白いドレスを着た星南が眠ってしまうと、俺は彼女をお姫様抱っこでベッドに移動させた。
しばらく目覚める様子はない。酒に混ぜた薬がよく効いているみたいだ。仰向けで眠る彼女を眺めたあと、いつものワンルームを見まわす。
やっとこの日が来た。ずっとずっとずっと、呪われたように過ごしてきて。覚える感情といえば狂気くらいで。今日で終わりだ。終わりの始まり。
俺は自分を取り戻すために、パーティを始める。
クローゼットにまとめて隠しておいたものを引っ張り出してきた。
目隠しのアイマスク。両手を拘束する手錠。脚を縛り上げる縄。などなど。
それらを慎重に星南の顔や手首に装着していく。
これ以上、この女とはいられない。俺はもう本気で気がふれそうだ。彼女とのセックスにさえ、うんざりしている。セックスくらいがこの女のマシなところだったが、星南にしゃぶられると、もはやかえってやる気が失せる。
俺の人生を、感情を、自我を台無しにしやがって。だから殺してやる。十四歳だった冬の日から、こいつに掠奪されてきたもの。それを俺は、この包丁でそのはらわたを深くまで掘り返し、取り戻してやるのだ。
俺と星南が始まったのは、中学生のときだった。話したこともないクラスメイトの星南に想いを打ち明けられ、別にかわいい子だとも何とも思わなかった俺は、彼女を振った。
それからが地獄だった。星南の友達が、俺の陰口を言いはじめ、やがてイジメを行ないはじめた。女子トイレに閉じこめられ、顔面に殺虫剤を噴きかけられ、一番悲惨だったのは、蝉の亡骸を食わされたときだ。
「星南を傷つけたあんたは、これくらい平気でしょー?」
そんなことを言って、彼女たちは笑っていた。やがて、男子連中も便乗して俺に嫌がらせを始めた。殴る蹴る、服を破り捨てる、精液入りのコンドームを投げつける──
期末考査が過ぎて二学期が終わりかけた頃、俺は星南を放課後の教室に呼び出し、「つきあったらあいつらを止めてくれるのか」と訊いた。星南は髪の毛先を指でいじりながら、「いまさら遅いに決まってんじゃん」とそっけなく答えた。「そうか」とうなずいた俺は、自分のスクールバッグを手に取った。
「じゃあ俺、今から死ぬわ」
「はっ?」
「もう、マジで毎日きつい」
「そ、そこまでひどくないじゃんっ。みんな揶揄ってるだけ──」
「は? お前らがどうだろうと知らねえよ。俺はこれ以上やられんなら死ぬ」
「───……」
「じゃあな」と俺は無表情のまま身を返した。「死ぬってどうやって」と星南の声が追いかけてくる。
「さあな。何とかやる」
「っ……、何、で? だって、あたしのことあんな簡単に振ったじゃん」
「好きじゃなくてもつきあってほしかったのか」
「つきあいながら、好きになってほしかったよ」
「無理だな」
「無理じゃない! 今からでも、そうしてくれるなら──あたし、みんなに『やめなよ』って言ってもいいよ?」
俺は星南に首を捻じって、「ほんとに?」と冷ややかな目つきと乾燥した口ぶりで確認した。星南はこくこくとうなずき、俺に駆け寄ってくると手をつかむ。
「だから、死ぬなんて言わないで」
「……イジメがなくなるなら死なねえよ」
「じゃあ、あたしが全部やめさせる。絶対。大丈夫。守るから」
俺は自分の手をつかむ星南の手を見下ろした。汚い手だと思った。俺とつきあうためなら、俺を殺そうとだってする。俺はどうやら、平和に生きるにはこの女に飼われておかないといけないらしい。
まあ──いいか。セックスくらいは能があるかもしれないし。
そう思って、俺は星南とつきあうようになった。女子連中のイジメはぴたりと終わったが、男子にはまだ悪さをしようとする奴もいた。それも星南が教師にチクっていくことでなくなっていった。
俺に蝉を食わせた女どもが、「星南のこと幸せにしろよー」とかにたにた笑って言ってくる。その頃から、俺は頭の中の調律が狂い、不協和音の耳鳴りを聞くようになった。
星南との交際はつまらなかった。いや、はっきり言って鬱陶しかった。初めてデートしたとき、俺がプランなんかいっさい考えていなかったことに、星南は不機嫌になった。
その挙句、「せめて何かおごってよ」とパンケーキを食いにいかされた。店の中は女ばかりで、クリームの香りが甘ったるくて吐きそうだった。星南は写真ばかり撮って、「太るから」と言い出すと結局俺にパンケーキを押しつけてきた。
高校生になっても、つきあいは続いた。キスとフェラは中学のときにやっていたけど、高一の夏に俺の部屋で初めてセックスした。そのあいだだけは、快感に流されて星南の髪や肌に優しく触れられた。けれど、射精して熱が冷めると、舌打ちを噛み殺してシャワーを浴び、もうべたべたとくっつくことはできなかった。
「星南」
「んー?」
「俺のこと、好き?」
「えー、何それ」
「何となく」
「好きじゃなかったらえっちしませーん」
軆にブランケットを巻きつけ、星南は俺の首に腕をまわす。肩甲骨に柔らかく乳房が当たる。星南の細くて白い腕は、金属の鎖より重い、俺を飼い殺す首輪。密着して伝わってくる体温が、吐息が、香りが、すべて俺は好きになれない。
つきあいながら好きになって──。やっぱ、そんなの無理だろ。即座に興味がないと判断した女に、いまさら興味なんか湧いてこない。
星南と時間を過ごすほど、俺の精神は真っ暗に沈んでいった。そして、その闇から日増しに抜け出せなくなっていく。心がもういらないがらくた箱に沈殿し、血の通わない無感覚に故障する。
深海で正気が失われる。何でこんな女とつきあっているのか?
地下で狂気が研がれる。この女が俺を追いつめさえしなければ。
これ以上奪われないためには、俺が星南を殺す番なのか? 俺も星南のようにずぶとかったらよかったのかもしれない。しかし、もうそんなことはどうだっていい。
俺は逃げなくてはならない。星南を殺さなくてはならない。そんな考えが、日に日に生々しい計画を妄想させて加速していく。
高校を卒業しても、星南は同じ大学にくっついてきて俺を解放しなかった。気が利かないだの何だの文句は多いくせに、俺と別れることは念頭にもないらしい。
二十歳になって俺がワンルームで暮らしはじめると、入り浸るように部屋にやってきた。料理を作ったとか掃除をしたとか、恩着せがましく世話を焼いてくるのがうざったかった。
もう、頭の中で星南を何度殺したのか分からない。
「今度、中学時代の同窓会あるらしいよー。すっごい楽しみじゃない?」
「そうか……?」
「だって、今でもつきあってるのみんなが知ったら、びっくりしそうじゃん」
「そうだな……」
「行くでしょ? ビュッフェでパーティっぽいらしいから、ドレス用意しようかなー」
俺は星南を見た。星南はスマホをいじりながら、ドレスを買うか借りるかとかそんな話をしている。そろそろ、俺もパーティを始める頃合いだろうか。
ずっと夢見てきた、星南を嬲り殺す宴。
準備を始めた。睡眠薬は、病院で不眠と悪夢を訴えたらもらえた。手錠や轡はフリマアプリで手に入る。大きな包丁だって、百均で何とかなる時代だ。
おもしろくも何ともなかった同窓会のあと、星南は例によって俺の部屋に雪崩れこんできた。「あとは結婚だねー」とみんなに俺との仲をはやしたてられ、酔っている星南はかなり機嫌がよかった。「もう一杯、ふたりで飲もうか」と俺が言うと、パールホワイトのドレスの星南は嬉しそうにうなずいた。
俺は砕いた睡眠薬を星南の酒に混ぜて渡した。そして、彼女はそのすがたのまま寝入ってしまった──
アイマスクで視界は奪った。声が出せないように轡も噛ませた。手足も自由ももうない。俺は包丁を手にして、深呼吸した。
なあ、星南。
もうたくさんだ。
お前から俺自身を取り返さないと、頭が壊れそうなんだ。
そのとき、星南が身動ぎした。驚いたようなうめき声。俺は初めて彼女に向かって微笑んだ。
よし。
パーティを始めよう。
包丁を振り上げた。ついでクラッカーのようにほとばしった血を浴び、俺は自分の感情が鮮やかに歓声を上げるのを感じた。
FIN