風切り羽-138

僕の家族

「うん──、あのね、萌梨くんには何にも知らせずに進めちゃったの、悪いとは思ってる。ただ、萌梨くんがその気になってくれるなら、すぐ行動起こせるようにしておきたくて」
 眉を寄せる。話が見えない。
 進める。その気。行動。何も思い当たらない。
 あのことに関する話か。悠紗は抜きに、といって、悠紗はもうあのことは知っている。いや、わざわざ目の前で交わす話題でもないか。
「悠紗に聞かれたらいけない話なんですか」と質問すると、「いや」と聖樹さんは答える。
「悠はもう知ってる」
「……知ってる」
「悠がいると、萌梨くんをあの子の気持ちに走らせそうなんで。萌梨くんの気持ちで決めてほしいんだ。先に言っておくと、悠は賛成してる」
 賛成、するとかしないとかの話なのか。何だ、となおも思っていると、聖樹さんは紅茶を飲んで深呼吸で気を鎮め、僕に真剣なまなざしを向けた。何やらこちらも緊張してしまう。
「僕、こないだ、親に自分のこと話したでしょう」
「……はい」
「あのときのこと、萌梨くんにはほとんどを話したんだ」
「え、ほとんど」
「ひとつ黙ってたことがある」
 聖樹さんを見る。黙っていたこと。何だろう。全部話してもらったように感じたけれど──。
「僕、親に萌梨くんのこと話したんだ」
「え」と目を開いた。同時に心臓が跳ねた。
 何。何て。話した。聖樹さんが。親に。僕のことを──話した。
 どう反応したらいいのか分からなかった。衝撃を受けるのか、当惑するのか。聖樹さんは済まなそうに詫びたが、無論そんなのでは心は収まらない。
「向こうとしては、僕が突然話す気になったのが気になったみたいでね。どんなでも受け入れるって言ったんで、少し話したんだ。名前とか年齢とか、似たことされてる子、だとも」
 うつむいた。胸がざわめいて息苦しくなった。
 僕が決めたのではないところで、僕の傷が漏洩した。恥ずかしいような耐えがたいものが熱くなり、どう思われたのか分からないことに無限に怖くなる。
 聖樹さんに対しては怒るより哀しくなって、まばたきも硬直してしまった。
「ごめんね。おうちのこととかは話さなかったよ。親には、分かってもらえた。納得して、僕の気持ちの支えになるならってここにいるのも認めてくれた。不審がって、ほっといたほうがいいんじゃないかってことは言ってこなかったよ」
 そんなの、分からない。黙っていただけで胸の内では怪しんだかもしれない。
 僕は迷惑だ。ここにいるのは犯罪だ。聖樹さんの親は子供をかばう親だろう。秘かに僕の危険性を探り、聖樹さんを守ろうと追い出そうとしてきたら。
 僕は逆らえない。そして押し返されるのは──。
 僕の猜疑心は汲み取れたのか、「ほんとに」と聖樹さんは念を押す。
「僕、親とも話したんだ。こないだみたいな、萌梨くんの将来とか法律的な話。黙って隠しておくんじゃ、いずれ大変なことになるのは避けられないって言われた」
「……出ていけ、って」
「違うよ。黙って隠しておくのはやめたほうがいいって」
「黙って隠しておくしかないじゃないですか」
「僕もそう思ってた。話した日のあと、親がいろんなところ調べてくれてね。昨日、携帯に連絡くれたんだ。そういう、僕たちみたいなことをされてた人たちの集まりを見つけたって」
 僕たち、みたいなこと。をされていた人の集まり。そんなのがあるのか。いや、存在はしていそうでも、ごろごろしているものなのか。しかも男が被害者のところが。
 被害者が女なのと男なのでは、やっぱり違う。男のほうが、加害者は男であれ女であれ、まだもうちょっと表に出るのに躊躇いがある。第一、女の人だけのところだと男は嫌がられそうだ。
 男が被害者にもなりうる、と踏まえられたところとなる。「あるんですか」と訊いてみると、「あったんだよね」と聖樹さんも見つけてもらって知った口調で言う。
「そこの仲間入りしろっていうんじゃないよ。僕だって、そういうの何か怖いし。でも、普通の人よりは、僕たちのことも萌梨くんがここにいたほうがいいのも分かってくれるでしょう」
 僕は首をかたむけ、そうなのかな、と思わなくもなかったのでうやむやにうなずく。
「僕、今日昼に会社を早退して、集まりの代表の人たちに会ってきたんだ。すごい、怖かったよ。だけど、萌梨くんがここにいられるようにしてあげたかったから」
 ここに、いられる。そんな人に会ってどうかなるのか。集まりだって、精神療法が行われているだけではないのか。
「先に、一応僕のことも話さなきゃいけなくて。話したよ。そのあとに、萌梨くんをかくまってることも言った。またでごめんね、そういうことされてる子だとも。萌梨くんといて家族と分かりあえたのとかも話して、そしたら、協力してくれるって」
 僕は顔を上げた。
 協力。協力──って、何の。
 訊くと、「萌梨くんがここにいられるように」と聖樹さんはあっさり言う。
「というか、元の場所から引き離すように、かな」
「できる、んですか」
「それはね。その集まりが連携してる施設で話したんだけど、親にひどいことされて引き取られたって子、たくさんいたよ」
「……はあ」
「話聞いた人が、十月の半ばにここに修学旅行に来た学校の生徒で、行方不明になった子はいないかって調べた。すぐ割れたよ」
「そ、ですか」
「で──、あ、もちろんね、そういうところには頼らず、内輪でやるのも考えはしたんだよ」
 どきりと肩を揺らす。何でそうしなかったのかな、という想いもどこかにあった。
「でもね、調べた人が萌梨くんがいた街に近い施設に、確認として連絡してくれて。そこの話では、萌梨くん、向こうではかなり有名になってるらしいんだ」
「え、そう、なんですか」
「うん。ただの家出でもないし。そこは僕も予想してて、それで内輪は無理かなって思った。僕ひとりで話つけようと萌梨くんを向こうに連れていったって、拾った他人か、誘拐犯にされるに決まってる。だったら、公的な機関を味方につけたほうが安全かなって」
 安全。味方って何だろう。何をどうしたら、僕が法的にもここにいられるというのだろう。離してもらったとしても、施設に引き取られるのだったら、それはあそこにいるよりマシでも、ここを知ってしまったあとでは嬉しくない。
 そのへんを問うてみると、聖樹さんはいっそうまじめな顔になった。
「これはね、前からときどき思ってたことなんだよ」
 聖樹さんは僕の瞳を正視した。穏やかな瞳には揺るがない決意がある。
「萌梨くん、僕の子供にならない?」
「は?」
「僕の子供に。悠の兄弟に。朝香じゃなくて、鈴城になりたくない?」
「………、鈴城、に」
「養子縁組っていうのかな。ほんとの、きちんとした家族に。なりたくない?」
 聖樹さんの視線に捕らえられ、僕は動けないままその強い瞳と見つめあう。
 家族。養子縁組。朝香でなく鈴城に。それは──僕は、いい。最高だ。すごく救われる。
 けれど、心にあののしかかる影がよみがえる。
「そんなの、……おとうさんが」
「うん。だから、公的な機関に相談したんだ。僕が萌梨くんを息子にさせてくださいっていっても、萌梨くんのおとうさんがそんなの許すわけない。かえって、僕を犯罪者あつかいして、萌梨くんを手元に引き戻すよ。内輪で解決しようとしても、危なすぎるんだ。悪化する確率が断然高い。しっかりした味方がついてたら、有利に進められるかもしれない。僕の親もね、萌梨くんの家のことは知らなくても、僕の家に置いておくっていう話でそう考えてくれたんだよ。で、いろんなとこ探してくれた」
 そう、なのか。ここでやっと、聖樹さんの両親の心が信じられてくる。
「ただ、戸籍を動かすわけだし、萌梨くん自身がはっきり、おとうさんにどういうことされてたかをいろんな人の前で言わなきゃいけない。萌梨くんの家のことは、今日会った人たちは知らないんだ。これはほんとに、萌梨くんに無断では話せないことだからね。で、養子縁組の話はやりすぎじゃないかって顔された。引き剥がすより、あなたみたいに分かりあわせてやるほうがいいんじゃないかって。親は親なんだからって」
「親……」
「萌梨くんが、あんな人は親じゃないって自分で言わないといけない。何で親じゃないのかも、証言できないといけない。それができたら、萌梨くんはここにいられる確率が増えるんだ」
 ここに、いられる。法的に。公的に。ここにいる資格が持てる。あのことを話せば。
 苦しい、と思う。が、そうしてあれが虐待だと認めてもらえれば、僕はあそこを解放される。しかもここにいられる。あのことが笑いごとではない、つらいことだと分かってもらえれば。
「ここに暮らすようになったら、そこの中学を登校拒否して卒業すればいいし。高校も、勉強したければ通信制のところ探してあげるよ。そしたら、将来ずいぶん自分で働けるようになる。ひとり暮らししたくなったら、それでもいいんだよ。それで苦しくなったら、当たり前に僕に甘えていい。ここにごはん食べにきたりね」
 伏目になって、考える。そんなの、怖くてはっきり思うこともできなかった。
 聖樹さんと悠紗の家族になる。養子縁組。無意識に覬覦だと決めつけていた。
 言うまでもなく、実現したら理想的だ。鈴城家の一員になって、ここに晴れて暮らせる。
 だが、聖樹さんはいいのだろうか。新たに重荷をかけたりしないだろうか。僕が子供になれば、聖樹さんには僕の面倒を見る義務が課せられる。
 そこを言うと、聖樹さんは咲った。
「このひと月半と大して変わらないよ。後ろめたくなくなるだけだね。慣れたら、悠と買い物にいってもらったりできるかな」
 聖樹さんは紅茶で喉を潤すと、僕の不安を丁寧にほどいてくれる。
「萌梨くんがここに暮らすようになって、何かを切りつめてるってこともない。家事してもらったり、悠の面倒見てくれたり、助かってることばっかりだよ。悠は、萌梨くんが家族になるのはどうかな、って訊いたら喜んでた。そうできるならそうしなきゃって言ってた。僕だって、萌梨くんがいてくれると楽になれる。萌梨くんなら、僕を分かってくれるっていうのを信じられる。沙霧も僕の親も、僕の気持ちを軽くした萌梨くんに感謝してるし、あの四人だって萌梨くんのこと気に入ってる。みんな、萌梨くんがいなくなって、しかもいなくなった先で苦しむのなんて嫌なんだよ。ここにいてほしいんだ」
 聖樹さんと見つめあった。聖樹さんの瞳はまっすぐだった。
 それは当然、怖かった。そんなにうまくいくのか、公的な機関がそんなに頼れるところなのか、おとうさんがそう簡単に折れるものか、いっぱい怖かった。
 けど、ここで聖樹さんと悠紗の家族になる、というのは魅力的すぎた。ここにいられる。聖樹さんたちといられる。もうあんなことをされずに済む。二度と裂けめを増やさず、気持ちを安んじていられる。もしかしたら傷も癒せるかもしれない。
 忌まわしい血のつながりを切って、子供だからと縛られることはなく、僕が帰る場所はここになる。帰らなきゃいけない家でなく、いつでも帰れる家を持てる。僕にずっとずっと足りなかった、温かいものが満ちた家庭を持てる。
 本物の家族を持てる。
「僕は萌梨くんが必要なんだ。萌梨くんと家族になりたい。隠れたりせずに、堂々とそうなりたいんだ。そうなるべきだと思う」
 黙っている。聖樹さんはやや瞳に不安をまぜ、「家族になるの嫌かな」と一歩引く。慌てて首を振り、聖樹さんもほっとすると、それでも即決はしない。
「萌梨くんには、つらいよね。話したくない人に話したりしなきゃいけなくて、どっちにしろまたおとうさんと顔合わせなきゃいけないし、元の街にも行かなきゃいけない。ただ、ひとりではないのは忘れないで。僕も付き添う。守ってもくれるところもある。心の準備がいるって言うならそうしてもいいし、悩んで気持ちが鈍る前に早くしたいって言うならそれでもいい」
 僕は聖樹さんに上目をする。聖樹さんは悪戯っぽく咲うと、「僕はすぐにでも自分のほうに抱きこみたいんだけどね」と言う。それに僕もわずかに咲いをこぼし、考えた。
 長考すればするほど、思索が悪い方向に向かってしまう自分のくせは知っていた。今、僕はこの提案をどう思うか。
 直感で決めればいい。僕の直感はそんなに悪くない。
 聖樹さんと出逢ったときだってそうだった。直感で全部決めて、二ヵ月前には予想もしていなかった安らぎをつかんだ。聖樹さんと悠紗と、家族になりたいかどうか。
 そんなの、答えは決まっている。
 聖樹さんを向いた。聖樹さんは僕の顔に決断を読み取って笑みを締めた。僕は一度深呼吸をすると、「お願いします」と言った。
 聖樹さんの瞳が、確かめるように揺れる。僕はその揺らめきを揺るがしがたいものにするために、はっきり続ける。
 そして、それですべてが確定した。
「聖樹さんたちが、僕の家族です」

第百三十九章へ

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