友達だった子

 爽子さわこは地味な女の子だった。というか、野暮ったい女の子だった。
 親に買ってもらうままの服を着て、髪型はたいていおさげで、いつも教室の隅で本を読んでいる。五年生になったあたしは、本当なら、爽子と親しくなる予定なんてなかった。四年生のときに同じグループで仲が良かった、優美恵ゆみえと引き続きつるむ予定だったから。
 でも、五年生になって早々、優美恵は急な家庭の事情で転校してしまった。
圭奈けいなならすぐ友達作れるって、ほんとごめんね」
 四月の教室、教壇で転校の挨拶をした優美恵は、あたしにそう言い残していった。
 いや、あたし、これまで自分から声をかけて友達を作ったことなんてないんだけど。適当に話しかけてくれる子と何となく一緒に行動して、それが友達だったんだけど。
 五月、あたしは案の定、誰と仲良くすればいいのか困惑していて、けっこう絶望的な気分で登校していた。まもなく席替えが行なわれ、前の席になったのが爽子だった。
 席が近くなって、初めて認識したようなクラスメイトだった。でも、あたし、このままぼっちだとやばい。イジメられるかも。爽子も誰かと親しくしているようなことはなさそうだった。
 この子の隣なら、まだ空いてるかも。
 そう思って、あたしは勇気を振り絞って、席替えの翌日に爽子に「おはようっ」となるべく元気に声をかけた。
「え……あ、おはよう」
 びっくりした様子だったけど、爽子はそう応えてくれた。スルーや受け流しも覚悟していたから、あたしはそれで一気に調子に乗った。次の日も、その次の日も、爽子に「おはよう」と挨拶して、徐々に休み時間に「何読んでるの?」とか話しかけるまでになった。
 爽子が読んでいるのは図書室の本がほとんどだったけど、小説ではなくて漫画だった。歴史や史実の漫画が好きらしい。「おもしろい?」と訊くと、「まあ漫画だから」と返ってくる。
 あたしは自分の好きな少女漫画のタイトルを挙げたけど、「私が読むの少年漫画だから」と爽子は言って、少年漫画は男の子が読むものだと謎に決めつけていたあたしはびっくりした。そしたら、「放課後、うちでおもしろいの貸そうか?」と爽子が提案してきて、きょとんとしてしまったものの、「うん!」とあたしは笑顔でうなずいた。
 放課後や休日も一緒に過ごし、あたしと爽子はどんどん仲良くなっていった。六年生になる頃には、周りからも「あんたたちは親友だよね」と言われるくらいのコンビになっていた。男子の中には、「うえー、こいつらレズじゃねーの」とか言う奴もいた。中学も同じ公立に進学したから、クラスこそ別になっても、爽子とは仲が良かった。
 しかし、爽子とはよっぽど相性がよかっただけで、あたしは友達を作るのがやはり下手だった。
 中学になってから、周りとの違和感を感じはじめ、集団行動からずれはじめて、ちくちく陰口を言われはじめた。先生たちとは意外とざっくばらんと仲良くできるから、余計にクラスのみんなには嫌われた。
 別にいいけど。あたしには爽子という親友がいるし。みんなに合わせなくたっていいや。
 そんなふうに開き直り、うっすら化粧をしたり、シルバーのジャンクアクセを身につけたりするようになった。そんなあたしを先生たちはもちろん注意するけど、「すみませーんっ」とか元気に答えておけば、やれやれと見逃してもらえる。
 それが気に食わない女の子たちには、囲まれてあれこれ言われた。
「自分ひとりだけ許されると思ってるの?」
「うちらだってそういうのしたいのけど、我慢してんだよ」
「みんなやってないんだから、あんただって規則守れよ」
 ああ、鬱陶しいな。ほんと、女のこういう感覚って嫌い。
 でも、あんたたちもやればいいじゃんとは言わない。そうしたら、「あの子がやってみればって言ったから」と、いざというときなすりつけられる。
 あたしは黙って、全部聞こえないふりをして、チャイムが鳴ったのに合わせて彼女たちを押しのけて席に戻った。
 そういう態度は、だいぶ強がっていたのかもしれない。中学二年生の夏休みが終わりかけたある日、何だか猛烈に、学校に行きたくないという想いが押し寄せた。
 いろいろめんどくさいし。みんなうるさいし。あたしは好きなようにしてるだけなのに。
 それでも、親が理解してくれないから二学期が始まって何とか登校していたけど、結局すぐに登校しないまま公園で過ごしたり、勝手に早退して共働きの留守の家に引きこもったりした。
「先生たち、心配してるよ」
 中学三年生になるのをひかえた冬、爽子があたしの家を訪ねてきてそう言った。あたしは苦笑して「先生かよ」とか言って、手首のブレスレットをいじった。
「私が同じクラスになったら、圭奈は登校すると思うかって訊かれた」
「えー……でも、無理でしょ」
「登校するの?」
「どうだろう」
「もし登校するなら、編成を考えてみるって言ってた」
「……マジかよ。学校必死か」
 爽子はため息をついた。相変わらず爽子の私服は野暮ったくて、おまけに漫画の読みすぎで眼鏡もかけるようになっていた。
「まあ、私は学校行かなきゃいけないとは思わないけど、圭奈が同じクラスにいたら楽しいと思うよ」
「……みんなはそう思わないけど」
「私は同じクラスになりたいよ」
 あたしはチェーンのようなブレスレットを爪に引っかけながら、ちょっとだけ咲って、「ごめん」と言った。爽子は首を横に振り、「こうやって家に来たら、私には会ってくれるしね」と微笑んだ。
 中学三年生に進級して、いよいよあたしは不登校になった。学校には行かなくていい。親もそう認めてくれると、逆に病んでいくのが止まった。
 日曜日には爽子が家に来て、受験生としてせわしない毎日を送っている話をしてくれた。爽子は進学校を目指しているらしい。「勉強したいの?」と訊くと、「したくないけど」と即答しつつ、爽子は続ける。
「進学校はみんな勉強に必死だから、イジメとかなさそう」
「え、イジメられてんの?」
「……友達はいない」
 あたしは爽子の顔を見た。爽子はうつむいて、「友達作るの、むずかしいね」と言った。あたしは小さくうなずき、もし学校に行けていたら、爽子の気を楽にしてあげられるのだろうかと考えた。
 夏休みになると、爽子は塾にも通いはじめ、かなり根つめた勉強をするようになった。あたしの家に来る頻度も、一気に落ちた。久しぶりにあたしの家に来たとき、かなり痩せて蒼ざめていたので驚いた。
「受験ノイローゼじゃないよね?」とあたしが心配すると、「違うよ。みんなこんなふうになってる」と爽子は目をそらした。あたしは高校は行かないか、あるいは通信制にしておこうと楽観していたから、切羽詰まった爽子の気持ちを、きちんと理解してあげることができなかった。
 春が来て、爽子は無事第一志望の進学校に合格した。電話でその知らせを受け、さすがに祝ってやらないとな、と思ったので、春休みにあたしから爽子の家を訪ねた。出迎えた爽子は、一気に顔色を取り戻してふくよかなくらいになっていたから、あたしは笑ってしまった。爽子はわずかにばつが悪そうにして、「やっぱり私、受験ノイローゼだったかな」と言った。
 高校生になった爽子はバイトも始めて、かなりいそがしく過ごしているようだった。あたしは通信制高校に進学したものの、通学はぜんぜんできなかったし、レポートも最初だけだった。
 リビングでぼんやりテレビだけ観ていた。何で生きてんだろ、とか考えるようになった。会えない代わりに、爽子はたまに電話の相手はしてくれた。「バイトの給料って何に使うの?」と何気なく訊くと、『大したことには使ってないよ』と爽子は答えを濁した。
 高校時代、爽子とは電話かメールのやりとりだけで、会うことはなかった。あたしはずるずると通信制高校を留年することになったけど、爽子はもちろんきっちり三年間で卒業した。それからようやく久しぶりに会おうかという話になって、あたしたちは駅前で待ち合わせた。
 みつあみ。垢抜けない服。ついでに眼鏡。そんな爽子のすがたを探していたから、「圭奈」と声をかけてきた大人っぽいおねえさんに、あたしは挙動不審になりかけた。
 ポニーテール。ばっちりの化粧。耳元のピアス。シックな黒のパンツスーツ。眼鏡なんてかけていないけど、この声は──
「え……爽子?」
「そうだよ。ごめんね、ずっと会えなくて」
 あたしは爽子のすがたを見つめて、引き攣った笑いをもらした。何か、笑うしかなかった。
 何だこれ。これほんとに爽子? あたしの親友の?
 いや、ぜんぜん知らないんだけど。いつのまに、こんなに変わったの? 何で、あたしが何も知らないまま、そんなに変わったの?
「は……ははっ、待って、やば……マジで爽子?」
 そんなことを言いながら、あたしはふたつ折りになって笑ってしまった。爽子はやや憮然としているけれど、「そんなに笑うことないでしょ」と言った。「ごめん」と一応口にしながらも、あたしはなおも笑うことしかできなかった。
 街に出る電車の中で、爽子は高校時代の話をした。漫画が相変わらず好きで、ついにコスプレを始めたこと。それを切っかけに、SNSで交遊が広がったこと。今は遠方含めて、いろんなイベントに行っていること。
 そんなヒマあったならあたしにも会えてたじゃん、と言いたくても、言えない。
 そして、勉強のほうは同小の同級生がいてその子と頑張って、無事に卒業できたことも爽子は語った。
「え、同小って、あたしも知ってる?」
「どうだろ。高谷たかやって奴だけど」
 あたしは眉を寄せて考えて、あいつか、と思った。あたしと爽子を、レズとか何とか揶揄ってきた男子だ。と、そこまで思って、ぎょっと爽子を二度見した。
 そう、高谷って男子だ。こいつ、男子と勉強を頑張ってたっていうの?
 ありえない。何それ。
 そのとき、あたしは思わず爽子の手元を見た。初めて気づいた。あまりにも容姿が変わっていて、そんなひかえめな輝きには気づかなかった。
 爽子の左薬指には、細身のシルバーの指輪があった。
 かたんことん、と電車は揺れながら走っている。爽子はシートにもたれ、それ以上高谷のことは言わなかったし、薬指の指輪についても触れなかった。
 あたしが訊けば、たぶん言ってくれただろう。でも、あたしはそんな話は聞きたくなかった。
 引きこもっているうちに、いつのまにかあたしは、アクセサリーをつけなくなっていた。化粧もよっぽど爽子のほうがうまいだろう。
 息が苦しい。やっと久しぶりに会えたと思ったけど、あたしは、爽子に置いていかれてしまっただけなのだ。
 嘘笑いを貼りつけて遊んだあとの別れ際、SNSやってるならアカウント教えてよと言ったら、「圭奈には絶対知られたくないよ」と爽子は譲らなかった。
 それがどういう意味だったのか、あたしはずっと考えて、考えて、こじらせて、もう爽子に連絡を取るのはやめようと思った。爽子にとって、あたしは過去で、化石で、汚点なのだ。そう考えて、がっかりして、「あんな奴、友達じゃない」とつぶやいた。
 メールはすたれて、電話は無料通話に移り変わった今でも、爽子に変わってほしくなかったのか、変わったことを教えてもらえなかったのが悔しいのか、どちらなのか分からない。
 けれど、あのとき、もしあたしがショックをこらえて、「変わっててびっくりした、綺麗になったね」「えっ、指輪してんじゃん。彼氏いるの?」って気さくに咲っていたら、違ったのかもしれない。たぶん、違ったのだと思う。
 でもやっぱり、それは無理だった。あたしがよく知っていた爽子がいなくなってしまったことなんか、受け入れることはできなかった。
 ふざけんなよ。指輪なんかつけやがって。あんたの隣はあたしのもんじゃないのかよ。あたしの一番はずっとあんただったのに。
 そんなふうに思うから、あたしは彼女の隣にいられなかったのだろう。友達を作るのはむずかしい。今も本当にそう思う。
 何でだろう。好きになってしまうのは、こんなにも簡単なのに──。

 FIN

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