Koromo Tsukinoha Novels
僕は先生が初めてだけど、先生はもう、いろいろ知っている。舌を蕩かすキスも、硬いものに与える刺激も、ほぐして中に来るのも。
先生は今までに、いったい何人の男を抱いたのだろう。気持ちよくておぼろげになる意識の中で、こんなににうまくなるほどなのだと思うと、ちょっとだけ哀しさと切なさが入り混じる。
灰色の冬が、彩り豊かな春になり、ずいぶん日が長くなった。十七時になりそうな教室も、暖かな夕射しが映りこんで、橙々色に教壇や席が照らし出されている。
ふたりきりの静かな教室に、ときおり、小さくつくえと椅子がぶつかる音だけ響く。
僕は自分のつくえに座って、背筋を伸ばして、先生と唇を交わしている。舌をちぎる息継ぎの合間に、先生は僕のことを名字の「日月」ではなくて、「優織」と下の名前で呼んでくれる。
僕の髪の合間に、先生の指がすべりこんで、頭を愛おしく撫でる。僕は先生のワイシャツをつかんで、もっと絡みあえるように顔を上げる。
まだ桜が降る四月だ。僕の学ランも、先生のワイシャツも、クリーニングの匂いが名残っている。
先生の手が僕の軆をたどって、脚のあいだの反応しかけているものに触れる。スラックスの上から緩く触られて、僕は喉で声は殺しつつも、そこに発熱が集中して硬くなるのを感じる。
急にしごくことなく、先生の手が僕を硬直させていく。ファスナーが窮屈になって、僕は震えながら顔を伏せ、乱れた息遣いにわずかに喘いだ。
先生は僕のファスナーを下ろし、下着から取り出して、じかに僕に手を添えた。先走って濡れている。先生は僕の腰を抱いて、身を反らさせ、脚も開かせると僕を口に含んだ。
途端、僕の喘ぎが生々しくなって、脈打つ血管をなぞる湿った快感に、声を抑えられなくなる。涙が淡く滲んで、先生の肩をつかんで、熱い舌が敏感な位置に近づくほど痙攣する。
僕もちゃんと先生を良くしてあげたいのに、いつも翻弄されてばかりで、ぜんぜん返せない。先生の舌と僕の逸り、淫らな水音が絡まり、波が高くなって集まってくる。
「出ちゃう」とわななく声で言うと、「いいよ」と先生は僕を根元まで含んで吸いあげる。息が上がって、頭の中がほてって、ゆらゆらと取り留めなくなっていく。うながすように舌で先端をつつかれた瞬間、白い風船が爆ぜて、僕は声も失うほど溺れて射精した。
先生は、僕の白濁をほとんど飲みこむ。でも、少しとろりと手のひらに出し、その粘液を僕の後ろに塗りこんで、なめらかにする。かちゃかちゃとベルトを緩める音がして、僕は定まらない目で、先生のものも反り返っているのを認める。
先生は僕を抱き寄せると、「入れるよ」とささやいた。僕はこくんとして、先生の首を腕をまわす。後ろに先生のぬめった先端が触れて、ぐっと力がこめられて、内壁をこすりながら中に硬いものが侵入してくる。
それが奥に進んで、僕の体内と同じ熱さに溶けて、やがて動きはじめてどんどん加熱されていく。がた、がた、とつくえと椅子がその動きに揺れる。
僕は目をつぶってだらしない息遣いを必死に抑え、それでもたまに、うわずった声を出してしまう。先生が僕の中を何度も突き上げ、自分がそれを締めつけるのが分かる。
「せんせい」とうわごとのように呼んで、先生も荒っぽい息の中で僕を呼ぶ。
日がかたむいて、教室が暗くなりかけている。それにふと気づいたとき、先生は中でなく僕の内腿に出した。熱い飛沫が飛んで、僕ももう一度、先生の手の中で達した。
僕はつくえにぐったり仰向けになる。ティッシュで片づけをした先生は、僕の椅子を引いて腰を下ろす。僕の汗ばんだ額をさすって、「大丈夫か」と訊いてくる。僕は首を曲げてうなずき、「キス」とねだった。
先生は後ろの席の置いていた眼鏡をかけながら咲い、身をかがめて唇にそっと唇を重ねる。僕は手を伸ばして、先生の頬に触れる。
「先生」
「ん」
「好き」
先生は微笑み、「俺も優織が好きだよ」と僕の瞳を見つめて言ってくれる。教室はずいぶん暗くなっていたけど、月明かりが濡れた瞳を浮かばせる。
先生は僕の軆を抱き起こして、自分の膝に座らせた。抱かれるままに、僕は先生の胸に頬を当てる。心臓がまろやかに鼓膜に届く。
幸せ、とぼんやり思い、そう思うたび、いつかこれが終わるのだろうかと余計な心配をして泣きたくなる。
自分がゲイなのかは、まだよく分からない。だけど、自然と憧れて好きになっていたのが、この水波先生だったから、やっぱりゲイなのかもしれない。
水波先生は、二十四歳にしてはちょっと童顔の甘い顔立ちで、もちろん女子に人気がある。今思えば、なかなか隙を見せない先生を逆怨みした、女子の悪口だったのかもしれない。
水波先生ってゲイなんじゃないの?
去年の十二月、僕は先生が担当する国語の授業のあと、聞いてほしい相談があると呼び止めた。別に担任ではなかった先生はちょっと考えたものの、「じゃあ放課後に先生のクラスに来なさい」と言ってくれた。
冬が深まり、暗くなるのがどんどん早くなっていた。その日の放課後、僕は荷物を持って、先生が受け持つクラスを訪ねた。教卓にいた先生は僕を認め、お願いしなくても人払いをしてくれた。教室では、すでに陽射しが陰りはじめていた。
先生とふたりきりという状況に、脈打つ心臓に視線がぎこちなくなる。口火を切れずに躊躇っていると、先生は僕の担任のほうが普段の様子も知っているから、話せるのではないかと遠慮した。僕はそれには首を横に振ると、先生の眼鏡の奥の瞳をじっと見つめて、言おう、と心に決めた。
「す……好きな人がいて」
先生は、僕の言葉がよほど思いがけなかったのか、「いや、」と続きを止めた。
「そんな話、先生にいいのか? 友達とか──」
「先生が」
「……いや、先生は日月のクラスの女子のことも分からないし、」
「違います。先生なんです」
「え?」
「先生が、……好きな人、で」
先生は、目を開いた。僕は頬に火を塗られたように感じた。視界が滲んだのは、恥ずかしさもあったけど、ひっぱたかれて嫌悪されないかという恐怖もあった。
先生はしばらく無言で、僕もうつむいていた。教室にゆっくり影が落ちていく。
「先生は……」
びくん、と思わず肩を揺らしてしまう。
「男、だぞ?」
「……気持ち悪いですか?」
先生は、何も言わなかった。たぶん、ゲイではないかなんていう自分の陰口に頼って、僕が告白してきたのは分かったと思う。
不意にふうっと息を吐いた先生は、「まあ、」と小さくつぶやいた。
「先生の好きな人も、確かに男だな」
ぱっと顔を上げたものの、すぐに、その言葉の意味合いに不安が飛び散る。
「好きな、人」
「うん、先生には好きな人がいるんだ」
「つ、つきあってるんですか?」
「その人は、男を好きになる人じゃないから」
「………、」
「分かってるけど、好きなんだよなあ……」
咲うしかないように咲う先生を見つめた。その笑顔はすごく哀しそうで、崩れ落ちそうだった。
分かってるけど、好き。好きな人がいても好き。
それは僕も同じだ。先生に好きな人がいても、僕は──あふれそうな想いに耐えられなくなって、僕は先生に抱きついた。
「日月──」
「代わりでいいです」
「え」
「その人の代わりにしていいから、僕を見てくれませんか」
「………、」
「僕も、先生が僕のこと好きになるように、頑張るから」
先生は、すぐには反応しなかった。鼓動は早かった。
僕は先生の背中にまわした手で、ワイシャツを握りしめる。先生の匂いがする。ゆっくり、静かなため息が聞こえて、「俺の好きな人と、日月はぜんぜんタイプが違うけど」と苦笑した。
「それでも、そう言われたら期待するぞ」
硬い弾力の胸から、顔を上げた。先生は眼鏡越しに僕を見つめ、「俺が振り向いた頃には、ほかの男なんてないよな」と僕のまだ柔らかみのある頬を手で包む。
僕は何度もうなずき、「ちゃんと、先生の気持ちを待ってます」と言った。すると、先生は少し視線を切なくして、僕を優しく抱きしめると、唇に軽いキスをした。
思わず目をみはってしまうと、「約束な」と先生は僕の髪を撫でた。僕は頭の中が熱でいっぱいになって、ぽふ、と先生の胸に顔を伏せた。
それから、僕は先生とつきあうようになった。まもなく始まった冬休みがもどかしかった。でも、先生の電番とメアドは教えてもらったから、スマホで連絡は取れた。今年一番に聴けた声が先生の声で嬉しかった。
三学期になると、放課後は先生の教室で、ふたりの時間を過ごした。教壇に腰かけてストーブを見ていたある日、ふと「キスしていい?」と改まって言われ、僕はこくんとして目を閉じた。
すると、口の中に先生の舌が入ってきて、びっくりして身を硬くしてしまった。先生はすぐやめて、心配そうに覗きこんできた。
僕は首をかたむけ、どうしたらいいのか視線を彷徨わせたけど、嫌ではなかったから先生を見上げた。先生は僕の瞳を確かめてから、もう一度、口づけてきた。
そのまま僕を床に倒して、学ラン越しに軆に触れてきた。どきどきして、自分の軆がまだ男として幼稚なのが恥ずかしくて、先生の好きな人が男らしかったら、どれだけ幻滅させるだろうと怖くなった。僕の不安を気取ったのか、先生は重ねていた身を起こして、僕の髪を梳いた。
「ごめん」
「え、」
「こんなのは、早いよな」
「……僕、まだ、そんな、筋肉とかついてないから」
「筋肉」
「男らしくなくて、がっかりするよ」
先生は失笑して、「そんなの気にしないよ」と僕の伏せがちのまぶたにキスをした。僕は先生の至近距離の顔を見る。
「日月」
「う、ん」
「日月は、自分でしたりする?」
「えっ」
「まずは、俺がそれを手伝う感じがいいかなと思うんだけど」
「あ、え、えと……」
「いきなりはできないだろ?」
僕は先生を見つめ、言葉をゆっくり飲みこむと、思わず「僕でいいの?」と訊いてしまった。先生は噴き出したけれど、「うん」と僕の頭をさする。
「日月としたい」
先生の真剣な瞳を受け止めて、みぞおちが甘くじわっと痺れて、その陶酔感に僕は先生の首にしがみついた。
「僕の名前……」
「名前?」
「僕を名前で呼んでくれるようになったら」
「優織?」
「うん。そしたら……僕も、先生に触りたい」
先生は、僕の軆を腕の中に包んで、耳元で僕の名前を呼んでくれた。呼ばれるほどに、焦れったい疼きが、心にも指先にも滲む。軆が焼きたてのトーストに塗ったバターみたいに蕩けそうになる。
その日は、キス以上なかったけれど、ほどなくして僕と先生は結ばれた。先生はかなり配慮してくれたけど、やっぱり初めは痛かった。特に終わったあとがつらくて、それ以来、先生は車で僕をマンションの前まで送ってくれるようになった。
そのうち、前後を刺激されることに快感が芽生えるようになって、気づくと春が来て、僕は中学三年生の受験生になった。偶然にも、先生が担任だった。みんなの前では「日月」だけど、ふたりになると「優織」とささやいてくれる。
先生の好きな人がどうなったのかは分からない。それでも、自然と先生は僕に「好き」と言ってくれるようになった。嘘には聞こえないから、今は僕を見てくれるようになった気がしている。
──教室は真っ暗になっていた。先生は僕を抱いて、僕は先生の膝で、お互いの体温を感じていたけど、そろそろ僕は帰宅しないといけなかった。先生も職員室に仕事が残っている。
それでも、こんなふうに暗くなると、「危ないから」と先生はいったん車を出して、僕を送ってくれる。先生の車の中は、ほんのりとアプリコットの匂いがする。僕は助手席の窓から、ふわりと明るい月を眺めた。
いつまで一緒にいられるかとか不安にもなるけれど、卒業しても先生とずっとこのままでいたいと思った。先生はそう思ってくれているだろうか。運転する先生の横顔に目を移し、それを訊いてみたかったけど、重いかなと感じて何も言わなかった。
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