ロリポップ-4

見かけた君は

 この駅でどっと降りた人間と共に、暑苦しい改札を抜ける。そしてその先では、周囲の女にちらちら見られながら、真悟がシルバーのケータイをいじって壁にもたれている。
 席が前後だったという単純な切っかけで、よく俺の親友なんか続いてるなあと思う。
 俺はケータイを取り出して、真悟に電話をかけた。真悟はすぐケータイを耳にあてる。
『遅れるとか聞きたくない』
「彼女と別れたのにメールですか」
 真悟は顔をあげ、二メートルもないところに、俺がいるのに気づいた。にっとして手を振ると、真悟は瞳を眇めて、ケータイを閉じる。俺もケータイを閉じて、ポケットにしまいながら、真悟に駆け寄った。
「よっ」
「舞子じゃねえよ」
「何かおもしろいサイト? 教えろよ」
「客だよ、客」
「同伴ないんじゃねえの」
「同伴なくても、メールは毎日するもんなんだよ」
 真悟は凛とした眉を隠顕とさせる長い前髪をかきあげ、くっきりとした二重まぶたを少しおろす。
「疲れてる?」
 真悟は俺を一瞥し、「昨日、朝までアフター」とケータイをジーンズのポケットにしまった。
「休まなくていいのか」
「家じゃ休みになんねえよ」
 真悟は両親とうまくいっていない。俺は高校生になってからの真悟しか知らないけれど、けっこう前から女たらしとかはやっていたみたいで、容姿もどんどんホスト化していき、それが確執になっている。
 俺も真悟の両親には会ったことがある。別に厳格とかではなく、ただ普通の両親で、非行に近い息子を受け入れられないようだ。俺はぼんやり、一年前くらいの真悟の告白を想った。
『好きで女たらしてるわけじゃないんだ』
 とりあえずそのへんをぶらつくことにして、真悟は慣れた手つきで煙草に火をつける。俺も一本もらった。真悟は仕種のたび、嫌味でない程度に香水が薫る。
『俺、ほんとは男のほうなんだよ』
 ──なのに自虐的に女をたらし、ホストなんかやって、自分から逃げている。俺はべつだんそれを責めないけども、バカだなあとは思う。
「メグちゃんとはどう」
 夜の街は、さまざまな雑音と光が引っくり返っている。
 ショップやファーストフードが並ぶ通りまでの横断歩道で、信号待ちをしていると、真悟は何気なく話題を振ってくる。
「おととい、生でやった」
「妊娠させるほど本気なのかよ」
「いや、ゴムが切れてたもんで」
「ふん。しかし、よく続くな」
「別れる切っかけがないだけだよ」
「別れたいのか」
「どっちでもいい」
 真悟が肩をすくめたところで、信号が青に切りかわる。煙草は吸うと煙たい味覚を発し、煙は人混みに吹き捨てる。
 そういえば、渚樹も男のほうだった。お前ひとりじゃない、と真悟に話そうかと思ったものの、やめておいた。真悟はそのことについてあんまり話したがらない。実際、その事実を知るのは俺ひとりだと告白のとき語っていた。
「そういや、俺、サイコミミックの新曲欲しいんだけど」
 通りに紛れこむと、喧騒の熱気がひときわ五感に障る。すれちがったかわいい女の子を振り返りながら、俺は唐突にそう思い出して、真悟に向き直った。冷めた顔で煙草をふかす真悟は、横目で俺に反応する。
「金あるのか」
「ないです。貸してください」
「……いくら」
「小銭はあるから、千円かな」
「シングルなんか、アルバムに収録されるだろ」
「早く聴きたいんだよ。初回限定だし。アルバムヴァージョンとかになっちまうかもしれないし」
 真悟はわざとらしい息をつき、レザーのウエストバッグから財布を取り出した。銘柄は知らないが、明らかにブランド品だ。客に買ってもらったんだろうなあとか思っていると、真悟は俺に千円よこす。「利子はなしで」とか言いながら、俺はありがたく千円札をヒップバッグにしまった。
 そんなわけで、まずはCDショップに行くことになった。俺はサイコミミックのCDがある邦楽ロックコーナーに、真悟は仕事での情報収集に新譜コーナーに行く。
 さ行の頭に、目的の新曲を発見すると、一枚引き出してケースをざっとチェックした。状態良好を確認すると、俺は真悟のいる新譜コーナーのそばのレジに向かう。
「サイコなんとかあった」
 男アイドルユニットの新作を手に取っていた真悟は、ほくほくと近づいてきた俺に気づいて、声をかけてくる。
「サイコミミック。あったよ。すぐ買うから」
「ああ」
 身を返してレジに並ぼうとした俺は、遠慮なく右から突っ込んできた奴にぶつかりそうになった。何だよ、と香水の残り香に眉を顰めてそいつを見て、俺は目を開く。
 血糊が飛びちった黒の猫耳帽子、安全ピンが無数につけられた同じく黒のカットソー、チェーンがクロスしている黒と白のタータンチェックのスカート──そんな格好をしたショートカットの女の子が、先に列に並んだ。腕にCDを十枚ぐらいかかえている。
 いや、そんなことはどうでもいい。
 あの子だ。あのときの子だ。今日みたいに真悟とつるんだ帰り、駅のホームで腕を切っていた、あの女の子だ。
 ずうずうしく割りこんでおいて、彼女は俺に一瞥もくれない。が、そんなのも気にならないほど、俺は動揺して彼女を見つめてしまう。
 死ななかったのか。
 とりあえず、そう思った。リスカなんかする奴ほど死なない、と恵里も言ってはいたが。このくそ暑さの中でも長袖を着ていて、腕の様子は確かめられない。
 空似ということはないだろう。服装がもろにあの日とかぶってゴスだし、ショートカットだし、同じ駅前だし、顔はうつむいてよく見えないが、何となく言い切れる。
「どうした?」
 ぽかんと停止している俺に、真悟が振り向いてくる。そして、俺の視線をたどった真悟もなぜか「あ」と声をもらす。
 俺は真悟に首を捻じった。
「『あ』って」
 何となく、声をひそめてしまう。
「え」
「『あ』って、何だよ」
「何だよって……」
「お前、あの子、知ってんの」
「知ってるっつうか──いや、お前が知ってるほうが変だろ」
「俺はちょっと──。まあいいから、何、あの子。もしかして有名なのか」
「有名っつうか、俺の中学のときのクラスメイト」
 せっかく、割れ目が入っていないかチェックしたCDを落としそうになった。
 何だ、そのつながりは。真悟の元クラスメイト──もう一度彼女を見た。レジのテーブルに、どさっとCDを置いている。
「で、何で透望が知ってんだよ」
「俺は、その──いいだろ、別に」
「タイプなのか」
「顔よく見えねえよ」
「やめといたほうがいいぜ」
「何かあるのか」
「あいつ、中学のときから、学校に行かずにあんな格好でひとりでぶらぶらしてるんだ」
 真悟は手にしていたアルバムを元に戻し、俺はまた彼女を見る。後ろすがたでは、ごてごてした服装のせいで、容姿は測れなかった。俺も持っているポイントカードと金をさしだしているが、店員はそれより防犯ケースを急いではずしている。
 応援の店員が駆けつけ、やっと彼女は購入を終えた。そして、やっぱり自分以外はこの世に存在していないかのように、混雑の中を無遠慮に去っていく。
「おい」と真悟に呼ばれ、俺はようやく我に返った。
「そんなに気に入ったのか」
「違う。俺、こないだ、あの子が腕切ってるとこ見たんだ」
「は?」
「リスカだよ。駅のホームで腕切ってた」
「………。……まあ、あいつならやりそうだな」
「そんなに変人なのか」
「変人っつうか、まあ、病んでる感じ」
 CDのジャケットに目を落とした。病んでいる。俺はなぜか舌打ちすると、「まあいいや」と顔をあげた。
「これ買ってくる」
 真悟はいい加減に返事をすると、再び新譜コーナーを向いた。俺もあんな子のことは忘れることにして、金を取り出しながら、一番人の少ないレジの列に並ぶ。
 どこかに、さっきの彼女の悪くない香水が残っている感じがしたが、気にしないことにした。

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