黒血の枷-7

誰にも言えない

 せめて、理衣くんが帰宅する前には帰らなくてはならなかった。私はまだ膝がしっかりしないまま、よろよろとその部屋を出て、家もあとにした。鍵など知ったことではなかった。
 お腹の重苦しさに息まで苦しい。できるだけ服を整えてきたけど、ショーツは破れていたので穿けず、かばんに押しこんだ。家がそんなに遠くないのがさいわいで、私は引き攣る呼吸を時間をかけてなだめて、目をこすって、「ただいま……」と家のドアを開けた。
「おかえりなさーい」
 普段通りのおかあさんの声に、どきっとする。どうしよう。いや、言わなきゃ。言わないと。あんなひどいこと。たとえ、理衣くんのおにいさんでも……
「今、ちょっと夕食の用意で手が離せなくてそっち行けなーい。ごめんねー」
 膝がかたかた震えている。言う。言うんだ。レイプされた。理衣くんのおにいさんに。あの、理衣くんの──
 私は顔を上げた。
「だ、大丈夫っ!」
 ……え?
「あ、お風呂入っていいー?」
「はーい。どうぞーっ」
 口を開けて、何とか、泣こうとしてみた。泣き出せば、たぶん、言える。
 なのに、あの部屋では止まらなかった涙は、ぴたっと止まって、出てこない。乾いた呼吸だけが荒くなる。舌がざらざらしてきて、粘ついた生唾を飲みこんだ。
 何で、とぎゅっと唇を噛みしめる。よろめきながら階段の手前の洗面所に入った。
 あんなことをされて、こんなに自分が憎くなるなんて。自分の情けなさが身に沁みるだけなんて。せめて自分でくらい自分を労れないの? 黙っていてどうなるの。ちゃんと、自分のこと守らないと……
 守るために、理衣くんを傷つけるの? おかあさんを失くした人に、今度はおにいさんを犯罪者にするの?
 服を脱いで、バスルームに入った。熱いシャワーを浴びた。脚のあいだから、どろりと粘液が垂れていった。
 うっすら、死んだらいいのかな、と思って、すぐ消えた。
 軆を流すと、着替えを持ってきていなかったので、バスタオルを巻いて二階の部屋にばたんと閉じこもった。
 ……言えない。言えるわけがない。理衣くんだけじゃない。おかあさんも、おとうさんも、こんなことは信じたくないに決まっている。
 何でもっと抵抗しなかった、と言われるのが怖い。そしたら、あの恥ずかしい隠し撮りで脅されたことまで言わなくてはならなくなる。いや、誰かに話した時点で、瑠衣さんがあの写真をどうするか分からない。
 むきだしの膝を抱えて、涙は出ないのにしゃくり上げる。嘘泣きみたいに。
 すごく痛かった。でも、行為自体になる前は、実際私は感じてしまっていなかった? 考えるほど、言えない決心ばかりが固まっていく。
 誰にも言えない。こんなこと、誰に言えるって言うの。友達? そこまで信頼してる子たち? 先生? 男なんかどうせ分かってくれない。じゃあ、理衣くん──……
「こまゆ、おはよう」
 翌日、私は重たい足取りで家を出た。
 眠れなかった。目をつむるとよみがえって息ができなくなる。起きていたって、考えて言えなくて、泣きそうになるのに。
 朝の微粒子が腫れた瞳を刺す中で、あの家の前に行くと、理衣くんが立っていて優しく咲いかけてきた。
「お、はよう……」
 理衣くんは私を見つめて、首をかしげた。
「こまゆ、寝不足?」
「え、あ……うん。ちょっと」
「何かあったのか?」
 どきんと心臓が跳ねる。何か、あった。理衣くん。レイプされたの。私、無理やり、中に出されたの。そう、あなたの、おにいさんに──。
 首を横に振る以外、できない。
 親の前では繕って。友達の前では必死に嘘咲いして。理衣くんとは何だかぎこちなくなって。そんな私を楽しそうに眺めてくるのは、瑠衣さんだった。
 瑠衣さんはあの日以来、ストーカーみたいな行動を取りはじめた。私がひとりになるときを常につけねらって、一瞬でも人の死角に入ると、私の腕を引っ張って家に連れ去った。
 そして、私の手首を縛って口でさせたり、野菜を挿入したり、当然、自分自身を突き立てたりした。
「今日は、いつものお礼だよ」
 私を床に投げやった瑠衣さんは、小さな段ボールの箱をベッドスタンドから取り上げた。私は軆を恐怖と嫌悪でこわばらせながらも、床の上で尻餅をついた状態から座り直す。
「自分で開けて」
 瑠衣さんは私の前にしゃがみ、とても綺麗な顔で、とても醜悪に微笑んだ。
 差し出された箱を、見つめても受け取らずにいると、胸に押しつけられる。何とか両手に箱を持っても、開ける気力がない。力が入らない。というか、何が入っているのだろう。
「大丈夫だよ。びっくり箱じゃない」
 瑠衣さんをちらりとしてから、吐きそうな呼吸を飲みこんで、ガムテープの端を引っかいて、ゆっくり剥がしていった。ばり、ばり、とぎこちなく音が響く。ガムテープが剥がれると、それは瑠衣さんがそのへんに放り投げる。
 息を吐いて、段ボールを開いた。するとそこには、小さな白い箱が入っていた。それを取り上げると、「中見て」と瑠衣さんはにっこりとした。
 手のひらに乗るそれを開封して、現われたものに私は首をかしげた。ピンク色のころんと手の中に転がせるものだった。そして、それより小さい、スイッチがついたリモコンらしきもの。
「激しいものは慣れたみたいだから」
 瑠衣さんはそれを箱ごと私から奪うと、「電池は入ってるな」と何やらリモコンを確認して、スイッチを入れた。突然それが唸りを上げて振動を始めて、やっと私にもそれが何なのか分かった。
「こまゆちゃん、これでイジメると悦ぶんじゃないかと思って」
 私は涙をこらえながら、首を横に振った。
 嫌だ。気持ち悪い。なのに瑠衣さんは、急に私におおいかぶさると、腰を抱き寄せて私の胸をそれでなぞった。
 敏感なところに振動が伝わった瞬間、嫌でもびくっと軆が痙攣する。
「あ、やっぱり」
 嬉しそうな瑠衣さんの口調に、まだ首を横に振る。「嫌だった?」と瑠衣さんは首をかたむける。
「じゃあ、やっぱりこっちか」
 振動が離れたのも束の間、今度はそれが脚のあいだにもぐりこんできた。内腿をなぞられただけなのに声が出そうになって、唇を噛む。
「声は出して」
 かぶりを振る。ふと瑠衣さんの目がすうっと冷めた。
「じゃあ、手っ取り早くここで」
 位置。角度。圧力。瑠衣さんは、私の核をもうしっかり熟知していた。
 いきなり完璧な場所に激しい振動が響き渡って、たまらずに声があふれた。歯を食い縛ることも、口を閉じることすらできない。頭が意識を取り落としそうに快感が突き抜けて、今すぐ振動を止めないとおかしくなりそうだった。
 なのに、瑠衣さんは指や舌で覚えた私を正確に刺激して、反応を撮影する。どうしよう。尿意のような感覚が押し寄せてくる。脚のあいだの入口さえ、求めるように引き攣る。
 いや、と言えているのかも分からない。無機質な振動音が聴覚を支配する。嫌だ。こんなのに感じている自分が嫌だ。なのに、ぐっと振動が伝えられた瞬間、ひときわ声がゆがんで、脚のあいだで何かがびちゃっとあふれた。
「お、潮まで噴いてくれるんだ」
 軆がほてっている。頬も、耳も、指先も熱い。息が切れて、まだ何度か全身が痙攣する。くらくらする。しお、と思った。それが何なのかも私はよく分からないのに──
 まだ敏感にとがる私の核に、今度は瑠衣さんの舌が絡みついた。また声が上がる。そして、今度は振動するものが入口をこじあけて侵入してきて、体内から核に響いてくる。瑠衣さんの舌と振動の刺激に挟まれて、いつのまにか泣き出しながら、私は床を涙で濡らして、叫ぶように喘いだ。
 それから、瑠衣さんは私を四つん這いにして、後ろから犯した。手の中に振動するものを握らされ、「自分で続けて」と言われた。あんなに耐えられなかったのに、刺激が止まると核がいやらしく疼く。私は息を切らしながら、自分で自分に振動を届けた。途端、腰が震えて、出し入れする瑠衣さんもうめく。
「あー、すっげえいい。締めつけすげえ」
 瑠衣さんの動きに合わせて、指先で動かす振動が揺らめき、湿った音が大きく響く。もう、何回達したのか分からない。瑠衣さんを受けている最中にも、何度か絶頂が走り抜けた。
 不意に、髪を鷲掴みにされて振り返ると、瑠衣さんの狂った微笑がある。
「こまゆちゃん、彼氏の兄貴でそんなに感じていいの? 理衣がその面知ったらどう思うかなあ」
 いつ、終わったのか分からない。気づくと、やっぱり瑠衣さんの精液が脚のあいだからあふれていて、床に横たわっていた。手の中で振動は虚しく続いていて、瑠衣さんがそれを止めた。冷めていくほど、熱くなっていた軆にぞっとして、裏腹の性感が怖くて、涙がこぼれていった。
 打ち明けるべき相手は、理衣くんだった。理衣くんしかいなかった。なのに、何も知らないから柔らかく微笑んでくれるのを見ると、口をつぐんでしまう。
 理衣くんを信じていないわけではない。でも、もし、家族を侮辱したと嫌悪されたら。信じてもらったところで、瑠衣さんが撮っている写真で軽蔑されたら。極限の精神状態に追いこまれるほど、理衣くんだけは失いたくないという気持ちが強くなる。
 だから、理衣くんには言えなかった。
 もちろん、理衣くんとふたりきりになるときもあった。そのときは安らぐ、なんていう安穏さえ許されなかった。
 キスをされそうになると、目をそらして顔を伏せる。触れられそうになると、びくんと警戒して隙間を作る。耳元に口を寄せられるだけで鳥肌が立って、拒んでしまう。
「こまゆ、俺のこと……嫌になった?」
 理衣くんは、不服を表したりしなかったものの、やっぱり、私の気持ちを確認するのが増えた。そんな質問に、私は精一杯かぶりを振るのだけど、どうしても軆で応えることができなくなった。
 服を脱げない。瑠衣さんのぶしつけなキスの痕がある。口でできない。いつその舌遣いを覚えたのかと疑われる。脚のあいだを開けない。敏感になっていくそこを不審に思われる。
 ただ、理衣くんの軆にぎゅっとしがみつくのは増えた。瑠衣さんが思い返って震えたり、理衣くんの優しい体温に涙が出るときもあった。
「こまゆ」
 その日も理衣くんの部屋でキスを避けて、なのに理衣くんに抱きついて離れなかった。静かにすすり泣きはじめる私に、理衣くんは懸念をたたえた声で肩をそっとつかんだ。
「何か、あったんだろ?」
「……っ、」
「俺でよければ、相談してくれよ。こまゆがひとりで苦しんでるのは俺もつらい」
 理衣くんは、頭を撫でることさえ、ひかえてくれている。そんなふうに、優しいから言えない。傷つけたくない。傷つきたくない。打ち明けたら、お互い傷がつくだけだ。
 私さえ黙っていればいい。理衣くんとも、何とかできるようになれば、それで解決する。

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