君の隣にいられること-6

不思議な彼女

 二学期が始まったらいきなり実力テストがある、とは帰省したにいちゃんにも聞いていたけど、予告くらいあると思ったら、抜き打ちで行なわれた。
 夏休みの課題さえきちんと取り組んでいたら楽なはずだ、と教師は言った。俺も響に手伝ってもらって課題はやっていたけど、あんまり頭に残っていなくて、ぜんぜん分からんじゃないですか、とかなり焦った。
 結果は見事赤点だったので、半泣きになりながら、放課後にクラスの違う桃と図書室で勉強することにした。夏休み明けの抜き打ち試験は全学年で実施されたようで、部活も休みだった。
「桃は平均点取れた?」
「ぎりぎり取れたよ。夏休みの課題からなんて、部活やってた子には酷だよねえ」
「俺、大会で記録とか出したのにー。しょせん学校では成績も求められるのか」
 そんなことをぶつくさしつつも、クーラーがきいた図書館に入るとみんな静かに利用していたので、おしゃべりもできなくなる。席を確保すると、俺は赤バッタまみれの答案用紙や教科書を広げて、桃にひそひそ話で勉強を教えてもらった。
 走るときは切る風が軆に溶けていくようなのに、公式や文法はまるで脳が受けつけない。そりゃ俺バカだけどさ、なんてふてくされたくなりつつ、何とか桃の説明に耳をかたむけて問題と向き合った。
 図書室が開いているのは十八時までで、俺と桃は何とかひと通り問題を見直した十七時半ぐらいで、勉強を切り上げた。
 帰宅してもう少し勉強して、分からなかったら響に訊いて、明日の放課後の追試には合格しないと。そんなことを思いつつ、荷物を片づけていると「成瀬さん」という声が聞こえて、ん、と俺は振り返った。
 貸し出しカウンターで、教師が司書委員らしき生徒に話しかけている。……成瀬。成瀬って名前は何か聞いたな、と思ったあと、「あ」と声がもれた。
 貸し出しの席に着席していたのは、あのクールビューティの女子生徒だった。司書委員。イメージのまんまか、とまばたきしていると、「あの子だ」と隣の桃も初めて気づいた様子でつぶやく。俺は桃を見て、「何だろうな、あの女子」とを首をかしげて教科書をかばんに入れた。
「訊いてみる?」
「え」
「今、話しかけられるんじゃない?」
「……俺としては、あの子、不気味と言いますか」
「そうかなー? まあ、授くんがいいなら、私もいいけど」
 そんなことをこそこそ話しつつ、俺たちは荷物をまとめると図書室をあとにしようとした。
 そのときだ。「先輩」という呼びかけがかかって、ドアに手をかけていた俺たちは振り返った。
 そして、俺も桃も、なぜかぎくりとしてしまう。そこで俺たちをじっと見つめてきていたのは、まさに避けて帰ろうとした成瀬だったからだ。
「帰るんですか?」
「……帰っては、いけませんか」
「いえ、そういうわけでは。ただ──」
「ただ」
 成瀬は俺と桃を見較べてから、意外と物柔らかな笑顔を見せた。
「もし、このあとおふたりに用事がなければ、私とお話してくれませんか?」
 お話。俺と桃は目を交わした。何だろう。見当もない。片方だけと話したいなら、何となく察するものがあるけれど、おふたり、と成瀬は言った。
「……杏の迎えは?」
 俺が訊くと、「今日はママが」と桃は答える。俺も少し遅くなると南にメッセを入れたらいい。
 このままずっとじろじろ見られているのも怖いし、話したいと言ってきたなら話したほうがいいのかもしれない。そう判断すると、俺は「じゃあ、図書室閉まるまで廊下で待ってる」と成瀬に言った。成瀬はにっこりと微笑み、「ありがとうございます」と長い黒髪を揺らして軽く頭を下げた。
 図書室を出ると、行き交う生徒が減って窓の熱気もなくなった廊下で、南にメッセを入れておいた。既読がつくのは待たずにケータイをポケットに入れて、桃の手を取ってつなぐ。桃も俺の手を握り返した。
「お話って何だろ」と桃が言って、「それを聞けば、もう観察されないなら、聞いたほうがいいのかも」と俺は夕景が終わりかける暗い窓にもたれる。「やっぱり、授くんが好きって言ってくるのかなあ」と桃は俺の腕にくっついて、「そのへんはよく読めないよなー」と俺はかかとで廊下を蹴った。
 ちらほらと図書室から生徒がはけていき、十八時をまわると明かりの灯った廊下に成瀬が出てきた。図書室の電気はついたままで、いいのか確かめると、「戸締まりはもうひとりの子に任せました」と返ってくる。
 俺と顔を合わせたあと、「どこかでお茶でもしながらでいいのかな」と桃が言うと、「いえ、ここでじゅうぶんです」と成瀬はかっちりした敬語で答えた。ここでじゅうぶん。いよいよさくっと告白でも始めるのかと緊張すると、成瀬はそんな俺たちを眺めて、やっぱり意味深にくすりと咲った。
「いいですよね、水瀬先輩と時野先輩」
 俺は妖艶な印象の成瀬の瞳を見て、「いい、と言うと」とゆっくり答える。
「仲が良くて、一年生には理想のカップルって言われてますよ」
「そ、そうなの……か?」
「陸上部の子なら言うかも」
「陸上部だけじゃないですよ。おふたりがつきあってるのは有名ですし」
「はあ」
「うらやましいです。私にはそういうおつきあいはできませんから」
「彼氏いないの?」と桃が首をかしげると、「作らないので」と成瀬は肩をすくめる。
「でも、授くんはいいなあって思うんだよね」
「水瀬先輩と時野先輩、おふたりがいいなあって思うんです」
「その、一年が言ってる理想のカップル的な意味で?」
 俺が尋ねると、「そうですね」と成瀬はうなずいた。それは──まあ、応援だろうし、嬉しいかな、と思う。
「だから、私、おふたりに友達になってほしいんです」
「友達?」
「おふたりのことを、できればそばで見ていたいんです」
「……見てるだけ?」
「見てるだけです」
「俺とつきあいたいとか、あるいは桃とつきあいたいとか、」
「そういう感情はありません」
 よく分からんぞこいつ、と思ったのは俺だけでなく、隣で桃もとまどっている。成瀬はやや表情を陰らせた。
「ご迷惑ですか?」
「迷惑、というか。いや、友達なら──。……どう?」
 桃を見ると、彼女は困った様子ながら「友達なら」とぎこちなく言った。「そう、だよな」と俺も拒絶する理由を見つけられず、あやふやにうなずくと成瀬を見直した。
「じゃあ、ええと、君とは友達ということで」
「はい。あ、私、成瀬鼓っていいます。すみません、名前も言ってなくて」
「名前は、陸上部の後輩が言ってたんで知ってる」
「鼓ちゃんでいいかな?」
「俺は成瀬で」
「何でもいいですよ。私は、水瀬先輩と時野先輩のままでいいですか」
「いいと思う」
「分かりました。じゃあ、これからよろしくお願いします」
 成瀬は丁寧に頭を下げると、嬉しそうににっこりしてみせてから、俺と桃を置いて靴箱の方向へと去っていった。友達なら一緒に帰るんじゃね、と思ったが、別に俺たちとつるみたいわけではなさそうだった。
 そばで見ていたい。成瀬の背中を見送ったあと、俺と桃は顔を合わせた。
「えーと……あれ、何?」
「私と授くんが憧れみたいだね」
「見てるだけってなあ。じゃあ結局、観察されるのか?」
「観察って。授くんのことが好きとか、そういう感じではなさそうだったかな」
「そこはよかったけどな。友達か。見てるだけなのに?」
「不思議な子だったね」
 そんな話をしていると、ふっと図書室の明かりが消えて、一年生の緑のリボンをつけた女子生徒が出てきた。ドアに鍵をかけた彼女は、俺たちに軽く頭を下げて、すたすたと足音もひかえめに立ち去っていく。
 それを眺めていて、「腹減ったかも」と俺が意味もなくつぶやくと、「私も」と桃もつぶやいた。

第七章へ

error: