Koromo Tsukinoha Novels
子供の頃から、自分がそのへんの女の子よりずっとかわいいことは自覚していた。
初めて男に告白されたのは幼稚園のときだし、それ以降も男からばかり「好き」とか「つきあって」とか言われて、僕のほうもそれがそんなに嫌ではなかった。
僕のあまりの愛らしさに嫉妬してくる女の子もいたから、女の子には苦手意識もあった。男の子たちに愛されているほうが楽しくて、彼らにもっと「かわいい」と言われたくて、女装を始めたのは小学五年生のときだった。
家で勝手に姫亜の服を着てみて、姿見の前でまじまじと自分を眺めた。
やばい。これはやばいぞ。マジでかわいいな僕。
実際に女の子の服を着たら、ちょっと浮いていて気持ち悪いかなと覚悟していたのだけど、一ミリだって違和感はない。むしろ、こんなキャミソールやスカートこそ、僕のあるべきすがただと思った。
一度、くるりとまわってみる。スカートがひらりと舞って、ジーンズにはないすうっとした感覚に、快感さえ覚えた。
この日から、僕は女装に突っ走るようになった。比較的ひなびた町で、僕はすぐに有名になった。
「何やってんの」「気持ち悪い」とか言うのは、やっぱり女の子たちで、男の子たちは「いいんじゃね」「有元は姫でいいと思う」と受け入れてくれた。親や先生、大人もわりと生温かく見守ってくれた気がする。
それでも、中学や高校で女子の制服は着れなかった。一応、「性同一性障害なら」と考慮するようなことは言われたけれど、「いや、僕は男なんで」と断っていた。
それは女子制服も着てみたかったけど、それはお洒落としての感覚で、男子制服だと心と軆が引き裂かれてつらい、とかはなかった。男の子とつきあったりしながら、僕は自分は「男の娘のゲイ」なのだと自認していった。
高校を卒業したら、大学には行かず、女装専門クラブで水商売を始めた。ママも同僚も、それぞれの理由で女装を楽しむ男ばかりだった。
そんなクラブに客は来るのかって、わりと来るんですね、これが! おもしろがる客、揶揄う客もいたけど、中には女装願望があっても踏み出せない人が相談に来たりもして、そういうときはみんなで彼を励ました。女装ナイトなんかもあって、そのときは客も女装して、みんなで盛り上がる。
キャストの中では、僕は聖生という男の娘と特に仲が良かった。聖生は美人系の男の娘で、艶やかな髪を伸ばして、軆つきもすらりとしている。
同い年だけど、やたら経験豊富だった。女の子との経験は皆無だったけど。「やっぱり、後ろから突かれながらしごくのがいいよねー」とか飄々と述べるので、エロ大好きなおじさまの客もたくさん持っていた。僕は背面座位で乳首いじられるほうがいいかなあ、と思っても、さすがに聖生みたいにさらりと語れない。
「瑛瑠ちゃんはどういうセックスが好きなの?」と訊かれたら、「フェラするのが好き」ぐらいなら言えたけど、まあ、僕はルックス的にその程度に恥じらっておいて正解だった。フェラ好き発言が恥じらっていると言えるのかは、さておき。
そんな僕に、「よっしゃ、きゅうり買ってきてフェラ対決しよ!」と聖生は乗ってきて、黒服にきゅうりを探しにいかせて、どちらが深くまでくわえられるか試したりして──それで勝つのも聖生だったけど、客は喜んでいたので、僕は聖生のお水の手腕は信頼していた。
「あのさ、瑛瑠。まだママにも相談してないんだけど」
十代最後の夏、聖生と一緒に洋服を見て歩きまわり、へとへとに暑くなったのでたくさんのショッパーを提げてカフェに入った。きんきんの冷房で、全身にかいた汗がすっと冷やされる。
ショウウインドウに面した席を取ると、僕はアイスロイヤルミルクティー、聖生はアイスカフェラテをテイクアウトした。そしてテーブルで向かい合うと、お互いまずは喉を潤す。
窓を見ると、遊歩道の流れの中にも、こちらに目を向けている男がいて、僕はひとり満悦して笑う。
男からの視線は生き返るなあ、とか思う僕は、淡いピンクのトップスと黒のチュールスカートを合わせている。聖生は大胆な編み上げが背中に入ったマリンブルーのワンピースだ。
ふたりで歩きながら、ナンパはさんざんされたけど、あいにく今日の僕たちの目的は徹底的に洋服を買いあさることだった。どんな男もさらりとかわしてきた。
ようやく猛暑に浮かされた熱が落ち着いてくると、同じく外の流れを見ていた聖生がまじめな声でそう言った。
「俺、店にいられなくなるかもしれない」
「えっ」
思いがけない話題にまじろぐと、「ママが認めてくれるなら続けたいんだけどさ」と聖生は息をつく。
「な、何で。何かあったの?」
聖生は僕に顔を向け、「んー」と唸ったあとに、「やりたいことがあってね」と告白してきた。
「やりたいこと」
「一色さんっているでしょ。お客さんに」
「あー……けっこう若いお客さんだよね。いつもスーツで」
「スカウトされた」
「………、別の店?」
「いや」
「愛人に?」
「違う」
「まさか芸能人?」
「……近い」
「近いの⁉」
「俺、基本的にセックス好きじゃん」
「えっ。んー、まあ、そんなイメージはある」
「それを仕事にしないかって」
「風俗行くの?」
「AVに出演しないかと」
僕はじっと聖生を見つめ、一瞬視界をくらりとさせたあと、「いやいやいや」と身を乗り出した。
「それ、やばい話じゃない?」
「一色さん、男の娘レーベルもやってる事務所の社長だった」
聖生は財布から取り出した名刺を僕に見せてくれた。代表取締役、一色優幸──「裏」と言われて裏返すと、作品を出しているAVレーベルがずらり並んでいて、僕でも知っている男の娘AVのレーベル名もあった。
「一応、俺も調べた。そこに書いてるレーベル、全部同じ事務所から出てる。その事務所のサイトに、一色さんの名前もあった」
僕は不安を綯い混ぜて聖生を見て、「やりたいことって」と少し声をかすれさせる。
「AV男優になりたいと……?」
「AV女優のくくりになるらしい」
「どっちでもいいけど」
「いや、よくねえわ」
「いいから。えっ、何、やるの? AVに出たいの?」
「俺はやってみたいなと思う。ちゃんとしたとこならね」
「そ、そんな。あれは過酷な仕事だよ?」
「やったことあんの」
「ないけど、しょっちゅう観てるからね」
「観てるんだ」と聖生は笑って、「いや、マジでよく考えよう」と言っている僕のほうが焦っていて、ミルクティーをがぶりと飲む。
「な、何を……させられるか分からないし、親とか友達とかいいの? 顔バレなんてレベルじゃなくなるんだよ? いや、顔どころかちんこ晒すんだよ?」
「親は俺に興味ないからなあ。友達は──瑛瑠なら軽蔑する?」
「僕は気にしないけど。恋人とかは?」
「今はいないし、分かってるくれる男とつきあうよ」
「分かってくれる男は、考えてる以上に少ないよ?」
「そお? AV女優とやれるのって、男にとって至高じゃないの? 瑛瑠も観ててやってみたくなる男優さんいない?」
「……い、いるけど。いるけどさ」
「ただ、今の仕事は続けられくなるのかなあって思うと、それはすごく悩む。瑛瑠とかママと、お店を盛り上げるのは楽しいしさ」
「そうだよっ。お店は、たぶん辞めなきゃいけないと思う。風俗嬢やってる女優さんなら聞いたことあるけど、うちは風俗じゃなくてお水じゃん」
「そこなー。逆に不思議だなと思って」
「何が」と僕が焦れったく顰めっ面になると、「だって」と聖生は頬杖をつく。
「お水って、客とやったらゲームオーバーじゃん。AV女優も、画面越しだよね。実際には触れないよね。だから、客との関係としては、金でやれてしまう風俗よりずっとセーフなんじゃね?」
「いや、でもっ……、し、素人男子をつかまえて男の娘が誘惑しちゃうぞとかあるじゃん」
「瑛瑠って、かなりいろいろとAV観てる?」
「それで、やってきた素人男子が、もしも店の客だったらどうすんのっ」
「素人男子なら、たいていノンケだろうから、男の娘のクラブには来なくない?」
僕は眉を寄せて、腕を組んで、唸りに唸ってから、「くっ、意外と反論できない」とつぶやいた。聖生は長い指でストローをまわして、氷をからんと響かせる。
「反論したいってことは、瑛瑠は反対かあ」
「えっ──いや、そうじゃなくて。ごめん、ちょっとわけ分かんなくて言っちゃった。ほんとに、大丈夫なとこなんだよね? そこさえクリアなら、僕は聖生のやりたいこと応援するけど」
「ほんと?」
「うん。お店辞めても友達でいてよね? サイン入りDVDもくれるよね?」
「はは、俺のサインでよければ。てか、俺のAVも観てくれるの?」
「観るよ。しこるかは分かんないけど」
「えー、しこってよお」
「かっこいい男優さんと絡んでくれたらね」
「ふふ、了解。よし、じゃあママにも相談しよ! 引っぱたかれたらなぐさめてね」
そんなわけで、聖生はAV女優として、一色さんのスカウトを受けたい件をママに話した。
ママは激怒すると思ったし、少なくとも聖生を店から切ると言うとは思った。しかし、開店前の店内で話をひと通り聞いたママは意外と落ち着いていて、「一色さんご自身からも、その申し出は聞いています」と口を開いた。
その言葉に聖生がびっくりしていると、「あなたはご両親に何かと理解してもらえなかった子だったわよね」とママは聖生を見つめた。
「だから、あなたがそれを『やってみたい』と思うなら、私は理解できるママでいたいわ。一色さんのところが信頼できると、私自身が把握しているからでもあるけれど。うちのお店に籍を置いておくことも構わない。ただ、いそがしくなって、出勤なんてしていられなくなるかもしれないわよ?」
いつも下ネタであっけからんと笑っている聖生が泣いているのを、離れたところからだったけれど、僕はそのとき初めて見た。ママは聖生の肩をぽんぽんとして、女ホルでほんのりふくらんだ胸に抱いた。
ああ、聖生とこの店でずっと働きたいな。ママにもついていきたいな。このとき、僕はとても強く思った。
しかし、その冬に二十歳になった僕は、忘年会シーズンになって毎晩がめまぐるしい中で、「彼女」に出逢ってしまうのだ。
「おい森沢、お前もっと楽しそうに飲まないかあ」
クリスマスは、客をつかまえるのがむずかしい。しかしそのぶん、水商売は二十六日から大晦日までが発狂しそうにいそがしい。彼女が会社の忘年会で上司に店に連れてこられたのも、クリスマスは過ぎ去った年の瀬だった。
三次会らしく、べろべろに酔っ払った上司にそんなふうに絡まれている「森沢さん」を、僕は席が気まずくなる前に助けようと、ふたりのあいだに「お邪魔しまーす」と入りこんだ。
「もう、中戸さん。お酒は静かに飲んでもいいものなんですよ」
ほかの席の客のカラオケがけっこう騒がしいので、水商売には大声スキルが必要だ。
僕がそう言って、あくまで愛らしく怒ってみせると、中戸さんは「瑛瑠ちゃんみたいにかわいい子が、静かに飲んでると心配になるけどなー」と僕の髪を巻いた頭を撫でる。
「こんなのが静かに飲んでても、陰気なだけだろお?」
「こんななんて、そんな、森沢さんだって──」
言いながら、初めて「森沢さん」をきちんと見た僕は、本気で耳元で雷鳴を聞いた。雷に打たれたというより、本当に、雷鳴を聞いてはっと窓を見たみたいに、その容姿に見入ってしまった。
何だ。何だ何だ何だ。こんなイケメン、いつから店内にいた⁉
森沢さんは、僕の凝視に怪訝そうに眉を寄せ、しかし何も言わずに水割りに口をつけようとした。しかし、それを止めるように僕は森沢さんの腕をぐっとつかんだ。
あまり筋肉の感触がなかったけど、それも気にならないレベルのイケメン!
「……何ですか?」
声。声好き。やばい、すごく心地いい声だ。
「かっ……かっこいいですね!」
思ったままを口にした僕に、森沢さんは眉間を寄せたまま、こちらを見つめた。
「……はあ」
そうとしか言えないように森沢さんが答えると、「瑛瑠ちゃーん、こいつはねえ」と中戸さんが何か言おうとしたけど、「待って!」と僕は続く言葉をさえぎる。
「分かってます。それは、もう……分かっております」
「そう? はは、びっくりしたよ、何か本気で──」
「彼女さんがいるんですね?」
「え」と中戸さんも、それ以外の連れのお客さんも、何やら言葉に詰まる。その反応を見て、僕はさあっと蒼ざめて、氷漬けになったみたいな震えた声で言った。
「ま、まさか……奥さんがっ?」
がばっと森沢さんを向くと、森沢さんはちょっと面倒くさそうな表情を見せたあと、息をついて言った。
「女なので」
「は?」
「私、女なので。彼女も奥さんもいません」
はい、ぴしぴしっと雷鳴また来た。
女? 女だと⁉ このすさまじいイケメンが女だというのか! 僕にねちねち言う子ばかりだった、女という人種なのか。そんな……
「ぼ、僕……」
「あー、瑛瑠ちゃん気にしないで。こいつ慣れてるから。ほんと女らしくないし──」
「僕、ゲイだと思ってたのに……っ」
「え、瑛瑠ちゃん?」
「女だと……いや、女の人か。女……」
僕は森沢さんを見た。明らかにヒカれているけれど、構わずに僕は森沢さんの腕に抱きついた。
「女も、有りかもしれないっ!」
「……課長、何ですか、この人」
「おま……っ、俺の癒しである瑛瑠ちゃんを奪う気かあっ」
「いや、……ええと、瑛瑠さん?」
「はいっ」
「とりあえず、課長が泣き出したので、相手してあげてください」
ええー……。
と思いながら振り返ると、マジで中戸さんが男泣きをしている。「でも、僕は森沢さん専属というか──」と僕が言い出すと、中戸さんはますます大泣きを始めた。
僕は舌打ちを殺し、連絡先も書いてある名刺を森沢さんに渡した。
「森沢さんの連絡先も教えてくださいっ」
たっぷり愛嬌をこめて微笑むと、森沢さんは小さく息をついてから、僕に名刺をくれた。
森沢伊鞠。「えへへ」と僕はにっこりして、それをスマホと持ち歩く名刺入れにしまうと、それからようやく、中戸さんの爆発の鎮火作業にかかった。
森沢さんはあきれたような面持ちで水割りを飲んで、「お前、つくづく課長の目の敵だな」とほかの連れになだめられるように言われていた。「もう慣れたので」と森沢さんはクールに答え、ああかっこいい、と僕は内心うっとりしつつ、仕方なく中戸さんの頭を「よーしよし」と撫でていた。
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