排泄。
 昨夜の薬が溶けこんだ悪臭。

     ◆

 ねえ、死んだほうがいいって分かってるよ?
 生きてる価値ないもんね!
 だから私は、用法用量は守らないの。

 FIN

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