Baby, RAG BABY-2

夕射しの中で

 中学入学をひかえた春休み、僕は学ラン、希咲はセーラー服の袖に腕を通した。さっき一緒に制服を引き取りにいってきたかあさんが、「一気に学ランとセーラー服が見れるのはいいわね」と嬉しそうにインスタントカメラを用意する。こんなもんか、と僕が襟首を気にしている隣で、姿見で自分を見た希咲は絶望的な声を出した。
「……すごい声」
 つぶやくと、希咲はきっとこちらを睨んで、予想以上の力で僕の胸倉をつかんでくる。
「だって、こんなのつまんないじゃない!」
「希雪、希咲、並んでちょうだい」
「嫌っ!」
 希咲は僕を離さないまま、かあさんをにらむ。
「こんな服着てるとこ、残さないでっ!! そんなの死ぬ、マジで死ぬ!」
「今しかできない服だからいいじゃないの。希雪はどう?」
「死にはしないよ。というか、希咲苦し──」
「死ぬもん! こんな、みんな同じ服装なんて何が楽しいの。個性を何だと思ってんの。学校って奴は、あたしを何だと思ってんの!」
「希咲のファッションは、個性というよりちょっとおかしい」
「るさいっ。嫌だ、嫌だよこんなの。毎日こんなの着るなんて、やだ……死刑より重い……」
 やっと希咲は僕を離して、紺のスカートの膝を抱きしめてうずくまって、今度は泣き出した。僕はかあさんと目を交わすと、一緒に肩をすくめた。
 僕と希咲は、この春、校区の公立中学に進学することになった。
 やっと離れられる。忘れられる。
 桜の中を歩きながら、僕はそんな気持ちだった。
 小学校の卒業式、久しぶりに自分から先生に近づいた。先生は笑ってくれた。僕については、成績が下がったり協調性を欠いたりして、悩んでいたはずなのに。「中学は頑張れそうか?」と言われて、あやふやに首をかたむけそうになったものの、小さくこくんとした。「そうか」とうなずいた先生は、やっぱり僕の頭をくしゃくしゃに撫でた。
「そうだな、観月みづきなら頑張れるよな。先生はもう力になれなくなるけど、応援してるからな」
 先生を見上げた。好き、と思った。やっぱり、先生が好きだ。どうしても。同じ男でも。でも、伝えたところで、きっと何ひとつ報われない。それが現実なら、僕はせめて先生に精一杯咲った。その笑顔と引き換えに、僕の初恋は終わった。
 中学では、元通りしっかりしよう。そう思って中学生活を始めた。けれど、学力はともかく、人間関係でこういう感覚を「元通り」にするのはかなりむずかしかった。
 目が合うと見られないように伏せる。輪の中に入るときのひと言が分からない。話しかけられても話題が続かない。そんなのが重なって、なかなか友達ができなかった。
 それに、たとえ友達になったって自分のことを話せない。同性が好き。そのことを黙っているのが息苦しくて、後ろめたくて。話したら、好きになるつもりがない相手でも、きっと不安にさせてしまう。仲良くなりかけるのに、演じる自分しか見せてないその人を心から信頼できない。そして、ほかの人といるときのほうが楽しそうに見えて、身を引いてしまう。
 あっという間に、四月が終わりかけようとしていた。教室ではグループもできて、そのどこにも属していない自分に焦りながらも、誰にも相談できない僕は、自宅の部屋でつくえに伏せっていた。
 窓から春の夕暮れが射しこんで、暖かく微睡んでいる。住宅街の一軒家の外では、子供がまだはしゃぎまわる声がする。
 がちゃっとドアを開ける音がしても、どうせ希咲だからぼんやりしていた。「カスだわ、あいつら」とか言っている声はやはり希咲だ。夕食の支度の匂いがばたんと断ち切られ、床に何か投げる音がして、「あー」とかため息が聞こえる。
「希雪い」
「んー」
「何か書いた?」
「……今日、授業中にちょっと書いたよ」
「ほんと? 見せて」
 つくえから身を起こすと、かばんからノートを取り出した。希咲はセーラー服のまま、隣に並ぶつくえの椅子に腰かけ、そのノートを引ったくる。最後のページをめくると、「おお」とか言いながら真剣に覗きこむ。
「いいなあ、やっぱ希雪の詞はいい」
「そういえば、軽音部覗くとか言ってたのはどうなったの」
「ああ、今日見てきた」
「じゃあ、これからはそこでギターするの」
「は? 入部しないし」
「え、何で」
「低レベルのカスしかいなかったから」
 眉を寄せる僕を無視して、希咲は椅子を回転させ、壁際のギタースタンドに立てかかっていたギターを持ち上げる。希咲が小学校に上がったときから大切にしているアコースティックギターだ。
「低レベルって」
「低レベルは低レベル。仲間内で『上手だねー』とか言ってるレベル。楽譜再現して歌詞暗記できりゃうまいのかよ。違うだろ」
 毒舌を吐く希咲の指先が、ギターから優しい音をこぼす。相変わらず先生に注意されながらもマニキュアを落としていない。ギターを弾いていて爪が割れて以来、希咲は指のケアを怠らない。
「希雪の詞は音つけやすいよね。地味に韻踏んでるから」
「身内の書いた詞を褒めるのは、低レベルじゃないの?」
「希雪の詞はほんとにすごいと思ってるよ。あたしが身内だからって褒める奴に見える?」
「ごめん、見えない」
「ふん」と希咲はそっぽを向いたものの、ノートを覗くとギターを改めて抱く。しばらく音は彷徨っていたけれど、やがて僕の書いた詞と溶け合って、ひとつの短い音色になる。「これサビにして一曲書けそう」と希咲は服を選んでいるとき以上に瞳をきらきらさせ、「聴きたい」と僕もつい微笑んでしまう。
 僕は普通の両親に似て育ったけれど、希咲は熱烈な母方のおばあちゃんっこで育った。僕たちのおばあちゃんは、けっこう変わっている。僕たちのおじいちゃんに当たる、かあさんのとうさんになる人とは早くに離婚して、女手ひとつでかあさんを育てた。
 そして、いわゆる「キャバレー」で男相手に接待したり、ときには舞台でギターの弾き語りをしたりして稼いでいたらしい。そんな育ちだったから、かあさんはとうさんの両親──父方のおじいちゃんとおばあちゃんにはずいぶん結婚を反対されたそうだ。
 でも交際を申し込んだのはとうさんのほうだったから、そこはほぼ押し切って結婚した。「それでもババアのほうは、あんたたちができるまで娘をイジメてくれたねえ」とおばあちゃんはからからと笑って、そんなおばあちゃんが希咲のギターの師匠なのだ。
 希咲がギターを弾いて、僕は昔は隣でよく本を読んだ。いつから読むのが書くのに変わったのかは憶えていないけれど、僕は僕で詞を書き溜めるようになった。年末の大掃除で希咲にその紙を発見されて、読んじゃダメだとしっかり隠したのに、希咲は部屋を引っくり返してまで見つけ出して勝手に読んだ。絶対笑われると僕が泣きそうにむくれていると、突然、希咲は僕の詞で音色をつけて歌い出した。
「やめてよ、きさき!」
「いいじゃん、すごいよ、きゆき」
「え?」
「これよんでると、すっごくおとがうかんでくる!」
「……ほんと?」
「うん! がくふにしなきゃ!」
 その頃から、音楽は僕たちがたったひとつ仲良くできる遊びだった。僕が詞を書く。希咲が音をつける。僕たちが作った曲は、もう何十曲もカセットに吹きこまれている。
「あーあ、バンドとかやってみたいなあ」
 セーラー服をパンクファッションに着替えた希咲は、愛おしそうにギターをスタンドに立てかけたあと、一段目の僕のベッドに腰掛ける。
「ほんと、軽音部があんなに低レベルとは思わなかったな」
「もう『低レベル』って十回以上言ってるよ」
「だって、ほんとに低レベルだったんだもん! しいて言えば、ほぼ低レベル」
「ほぼ」
「ドラムスで経験ありそうなのがひとりいた」
 希咲はひとり静かにうなずき、「じゃあ」と僕はつくえに頬杖をつく。
「その人とやれば」
「ギターとドラムスじゃ、アコースティックじゃない。もっとこう……希雪、ベースやんない?」
「そんなノリで始めたベースでいいの?」
「やってみなきゃ分かんないじゃん。やれよベース」
「しないよ」
「えー。やればいいのに。希雪の書いた詞なんだしさ、あんたも歌えばいいじゃん」
「やだってば」
「かわいい妹が頼んでるのに」
「男らしい妹に脅迫はされてる」
「んだと、こらあっ」
 希咲は立ち上がって僕の後頭部をはたいた。さすがに腕力でやり返すことはなくなっていて、僕はただつくえに伏せる。
 希咲はまだぶつぶつ言っている。けれどもう聞き流して、レースカーテン越しの儚い夕射しを見つめて、再び憂鬱な重みを喉元に覚えた。

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