ALIKE-5

思わぬ誤解

「また女といるのね」
 俺と秀の目の前で立ち止まった雪は、腰に手を当てて目を眇めた。見たこともないくらい化粧も丁寧で、色気がすごいので俺は思わず口ごもってしまう。
 秀は俺を見上げて、「もしかして彼女?」と小声で訊いてきた。それが聞き取れたのか、「違うわ」と俺が答える前に雪が否定する。
「ねえ、築」
 雪の目がいつになく冷たいので、やばい、と俺は本能的に察知して視線をそらす。
「情けない生活はするなって言っておいたわよね」
「……別、に」
「『別に』?」
「な……何にも、してないし」
 嘘じゃない。これは嘘じゃない。結果的には嘘じゃない。
「じゃあ、彼女とはおしゃべりしてただけなの?」
「そ、そうだよ」
「ふうん……?」
「いや、そもそも、こいつ女じゃねえし」
 俺が保身のあまりそう言うと、「ちょっ、築、」と秀が俺を腕を引っ張る。その様子を眺めた雪は、あきれたように息をつく。
「もっと悪いじゃない。つきあってもないわけね。たらしこんでるのは同じでしょう」
「いや、そうじゃなくて」
「築!」
「彼女のほうはずいぶん必死よ?」
「秀、いいだろ、こいつには説明させろ」
「やだっ。知らない人には、かわいい子でいたいもん」
 かわいい子って──。ああ、もう、何でそんな紛らわしい言い方をするのだ。俺が言いたいのは、こいつは本当に女じゃないということだぞ。
「司さんと南さんには、一応報告しておくわよ」
「いや、それはやめろ。ほんとに何にもないんだって。てか、お前こそ何なんだよ。あの男は?」
「さあ。あんたには関係ないわね」
 雪はそう言って肩をすくめ、綺麗な鎖骨を見せると、身をひるがえして男の元に戻っていった。男はこちらを見て苦笑なんかしている。
 くそっ。ムカつく。余裕見せやがって。
 雪は男の腕に手をかけると、こちらを見もせずに、ふたりで改札を抜けて、さっさと立ち去ってしまった。
 俺はその背中を最後まで見つめていて、彼氏、という二文字に後頭部をぶん殴られる。
 彼氏だ。あれは確実に雪の彼氏だ。けっこう年上に見えたが。雪は年上が好きだったのか。だから年下の俺に目もくれなかったのか。
 雪にはやっぱり彼氏がいた。あんなに色気たっぷりで接する、大人の彼氏がいた。
 完全に魂が抜ける俺に、秀は腕を組んで、「へえ……」と雪と男が消えていった方を見やった。
「あれが築の好きな人かあ」
 俺は秀をぎろっと睨み、何でそれを察していてややこしくした、と言いそうになったが、ぜんぜん違うことを口にしていた。
「あんな女、好きじゃねえしっ」
 この期に及んで自分で何を言うかと思ったし、秀も真顔で「ばればれだし」と言い返してきた。俺と秀はなぜか睨みあって、俺のほうが先に吐息をついて舌打ちした。
「幼なじみなんだよ」
「ほう」
「ぜんぜん相手にされてねえし」
「それは感じた」
「……あいつ、男といたな」
「うん。けっこうおじさんだったね」
 俺が目を泳がせ、「あー」と意味のない声をもらし、最後にはショックの名残でその場に座りこんでしまった。
 秀もしゃがみこむと、「よしよし」と俺の頭を撫でた。「男になぐさめられても、何にもなんねえ」とつぶやくと、「まあいいじゃん」と秀は俺の頭をさすりつづけた。
 改札の真ん前でしばらくそうしていて、雪に男がいた真実に息苦しさを覚えつつも、俺は何とか立ち上がった。秀も膝に手をついて立ち上がる。
「大丈夫?」と訊かれて、「死にたい」と答えると、秀はふうっと息を吐いた。それから、「よし、分かった」と両手を腰に当てる。
「今夜はつきあってあげよう」
「は?」
「とりあえず、酒でも飲みながら愚痴聞いてあげる」
「……酒飲めねえし」
「飲みなさい」
「いや、ほんとに……あれ、まずいじゃん」
「ガキか。飲めるようにならなきゃいけないんだから、練習!」
「………、あのさ」
「うん」
「俺、お前が変に誘ったりしないなら、友達もいいかなとは思うんだけど」
「ほんと?」
「マジで、そういうことすんなよ。冗談でもやるなよ」
「んー、分かった」
「俺は男は無理」
「了解」
「……じゃあ、どっか店行くか」
「よっしゃっ。僕がたまに行く居酒屋行こっ」
 そう言った秀は、東口に向かって歩き出し、俺はまたため息をついてから、それについていった。確かに、今ここでひとりの部屋に帰っても、失望感でどうにかなるかもしれない。誰かといられるなら、そうしたほうがいいと思った。
 人混みを縫って脇道に入り、細道に面した秀が入った居酒屋は、こぢんまりした木目調の店だった。香ばしい焼き鳥を焼いていた店主が、「お、ひーちゃんじゃないか」と気さくに声をかけてくる。「こんばんはー」とにっこりした秀に続いてきた俺を見たその親父は、「彼氏かい」とにやりとした。
 俺にじろりとされた秀は、「こんなにかわいい僕に落ちなかったんだよー」とからから笑う。正直、もしかして男の娘が集まるような店だったらどうしようと思っていたが、至って普通の居酒屋のようだ。そんなに騒がしくない店内にいるのも、常連客っぽいのが多い。
 カウンターに並んで座った俺たちは、焼き鳥をいくつか注文し、酒は分からないので「甘いのにしとくねー」と言う秀に任せておいた。
「今日はひなたちゃんは?」
 手際よく焼き鳥を網に並べる親父が、秀にそう問いかける。
「んー、もう帰ってるかな。あ、遅くなる連絡しておかないと」
「野郎より、陽ちゃん連れてきてほしいなあ」
「今日はこの人、失恋で傷心してるので、大将もなぐさめてあげて」
 そう言って秀はケータイを取り出し、何やらメッセを打ち始める。「坊主、失恋したのかあ」と四十代半ばぐらいの大将とやらに言われて、「まあ、そうっすね……」と俺は音もなく置かれたお冷やを飲む。
「俺もひーちゃんのいとこをいつも口説いてるんだがな。手応えなしだよ」
 秀のいとこ。おねえさん、なのだっけ。察するに、ヒナタ、という人だろうか。「大将さんは結婚してないんですか」と訊くと、「してる」としれっと返ってきたので、俺を頬杖をつく。
「それ、アウトですよね」
「なかなかまじめだなあ。でも、陽ちゃんかわいいんだよー」
 俺は女をたらしまくっていたが、複数と並行はしなかったのでよく分からない。雪が本命でありながら、あれこれあさっていたので、そんなにまじめとも言えないけども。
「陽ねえちゃんもかわいいけどさ、築の好きな人も綺麗だったね」
 ドリンクがやってきて、俺はオレンジ色のカクテルを渡された。そろそろと口をつけると、少しアルコールの味がしたけれど、そこまでくせはなかった。秀はビールを飲んでいて、あんな苦いものを、と思っているとそんなことを言われた。
「まあな……」
「幼なじみって、あの人も地元同じ?」
「あいつのじいちゃんとばあちゃんの家が、俺の実家の隣なんだ。盆と正月に会うくらいだった」
「ふうん。いつから好きなの?」
「分かんね。気づいたら好きだった」
「向こうが年上だよね」
「ふたつ上」
「彼氏はいくつくらいだろうなー。三十代くらいかな。不倫じゃないといいねえ」
 秀を見た。
 不倫。思いもよらなかったが、あのくらいの年齢の男ならありうるか。
 雪が不倫。マジかよ、と顔をおおって打ちひしがれたが、「あの人も恋愛はルーズなの?」と言った秀に、「そんなことはないと思うけど」と俺は顔を上げ、カクテルをちびちび飲む。
「つっても、俺、あいつのことよく知ってるわけじゃないんだよな」
「幼なじみじゃないの」
「普段は住んでるとこ別々だったし。あいつが俺の地元に来たとき、いろいろ世話焼かれてる感じだった」
「世話」
「俺の親のことは知ってるだろ」
「ゲイカップル?」
「そう。俺、ガキの頃はかなり反発してたんだよな。父親が母親捨てて男と暮らしはじめるとか、ショックだろ」
「まあねえ」
「しょっちゅう問題起こして、弟共にも迷惑かけた」
「弟いるんだ」
「三人いる。俺の父親に俺ともうひとりいて、相手の男にふたり。相手の男の息子の末っ子は、母親が引き取ってるけどな」
「そうなんだ。養子なのかなーと思ってた。母親とかいるんだ」
「俺の母親は、今では音信不通だけど、下ふたりの母親はたまに会うぜ。いい女なんだよなー」
「寝たの?」
「相手にされねっつの」
 秀は笑って、ビールをごくんと飲む。喉仏そんなに目立たないなあと思ったけど、さすがに何か飲みこむと動く。
「そういやあの人、僕といたこと誰かに報告するとか言ってたね」
「あいつが近所の監視役なんだよ。俺がひとり暮らしでもちゃんと生活してるかどうか」
「やばいねー」
「ほんとだよ……」
 げんなりつぶやいたところで、「お待ち」と大将がタレのねぎまやつくね、塩の皮や軟骨が乗った皿をさしだした。「わあい」と秀はそれを受け取り、皮の串を取ると頬張る。俺はつくねの串をつまみ、ひとつ口に入れた。タレが口の中で香って、肉だんごも味が染みこんでうまい。

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