波の模様-14

波の模様

 そうして、俺はようやく渚と仲直りすることができた。紫さんのことを渚にも話したりして、「よかったね」と言ってもらえた。渚はよく昼休みに先輩を訪ねているようで、そのぶん俺は一緒に弁当も食えなかったりしたけど、ここは渚を見守った。
 先輩は、渚とちゃんと話をしてくれているみたいだ。このまま卒業しても話をしたいと思ってもらえたら、ひとまず上出来だろう。そんな渚のことをかいつまんで司くんと南くんには報告すると、「甘酸っぱいなあ」とふたりは沁み入るように言っていた。
 築くんは、夏休みはすぐに住んでいる部屋に帰ってしまったけど、この春休みは実家でだらだらしていた。暖房がきいた夜のリビングで、「向こうで雪姉待ってないの?」と訊いてみると、「あいつも実家帰ってるから」と返ってきた。雪姉は、大学をほったらかしてバイトをやっていたのだそうだ。来年度から改めて大学に通うことにしたそうで、そのことを話しに親元に帰っているらしい。
「雪さんがきちんと大学行ってなかったって意外だね」と響くんは言って、「バイトって何のバイト?」と授くんは築くんに尋ねた。カウチの肘掛けに頬杖をついていた築くんは、テレビの前の俺と授くん、隣に座っている響くんを眺め、「ガキは知らなくていい」とだけ述べた。
「何だよそれー」と俺と授くんは抗議して、「知らなくていいようなバイトだったの?」と響くんが静かに分析する。「えー、まさか風俗嬢?」「いや、せめてキャバ嬢」と俺と授くんがあれこれ考えても、「どうだろうな」と築くんはごまかすだけで、詳しくは教えてくれなかった。
 三月に入って初めての日曜日、ほんのちょっと陽射しを暖かく感じる昼下がり、紫さんが今の旦那さんと娘の鈴ちゃんと共に、俺たちの家を訪ねてきた。
 鈴ちゃんは、この春に小学一年生になる六歳の女の子だった。長い髪を両肩に分けて、シュシュで結っている。おっとりした感じの旦那さんのミニチュアみたいな顔立ちで、俺たち四兄弟にきちんと挨拶してから、「おにいちゃんがいっぱい」とはにかんだ笑顔で言った。
 俺たち四人はその笑顔に撃ち抜かれてしまい、わいわいと鈴ちゃんを猫かわいがりした。
「お前ら、そこまで女兄弟に飢えてたのか」
 司くんがこまねくと、「見事に全員男だったからね」と南くんは苦笑する。
「司は女の子来ると喜ぶじゃない。桃ちゃんとか」
「喜ぶというか、女の子いたら雰囲気違ったかなとは思う」
「ただ、女の子は育児がぜんぜん違って大変だっただろうね」
「俺たち、女のこと分かってないからなー」
「今より巴に頼ってたかも」
「そうだな。おい、かわいがって押しつぶすなよ」
 司くんに忠告されても、俺たち──特に俺と授くんは、鈴ちゃんの頭を撫でたり、手を引いて家に上がらせたりする。「まったく」と司くんは息をついて、南くんも仕方なさそうに咲った。
 そんなふたりを見較べた旦那さんは、ふと「紫さんの昔の旦那さんは?」と紫さんに訊いた。紫さんは「彼よ」と司くんをしめす。司くんは少々まじめな顔になって旦那さんに頭を下げたけど、旦那さんはそれを制した。
「会うことがあったら、たっぷり言ってやるぞとか思ってましたが──蒸し返すことじゃないですね」
「いや、そんな……言われても仕方ないんで」
「お子さんもしっかり育ててくれてたって、紫さんに聞きました」
「それは、まあ、俺ひとりじゃなかったおかげですよ」
 旦那さんは南くんに目を向け、南くんも司くんと同じく頭を下げる。「僕は」と旦那さんは穏やかな声で言った。
「同性のパートナーを持つことに何も知識はないのですが、おふたりのことは巴さんにも窺って、自分なりに消化してるつもりです。とても大変だったんですよね」
 司くんと南くんは目を交わして、首をかしげながら「たぶん」「それなりに」とか決まり悪そうにしている。旦那さんは微笑み、「これからは、紫さんと僕もおふたりを応援しておりますので」と言った。思っていた以上にいい人みたいだ。
「かあさん、よかったな」と築くんがつぶやき、鈴ちゃんの頭を撫でていた授くんもうなずいた。司くんと南くんも旦那さんを見つめたあと、照れたように咲って、「心強いです」と返していた。
 そんなふうに三月は過ぎて、渚が勝負する一ヵ月とわずかはあっという間だった。卒業式を数日後にひかえた放課後、俺と渚はファミレスに立ち寄って、夕食を兼ねて一緒にごはんを食べていた。渚と先輩は予想より焦れったく、まだ連絡先も交換していないらしい。
「好きって伝えたら、意識してもらえるのかな」と渚はぽつりともらし、「伝えてみる?」と俺はテーブルで向かい合う渚を窺う。「男として好きになったんじゃないのを説明するのがむずかしい」と渚はカルボナーラをフォークに巻きつけ、「そのまま、女の子として好きって言えばいいんじゃない?」と俺は菜の花のパスタを口に運ぶ。渚もフォークを頬張ってもぐもぐして、「卒業式まで何もなかったら、伝えようかな」と躊躇いがちに言った。
「ほんと? 頑張れそう?」
「うん……振られちゃったら、そこはそれで納得できるし」
「振られるかなあ」
「分かんない。いろいろ、話はしてもらえるんだけど。奏に教えてもらったことも伝えて、『ぜんぜん分からなかったからありがとう』って言ってくれたし」
「俺に聞いたとかは言わなくてよかったからね」
「うん。ネットで調べたって言っておいた」
「そっかそっか。そうだなあ、告白して先輩の気持ちを確認するのはいいと思うよ」
 渚はしばし考え、自信なさそうに「迷惑じゃないかな」と睫毛を下げる。
「それはないでしょ」
「……奏の親友だよ。気まずくない?」
「俺は退場してるし」
「先輩が僕と話してくれるのだって、もしかしたら、奏とのつながりになるとか──」
「俺は先輩に、『これ以上仲良くなれない』とか言ったんだよ。先輩も、そんなひどいこと言われて俺を追いかけないよ」
 渚は口をつぐんで、再び考えこむ。俺は菜の花にほんのり醤油の味つけがされたパスタを食べていく。「じゃあ」と渚はゆっくりと声を吐き出した。
「卒業式に、話できますかって言っておいてみる。それで……卒業式に話せるなら、伝える」
「うんっ! 頑張って」
 渚は俺を見て、「応援してくれてありがと」とはにかんだ。俺は笑顔で「渚に幸せになってほしいもん」と答え、オリーブオイルも香ばしい菜の花パスタをフォークに絡みつける。
 そのあとも俺たちはファミレスでまったり放課後を過ごし、周りが騒々しくなってやっと席を立つと、「二年になったら同じクラスがいいなー」とか話しながら駅に向かった。
 そうして、ついに鮎見先輩が卒業する日がやってきた。肌寒いものの、青が溶けるさわやかな晴天だった。桜のつぼみがふくらんで、あんなに鋭かった風もずいぶん柔らかくなった。
 一年生と二年生、先生たちに見守られ、三年生はひとりずつ体育館の壇上が上がって、校長の手から卒業証書を受け取っていく。鮎見先輩のすがたも遠目ながら久々に見た。学校なので、やっぱり男子制服だった。
 卒業生は、卒業証書を受け取るとそのまま体育館を退場していく。泣きそうな人や泣いている人もいれば、笑顔の人も、淡々とした人もいる。
 長い時間をかけて卒業式が終わると、教室で担任と挨拶をしてきた三年生は、快晴のグラウンドに出てきてケータイで記念撮影をしたり、別れを惜しんでハグしたり──一年生と二年生は片づけに出なくてはいけなかったけど、俺と渚はこっそり落ち合って体育館を抜け出し、そんなグラウンドに出た。
「先輩とどのへんで会うとか決めてるの?」
「うん。サッカーゴールのところ」
 俺は手前のサッカーゴールを見て、次に向こう側のサッカーゴールを見た。「あ、」と渚が声をこぼした通り、先輩は向こう側のサッカーゴールのかたわらにひとりたたずんでいた。「行ってあげないと」と俺は渚の背中を押し、「う、うん」と渚は緊張を見せながらそちらへと駆け出す。俺はグラウンドの入口で、先生が捜しにきた場合に備える。
 駆け寄ってきた渚に気づくと、先輩も渚に歩み寄った。何か言った渚に、先輩は首を横に振って渚の頭をぽんぽんとする。いい感じじゃん、と会話するふたりを眺めていると、ふと渚が背筋を伸ばし、まっすぐ先輩を見つめて何か伝えた。
 先輩は、渚を見つめ返し──ふと、グラウンドを見まわして俺のすがたを見つけた。う、と思ったものの、俺はいろんな意味をこめて、手を小さく振った。
 先輩はそれを確かめると、渚に向き直って、渚の話に何度かうなずいてみせた。そして、手を伸ばして、渚の手を取る。渚は先輩を見た。そんな渚に、先輩は確かに優しく微笑んだ。
 ──ああ、みんな幸せになっていくなあ。何となく、かあさんも言っていたそんなことを思った。築くんと雪姉。授くんと桃ちゃん。響くんと好きな人。司くんと南くんはもちろん。雫が落ちた水面に広がる波紋のように、みんなに幸せが広がっていく。
 俺にも、その波の模様は届くかな。いつ届くのかな。そのとき好きになる相手は、どんな人なのだろう。
 そう、俺だって負けない。いずれみんなみたいに誰かと幸せになる。別に焦らないけど、みんなの笑顔を見ていると、早く巡り会いたいなと憧れる。俺だって、好きな人の話をしたりして、その満たされた笑顔をこぼしてみたい。
 そしてこぼれた笑顔は、水面に落ち、波として広がって。俺が起こした波の模様は、さらに周りの大好きな人たちを幸せにするんだ。そんな波紋が絶えなければいい。静まり返るより、あの家みたいにいつだってにぎやかに──
 空を見上げる。
 その青さは水面のように見えた。
 今はまだ凪いでいる。
 だけど、ある日突然、そこには雲の波が揺らめいて、優しい雨みたいに俺の恋も降らせてくれるんだ。

 FIN

error: