スノードーム-6

痛いほどの想い

 人混みの中、誓くんと晃浩くんのすがたを探してきょろきょろしていると、「あれ、実鞠ちゃん」と声がした。その声がしたほうを見やると、ストローのささったカップを両手に持った誓くんと晃浩くんが、こちらに向かってきている。私はふたりに駆け寄り、晃浩くんが私の隣が空いているのに目を留めて、「純奈ちゃんどうかした?」と問うてくる。
「ううん、大丈夫なんだけどね。あの、ええと──」
 私と一緒にはぐれてくれないかなあって、よくよく考えると、私が晃浩くんを気に入ったみたいだ。そうじゃなくて、そう、誓くんと純奈をふたりきりにしたいと言わないと。だから誓くんを見上げると、誓くんも私の瞳を見返してくる。
「何?」
「いや、その──」
 言ってもいいのかな。ここで誓くんが嫌だって言ったら、かなりこのあと気まずい。そんな心配で口ごもっていると、「もしかして実鞠ちゃん、はぐれたい?」と晃浩くんがやたら鋭く言い当ててきた。びっくりしてそちらを見ると、そんな私の反応に晃浩くんはにこにこして、「まあそうだろうと思ってたから」とあっさり言ってくれる。
 よかった! 晃浩くんがそう言ってくれるなら、誓くんも──。
 私がそう安堵した次の瞬間、「やっぱり、実鞠ちゃんは誓狙いだよねっ!」と晃浩くんはあっけらかんと笑ったかと思うと、私がぽかんとした隙に「じゃあねっ」とその場を退散してしまった。
 あれ……。
 何か、おかしいな。
 私がそう思って、残った誓くんをまた見上げると、誓くんはやっぱり私を見つめ返し、それから何やら苦笑いをもらした。
「え……っ、と」
「晃浩も露骨だなあ」
「はい?」
「いや、今さっき、あいつに純奈ちゃんとふたりにしてくれないかって言われたんだよな」
「え……」
「もちろん、晃浩は実鞠ちゃんの気持ちも汲み取ったつもりだろうけど。俺の友達、実鞠ちゃんのことけっこう勘違いしてるって話さなかった?」
「……話された、かも。えっ、晃浩くん、私が誓くんのこと好きだと思ってるの?」
「そうみたいだね」
「いや、待ってよ。これは純奈が誓くんを誘ったデートがそもそも──」
「そこまで説明してない」
「説明しておこうよ! そこ大事だからっ」
「誘われたデートを、四人でならってごまかしたとは言いづらくて。絶対、お前バカなのって言われるし」
「ええー……って、やばい。今、晃浩くんが純奈のとこに行ったら、あの子わけ分かんないと思う」
「まあ、いいんじゃない?」と誓くんはのんきにストローに口をつけ、「よくないよ!」と私は勢いこむ。
「俺、どっちみち純奈ちゃんに期待させられないし。晃浩も純奈ちゃん気に入ってるから、なるべく楽しませるだろうし」
「私は、誓くんと純奈のために頑張ってるんだよ」
「分かってる。とはいっても、俺、どうしてもまだ恋愛に興味ないというか」
「本人に言ってくれないかなああああ」
「いや、言ったけどさ。どうしても、一度でもいいから、会いたいって頭下げられて。何か、可哀想になって」
 私はよろけそうになりながら、手で額を支えてから息をついた。何だか、その純奈は想像がつく気がした。だって、自分で好きな人に話しかけるなんて、これまで絶対しなかった子だ。必死だったと本人も言っていたし、今日は完全にショートしてポンコツになっているし、誓くんにはもはや殺されないための懇願にでも見えたのかもしれない。
「ま、これ飲んで落ち着いて。紅茶だよな」
 誓くんは私に蓋をされたカップをさしだし、私はその手を見てから、ひとまず受け取ってストローに口をつけた。あれこれ純奈のために思い悩んで、私もかなり疲れていたみたいだ。冷たくてきりっとした味が、すうっと喉に染みこんで、肩の力が抜ける。
「俺としては、晃浩と純奈ちゃん邪魔できないから、ま、ふたりで遊ぼうか」
「いや、私と遊んでも仕方でしょ」
「実鞠ちゃんとなら楽しいよ。友達だし」
「純奈にしたら、私がものすごい裏切り者になるからね?」
「一度、裏切ったほうがいいんじゃない?」
「はっ?」
「実鞠ちゃん、純奈ちゃんのためにそういうふうに何かと代わりに動くの、初めてではないだろ」
「……まあ、そうだけど」
「だったら、そのせいで今まで嫌な想いはしなかった?」
 私はまばたきしたあとに視線を下げ、「嫌な想いというか」と前置きして、確かに私が告白を受けてしまったりしてきたことは打ち明ける。「それ、純奈ちゃんに言ったことはないんだよな」と図星を刺され、「だって、言ったらあの子傷つくだろうし」と私はストローをわずかに噛む。
「それで、友達じゃなくなるほうが嫌だし」
「いい子だよね、実鞠ちゃんって」
「……言わないのは、性格悪いでしょ」
「それでも純奈ちゃんの友達でいたいと思えるんだろ」
「友達でいたいというか、……まあ、嫌われたら哀しいぐらいには思うよ」
「それは、やっぱ実鞠ちゃんが優しいんだと思う」
 私は空目で誓くんを見て、誓くんは柔らかに微笑む。
 確かにかっこいいな、この人。そんなことをぼんやり思って、何だか気恥ずかしくなって睫毛を伏せる。
 何とも言えなくなってただ紅茶をすすっていると、「ほら、行こう」と誓くんは私の手を取った。
「動かないと、晃浩たちと鉢合わせるかも」
 鉢合わせて純奈に謝ったほうが、絶対にいい。そう頭では分かっていても、私は誓くんに引っ張られるまま、その背中についていってしまった。
 どこかでは、誓くんの言うことが、いつか私と純奈に必要なのは分かっていたのかもしれない。その臆病さで、私に頼りきって、かえって自分の恋を遠ざけている純奈。ずっとこのままじゃ、私は純奈のために頑張っていながら、純奈を誰よりも不幸にする。
 アトラクションからの音楽や子供たちの笑い声が混ざる、日射しの元を誓くんと歩いていく。私は紅茶を飲みながら、男の子と手をつないで歩くなんて初めてじゃないかなと思った。けれど、何となくそれが誓くんであることは嫌ではない。私はそうだけど、誓くんは──やっぱり、こうして引っ張っているのが長川さんだったらよかったとか感じるのかな。
 そう思うと、針の先がすっと触れたように鋭くかすかに胸がちくりとした。
「誓、くん」
「うん?」
「何か、沈黙もあれだから訊くけど」
「うん」
「長川さんのことは、まだ好き?」
 誓くんは私をかえりみて、コーヒーかコーラらしき黒いドリンクを飲みながらくすりとした。
「あきらめたんだなって、現実は受け入れつつある」
「……そっか」
「ミキのこと好きな自分が日常だったから、変な感じだよ」
「幼稚園から、好きなのが当たり前だったんだもんね」
「うん。朝起きて、一番最初に考えるのは、まだミキのことかもしれない。習慣だよなー」
 目覚めて最初に想う人。それはまだかなり好きってことだ、と何となく感じる。
「でも、あのふたりに俺が入りこむ隙はほんとない。ナオも最近男らしくなってきたし──」
「ナオ」
「あ、弟。こいつが、ミキなんかよりずっとかわいいような美少年だったんだけど。ここんとこ背とかどんどん伸びてる」
「いくつなの?」
「今、中三」
「成長期だね」
「だな。男としてもミキのことはナオに任せられるなあって、そう思う」
 私は誓くんを見上げ、「つらいよね」とつぶやいた。誓くんは私をちらりとしたのち、どこかしら泣きそうに咲った。
「確かに、俺の出る幕はもうないしな」
「誓くんには、また好きな人できるよ。次はつきあえるよ」
「そうかな」
「うん。誓くん、すごく優しいと思うし」
 誓くんは答えずにうつむく。優しい、っていろんなふうに受け取れるから、良くない言葉だったかな。そんな心配をしていると、誓くんは不意に私とつないだ手に力をこめ、「ほんとは」とかすれそうな声を発した。
「優しくない、自分勝手な男になってでも、ミキとつきあいたかった」
 手を引かれながら覗き見えた、誓くんのはっとするほど切ない横顔に私は口ごもる。一生懸命かける言葉を考えたけど、伝わってくるひりひりと痛切な想いには届かず、ただ手を握り返すだけになる。
 長川さんのこと、本当に好きだったんだな。改めてそんなことを実感した。
 子供の頃から、当たり前のように愛していたのだ。いくら自分の想いが負けたと感じても、その弟に長川さんを預けられると信じられても、誓くんの気持ちだけはずきずきと取り残される。どうしようもなく好きであったほど、その傷口は血を流して喘ぐ。そんな誓くんに、純奈とのデートを取り次いだ私は、すごく残酷だったのかもしれない。
 これは敵わないなあ、と思って、はっとした。いや、敵わないって──そう、純奈がだ。いや、浅山さんも。どんな女の子も。誓くんの中の長川さんには、そうそう敵わない。
「実鞠ちゃんってさ」
 私に目を向けた誓くんは、ゆっくりとまなざしをやわらげる。
「ミキとちょっと似てる」
「えっ?」
「何だろ、ミキはボケてるタイプなんだけど。実鞠ちゃんは突っ込むほうだよな」
「いや、誰も漫才なんてしてないけど」
「そういうとこ。あー、おもしろいとこが似てるのか」
「ぜんぜんおもしろくないよ、私は」
「おもしろいよ」
「何か嬉しくない」
 誓くんは楽しそうに笑ってから、「てかさ、ずっと気になってたんだけど」と歩調を緩めて私の隣に並ぶ。
「実鞠ちゃん自身は、恋しないの?」
「え」
「もしかして、実は彼氏いる?」
「いませんが」
「好きな人は?」
「あんまり意識したことない」
「純奈ちゃんの好きな人に告られて、揺れなかった?」
「それはなかった」
「ふうん。まあ、俺とは仲良くしてよ。また遊んだりしてさ」
「何言ってんの」
「だって友達じゃん」
「……友達、だけど」
 誓くんはにっこりとしてみせ、私は何とも言いがたい眉間の皺でその笑顔を見つめる。遊ぶって──まあ、ふたりきりとは言われなかったか。こんなふうに何人かで遊ぶことは、またあるかもしれない。

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