Side A
音楽にだけは、進みたくないと思ってた。とうさんも、かあさんも、にいちゃんまで、音楽やってんだぜ? そしてもちろん、俺も音楽を目指すのをみんな期待する。だから、俺を縛ろうとする音楽は、嫌いだった。
とうさんはバンドのギタリスト。かあさんはシンガーソングライター。そんなふたりのあいだに生まれたのが、紅衣にいちゃんと俺。
にいちゃんはとうさんに憧れて、自然とギターを始めた。俺も、何も分かってないくらい子供の頃は、楽譜読んだり楽器触ったりしてたらしいけど。夏陽と梨々花っていう友達ができてからは、遊ぶほうにかたむいて、期待が重くて音楽に反感を持つようになった。
でも、因果なもんだ。友達の夏陽が、俺の家に転がってるものでどんどん音楽に興味を持って、俺と梨々花そっちのけでライヴ映像とかに没頭するようになったんだ。
梨々花まで「碧海はいいの?」なんて言うから、「どうでもいい」ってちょっと乱暴にゲームのボタンを連打しながら吐き捨てた。梨々花は「ふうん」ってしつこく訊くこともなく、俺がやってるゲームに目を落とした。
夏陽はどんどん音楽にのめりこんでいった。俺が十二のとき、ついに学校に行くのも辞めて、駅前で弾き語りを始めた。そんな夏陽は、おじさんとおばさんに切れられて家から追い出されて、俺の家で暮らすようになった。親を交換できるならしたかったね。
でもさ、やっぱり親だよな。おじさんとおばさん、俺んちに頭下げに来て、生活費とか全部くれてたんだよ。まあ、少し考えれば当然だって分かるだろうけど。夏陽はバカだから、いまだに知らないんじゃないかな。
夏陽の声、音から、俺は逃げてた。その時点で、あいつを認めてたのかもしれない。こいつは本物になるだろうって。
夏陽が弾き語りから帰ってきた夜中、隣の部屋から聴こえる曲に、そこはこうしたほうがいい、ここはすげえうまい、とか頭の中でイメージして、慌てて振りはらった。でも、いつから我慢できなくなったのかな……まあ、ギターは夏陽がやってんだし、とうさんとにいさんとお揃いなのも癪だし、ベースかドラムス、って悩んで、ベースを弾いてみるようになってた。もちろん、夏陽のいないときにな。
夏陽の音楽を突きつけられたのは、中学の放送室ジャックでライヴを流されたときだ。俺の家では、当たり前だけど、ひかえめにしてたんだな。突き抜ける声も、荒削りなギターも、俺をどうしようもなくかきたてた。いいところで教師が乱入して、いらだった自分がいた。もっと聴かせろ、って……みんな、そんな顔してた。夏陽の声は、ほんとに人をつかむ。
だから、俺はついに夏陽の路上に行っちまう。夏陽は、歌は、本当にすごい。でも、今はヴォーカル一本の通り、正直ギターの腕は並みだ。ぱっと聴いた感じでは、うまいのかもしれない。だけど、歌が圧倒的で、演奏のレベルが追いつけないんだ。路上の、観客もいる前で、俺はそれを全部指摘した。そして、俺も一緒にベースで音楽をやるって、ついに折れた。
音楽は、ずっと敵だった。俺を期待に縛りつける重荷だった。なのに、夏陽と音楽やってると、むしろ軽くなっていった。蓄積してた俺の反抗心が、ほどけていって。俺はこんなに音楽を求めてたのかって、驚いた。
高校には進学したよ。軽音部は、仲間内で盛り上がってるレベルの低さだった。夏陽とよく行動してた、今も俺たちの友達の伊弦と笑っちまったね。ギターとドラムスを探しにいったんだけど、ここにはいねえなって。
どうしよっかなー、ってときに出逢ったのが、双葉だった。
信じない人が多いけど、双葉は本当にそれまでドラムを触ったこともなかったんだ。確かに、ガキの頃ピアノ教室に通ってたから、音感はあったんだけどさ。それでも、特に音楽を意識した生活は送ってなかった。俺だってそう言われたときは信じなかった、音楽の授業のとき、シャーペンと爪先で無意識に取ってたリズムが自然すぎて。
俺がドラムスやってみないかって誘ったとき、双葉はもちろん、できるわけがないって断った。一度触るだけでもいいから、って──俺、ほんとにしつこかったな。できないのが分かったら、もう誘われないと思ったって、双葉にもあとで言われた。
でも、双葉は見事にあっさり、初歩的なテクニックを飲みこんだ。スタジオのオーナーで、とうさんたちのバンドのドラマーだった光紅さんが師匠になってくれて、今の双葉があるんだ。
瑞輝が俺たちの中に入ってきたいきさつは、あいつも話すと思うけど。俺が夏陽の曲で引っかかったみたいに、引っかかる奴は会いに来いって言おうと、伊弦と放送室から俺と夏陽のデモを流した。まあ、流せたのは曲だけで、「会いに来い」と言う前に教師に止められたんだけど──それだけなのに、瑞輝は、俺たちに会いにきた。
ギターを断たれてたあいつは、ほんとに泣きそうな顔してた。それだけで、何か、すげえ伝えたいものを抱えてるって分かったんだけど。一応、ギターやってるにいちゃんにも聴いてもらって──ついに、Bazillusのメンバーが揃った。
楓夏と知り合ったのは、その頃だった。梨々花の親友だった。夏陽はもう、完全に音楽にイカれてたから。俺と梨々花と楓夏の三人で、遊んだりした。で、俺と梨々花は家が近いから。遊んだあとは、ふたりになって帰るんだけど。昔みたいに軽口たたくこともなくて、何となく、気まずくなったような気はしてた。俺は変わりなく接したかったけど。何でもずけずけ言うタイプだった梨々花が、妙に口ごもったりはぐらかしたりするようになってた。
それで気づかなかったのかって? 気づかなかったよ、悪かったな。
Bazillusは、夏陽が曲をたくさん持ってたし、瑞輝の技術はもう洗練されてたし、双葉があっという間にそれに追いついたから、すぐにライヴハウスで活動するようになった。
もちろん初めは、俺たち目当ての観客なんていない。だから、アンケート配ったりフライヤー配ったり、対バン相手目当ての観客にも挨拶する。初めは、客をひとりずつ覚えるレベルだよ。今はありがたいことに憶えられる数じゃなくなったけど。
初めは、どんなミュージシャンだってそうなんだ。対バンしてくれた相手だけじゃなく、客にも礼儀正しく。「聴いてくれてありがとう」って──そして、少しずつ、俺たちの名前を探してライヴに来たって人も現れはじめた。
当時は、ついてくれた客に、苦労に強いるしかなかった。今はネットでもライヴの日時を伝えられるけど。当時は、ライヴハウスの予定をチェックして、出演を知ってもらうしかなかった。それか、MCのライヴ告知を憶えてもらう。そこまでして来てくれた人が、今でも俺たちの音楽を聴いてて、手紙くれたりすると、本当にありがたさでいっぱいになる。
そんなふうに音楽に明け暮れて、梨々花と疎遠になってた頃だった。楓夏がライヴに来た。久しぶりだったし、俺はバンドのこととか音楽のこととかいろいろ話した。楓夏は女子大生になってた。俺はもう音楽で食ってくつもりだったから、進学せずにバイト。梨々花はどうしてるか訊いたら、楓夏もあんまり会えなくなったって話してた。
それから、楓夏はよくライヴに来てくれるようになった。伊弦とかにいちゃんが来たときみたいに、打ち上げにも参加させるくらいになって。つきあってないって言うたび、夏陽も瑞輝も双葉もよく分かんねえって顔するから。そういう仲になるもんなのかな、って告ったら、楓夏は泣き出して。やっぱ違うんじゃんって取り消そうとしたら、俺は自分をそういう目で見てくれないんだと思ってたって──まあ、おつきあいを開始しました。
そのとき、俺たちの女関係ってけっこうややこしいことになってて。俺からは詳しくは語れねえけど。俺と楓夏は安定してるよなって、うらやましがられた。どうなんだろ。楓夏といるのは好きだったよ、でも、何か足りねえなって。でも、何となく、俺と楓夏はそういう話題は出さなかった。俺もある意味、ややこしい感じではあったんだ。
で、絃子に逢った、かな。軽い女だって軽蔑してたよ。夏陽がいつも揶揄うけど、俺は確かに童顔だよ。昔から、女受けは悪くない。けど、ライヴに来たくせに、出演者のルックスしか見てなくて、声かけるような女──最悪だろ?
俺も絃子のそういう面を知らないあいだは、相手してたけど。対バン相手に、絃子と寝たことがある、注意しろって言われて。ちょっとずつあいつのことを知って、声かけられても無視するようになった。
どのみち、俺には楓夏がいたわけだし。期待もさせられない。そう思ってた。まだまだ楓夏とつきあうつもりだった。でも言われた、「私たちをつないでるのって結局梨々花ちゃんだよね」って。
楓夏は、梨々花に会って、喧嘩になった話をした。初めは俺とつきあいはじめたことを祝福してくれたし、楓夏もやたらのろける話をしてたわけじゃないらしい。むしろ、遠慮するくらいだったって──そしたら、「楓夏のそういうとこって好きじゃない」って梨々花は言った。
突然何言ったんだあいつ、と俺は思ったけど。楓夏はそう言った梨々花とどんどん言い合いになって、喧嘩になったって言った。分からなくて俺がぽかんとしてたら、自分は梨々花から俺を取っただけだ、俺は梨々花といるべきだって──だから、別れようって、振られた。
梨々花に会いにいったよ。わけ分かんなかったし。俺は、もっと楓夏と続くと思ってたのに。梨々花は俺に責められても、けっこう冷たい顔してて。俺といるつもりはないって、なぜか梨々花にも振られたような感じになった。
おまけに、絃子だよ。絃子は、自業自得だけど。ふらふらミュージシャンと遊んでることを理由に、彼氏に振られたんだと。ヤケ状態の俺は、なぜか一杯してる状態になりながら、さすがに「それはお前が悪いだろ」って言った。そしたら、「あんただって自分が悪いじゃない」って返された。
いわく、俺はそうとう女に鈍い、らしい。梨々花も楓夏も、俺に振りまわされただけだって。今は、鈍さは自覚してる。けど、だからって鋭くなれるわけでもない。
今はその絃子とつきあってる。今の絃子は、遊んだりしてない。してない、と思う──言い切れない俺は、ほんと女を分かってないな。
音楽にはバンド内随一で敏感なのにな、ってメンバーは笑う。大嫌いだった音楽をこんなに必要とするみたいに、女のことも理解できる日が来るのかな。
──Bazillus b.碧海
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