友達じゃ、ない
小学校のときだって、それなりに学校のある毎日が憂鬱だった。けれど、それが学校を億劫ぶるのを楽しんでいた真似事に近かったのが、この頃よく分かる。
皮を被っておくというのが、こんなに大変だなんて知らなかった。できるものなら学校に行きたくない。イジメられるわけでもなく、俺が勝手に思いこんでいるのだけど、拷問場へ通っている気分だ。縛り上げられ、ほんのかすかでもうめき声をもらせば、確実に晒し首になる。
教室で何かを押し殺して笑いながら、ふと頭の中が立ち止まって真っ白に光暈し、何がこんなに怖いのかわけが分からなくなる。けれど賢司の前に来ると、後ろめたさが強迫観念を与え、やっぱりこのどきどきがばれるなら、自分で首をくくったほうがマシだと思う。
中学生活は幸先がよくなかったわけだ。でも、中学生活は三年で終わるけど、最悪の場合、俺はホモかもしれなくて、最悪なんだからきっとそれは変えられないとか悟ったあとで、要するにホモなのは三年で終わらない。高校になっても、大学になっても、社会に出ても、死ぬまでつきまとってくるのかもしれない。こういう自傷的な毎日が死ぬまで続く。そんなのは独房で生涯を終えるのと変わらない。
その比喩に引き攣った笑みがもれる。独房。そうなのだろうか。俺は“悪い”のだろうか。“罪”なのだろうか。“ホモ”という言葉は、 “ブタ”だの“バカ”だのに並ぶ罵倒用語だ。よく考えれば、同性愛を表わすだけの言葉なのに。同性愛は冒涜だとどこかで聞くか読むかしたこともある。ホモだというのなら、嘘に拘束され、牢屋に閉じこめられて暮らすのが当然なのだろうか。
だったら、何としてでも証拠隠滅してやる。完全犯罪で、男に揺れる自分なんか高飛びしてやる。どうせ周りが変わらないのなら、自分を整形手術みたいに造り替えるのだ。
──と、こうやって授業も聞かずに物思いにふけっているあいだは強気でも、休み時間になれば俺はポテトチップスのかけらよりもろい。賢司に小突かれたりすれば、冷然とした決意も吹っ飛んで動揺を抑えきれない。始業のチャイムにほっとして、終業のチャイムにげんなりするなんて、俺にはそのほうが異常だ。
放課後も気を抜けない。賢司と下校し、おまけに約束を交わして、そのあとまた会うこともある。休日もだ。毎日が嘘に垂れ流れていくのは、疲れてつらい以上に、虚しくて怖い。でもやっぱり、すべてがばれて本当に孤立するほうが怖い。俺が憶病なのだろうけど、こんなことにどうやって勇気を持てばいい?
賢司以外の男に、症状が出ることはなかった。心臓も頬も平常で、狼狽えて視線が麻痺したりもしない。嘘笑いさえしないときもある。何というか、友達なのだ。はたかれたらはたきかえし、気兼ねなくげらげらと冗談を言い合い、気軽にそのときを楽しめる。それ以上の何かなんていっさい考えない。ゆいいつ、嘘笑いを使わなくてはならないのは、女の子の話になったときだ。
友達と自然にいられているとき、やっぱ違うのかも、なんて思えてくるけど、そこに賢司が現れた途端、場違いな本能がのしかかってくる。賢司が隣にいる。その事実で肺炎にかかったみたいに完全にのぼせあがってしまう。
ほてった頬にうつむきがちになって、目を合わせるなんてとんでもなくて、苦しい心臓も痺れた指先も震えて、下手をすると泣きそうになる。もし万一これが恋だとしたら、俺はかなり不器用であるらしい。
自分を操作できなさすぎだ。操作に労力を費やしすぎる。家に帰ると部屋に直行し、制服もそのままでしばらくベッドに突っ伏している。押し隠して、絞め殺して、毎日がすごく疲れる。
どうすれば学校に行かずに済むか、ノートの隅の落書きみたいに脈絡なく考えてみたりする。しかし、しょせん凡人で小心者の俺は、どんな大胆な案を思いついても、次の日になれば雪乃ねえちゃんと共にかあさんに学校に追い出されている。
ゴールデンウィークの初日、小学校のとき仲がよかった奴と集まった。森本に勧められて賢司も連れていくと、相変わらず彼は保護色を操る動物みたいにすぐ打ち解けてなじんでしまう。今日は男だけの徘徊だったけど、遅かれ早かれ、こういうとき女の子をナンパしにいこうとかいう発言が出るようになる。そのとき、俺はどうすればいいのだろう。
かわいい女の子を見れば流されるだろうか。だったらいくらでもつきあう。こんな状態を痛感したあとなら、たらしと言われようと相手が女の子であるだけマシだ。けれど、どんな子にも何とも感じなかったら、絶望を深めるだけなのでいっそ接したくない。
学校も面するいつもの坂道をのぼる帰り道、雑談するみんなを少し外れてあとを歩きながら、そんなことを考えている。そして、気の紛らしに橙々が浸透する店や車のいつもの景色を眺めていると、賢司が隣に並んできた。にっとした賢司に俺は曖昧に咲い、日暮れになるとしぼむ花みたいに、つい足元を見る。
「楽しかった?」
それでも感じ悪く想われないよう、口火は俺のほうが切る。計算高くなってきたな、と思う。
「うん。誘ってくれてありがと」
「森本に勧められたんだから、あいつに言えよ」
賢司は頬も半袖の腕も橙色に染めながら咲い、「何かさ」と数歩先を進む数人を見やる。
「柊はひとりでやってたんだな」
「え」
「あんま変わってなくて内気じゃんって思ってたけど。あんなに友達いたんだ」
「賢司だって、向こうにはたくさん友達いたんだろ」
「まあな。でも──だから、何というか、俺っていまさらかな」
「えっ」
「柊が内気に戻りかけてるのって、俺が来たせい?」
目を開き、心当たりに一瞬睫毛を陰らせる。でも、すぐ親しい笑みを取り返し、夕陽のおかげでいつもより気にせず顔を上げられる。
「まさか」
「ほんとに」
「うん。何だよ、賢司らしくないな」
俺の笑みに、賢司は風にさすられた砂場の表面のようにかすれそうに咲い返す。
「俺、たくさん友達いるけど、柊はやっぱその中でも特別だからさ。だってすごいじゃん、こうやってまた会えたのって。柊に嫌われるのは、けっこうこたえるんだ」
賢司を見つめ、深く響く心臓がなまりのように重たくなる。こんな気持ちさえなければ、賢司をそんなふうに不安にさせることはなかった。俺ひとりがうじうじ苦しむならまだしも、人まで傷つけるなら──やはりこの鼓動は、肯定できない。
「賢司は友達だよ。大丈夫。変なふうには思ってない」
賢司は俺を見、もう一度にっとするとうなずいた。俺もなるべく何気なく咲い返しながら、その裏では相変わらずどきどきしている。嬉しいけど、どこかでは怯えた悲鳴を上げてしまう。
そんな期待させることは言わないでほしい。怖い。ものすごく怖い。賢司が俺を友人として特別に想ってくれるほど、この息苦しい壁を補強しなくてはならない。引っくり返ったジグソーパズルのように、万が一壁が崩れてこの発熱がばれたら、俺は賢司に“裏切られた”と感じさせてしまう。
学校の前を過ぎながら、大人とも子供ともすれちがう。駅へと出かける車もあれば、住宅街へと帰る車もある。賢司も俺も半袖の通り、日中は陽射しが柔らかく暖まってきたけど、この時間帯から夜の風はひんやりと心地いい。賢司みたいに前髪をさっぱり刈っていない俺は、その風になびいた髪をときどきはらい、その手の影で賢司を盗み見る。
賢司は特に美少年というわけではなくも、俺よりは端正だと思う。焦れったさもなく短く整った髪も、削られてきた顎や肩の線も。顔立ちも俺みたいな可もなく不可もなくということはなく、瞳に妖しい魅力がある。向こうでは女子にモテてたんだろうな、といつしかすっかり桜の花びらのなくなった歩道を踏みしめる。
「そういえば柊ってさ」
「ん」
「友達のことはよく話すけど、女子のことは言わないよな」
爆心地にぎくりと喉をつまらせても、その反応にこちらを向いた賢司に、心を透かし読んだ色はない。ただし、俺の反応がしめさなくもないところにはにやつく。
「いるのか」
「い、いねえよっ。そんなん」
「ムキになって」
「いないって。ほんとだよ」
賢司はその妖ある目を細め、「ふうん」と子供が黙っていることをとうに知っている親みたいに、やや深長な笑みと正面に向き直る。思いきりやましい俺は、跳ね上がった熱の胸騒ぎに、所作のなめらかさも奪われる。
「小学校のときも」
「あ、ああ。……悪かったな、初恋してないよ」
必死に舌をまわす陰で、ていうかそう思いたい、と秘かに切に続ける。このそわつきが、恋のせいではないとするために。
「ま、柊は奥手そうだよな」
「賢司はどうなんだよ」
流れで言ったあと、はっと爆弾に気づいて息がすくむ。こわばったみぞおちに、五感を過敏にして賢司の答えを待ち受けると、彼は俺を向いて何やら咲った。
「いるよ」
途端、発砲のように聞こえた、ガラスがめいっぱい砕け散る幻聴に目を開く。「というより」と賢司は俺に気づかずに肩をすくめて、紺色を溶かし始めた天に上目をする。
「いた、かな」
「いた……」
「小学校のときのクラスメイトだから。別に何とも言ってこなかったし、自然消滅だよ」
「仲、よかったのか」
「口はよくきいてたな。だから、向こうは俺を友達と思ってたかも」
糸が切れてうなだれるままになったマリオネットみたいに、目を暗い足元にやり、「そっか」と俺はかすれた声をもらす。蒼ざめた目の奥から落ちこんだ胸の奥までが、白い砂嵐に喘いでいる。
いや、そんなのは分かっていた。賢司が男のほうじゃないのぐらい直観していた。なのに、なぜこんなにショックなのだろう。第一、何がショックなのだ。俺だってそうではないか。賢司への発熱が違うというのなら、賢司にどんな恋があったって──
「柊?」
幻覚をもぎとられたようにはたと賢司に顔をあげ、「あ」と冷や汗に濡れかけた声をこぼす。
「どうした?」
「い、いや」
「そんなに、俺に好きな子がいるの意外?」
「べ、別に。つっても──ま、そうかな。俺、初恋もまだってやばいかな」
「それぞれだろ。これが恋愛だって自覚する基準もそれぞれだろうし。これは漫画にあった台詞」
「基準……」
「きちんと通じ合ってつきあった相手が初恋だって奴もいるし、俺みたいに片想いのまんまだったのも含める奴もいる」
虚ろになりそうな目つきを自制する。基準。そんなのは俺は分からない。狂っているかもしれないコンパスの行く先なんて信じられない。
誰かに訊きたい。同性だったら。相手が同性だったら、それでも恋愛になるのだろうか。恋愛になってしまうのだろうか。俺のこの賢司への落ち着かない肌や鼓動は、恋なのだろうか。
だとしたら、ひどすぎる。恋愛だったとして、それで次は、何なのだ。
賢司が応えるなんていうのは、水上で逆立ちするより困難な幻想だ。ならば、余計に絶対にばれるわけにはいかない。高鳴って熱くなって、何も知らない賢司を傷つけて、そんな自分の本能を殺したい。周りが怖くて、毎日が怖くて、何もかも怖い。そして恐らく死ぬまでそうなのだ。男なのに男に惹かれる。仮にばれたりなんかすれば、生きていけるかも分からない。
最悪だ。信じられない。俺は賢司が好きなのか。これは初恋なのか。どうして。何もしていないのに、望んでもいないのに、それでも俺はホモなのか。
公園の脇を通って横断歩道を渡ると、賢司だけがマンションのほうへ別れていった。俺は友人たちに混じり、緩やかに喧騒する車道沿いを行きながら、賢司についてあれこれ訊かれる。
悪口は出なくて、彼らのほうも賢司を気に入った様子だ。こうやって賢司に友達が増えれば俺に構う回数も減るかな、とゆっくり薄暗くなる中、俺は哀しいようなすりきれた感覚で思った。
【第七章へ】
