MIDNIGHT-7

午前三時【1】

 くだらない奴らのくせに、時間にはしっかりしている。
 デニムのジャケットと黒のパンツというすがたで、僕は日曜日の朝だというのに学校におもむいた。空は憂鬱そうに曇っている。左手首のデジタル時計は“10:50”と表示していた。
 山本と取り巻きの二、三人は、すでに校門で僕を待ち構えていた。
「遅せえんだよ」
 僕は山本を一瞥しただけで、何も言わなかった。山本も取り巻きもかちんと来たようでも、さすがに担任に会う前に殴ったりはしてこない。「行くぞ」とうながされ、僕はため息を押し殺してついていった。
「北宮に余計なこと言ったらぶっ殺すからな」
「……分かってるよ」
 僕のいい加減な口調、表情、様子すべてが山本の神経を引っかくようだ。
 校門をくぐり、よく放課後に園芸委員が手入れをしている庭園の中の道を通る。そして真正面が校舎で、昇降口だ。どんな顔しとこう、ともともと笑顔の少ない僕はうんざりしながら、スニーカーから上履きに履き替えた。
 職員室には、日曜日なのにけっこう教師がたむろしていた。コーヒーの臭いがする。家でねえちゃんがカフェオレを作るときの香りはいいけれど、職員室のコーヒーの臭いは何となく嫌いだ。
 僕たちを見た教師たちの中から、黒髪ショートカットに赤ジャージの北宮が立ち上がってやってきた。
「良かった、待ってたんだよ」
 北宮の憂色に、山本が気味の悪い笑みを見せたので、僕も引き攣りそうになりながら咲った。その緊張した学芸会みたいな笑顔に、北宮の頬はほっとしたような微笑に打って変わった。
 教師なんてこんなものだ。
「相談室行く?」
「んー、先生は話したい?」
 僕は刹那、横目で山本を見た。こいつが無邪気ぶっている。
「そうだな……一応行こうか」
「だね。おい、行こうぜ」
 山本に気色悪い笑顔でうながされ、僕は痴漢される女のように驚愕と嫌悪で硬直しそうになったが、何とかうなずいて一行についていった。相談室は、職員室を出て少し先にある。北宮は用意していたらしい鍵をポケットから取り出すと、僕たちを室内に招いた。
 向かい合う黒ソファと茶テーブルだけの、質素で狭い部屋だった。湿気ったにおいがする。奥のソファには北宮が腰かけ、手前のソファには僕と山本が並んで座った。取り巻きは座る余裕がないので、僕たちの後ろに立つ。
「それで、里見さんたちの話なんだけど」
「……先生は、今の俺たち見ても、やっぱり心配?」
 北宮は背を伸ばして僕と山本を見較べ、「うーん」とか言いながら首をかたむける。山本が僕を見てまた笑ったので、僕も笑っておいた。
 これ以上こいつの笑顔を見るくらいなら、首をくくりたい。
「とりあえず、先生は今の山本くんたちを見た感じでは、里見さんたちが勘違いしたのかなあって」
 山本が、ほんの一瞬鋭利な笑みを浮かべたのが、視界の端に映った。そちらのほうがお似合いだ。
「よかった、先生なら分かってくれると思った。なっ」
「う、うん。イジメなんてないよ」
 デフォルトの台詞しか出てこない。「そっか」と北宮は安堵した微笑みでうなずいた。
「もう、里見さんたちのほうをしからなきゃいけないな」
「はは、ほんと。何で里見たちそんなふうに思ったんだろ。俺ら、いつも一緒にいるくらいなのに」
「そうだよね。一緒に帰ったりしてるの先生もよく見るから、おかしいなとは思ったんだ」
 北宮は僕にも満開の破顔をしてきて、バカかこいつ、と思いながらも笑っておいた。やっぱり、低学年向きだ。
「じゃあ先生、日曜に学校とか親も心配してるから、俺たち帰ってもいい?」
 しばし偽りの談笑をしたのち、ふと山本がそう言い出すと、北宮は渋る様子もなく首肯した。
「うん、もちろん。そうだね、親御さんには心配かけたね。先生から謝っておこうか?」
「ううん、大丈夫。やましいわけじゃないし」
「そっか。そうだね。ありがとう、仲のいいすがたを見せてくれて」
 簡単な納得に、どことなく追いはらう感を覚えた僕は、北宮もなるべく関わりたくないんだろうなと思った。
 結局、僕はほとんど口をきくこともなかった。ときおり返事するくらいで、とんだ徒労だった。
「おい、お前、金持ってるか」
 靴箱で北宮と手なんか振って別れて、校門を抜けた途端、山本はお似合いの性悪の眼光で言ってきた。何言い出すんだよ、と僕は飽き飽きした口調で答える。
「何で学校来るときに金持ってくるんだよ」
「役立たず」
 僕はつい、その言葉に山本を睨みつける。
「何だよ」
 山本は目尻を釣り上げ、僕は「別に」とそっぽを向いた。役立たず──それは、僕の両親のような奴らを言うのだ。
「じゃあ、金持ってこいよ」
「は?」
「金だよ。家から持ってこい」
 心底ありきたりなこいつが厭わしくなる。どこまでふざけているのだ。惜しい小遣いなんかないけれど、こいつのために用意するなんてまっぴらだ。無言で立ち去ろうとしたら、ぐっと肩をつかまれた。
「聞こえてんだろ。金を持ってくるんだ」
「お前、一応、乞食じゃないだろ」
 山本は、僕の腕をつぶしそうに握って引っ張り、すぐさま胸倉をつかんできた。僕は吹き抜けた風のような冷めた眼をして、臭い息を排する口元に唾を吐いた。
「てめえっ……」
「ここなら、声上げたら人来るぞ」
 僕の言葉に山本は眇目をし、舌打ちして、手を離して口元をぬぐった。
 思わず、鼻で嗤ってしまう。本当に幼稚な奴だ。僕の失笑に、山本は忌ま忌ましそうに僕を押し退ける。
「月曜の放課後、分かってろよ」
 陳腐な捨て台詞を残した山本と取り巻きは、ずるずるのジーンズみたいな、だらしない歩き方で去っていった。
 月曜日。僕はため息をつくと、校門を前髪の隙間から一目した。引き返して、北宮にすべてチクってやってもいいけど──やっぱりあの教師じゃ鬱陶しいな、と家へと歩き出すことにした。
 時刻は十一時半をまわっていた。家に着くのは十二時前だろう。朝より曇っていて風は涼しいが、雨は降りそうにない。
 ねえちゃんは起きているだろうか。何も食べてこなかったから、何か食べたい。でも、ねえちゃんがきちんと食事を用意してくれるのは、夕食と平日の朝食だけだ。インスタントでも食べとくか、と考えながらデニムのポケットに手を突っ込んでいたら、家の通りにさしかかっていた。
 何の気もなしに顔を上げ、はたと立ち止まった。僕の家の前に、ねえちゃんとかのはにいちゃんがいた。道路に出て、何か話している。ねえちゃんは出かける感じだけど、かのはにいちゃんは別に普段着──
 不意にねえちゃんが、駅前に続く向こう側へと歩き出した。かのはにいちゃんが、すかさずねえちゃんの細い腕をつかむ。僕はそれに、一瞬、もやっとした。だがそれは、ねえちゃんがすぐかのはにいちゃんを振りはらったので、消えてしまった。ねえちゃんは厳しい表情でかのはにいちゃんに何か言うと、つんと澄まして歩いていった。
 かのはにいちゃんは、ねえちゃんの後ろすがたを見送っていた。けれど、何やら息をつくと、僕の家を一度仰いで自分の家に帰っていく。
 怪訝に思いながら、自分の家に近づいてみて、僕は眉をひそめた。両親の声がする。帰ってきたのか。じゃあ、ねえちゃんはこれに嫌気がさして出かけ、かのはにいちゃんは、たぶんわけが分からなかったのか。かのはにいちゃんは、僕たちの両親が仲が良かった頃しか知らないはずだ。
 僕は食べたものがまずかったような顔をして、部屋に直行できることを祈りながら、山本たちといるときより、ずっとのろのろとした動作で門を開ける。
「何で私が先方に謝るのよっ。あなたのミスでしょう!」
「俺のミスを補うのが、秘書のお前の仕事だろうが!」
 玄関のドアを開けると、リビングのドアが開いたままで危懼したが、両親は喧嘩にいそがしく、僕が通り過ぎることに気づきもしなかった。息を殺してスニーカーを脱いでいると、喧嘩の内容が耳をつんざく。
 あのふたりは夫婦としてはすでに終わっていたが、仕事の関係はうまくいっていると思っていた。そちらにも支障が出ているのか。だったら会社で喧嘩しろよ、と忌まわしく思いながら、僕は部屋に行ってベッドに倒れこんだ。

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