ALIKE-4

ホテルにて

 それからまもなく、だいたいカップルが決まったのもあって、自然と解散になった。坂下は盛り上がっていた女と、ぎこちなかったふたりも打ち解けてきた様子で、人混みに消えていった。
「みんなうまくいったねー」と背伸びしながら秀が話しかけてきて、「こういうのが綺麗にまとまるってめずらしいな」と俺は課題のつまったリュックを肩にかける。「幹事はちゃんと計算しましたから」と秀はにやりとして、「なかなかのお手並みで」と俺も笑ってしまう。
 夜になると、頬を滑っていく風は、まだひんやりしている。「行くか」と秀に声をかけると、彼女はこくんとして俺の隣に並んで歩き出した。
 せわしない人通りの中、カラオケや居酒屋のキャッチがしょっちゅう声をかけてくる。肩くらい抱いたほうがいいのかと思っても、まだつきあっているわけでもないからいいか。秀が駅の中に入ったので、「移動するのか」と問うと、「駅の向こうにラブホ街あるから、抜けるだけ」と返ってくる。
「このへん詳しいのか?」
「いとこのおねえちゃんがこのへんなんだ。今、居候させてもらってるし」
「ひとり暮らしかと思った」
「親が許さなかったね」
「俺はひとり暮らし始めたけど──確かに、ある意味監視がつくことは条件だったな」
「監視」
「こっちに知り合いがいてさ。そいつの近所に住めって」
「築の親って、ゲイカップルだっけ? ちらっと聞いたことある」
「まあな」
「ふふ、何かかっこいいね。憧れる」
「かっこいいか? いちゃついてばっかだぜ」
「えー、それがいいんじゃん。僕も好きな人とは堂々といちゃつきたい」
 そんなもんかな、と思っていると明るい駅を東から西に抜けた。すると、確かにピンク色のネオンが続く明らかなラブホ街があった。
「休憩でいい?」と訊かれて、「ああ」と答えると、少しうろうろしたのち、俺たちは手頃な値段で部屋もシンプルなモーテルに決めた。パネルで鍵を受け取って、自販機で飲み物を買うと、エレベーターに乗り、部屋に向かう。鍵でドアを開けると、先に秀に中に入らせて俺も続いた。
 無駄にカラオケだのマジックミラーだのマッサージチェアだのついているモーテルもあるが、ここにあるのはベッドとバスルーム、そしてクローゼットくらいだった。照明は淫靡なピンク色をしている。
「シャワー浴びる?」と尋ねると、「僕はいいや」と秀はベッドに乗って、自販機で買った桃フレーバーの天然水を飲んだ。俺もベッドサイドに腰かけて缶コーヒーを開けてひと口すする。微糖なのに思ったより甘い。
 ごそ、と音がして、秀が俺の背中にくっついてきた。体温が伝わってくる。雪の甘い匂いはたぶんフローラル系の香水だけど、秀はさわやかなシトラス系の匂いがした。
 缶コーヒーはベッドスタンドに置いて、俺は秀の手を引っ張り、ベッドに軆をかたむけて彼女を腕の中に招いた。こちらを見上げた秀の柔らかい線の顎に指を添えると、俺は彼女にキスをした。
 応えてきた秀の舌使いは、思ったよりうまかった。熱い舌を絡めあって、口の中をむさぼるように口づけあう。秀の桃の味より、俺のコーヒーの味が強い。唾液が混ざる小さな水音が室内に響いて、ときおりこぼれる息継ぎの吐息が艶っぽい。
 秀は膝立ちになって俺の首に腕をまわし、積極的にキスを味わった。俺は彼女の腰を抱いて、軆がぴったり重なるようにぐっと引き寄せた。
 そのとき、ん、と思った。膝立ちになっている彼女の腰は、俺の腹に密着したのだけど、何か──何か硬くね、と思った瞬間、不意に秀が唇をちぎって、蕩けた笑顔でつぶやいた。
「あー、もう勃ってきちゃった……」
 はい?
 その台詞をとっさに飲みこめなかったが、はっとして思い当たった瞬間、俺は秀の胸に弾力がないことに気づいた。いや、貧乳なのかもしれない。そう思って落ち着こうとしたが、そんなことより、こいつの股間で硬くなっているものがあるって……
 秀が穿いているのはスカートだったので、俺はばさっとそれをめくりあげた。目に入ったのは女物の下着だったけど、それからこぼれ落ちそうにふくらんでいるものがあって──
 一瞬にして血の気が引いて、俺はさあっと蒼ざめる。
「お前、男!?」
「んー、うふふ、男の娘って言って」
 俺の首に腕にまわすまま、にっこりとした秀に、俺はがつんと殴られたように意識を失いかけた。
 男。男の娘。嘘だ──とくらくらしていると、秀は俺の頬を撫でてくすくす笑う。
「自称は僕って言ってるじゃん」
「っんなの……僕っ娘と思うだろっ」
「僕っ娘とか痛いって」
「てか、男の娘って、それを断れよ!? 女としか思わねえだろ」
「僕、そんなにかわいい?」
「かわ……かわいい、……けど」
「んふふ、ありがとー」
 そう言って秀は抱きついてきたけど、「いやいやいや」とか言いながら俺は軆を離して逃げる。「えー」と秀は笑っているけれど、俺は貧血みたいに頭が飛びそうで笑えない。
 男。男とキスをしてしまった。マジかよ。うわ、ダメだ。無理だ。こんなことで実感するのも情けないが、俺は完全にストレートであるらしい。鳥肌まで立ってきた。
 秀はさほど俺の反応に傷ついた様子もなく、ベッドサイドに座りなおして「ノンケなんだねー」なんて言っている。俺はようやく秀を睨む余裕が出てきて、「親と俺は違うんだよ」と恐らくそのせいだと察したのではっきり言う。
「そっかあ」と秀は長い髪を揺らして咲い、俺はしばらく渋面をたたえていたものの、「お前みたいのがいたら、さすがに憶えてると思うんだけど」と息をつく。
「同じ高校ってマジなのかよ」
「高校のときは男子制服だったからねー。この髪もウィッグだし」
 ようやくこいつがまったく記憶になかったのに合点がいった。美少女ならともかく、関わったこともない男なら憶えているはずがない。
「坂下とか、お前が男って知ってんの?」
「たぶん知らない。でも、女の子たちは知ってたよ」
「………、俺、今頃お前とやってると思われてんのかよ」
「思われないように、みんないなくなってから合流したでしょ」
「でも俺、ずっとお前としゃべってたし」
「地元の積もる話があったとでも言っとくよ」
 俺はため息をついて、「あーっ」と声を出してからベッドに倒れた。絶望感に目をつぶる。
 やられた。完全にやられた。何だよこれは。適当な女で抜いてしまおうと思った天罰か。
「男同士のキスなんて、実家でいくらでも見てたんでしょ?」
「見てたけど、見てただけに決まってんだろ。俺は違う」
「そんなもんかあ。僕はパンセクだから、男も女もTSも、全部いけるんだよね」
「全部試したのかよ」
「わりといろんなセクは知ってる」
 さすが、あれだけキスがうまいはずだ。こいつもある意味たらしだったのか、と思っていると、俺の頭のかたわらに来た秀が、「騙しちゃってごめんね?」と言った。
 俺は薄目を開き、秀を見上げる。女顔負けのかわいい顔している。輪郭すらかなり線が柔らかいし。軆の線は脱いだらそうでもないのかもしれないが。
「何で……ほんとに、先に断らなかったんだよ」
「僕ならいいかもって男がけっこう多いから」
「……分からん」
「ふふ、築みたいな男を落とせたら、楽しいんだけどなあ」
「悪趣味」
「はいはい。あきらめますよ。萎えちゃったし。あ、築は勃起してなかった?」
「……萎えた」
「はは、一応勃ってくれたんだね」
「言うな。マジで誰にも言うなよ」
「分かってるよ。じゃあ、こんなとこもさっさと出ちゃう?」
 俺は天井の淫猥な照明を見つめたあと、「出る」と言って起き上がった。口の中の感触が気まずいので缶コーヒーを飲み干して、空き缶はゴミ箱に投げる。
 鍵をつかんでドアに向かうと、追いかけてきた秀は俺の腕に腕を絡める。俺が心底嫌そうな顔を見せると、秀はからからと笑って離れたので、揶揄っただけらしい。
 そのからりとした性格には、ほんとに女だったらつきあってもよかったのに、とちらりと思ってしまっても、男だというのならやはり俺には一ミリもありえない。
 ホテルを出て、駅まで引き返した。西口から駅構内に入り、東口まで歩かずに改札で立ち止まる。夜が更けてきて、さっきより人が減っている。「ねえ、築」と呼ばれて仏頂面で秀を見ると、秀はやっとばつの悪いような表情を浮かべていて、俺に上目遣いをした。
「僕たち、相性はいいと思わない?」
「相性試してねえよ」
「そういう相性じゃなくて。話してて楽しかったじゃん」
「………、まあな」
「よかったら、友達にはなりたいな」
 秀を見つめた。秀も俺を見つめ返し、俺は大きく息をついて目を伏せ、頭をかきむしる。
 友達。こいつが本当にもう俺に色仕掛けをしないなら、別にいいかもしれない。確かに、話しているときは楽しかった。こいつとならつきあうことになってもいいかも、と思うくらいには。
 でも、もし冗談でも俺をまた誘うようなことをするなら──それをはっきり言っておこうと、秀にもう一度目を向けたときだった。
「あ……、」
 秀の向こうが視界に入り、俺は声をもらしてしまった。東口から、見間違えるはずのない女が歩いてきていたからだ。しかもそれだけではない。その隣には、彼女と腕を組んでいる男がいる──
「雪……?」
 秀が首をかしげて、茫然とする俺の視線をたどる。「わ、美人」というつぶやきが素通りする。俺の凝視に気づいたのか、雪もこちらを見た。脚に深くスリットの入った、黒のワンピースが艶めかしいすがただ。
 これは、もう、確実に──
 雪は俺を認めても、焦ったり慌てたりの様子もなく、ただ秀をちらっとしてから、息をついて男に何か言った。男も俺を見て、肩をすくめて何やらうなずく。男と絡めた腕を優しくほどくと、雪はこちらに歩み寄ってきた。

第五章へ

error: