長いあいだ-4

甘えるなんて

 尚里くんが持ってきてくれたお水でいったん酔いを醒ましたものの、懲りずに冷蔵庫にあった缶チューハイとおつまみのミックスナッツをいただいて、あたしたちは美希音の部屋に向かった。「ナオもおいで」と声をかけられ、尚里くんもジュースで宅飲みに混じることになる。
「おねえちゃん、明日仕事大丈夫?」と心配されて、「明日はオフなのです」と美希音は尚里くんの肩に寄りかかった。尚里くんはあたしを見て、「あたしも明日は休み」と言っておく。
「ふたりともけっこうお酒飲むようになりましたよね」と尚里くんに言われて、「社会人やってると耐性つくよねー」とあたしは笑う。
「僕も飲まなきゃいけないのかなあ」
「ナオはお酒苦手だよね。せっかく成人したのに」
「あんまりおいしくない」
「おじさんとおばさんは飲むの?」
「飲むね、夜にはいつもほろ酔いだわ」
「じゃあ、尚里くんも飲めるようになるんじゃないかな」
「そうでしょうか」と首をかたむける尚里くんに、「飲むようになるよ」と美希音はカシスオレンジのチューハイを開ける。
「あたしも酒まずいと思ってたのが、飲むようになったから」
「美希音は見事な酔っぱらいになったよね」
「彩季もだろが。てかさ、さっきの話続けていい? 真辺くんのこと」
「あー、うん。てか、何か連絡来てないか見ていい?」
「連絡あるの?」
「減ってるけどね」
 言いながらあたしはバッグのスマホを取り出し、SNSやゲームの通知はあるものの、誰かからの連絡は何も来ていないのを確認する。
「ないわ」
「時差あるよね? 今頃、仕事中とかってないの?」
「さあ……連絡、週に一度あればいいほうだし」
「週一!? 何それ、あの人優しそうな顔して鬼だな。いや今の顔知らないけど」
「初めは一日に何度かあるくらいだったよ。それが、何か……まあ大学卒業したあたりから、ぐっと減ったね」
「そもそも、ほんとに会ってないの? あの日以来」
「会ってない」
 美希音は尚里くんと顔を合わせて、「ないわー」とつぶやいた。
「休みとかないのかな。一日だけでも帰国して、会いにくるとかさ」
「そんな余裕ないでしょ、仕事で」
「その仕事も大卒からだから──何年だろ、えーと」
「四年だね」
「……四年、か。微妙なとこだな」
「あたしが仕事三年目で楽しくなってきたし、真辺くんもそういう頃かなあって思うと『会いたい』とか言えないよ」
「うーん、でもさすがにわがまま言ってよくない? たまにはわがまま言わないと男は飽きていくぞ?」
「恋愛音痴だったあんたに『男は』とか言われたくないわ」
「彩季もなかなかの恋愛音痴だよねー」と美希音は尚里くんに振って、グレープジュースを飲んでいた尚里くんは苦笑してから、あたしを見る。
「真辺さんって、卒業式に彩季さんと話してた男の人ですよね」
「そう。そっか、あのとき尚里くんいたね」
「はい。まじめそうな人だなあって思いました」
「尚里くんなら、もし美希音と離れて暮らすのが長引いたら、連絡って減っていく?」
「ん……僕は、おねえちゃんと離れたことがないから、あんまりこうってはっきり言えないんですけど」
「うん」
「昔……修学旅行とか、すごく嫌いだったんです。でも、自分から『離れるの寂しい』とか言えなくて……」
「え、ナオ言ってくれたじゃん。中学のときさ、言ってくれたの憶えてるよ。それに高校では──」
「美希音、黙れ」
「あれは、おねえちゃんが自分も僕と離れる修学旅行は嫌いだったって言ってくれたから。だから、わりと……男が自分から『寂しい』とか『会いたい』って切り出すのは、勇気がいります」
「勇気」
「女の人から甘えてくれたほうが、こっちも同じだから言いやすいっていうのはあるかも……です」
 ゆっくり言葉を選んでくれる尚里くんに、「彩季、甘えないもん。ダメだわ、これ」と美希音はけらけら笑う。
「うるさいな。……まあ当たってるけど。え、それはあたしから『寂しいから会いたい』とか言ったほうがいいということだよね」
「真辺さんがまじめな人なら、そういう臆病なところもあるかもしれないです」
「臆病、かあ。重くないかなあとか思っちゃうんだよね。尚里くんは、美希音が離れてる真夜中に『寂しい』とか言ってきても平気?」
「あ、高校の修学旅行で、それありましたけど──」
「あったのかよ」とあたしは美希音を見て、「えへっ」と美希音は茶化してカシスオレンジを飲む。
「僕も寂しかったので、何か、通話かけて。声だけでも思ったから」
「そう、彩季と真辺くん、通話はどのくらいやってんの?」
「………、半年くらい話してない」
「もう他人じゃん」
 あたしは舌打ちして、レモンのチューハイを飲んだ。もう他人。ぐさっと来たけど、本当は、あたし自身思うことがある。もう、あたしと真辺くんって、自然消滅した他人なんじゃないの?
「何かさ」
「うん」
「結婚がどうこう周りがうるさいからじゃないけど、きっと、真辺くんを待つのは早くやめたほうがいいっていうのは、どっかでは分かってるんだよね」
「……ごめん、他人は言い過ぎた」
「いいよ、言い過ぎて。周りも思ってんじゃないかな、新人のときから彼氏は海外って言ってて、まだ迎えに来てもらえてなくて、それは彼氏は向こうで、ブロンドの彼女でも捕まえてるから帰ってこねえんだよって」
「彩季」
「たぶんそうなんだよ。なのに、何でバカみたいにあたしはうまく浮気することもできないのかな。学生時代は告ってくれた男もいたのになあ、全部蹴っちゃってるうちに、もうそういう男もいなくなったわ」
 美希音はあたしをじっと見つめる。
 あたしが息をついてチューハイをあおると、「えっ」と美希音は何やら狼狽え、「いや、今泣くとこじゃん」とひとりでびっくりする。
「何? あたしが?」
「そうだよ。親友のミキちゃんの胸に飛びこむところだよ」
「そういうのはいい」
「お前、そういうとこなっ。ほんと、それだから。ここで泣けない女だから、真辺くんにも素直になれないんだよ」
「うるさいなあ。そんなん、かっこ悪いじゃない」
「彩季って純情なの? ただの頑固なの?」
 そう言って、美希音はあたしの肩を揺すぶり、「おねえちゃん、落ち着いて」と尚里くんに取り成されている。
 確かに、ここで素直に美希音に泣きつける女なら、真辺くんにもかわいく甘えることのひとつやふたつできているのかもしれない。あたしは足元に置きっぱなしのスマホをちらりとして、尚里くんの助言も考えたけど、やっぱり『会えなくて寂しいよ』だなんて、そんな台詞は送信どころか入力自体ができないとあきらめる。
 その夜は、結局あたしが最初に酔いつぶれて、フローリングに崩れて寝てしまった。美希音と尚里くんが何か話していたけれど、聞き取るには鼓膜がふやけている。ただ、美希音の手があたしの手を取って、つかんでくれているような気がした。

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