ALIKE-3

夜の街

 そして俺は、司と南が同居を始めてから、ずっと一緒に暮らしてきた家を離れ、ひとり暮らしを始めた。
 引っ越してきた日、『こっち来た。』と雪にひと言メッセを飛ばしたけど、『情けない生活始めるんじゃないわよ。』と返ってきただけで、通話には発展しなかったし、会おうともならなかった。
 会いたい、とか言って、会ってくれるような女だろうか。というか、わざわざ会う理由もないし。近くに来てもあんまり変わんなくね、とわりと深刻に悩みながら荷解きをしていると、すぐに専門学校への通学も始まった。
 満開だった桜が、生温かい春の雨で散ってしまった四月末、授業をチャイムで解放されると、ポケットに入れていたケータイを取り出した。アプリでブロックしても、どこからメアドを知ったのか知らないが、俺が遠方に来たのを確かめようとするしつこい女のメールがたまに来る。
 うぜえなあ、とメールはいちいち拒否設定するのも面倒なので渋い顔になっていると、「なあ、水瀬だっけ?」とふと聞き憶えのない声がかかった。
 眉間の皺をといてから振り返ると、そこには授業で見かけたような気がする男が何人がいた。
「そうだけど」
 ケータイはつくえに伏せて首をかしげると、「いきなりなんだけど」と茶髪と眼鏡のちょっとチャラい感じの奴が口を開く。
「君、合コン興味なくね?」
「は?」
「いや、今夜あるんだけどさ。ひとり足りないんだよ」
「えー……と、」
「君を呼べばいいよって言ってる奴がいてさ」
「え、誰?」
結賀ゆいがって奴」
「……誰?」
 本気で心当たりがなくて同じ質問を繰り返すと、「まあいいから」とそいつは俺の肩をばしっと叩く。
「彼女いたりする?」
「いない」
「じゃあ、来てくれよ。まだほかに誘えるあてもなくてさ」
 合コン。さすが学生だな、と思いつつ、情けない生活をするなという雪のメッセが思い返る。
 合コンはどうなんだ? むしろ健全なのか? いや、そんなもん、やはりだらしないのか。女から言い寄られたら、切実な話、しばらくやってないので流されるかもしれない。
 まあ、我慢したって雪が相手をしてくれるわけではない。というか、雪とはぜんぜん会えてないし。話さえしてないし。なのに、雪を想って自分でするのみで耐え続けろなんて、拷問だろ。
「ひとりいくら?」
 金はいるのか、とまわりくどいことは訊かずに確認すると、「男は三千円」と返ってきた。高くね、と思ったものの、みんなには三千円で彼女ができたら、安いものなのだろう。俺は彼女というか抜きたいのだけど──風俗に較べれば格安か。
 とりあえず、自分が誰か持ち帰れる自信なら無駄にある。「分かった」と答えると、「サンキュ!」とそいつは笑顔になって、俺たちは連絡先を交換した。眼鏡のこいつは坂下さかしたというらしい。
「俺、春にこっち来て、土地勘ないんだけど」
 ださいかもしれなくても、正直に言っておくと、坂下は「大丈夫だよ」と人懐っこい笑顔で言う。
「とりま、大学最寄りの駅前集合だから」
「女はどこから来るんだ?」
「この学校だよ」
「ふうん。分かった、駅なら分かる」
「時間は十八時な。よしっ、これでメンツ揃ったし、あとは結賀がどんな女の子捕まえてくるかだな!」
 結賀。ほんと誰だよ──というか、そいつが女を集めるのか。女を集めるのは女だろう。
 結賀なんて女、つきあったことはない。俺は一応つきあった女としかやらなかったので、行きずりはない。
 誰なんだ、とぐるぐる考えたものの、まあ顔見たら思い出すかも、ということにして、俺はケータイをポケットにしまうと、坂下たちに軽く挨拶して次の授業の教室に急いだ。
 広いガラスに青空が映る窓際の席を確保すると、ちょうどチャイムが鳴った。すっかり春の陽気を通り越し、初夏の日が射してくる。
 高校時代まで、勉強なんて疎かにしていたものの、ここでの俺はけっこう頑張っている。自分で勉強に追いつこうとしないと、置いていかれたって誰も心配しない。ただレポートに合格できず、冷酷に落第するだけだ。
 それでも、何がそんなに余裕なのか分からないが、周りにはケータイをいじって授業を聞いていない奴もいるけれど。
 その日の授業が終わると、あくびをしながら学校をあとにした。学生が多く行き交う駅前に出たが、まだ十七時だったので、駅構内のファーストフードでコーラを飲んで時間をつぶした。
 店内は早くもクーラーがきいていて、だがそれがちょうどいいくらいに外の空気には微熱があった。すぐに暑くなるんだろうなあ、とか思っていると、十八時の十分前になったので駅前に戻る。
 すると、そこでは坂下がひとりの女の子と話していた。歩み寄ると、女の子のほうが俺に気づく。栗色の長い髪、すらりとした手足、背が高くてモデルっぽい。顔立ちも悪くなくて、なかなかの美人だ。
「わ、ほんとに水瀬くん捕まえたんだ」と言った彼女に、「まあな」と坂下は得意そうにした。「女の子全部持ってかれるよ?」と坂下に肩をすくめた彼女は、「幹事の結賀ゆいがひいずです」と俺に向かってにっこりとした。ユイガヒイズ。やっぱ知らねえぞ、と思いつつ「どうも」と答え、この子でもいいなあ、とさっそく緩いことを考えてしまった。
 男女が四人ずつ集まると、飲食街の街に出た。未成年集団ということで、わりとまじめに居酒屋などには行かなかった。幹事の結賀が予約していた店は、団体割引がある和食の座敷だった。
 そこで男女で向かい合うと、ソフトドリンクで乾杯して、各自食べたいものも注文していく。俺はカルピスソーダを飲みながら、女たちを眺めて、やっぱ結賀が一番かわいいなと思った。
 しかし、一度は軽く持ち帰るとか思ったものの、俺のこれまでの経験だと、念のためつきあってからじゃないと手は出せない。しかし、それをやっていると元カノが蜘蛛の巣みたいに広がっていく。
 こっちに来てもそういう生活をするのはなあ、と息をついていると、俺の視線に気づいた結賀が愛想よくにこっとしてきた。雪はあんなふうに咲わねえな、なんて思わなくていいことを思って、複雑になっていると、「水瀬築くんだよね」といつのまにか席を立った結賀が俺のかたわらに来て声をかけてきた。
 俺が彼女を見上げると、グラスを持った結賀は、素早く俺の隣に座った。
「結賀、だっけ」
「秀でいいよ」
「秀」
「僕も築でいい?」
「僕」
「子供の頃から、自称は僕なんだよねー」
「変わってんな」
「そうでもないよ」
 秀はアイスティーらしきドリンクを飲み、グラスに淡くルージュを残す。
「で、築でいいのかな?」
「ああ、いいよ」
「僕さ、君のこと知ってるんだよね」
「そうらしいな。どこで知ったんだよ」
「ふふ、何と高校が同じだったのです」
「えっ、マジで」
「あ、追いかけてきたとかじゃないよ。そこは安心して。入学式に築見つけたときは、同じくらいビビった」
 俺は秀のかわいい感じの顔を見つめ、こんな美少女あの高校にいたか、と首をかしげる。しかし、俺は自分から探すのでなく、寄ってくる女とつきあっていたので、周りをよく見ていなかったと言えばそうなのかもしれない。
「築が今の専門に進んだの意外だよね」
「親にも先公にも言われた」
「なりたいものって何? ワーカー? カウンセラー?」
「スクールカウンセラー」
「うわっ、相談してきた子に手は出さないようにね?」
「出さねえよ」
「そういうイメージがある」
「どんなイメージだよ」
「ふうん。なるほどね。僕は心理士になりたいんだよね。親がメンタルクリニックやっててさ」
「すげー疲れそう」
「うん、絶対継ぎたくないって思ってた時期もあった。でも、親が何とか自殺止めた人がさあ、しばらく来なくなったと思ったら結婚しててさ。数年ぶりに病院来て、『生きてたから幸せになれました』ってお礼言いにきたの見たの。何か、いいなあって」
「……そっか」
 結婚か、と俺は必然的に司と南を思い出してしまう。あのふたりは、実は養子縁組もやっていないから、紙の上では他人のままだったりする。あのふたりが生きているうちに法律変わってほしいなあ、と今の俺はそう思う。
 さっぱりした性格が垣間見える秀と話しているうちに、こいつなら後腐れないかなあ、とちらちら思いはじめた。そうこうしているうちに、ひとつカップルが誕生して、「お先にー」とそのふたりは座敷を抜けていった。「いいなあ」と秀は頬杖をついてそれを見送り、「お前モテそうだけど」と俺が言うと、「築ほどじゃないよ」と肩をすくめる。
「すさまじい女ったらしぶりだったよね」
「……こっちではやめるよ。たぶん」
「たぶん」
「たまに……やりたいときもあるじゃん」
「まあねー。ふふ、じゃあ今日は?」
「今日」
「ここには、まじめに彼女作りに来たの?」
「……どうでしょうね」
「僕、高校時代は築に興味なかったけど。何か、きちんと将来考えてるとこ、いいなって思ったかも」
 秀を見た。秀も俺を見て、悪戯っぽく微笑む。誘われているのは、すぐに分かった。
 俺は注文した食べかけのだしまきを口に入れ、どうしようかなあ、と考える。高校時代なら、この時点で彼女の腰に手をまわしていたところだ。しかし、俺も雪が好きなら身持ちというものを──
 いや、雪に貞操を誓ったところで、あいつが俺に振り向くなんておそらくないのだ。それなら、俺にだって、たまには女と寝る自由はあるわけで。
 秀を見直すと、彼女は俺を観察して小さく笑っている。
「つきあうってことにしてから?」
「僕は軆の相性見てからじゃないとつきあわない」
 軆の相性がよかったら、つきあうかもしれないのか。しかし、それなら俺にとっても損はないつきあいかもしれない。やるためにとりあえずつきあうのとは違う。
「じゃあ、俺との相性試してみる?」
 俺がそう言うと、秀はにっこりして「お開きになったら、店の前に残って合流しよ」とささやいて立ち上がった。ここで露骨に抜けるということをしないのは、俺にとっても、ほかの奴らへの説明を省けてありがたい。「了解」と答えておくと、秀は元の席に戻って、何やら意識して会話がぎこちないふたりの仲介に入った。坂下はロックオンした女と楽しそうにしゃべっている。

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