クレーンゲーム
お昼ごはんを一緒に食べるところから始めようということで、十一時に駅で待ち合わせした。
バイトするレストランも近い駅だけど、もちろんバイト先でごはんを食べるわけではない。街に出て、十二時のランチタイムが始まった頃からどこかで食べる。
私が駅に着いたときには、紅磨くんはすでに待ってくれていて、「今日はよろしくお願いします」なんて言われた。私は私で「こちらこそ」とか返してしまう。何だか咲ってしまって、「行きましょう」と紅磨くんは私の手を取った。今日も紅磨くんの手は温かい。
着る服は最後まであれこれ悩んで、白のレースカットソーとサーモンピンクのロングスカートにした。あまりスカートを穿くことはないのだけど、一応持っているものを見つけて、入るよね、と着てみて確認したら少しきつかったけど、入ったのでこれにした。
年上なら「かわいい」より「色っぽい」を出したほうがいいのは分かっていても、私は色気ってないよなあ、と姿見の前で思ってしまった。軆の曲線も、そんなに緩急がないし。
このまま何の盛り上がりもなくおばさんになりそう、と思うと、紅磨くんはほんとに私のどこがいいんだろ、と悩んでしまったけど、そこは考えこんでもしょうがない。紅磨くんと並んで不自然に見えないようにしなきゃ、とあえて化粧も濃くならないようにして、いざ、と部屋を出てきた。
さいわい今日はよく晴れて、熱中症警報が出ているくらいだった。陽射しは真夏のようなぎらつきはなくも、直視できない白光は強まりつつある。ホームで「暑いね」と取り留めなく話していると、やってきた電車に乗りこむ。
車内は冷房がかかって涼しく、平日の昼間でそんなに混んでいなかった。私と紅磨くんは手をつないだままシートに座り、「昼飯、オムライスで考えてますけどいいですか」と訊かれて私はうなずく。
「映画は結局観るの?」
「あ、候補挙げてきました。今決めましょうか」
私がうなずくと紅磨くんはスマホを取り出し、起こした画面に指を滑らせ、公開中の映画の一覧のページを開いた。
「悠海さんはこれとか好きかなって思いましたけど」
紅磨くんが指差したのは子犬の話で、確かに動物ものは好きだな、とは思っても、「最後に死んじゃうかな」と首をかしげる。
「どうですかね。最後に死ぬの苦手ですか」
「苦手じゃないけど、かなり泣く」
「はは。じゃ、泣いていいんでこれにしましょうか」
「ほんとに泣くよ?」
「泣くのはいいことなんですよ」
「そうなの?」
「デトックスって奴です」
「そういえば、最近泣いてない気がする」
「よし、これにしましょう」
「ん。分かった」
そんな感じで一日の予定を相談していると、いつのまにか周りに乗客が増えて、市街地に出ていた。電車を降りると、普段あの町を出ない私はすくんでしまうほど、ホームにも構内にも人が騒がしくあふれていた。
紅磨くんはこの駅で乗り換えて高校に通っているそうで、ついでにここで降りて、ぶらつくこともあるそうだ。おかげですいすい人波をよけて進んでいき、私はといえば、つないだ手を頼りにかろうじてついていく。
駅を出ると、並んで歩ける余裕ができるので歩調が緩み、「大丈夫ですか」と気遣われる。「大丈夫」と言いつつ、少し空いた道を歩きはじめるとほっと息をついてしまう。若い子の人混みの免疫力すごいな、とか思っていると、モールに入って地下の食堂街に降り、話していた通りオムライスのお店に入った。
クーラーのきく木目調の綺麗なお店だった。メニューを開くと、いろんな種類のオムライスがあって迷ったけれど、チキンとクリームソースのオムライスに決めた。デザートはいちごのパルフェ、ドリンクはアイスコーヒー、それから前菜にミニサラダもついた四つで千円だから、お得なランチだ。
紅磨くんも組み合わせを決めると、ベルで店員を呼んで注文する。こういうとき、その店員の対応が丁寧なのか雑なのかが、よく見えてしまう。いい加減な対応に感じるといちいち嫌な気分になるのだけど、注文を聞いてくれた女の子の店員は笑顔までこまやかだった。その子が去って、紅磨くんにそういう話をすると、「同業ってそういうのありますよね」とうなずかれた。
「紅磨くんって、今のところが初めてのバイト?」
「コンビニ齧ったことがありますよ。高一の夏休みに」
「そうなんだ。私、大学時代からずっと今のとこなんだよね」
「あの店、居心地いいですよね。真垣さんがすっげえいい店長」
「私、ちょうど真垣さんが転勤してきたのと同時に入ったの。二年前かな」
「へえ。真垣さんじゃなかったら、絶対雰囲気違いそう。店長変わってほしくないですね」
「ほんと。でも、社員さんだからいつ辞令来るか分からないよね」
「えー、真垣さんでうまくいってるんだから、わざわざ移動させなくていいのに」
「私も、真垣さん以外の上司ってちょっと怖いな。でも、ずっとバイトなのもきついんだろうなあ」
「いつかは辞めるみたいなこと言ってましたよね」
「そうだね。資格でも取ろうかな」
「大学では心理学取ってたんでしたっけ」
「一応。けど、人の悩み聞く仕事って、こっちが気丈じゃないと無理そう」
「巻きこまれて鬱になる医者もいるって言いますしね」
「うん。真剣に彼氏でも作ってれば、せめて結婚してたのかなー」
「えー、悠海さんが結婚してたら、こんなふうにデートもできなかったじゃないですか」
私はお冷やを飲んで紅磨くんを見て、少し首をかしげてから訊いてみる。
「あのね、紅磨くん」
「はい」
「いつから、私のこと……その、好きだったの?」
「前から」
「前から」
「今の店で働く前からですよ」
「えっ、そうなの?」
「言ったじゃないですか、悠海さん目当てで働いてるって」
「え……いや、あれは、『今は』って意味かなあと」
「悠海さんに近づきたかったんです。でも接点がぜんぜんなくて、見てるだけで。って言ったら、ストーカーみたいですみません」
「ううん」
「初めて会ったときから、悠海さんのこと守りたいって思ってます」
「初めて、会ったとき」
「はい」
「……私と紅磨くん、お店じゃなくて、どこかで会ったことある?」
紅磨くんは咲って、「憶えてないほうがいいと思います」と言った。憶えてないほうがいい、って、私は以前紅磨くんに会っていたことを忘れているの? こんなに私を見てくれる人を見逃したの?
私は紅磨くんを見て、会ったことがあるなら教えてほしい、と言おうとした。けれどそのときミニサラダが運ばれてきて、「いただきます」と紅磨くんはそれを食べはじめてしまったので、私も質問を飲みこんでフォークを手にした。
食事を終えると、モールを出て、映画館のあるビルに向かった。三階のフロア全体がシアターや物販、フードコーナーの映画館になっていた。例の動物映画を上映しているシアターで座席を予約すると、入場時刻まで時間があったので、同じビルの中にあるゲームセンターに行く。
紅磨くんはバイトがないときは、たまにここで友達と遊ぶらしい。私はゲームってしないなあ、とか思いつつ、UFOキャッチャーのコーナーでぬいぐるみを熱心に見てしまった。
幼い頃からぬいぐるみが好きで、今でもかわいい子を見かけると買ってしまう。でもUFOキャッチャーで欲しくなっても取れるか分かんないしなあ、と思いつつ、好きなキャラクターのぬいぐるみがもさっと並んでいる台を見つけてしまい、やってみようかな、とつい財布を覗いていた。
すると、「何かやろうとしてる」と紅磨くんが隣に来て、「ちょっと欲しい」と私はガラスの向こうのぬいぐるみを指さす。
「猫ですか?」
「実はあの子、犬なんだよね」
「どう見ても猫ですけど」
「犬なの」
「犬好きなんですか?」
「猫よりは犬かなあ」
そう言いながら百円玉を取り出そうとすると、「待ってください」と紅磨くんも財布を取り出して、素早く百円玉を投下した。
「えっ、紅磨くん──」
「こういうのは男が取るもんです」
「いや、私が欲しいんだし」
「悠海さんが欲しいものなら俺がプレゼントします」
「せ、せめてお金は私が」
「それじゃ意味ないです。──あいつちょっとはみだしてるな。とりあえず列から外すか」
そうつぶやきながら、紅磨くんは本気の眼つきでゲームに挑んで、あっという間に百円玉を使い果たしてしまった。「両替えしてきます」と千円札を出されて、もういいよ、と言ったほうがいいのか、言わずに紅磨くんのプライドを守ったらいいのか、迷っているうちに紅磨くんは行ってしまい、吐息をついてしまう。
何か悪いな、とは思っていると、不意にスタッフの女の人が「さっきから、彼氏さん頑張ってらっしゃいますねー」と声をかけてきた。
「え、あ──そう、ですね」
彼氏。彼氏じゃないけど。というか、私が高校生の男の子の彼女に見えているのか。見えているほうがいろいろ助かるけれど。
「彼氏さんがどの子を狙ってるか分かりますか?」
「あ、えと──少し取れかかってる、あの黒い羽の犬」
「ああ、人気ですよねえ。ちょっとお待ちくださいね」
そう言って、スタッフさんは腰の鍵束からひとつ選んで、ガラスを開いた。そこで紅磨くんが戻ってきて、「何か、」と私が説明する前にスタッフさんがぬいぐるみを手前に引き出して、引っかけやすい位置に置いてくれた。そして紅磨くんを見て、「彼氏さん、頑張ってくださいね」とにっこりしてから何事もなかったように行ってしまった。
紅磨くんは「彼氏」とつぶやき、私を見ると、「頑張りますっ」と改めて宣言した。「あ、うん」としか言えずにいると、それから三回目のチャレンジで、紅磨くんは見事にぬいぐるみを落としてくれた。「取れましたっ」とさしだされて受け取ってみると、意外と大きくて抱き心地もよくて、本気で嬉しかったから「ありがとう」という声が震えそうになってしまう。
「でも、何か、その、お金かけさせちゃって」
「いや、二千円行かずに取れたの、あのスタッフの人のサービスのおかげなんで」
「あんなサービスあるんだね。よかったのかな」
「ひたすら取ろうとしてると、わりと声かけてもらえますよ。こういう場合だと、自力じゃなくてちょっとかっこ悪いですけどね」
「ううん、取ってもらえて嬉しい。大事にするね」
「へへ、悠海さんのそういう顔が、俺は一番嬉しいです」
紅磨くんの瞳が、すごく愛おしそうに私を見つめたから、何だか恥ずかしくなって小さくうつむいたけど、代わりにぬいぐるみを抱きしめる。確かに、自分でもやってみようかなと思うくらい、欲しいと思ったぬいぐるみだけど。何だかそれだけじゃなくて、本当にこの子は大切にしようと思った。
【第六章へ】