Bazillus Private Interview-2

Side M

 すごく卑屈で、自信を持つのが本当に下手なんだ。すぐ人の意見に流されるし、すごい演奏を聴くと自分の未熟な音に耐えられなくなる。
 たぶん、あの時期があるからだって分かってる。
 俺は夏陽のふたつ年上になる。子供の頃は優等生だった。親や教師の言うことはよく聞いて。勉強も努力して満点を目指して。生活も規則正しく品行方正で。
 今もイメージは変わらないのかもしれない、よくマネージャーに間違えられるよ。
 特に音楽に興味があったわけでもなかった。流行ってる曲のタイトルは知ってても、サビ以外は歌詞も知らない。むしろ、音楽の授業は苦手だったな。歌のテストも、リコーダーのテストも、本当に嫌だった。人前で目立つことは嫌いだった。
 そんな俺が、ギターを始めた切っかけは、よくある話。
 十歳のときだった。近所の人に、古いギターを捨てるよりはと譲られたんだ。変わった人だったのを憶えてる、名前とかは憶えてないのに。
「あんなふうになったらいけないからね」と親に耳打ちされた。ろくに働かず、服もよれよれで、アパートの前を通るとたいていギターが聴こえる。
 いつから、そのギターの音に立ち止まるようになって、いつから、それに気づかれてたんだろう。
「これだけは、売りたくないんだ」
 その男は、俺にギターを差し出して言ってた。
「譲るか、捨てるかだ」
 俺はそのアコースティックギターを受け取ってた。その翌日、もうその人の部屋は空っぽだったって聞く。
 それから四年間、俺はギター以外見えなくなった。親友もいた。彼女もできた。でも、一番はギターだった。
 はっきり言って、異常だった。そのぶん、技術はどんどん上がっていったかもしれない。でも、犠牲は大きかった。
 俺は何もかもないがしろにして、傷つけてた。親が怒っても、教師があきれても、理解しないほうが間違ってるって。俺はギターがやりたくて、何でそのための時間を食事や睡眠、ましてや勉強にあてなきゃならないんだって。怒鳴る大人が分からなかった。
 でも、四年間だったんだ。俺の親友のれいは、すごく冷静でクレバーな奴なんだけど。玲に来年は受験生だってことと、彼女の真優里まゆりのことを話された。
「ギターを辞められないほど、真優里ちゃんがどうでもいいなら、せめて別れるんだ。今のお前とつきあって、幸せな子はいないだろう」
 何も言えなかった。親友にあんな軽蔑した目を向けられていることに、初めて気づいた。
 ずっと玲に相談してたってことを、真優里にも直接聞かされた。俺に自分より愛されている、優先されているギターが、真優里は「憎い」と言った。
「瑞輝のギターなんか嫌い、ギター弾いてる瑞輝も嫌い、瑞輝が弾くギターの音も、私は大嫌い!」
 好きな人にも──親友にも、親にも、誰にも、俺の音が響いていないことにやっと気づいた。恥ずかしくて死にたくなった。俺は酔ってるだけなんだ、って。このギターの持ち主の音が俺に届いたようには、俺の音は誰にも聴こえないんだって。
 急に世界が冷めていく、あの感覚。ギターへの情熱が冷めていく。あの喪失感は、恐怖にも近かった。弾きたい、と昨日まではあんなに思っていたのに、その想いが消えていくことが怖いのに、気づいたら親に訊いていた。
「ギターって、何ゴミの日に捨てるのかな?」
 ギターなんか、俺の生活に存在しなかったような毎日が始まった。玲は「お前なら巻き返せる」と俺に勉強を教えた。真優里も幸せそうに咲ってた。親もほっとして、教師にも見直されて、俺はまた優等生になった。すべてがうまくいったような毎日だった。俺の虚しささえ除けば、みんな噛み合ったような──
 この時期が、俺のコンプレックスなんだ。
 ギターって何ゴミの日? すべてのギタリストに、ミュージシャンに、こんな侮辱があるとは思えない。ドブに投げつけたほうが、まだマシだ。
 でも、そんな麻痺してしまった俺の「弾きたい」を引っぱたいてくれたのが、Bazillusだった。高校生になって、真優里とも相変わらず順調で。玲と図書室で七月の期末考査の勉強してたら、突然、クラシックが流れてた昼の放送が途切れた。
 犯人は碧海と、伊弦っていう現在も俺たちをサポートしてくれてる友達だった。先生が止めるまでの短いあいだだったけど、夏陽と碧海のデモテープが流れた。
 ギターに久しぶりに聴き入った。弾いてたのは夏陽だったんだけど、歌とベースの迫力に、ギターが追いつけてなかった。って、こんなこと言ったら、夏陽に殴られそうだけど。俺ならここでこんなにふうに──そう、思ったんだ、「弾きたい」って。
 犯人が誰だか分からなくなる前に、放送室に全力疾走したよ。さいわい、図書室と同じ廊下に放送室はあった。つまみだされてるふたりは、突然ダッシュしてきた俺に驚いてた。
 でも、俺は何とか言ったんだ。事情なんて何も知らないふたりに、「もう一度、弾かせてくれ」って……。哀願だった。
 俺のギターは、碧海と、碧海の兄でギターをやってる紅衣さんが判断した。指って覚えてるもんだよ、それはちょっとはしくじったけど、弾いてみろって言われた曲を思ったより弾くことができた。でも、弾き終わって顔を上げられなかった。俺の音は人に届かない。そう思っていたから。あの羞恥心がどんどんふくれあがってきて──紅衣さんが俺の肩をたたいて、言ったんだ。
「こんなに痛くなるほど弾けなくて、つらかったね」
 紅衣さんは、俺をすごく理解してくれる師なんだけど。同時に、俺をすごく滅多打ちにする師でもあった。いや、否定されたり、罵倒されたりしたわけじゃない。俺が勝手に、情けなくなるんだ。
 紅衣さんのギターの音は、本当に紅衣さんに愛されて、大切に育てられた音なんだよ。それに引き換え、俺は自分の音にどれだけひどいことをした? みじめになる、正直。
 紅衣さんだけじゃない、Bazillusのメンバーは、自分を否定せず、信じて、音楽を愛してきた奴らだ。俺だけだ、自分を信じなかったのは。それは、秘かに感じていた、自分はBazillusのギタリストにはふさわしくないんじゃないかって引け目だった。
 今は堂々とBazillusのステージに立ってるよ、もちろん。それは、風月ふづきに出逢ったからだと思ってる。
 真優里とは、Bazillusの正式メンバーになった日に別れた。やっぱりギターがしたいんだ、って正直に言った。泣かれたよ。そして、やっぱり彼女は何ひとつ理解してくれなかった。理解しようともしなかった。
 それは、俺の音を否定してるんじゃない。音のことなんて彼女に分かるわけがない。彼女は俺自身を受け入れてくれなかったんだ。ギターは俺の一部なんだよ。
 もし、それを分かってくれたら、真優里を本当に大切にしようと思った。今度こそ、ギターくらい大切にしようって。でも──まあ、別れたってことは、そういうことだよ。
 風月は、俺の実家の近所に住んでる子だった。不思議な縁だよ。俺があのどこかの誰かのギターに立ち止まって聴き入ってたみたいに、彼女も俺の音に立ち止まった人だったんだ。ギターを背負って、さあスタジオに行こうってときに鉢合わせた。
 どこまで話していいのか分からないけど、風月は家庭にあんまり恵まれてなかった。家を逃げ出しても、行く宛てもなかった。ふらふらしてたら、俺のギターが聴こえて、聴きにくるのが居場所になってたって風月は言う。
「瑞輝くんのギターが聴こえて、初めて、生きてることが幸せだって感じられた」
 そんな彼女に、惹かれないわけがない。でも、すごく繊細な子だったから、いきなり告白とかはなかった。
 まずは、何かあればすぐ俺の家に来ていいって伝えた。だいたい、それは毎日のことだった。時間は、夜の十時とか十一時くらい。俺は窓を開けてギターを弾いて、チャイムが鳴ったら風月を部屋に上げる。もちろん親はいい顔をしなかったけど、俺のことはもうあきらめて、そっけなくなってたから。
 そして、ベッドに横たわって休む風月のかたわらでギターを弾いた。風月はよく泣き出した。すごく幸せだと言って泣いた。
「誰も私を愛してくれなかった。でも、瑞輝くんのギターで、私だけでも私を受け入れることができる。生きてていいんだよ、生まれてよかったんだよって」
 風月は金なんか持ってるわけがなかったし、ライヴをやってる時間帯は家を自由に出られなかった。ライヴに来たのは、同棲を始めてからだった。アンプにつないだエレキギターの音は、部屋で聴かせるアコースティックギターの音とは違う。風月は驚いてたけど、初めてBazillusのライヴを見たあとの打ち上げで、「瑞輝くんの音の家族は、幸せだね」って言った。
 風月はおとなしい子だから、突然、玲をライヴに連れてきたときは、俺のほうが驚いた。玲は一流の大学に進んでたよ。ライヴ前は、こんな場所来たくもなかったって顔してた。
 ライヴは、もちろん毎回緊張する。でもすごく、落ち着ける場所でもあった。だけど、あのときは、初めてのライヴみたいに緊張で頭がいっぱいだった。玲をがっかりさせて帰らせたくなかった。真優里みたいに失うのは、精神的にこたえてしばらく立ち直れそうにない。
 出番待ちの楽屋で、「今夜はミスがあるかもしれない」ってメンバーに謝った。だいたいのことはもう話してた。だから、「親友が来てるんだ」って言えば、夏陽も碧海も双葉も納得したみたいだった。
 だけど。
 ライヴのあと、風月が玲を楽屋に連れてきた。そして、玲は、俺に謝ったんだ。頭を下げて、本当に、相変わらず優等生のまま。でも、顔を上げた玲の目は初めて「感情」でゆがんで──悔やんでいた。
「俺はお前の何を見てきたんだろう。瑞輝があんなに生き生きしてるのは、初めて見た。俺は……お前に必要なものを分かってやれなかった。本当にごめん」
 玲を許したのは、もう、俺が優柔不断だったからじゃない。音楽で生き返った、俺の感情で決めたんだ。
 こいつらのために弾きたい。そんなBazillusのメンバーとステージに立って、俺はやっと、俺に還れる。
 息ができるんだ。

 ──Bazillus g.瑞輝

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