浴衣の君と
フォークにくるくるとパスタを巻きつけて頬張ると、レモンとパスタの塩味がさっぱりしていておいしかった。司に「うまい」と言われて、南は幸せそうに微笑む。
俺はそれを眺めて、俺ががつがつ弁当食ってるときも桃は嬉しそうに咲ってるなあ、と思う。俺は桃と結婚したいとずいぶん前から思っているけれど、司と南はどうなのだろうなんてふと考える。
男同士なので、まだこの国では結婚できなくても、養子縁組とかあるのは俺でも知っている。
「司と南ってさ」
「ん?」
「養子縁組とかしないの?」
俺が唐突に言ったので、ふたりだけでなく、響と奏もまばたきをする。司と南は顔を合わせたあと、「今はしないと思う」と司が言った。
「『今は』」
「同性婚ができるようになるの待つの?」
響が尋ねると、「いや、というか」と司は苦笑する。
「養子縁組したら、南がお前らと同じ俺の息子になるぞ。確か、同い年だと誕生日で決まるんだよな?」
弁護士を目指す響はそう訊かれるとうなずき、「あー」と俺は言われて気づく。「でも、司くんと南くんは結婚してほしいなー」と奏は山芋のベーコンチーズ巻きを食べて、「それは僕たちもしたいとは思うから」と南は隣の席にいる奏に柔らかく笑む。
「みんな築みたいに巣立っていって、まだ同性婚がなかったら考えるんじゃないかな」
「ふうん」と奏はもぐもぐとして、「同性婚ができたら一番なのになあ」と飲みこむ。
同性婚ができたら。俺もそう思うし、ふたりのために法律を志す響もそうだろう。同性婚だったら、俺たちが息子でいてもすぐにできる。何かあったときがすごく心配だと、響も以前言っていた。
紙の上では何のつながりもない司と南は、たとえば病気になったときとか、できることがすごく制限されてしまうのだ。司と南のことは俺たち兄弟が一番よく知っているから、ふたりには早くきちんと結ばれてほしいなと思う。
夕食のあとは風呂に入ってゆっくり筋肉をほぐし、Tシャツとスウェットになって奏とゲームの対戦をした。「何で養子縁組とか訊いたの?」と言われ、「俺は桃と結婚するから」と答えると、「ラブラブですねえ」と奏は肩をすくめた。
「奏も中学生なら何かいるだろ」と返すと、「俺はまだ渚とつるんでるなあ」と親友の渚くんの名前を出す。渚くんは昔、問題のある家庭にいたけれど、奏が声をかけてこの家に来て、司と南を見たことで愛のない家から逃げ出す勇気が持てたらしい。
今はいい里親に出逢って幸せに暮らしているそうで、小学校のあいだは奏と一度離れたのだけど、ふたりとも私立の中学進んだことで現在また同じ学校に通えている。
ぐっすり眠って迎えた翌日も、やはりいい天気だった。俺は朝のロードワークのあと、しっかり朝食を取り、桃と学校に向かった。午前中のメニューをこなすと、昼食になって桃がどんと俺の弁当を取り出す。校舎で日陰になっているグラウンドの隅で、味わって咀嚼はしつつ、たっぷり詰まった弁当を食っていると、「あ、あの子」と普通サイズの弁当を食う桃がつぶやいた。
「ん?」
「あの子、昨日の女の子じゃない?」
昨日の女の子? すっかり忘れて桃の視線をたどった俺だったが、そのすがたを見て思い出した。
長い黒髪に、凛とした目鼻立ちのクールビューティの女子。昨日と同じグラウンドの入口で、こちらを見つめてきている。
「な、何ですかね、あの女子」
「授くんのファンじゃないのかな」
「見てるだけなんですけど」
「私がいるからかなあ」
「ストーカーされてないよな、俺」
「よく見かける?」
「いや、俺、あんまり桃以外見てないっつうか」
俺と桃がひそひそ話していると、彼女は相変わらず意味深にくすっと笑ってから、グラウンドを出ていった。
制服すがたということは、この高校の生徒なのだろうが、部活しかやっていない夏休みに何をしているのだろう。どこかの運動部員、という感じはしない。図書室で文学小説でも読んでいそうな感じだ。文化部も夏休みに稼働しているのかどうかは、俺は知らない。
そしてそれから、気をつけてみると、ちょくちょくその女子が俺と桃に視線を向けていることに気づいた。話しかけてくることはなく、ただ、目が合うとにっこりとされた。
どうしろと、と突っ立っていると、「あれ、成瀬だ」と後輩が俺の視線の先にいた女子を見て言った。俺は彼を見て、「成瀬っていうの、あの子」と首をかしげる。
「はい。成瀬──鼓だったかな」
「あの子、何?」
「何、と言われても。俺にはただのクラスメイトです」
「……桃に何かしたら、文句つけにいくけどなあ。見てるだけなんだよなあ」
「見られてるんですか」
「見られてるんですよ」
「先輩が好きなんですかね」
「えー、めんどい……」
成瀬のいたグラウンドの入口を見ると、彼女はいなくなっていた。俺が好き、というような、うっとりした視線には感じない気もするけれど。まさか気になるの桃のほうか、とちらりと考える。
夏休みが終わる少し前に、約束通り、桃と神社の夏祭りに行った。よく晴れた星月夜だった。
部屋まで迎えにいった桃は、ピンクと赤のハイビスカスが鮮やかに咲いた浴衣を着こなし、髪もアップにまとめていた。化粧もしていて、いつもよりしっとりした雰囲気ですごく綺麗だ。夜道を手をつないで歩き、俺が思ったまま「かわいい」「綺麗」を連発していると、桃のほうが照れはじめてしまった。
やがて神社が近づいて提燈が明るい通りに出ると、俺はざわめく人通りをよけながら、ケータイで桃の浴衣すがたを飽きずに何枚も撮った。その中でうまく撮れたものを、桃にも送信しておく。神社からは、屋台の食べ物の匂いが風に混ざって流れてきていた。
食えるみやげを買ってこいという指令で、司と南から少し小遣いの支給があった。子供からお年寄りまで、いろんな人が屋台を覗きながらにぎやかに咲っている。
「桃、何食べたい?」と訊くと、「いちご飴は食べたい」と返ってきた。「じゃあ、俺はりんご飴いくかなー」とか話しながら、たこ焼き、焼きそば、かき氷やベビーカステラなどの店の前を横切っていく。もちろん、金魚すくいや射的、綱引きとかの遊戯の屋台も出ている。
その中で甘い香りをこぼすいちご飴とりんご飴の店を見つけて、俺たちはそれぞれ食べたい飴を買った。りんご飴は、毎年思うけど意外とでかい。でも、飴をかじって中身にたどりつくと、しゃりしゃりしてうまいのだ。「甘いねー」と桃もおいしそうにいちご飴をふくむ。家へのみやげは回転焼きにしておいた。黒餡、白餡、カスタードをふたつずつ。
飴を食べ終わると、B級グルメの店にあった肉巻きのおにぎりを買って、ひと気が減る境内まで行って、空いていたベンチに桃と並んで腰かけた。正月だと騒がしいおみくじのそばのベンチだけど、今日は静かだ。
「肉巻きにぎり、匂いすげえうまそう」
そう言って紙ぶくろを開くと、タレが香ばしく立ちのぼってくる。アルミホイルに包まれたそれを、ひとつは桃に渡し、もうひとつは自分のぶんとして包みを破った。桃もアルミホイルを開き、俺たちはおにぎりにかぶりついた。
タレがひたひたに染みこんだ肉も、その肉汁を吸いこんだ米粒も──顔を見合わせた俺たちは、「おいしい!」「うまっ」と言い合う。
「これはグルメだなー」
「私、これをママと杏のおみやげにしようかな」
「お、いいんじゃね。でも、けっこうでかいし、杏ひとつ食えるかな?」
「たぶん、ママか私が食べる」
「はは。俺は少なくとも、よっつは持って帰らなきゃいけないから、これは予算オーバーしそう」
「家族のみんなは来ないんだね、お祭り」
「南は締め切りが近いし、司も遅いし。奏は今日こっちにいないんだよな」
「美由くん──は、来ないか」
「来るかって誘ったけど、『邪魔しないよ』って言われた」
「うちは、杏が行きたがったのを、ママが預かってくれた」
「杏とママも来てよかったのに」
「私も同じ。ママが『邪魔しない』って」
「へへ、そっか。まあ、確かにふたりで嬉しいけどな」
そんなことを話しながら肉巻きおにぎりを食べて、満腹になるとベンチの背凭れにもたれた。桃が俺の肩にそっと寄りかかり、俺も桃の肩を抱いて髪型が崩れないように優しく頭をさする。
涼しい夜だったから、体温がくっきり伝わりあう。桃は俺の胸元のTシャツを引っ張って、「授くん」と呼んできた。「ん」と顔を覗きこむと、その拍子に桃は俺の口元に軽く口づけた。「いちゃつきたい感じ?」と俺が咲うと、「そんな感じ」と桃ははにかみながら咲う。「よし」と俺は改まって桃と向かい合うと、グロスで濡れている桃の唇に唇を重ねた。
おいしかった味が名残る舌を絡めていると、何だかそういう気分もあおられてくるけど、外はまずいな、と冷静を努める。しかも、桃は浴衣だし。俺は着つけとか分からないし。そのぶん丁寧に深くキスをして、息が苦しくなってようやく少し顔を離す。
桃の睫毛とか色づいた頬を見つめていると、「ずるい」と桃は俺の胸にもぐりこんでしまった。
「え、何。ずるい?」
「授くんの、そういう顔はずるいよ」
「顔」
「授くんの真剣な顔って、走るときの顔と同じなんだもん」
「そ、そうなのか?」
「……すごく好き。授くんを好きになったのも、そんな顔で速く走る男の子だったからだよ」
「桃……えと、うん、何か俺のほうは押し倒したくなってる感じです」
桃は咲って俺の背中に腕をまわす。俺は何だかそわそわしてしまったものの、やっぱり野外はちょっと、と思ってただ桃を抱きしめ返した。よく考えたら、ここにはコンドームだってないのだ。
「ゴム持ってたらやばかったかもしれない」
正直につぶやくと、桃は含み咲って俺の筋肉に頬を当てる。
「でも、今、子供できたらびっくりだから、我慢します」
「授くん、そのへんしっかりしてるよね」
「間違えたら、負担がかかるのは桃の心と軆だし」
「授くんのそういうとこ好き」
「俺は桃のこと全部好きだよ」
ふたりで咲いあうと、くっついて体温を溶け合わせていく。
桃といられて本当に幸せだ。本気で俺は桃以外の女の子なんて考えられなくて、きっと司と南もそうだったんだろうなと思う。
あのふたりがきちんと結ばれるように、俺も桃と結婚して、いつか家を出ないと。家を出ても、俺たちなら変わらない家族でいられる。うん、とひとりうなずくと桃の匂いを吸いこんで、酔いしれるように少し目を閉じた。
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