ALIKE-6

素直になれないまま

「なあ、あいつには、マジでお前の性別言っていいだろ」
「信じるかなあ」
「それは──お前も同席するとかだな」
「別にいいけど、逆に男の娘にも目覚めたとか思われるかもしれないよ」
 それは、と言いかけ、俺のことをまったくもって意識しないあの女なら、あっさりそう判断する恐れもあると思った。そんな勘違いはますます困る。
「俺、お前とはほんとに何にもないのに……」
 絶望的な声で言うと、「一度つきあって別れるかあ」と秀が笑って、「ふざけんな」と俺はつくねを口に含む。
「そういや、ここでは男って隠してないのか」
「男の恰好でも飲みに来るもんねー」
 秀ににっこりされた大将は、「最初は、陽ちゃんがついに彼氏連れてきたと思って焦ったもんだ」とにやにや笑う。
「ひーちゃん、男バージョンだと相当なイケメンなんだぞ」
「マジですか」
「大将の嫉妬の視線が痛かった」
「はあ……」
「そのあと、女バージョンでまたここに来てな。陽ちゃんのことは応援するって言われて、今ではマブダチよ」
「いえーい」と秀が手をさしだすと、大将は手をぽんと打ち返す。奥さんいるなら応援はダメだろ、と思っても黙っておく。
「お前、男の恰好もすんのか」
「女の子をナンパするときはさすがに」
「あー、どっちもいけるんだっけ」
「まあね。つっても、男の娘とつきあいたいって女の子もけっこういるもんでして。そういう女の子のが楽といえば楽」
「そんな女、どこで見つけるんだよ」
「男の娘と女の子の交流イベントで知り合うんだ。そういうイベントとかネットのコミュニティ、わりとあるよ」
「……すげえな」
「男の娘同士でつきあったり、普通の男とつきあったり、いろんな男の娘がいるよね」
 俺の知らない世界が広がっている。司と南なんて、ぜんぜんかわいいものらしい。
「その──陽っていうねえちゃんは知ってるわけだよな。お前が女の恰好するって」
「服も貸してくれるしね」
「立ち入っていいのか分かんねえけど、実家ではどうだったんだ」
「あー、険悪だった時期もあるけど、和解してるよ」
「そうなのか」
「中学のときかなあ、マニキュア落とすの忘れて先公に見つかってさ。何にも言えなかったから、親に連絡いっちゃって。親には女の子の服を着たいって正直に話したら、華麗に『おかしいのか』と言われたね」
 おかしい。きついこと言われたんだな、と相槌にうなずきながらカクテルをすする。
「でも、話したから隠すのやめて、化粧したりスカート穿いたりで家の中うろうろして。親がそれに見慣れちゃった感じだね。性同一性障害なのかどうかは訊かれた。それは違うって言ったよ、僕はこれでも性自認は男なんだ」
「男」
「女の子になりたいわけじゃない。女の子の服が好きなだけ。性転換も女ホルもぜんぜん興味ないしね。かわいい自分が好きなんだ」
「はあ」
「そのうち、おかあさんは僕と服買いに行くのが楽しくなってきてさ。おとうさんも、来年はお前は振り袖だよなあなんて言うし」
「……そっか。よかったじゃん」
「うん。おかあさんが、娘に生んであげられたらよかったのかなって言ったことあるけど。そうじゃないよって言った。僕は男でよかったと思ってる。ただ、男の服をつまんないと思うだけ。女の子の服は、やっぱ華があっていいんだよねえ」
 ふふっと咲ってみせる秀に、いろんな奴がいるもんだな、と俺はつくねを食べ終わる。次は軟骨を手に取り、ぽりぽりと塩味のきいた歯ごたえを噛みしめる。
 それにしても──母親か。面影もぼんやりしつつあるあの人を思い出す。
 俺は本当にかあさんに懐いていて、だから余計に南も、南を選ぶ司も許せなかった。かあさんが大好きだったし、泣いてほしくなかった。
 俺だけでもそばにいてあげたかったけど、かあさんは俺を引き取ると言ってくれなかった。女ひとりの経済力では仕方なかったと、今では分かる。当時は何でかあさんが俺を選んでくれないのか、哀しくてたまらなかった。
 俺が女をたらしていたのは、雪への想いをかき消したかったのもあるが、マザコンなところがあったのだとも思う。
 甘えられる女が欲しかった。自分を預けられる女に出逢いたかった。だから、そういう本命に出逢えたら、たらしなんてすぐやめると決めていた。でも、結局俺が甘えて、寄りかかってしまう女なんて、雪だけだったのだ。
 秀に家庭のことや雪のことを話して、秀もこれまでつきあってきた奴なんかの話をして、気づくと終電が近くなっていた。酒のせいか少しふわふわと微熱があるけど、足元がふらつくほどではない。割り勘で感情を済ますと、駅に戻って上り方面と下り方面で秀と別れた。
「僕は雪さんとのこと応援するよ」と秀はにっとして、かすかにシトラスの匂いを残して、ホームへと去っていった。俺はそれを見送り、悪い奴じゃないんだろうな、と何だかんだで部屋でひとり落ちこむよりマシだった時間に肩をすくめ、自分の目的のホームに向かった。
 部屋に戻ると、暗い室内にぱちっと白い明かりを灯す。すっかり片づいて、つぶしたダンボールもすでに引き取ってもらった部屋に、静かだなあ、なんて思う。
 実家では、帰宅したらいつも誰かが騒がしかった。もうすぐ連休だが、さすがに今月ひとり暮らしを始めたばかりでさっそく帰るのは気まずい。帰るとしたら夏休みかあ、と敷いたふとんに寝転がって天井を見つめ、みんなどうしてるかなあ、なんて柄にもなく考えてしまった。
 翌日の朝、『ほんとにあの女とは何にもないから』と念を押すメッセを雪に送っておいたが、返事はなかった。のちほど既読はついたのだが、それだけでスルーだ。
 ただ、雪から連絡を受けた司か南が何か言ってくるかと思ったが、特にそんなことはなかった。言わなかったのかな、と思っても、それを訊く追撃メッセを送っていいのか分からない。あの男が彼氏なのかどうかも、しっかり確認する機会を持てなかった。
 それから、学校では秀とよくつるむようになった。「彼女なの?」と訊いてきたり、「あの子、実は男だよ?」とささやいてくる女もいたが、「ただの友達だし」と俺は答えておいた。
「ほんと?」と確認されて、「うん」とうなずくと、急にもじもじして「じゃあ、私、実は水瀬くんが……」と言い出す女たちに、めんどい奴か、とか思っていると、「築には本命の女がいるよー!」とよく秀が割りこんできた。「え」とかたまる女に、「おかげで僕にもなびかなくて」とか言う秀ははたいても、「そういうわけだから」と俺がそっけなく言うと、「そっかあ……」と女はうつむき、ほとんど食い下がらずに去っていった。
 そんなふうにさりげなく秀が虫を追いはらうのもあり、俺はまったく女をたらすことなく過ごした。抜きたい、と思うことがあっても、「それなら僕がしゃぶってあげるから」なんて秀が言うので、俺は静かに首を横に振って、自己処理で我慢した。そのへんの女と寝るより、アダルト動画を観ながら雪を想って自慰するほうがいいのは、相変わらずだ。
 近所に住んでいてもぜんぜん会わない雪は、俺が勇気を出して連絡すると、気紛れに返信だけよこしたり、通話してくれたり、無視するときもある。
 通話したとき、『あの彼女とはどうなったの?』と訊かれたので、何にもない、と言おうとしたのを考え直し、「友達だから仲はいいよ」と言ってみた。『ふうん』と雪は窃笑しながら答え、「そっちはあの男とどうなんだ」と俺がようやく訊くことができると、『たまにごはんおごってもらってるわ』と返ってきた。
 それはデートなのか。まだつきあっていないのか。でも、食事につきあうってかなり好意的に見てるよな。どっと質問があふれても、その不安のひとつも口にできず、「せいぜい騙されんなよな」なんて生意気なことを言ってしまった。
 早くも熱中症という言葉を聞く初夏を過ぎると、じめついた梅雨が始まった。洗濯機は南が乾燥がついているのを勧めてくれたので、洗濯物に困ることはなかった。
 七月になって蝉も鳴きはじめると、前期の試験があった。まじめに授業を聴いていたおかげで、一発で合格点を取ることができた。太陽の光がぎらついてくる中、すぐ夏休みに入り、しばらくは秀と落ち合って街をぶらついたりしていた。
 八月になって盆が近づくと、司の言葉を思い出し、「ちょっと実家帰ってくる」と秀に言い置いて、俺は一週間ぶんくらいの荷物をまとめた。猛暑の日射しはアスファルトを焼き、道草の匂いがぬるい空気に立ちのぼっている。何だか家族と顔を合わせるのを気恥ずかしく感じつつも、俺は夜行バスでなく新幹線で、数か月ぶりに地元に帰ってきた。

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