お砂糖多めに恋しよう
優しい手が髪を梳いている。その感触にぼんやり薄目を開ける。私はいつものベッドの中にいて、部屋の中はカーテン越しに明るくなりかけ、鳥もさえずっている。三月になってまだ数日、朝は冷えこむ。
「悠海さん」
ささやくように名前を呼ばれ、私はうめいて顔を上げた。するとそこには紅磨くんがいて、私を穏やかな瞳で見つめている。
紅磨くんは上半身に何も着ていなくて、私が紅磨くんが着ていた大きなトレーナーを着ている。
「おはよ」と紅磨くんは私を抱き寄せ、私は目をこすってから紅磨くんの胸に顔を埋めた。
「おはよ……」
「まだ眠い?」
「眠い……」
「じゃあ、俺はこうしてていい?」
「ん。あったかい」
「へへ。悠海さんかわいい」
そう言って紅磨くんは私を抱きしめ、私は紅磨くんの匂いと体温に包まれる。まだうとうとする頭で、そっか、と思った。昨日はオフで、紅磨くんと私の部屋でのんびりして。そのまま泊まってもらった夜、ついに私と紅磨くんは軆も結ばれたのだった。
去年の十月に紅磨くんが十八歳になって、これでもうOKなのか、高校在籍中はアウトなのか、よく分からなかった。だから、私たちは紅磨くんの高校卒業まで深い関係を待つことにした。
紅磨くんの誕生日も、クリスマスもバレンタインも、どんなロマンチックな日だろうと耐えてきた。そうしてついに、先日の三月一日に紅磨くんは高校を卒業した。
我慢を積んだぶん、昨夜はゆっくりじっくり愛しあった。といっても、紅磨くんは初めてだし、私もセカンドヴァージンだし、かなりたどたどしい感じだったけれど。
それでも、紅磨くんは自分の欲望に走るより、私の軆を丁寧にあつかうのを心がけてくれた。おかげで私は痛みや違和感もなく、紅磨くんを受け入れただけで頭が白くなりそうなほど感じた。初めはぎこちなかった動きも、次第にほぐれて切なくなって、紅磨くんは私の中でコンドームに出した。奥までつらぬかれて、その響きに私も蕩けるように絶頂を迎えた。ちょっと恥ずかしかったけど、視線を重ねて、照れ咲いしあうと、「童貞が成仏しました」と紅磨くんが言ったので、私はつい噴き出してしまった。
暖房をつけたまま寝てしまった。おかげで私はトレーナーとショーツだけだし、紅磨くんもボクサーショーツのみだ。それでもやっぱり、朝にこのすがたは寒い。くっついていれば人肌が柔らかくても、風邪をひかせちゃダメだな、とようやくはっきりしてきた頭で思うと、私は紅磨くんを見上げた。
「紅磨くん」
「うん?」
「寒いから、服着ようか」
「俺の服、寒い?」
「私はわりとあったかいけど、紅磨くんは風邪ひいちゃう」
「平気だよ」
「ダメ。服返すから、私着替えてくる」
「ここで着替えないの?」
「見るでしょ」
「見るね」
「……洗面所で着替える。少し待ってて」
「はあい」と紅磨くんは腕をほどいて、私は起き上がる。床に散らかした服を拾って、ベランダのそばの洗濯かごに放ると、新しく身につける下着と服を選んでユニットバスに入った。
ここは暖房が届いていなくて空気がひやりとする。私は紅磨くんのトレーナーを脱いで、アイボリーのボトルネックとインディゴブルーのレギンスパンツのすがたになった。ついでに洗顔フォームで顔を洗って、柑橘系の香りの保湿液で顔も手も潤す。
紅磨くんのトレーナーを抱えて部屋に戻ると、ふわっとコーヒーの香りがした。見ると、下半身のジーンズは身につけた紅磨くんが、キッチンでコーヒーミックスをお湯で溶かしていた。
「ごめん、勝手にマグ使ってる」
「いいよ。紅磨くんのも買っておかないとね」
「うん。これからはいつでも泊まれるし」
「たまには家にも帰りなさい」
「悠海さんも帰ろうよ。実家、俺んちと近所なんだし」
「紅磨くんのご両親は、こんな年上女を良しと言ってくれるのかなあ」
「言わせるし。それに、俺も悠海さんの両親にも挨拶したい」
──そう、紅磨くんと出逢った「あのとき」の「場所」なのだけど。それは、私の実家の近所の池のほとりだった。同じく池の近所に住んでいる紅磨くんは、そこに友達と釣りに来ていて、私を発見したのだった。紅磨くんは友達にケータイで救急車を呼ばせて、私の意識が消えないようにずっと話しかけてくれていた。
私がそれを思い出したと話すと、紅磨くんはちょっとつらそうに微笑んで、「救急車で運ばれたあとは、これ以上教えられないって言われたんですけど、うわさとかを頼りに家を突き止めるまではしたんです」と言っていた。
「私の両親は、紅磨くん連れていったら喜ぶだろうなあ……」
「そう?」
「もう恋愛しない、結婚もしないって、私言ってたし」
「そっか。もう、孫にも会わせてあげられるもんね」
「気が早い」と私が照れると紅磨くんはにっこりして、コーヒーをスプーンでかきまぜると、マグカップのひとつを渡してくれた。「ありがと」と受け取った私は、コーヒーミックスやティーバッグを置いている棚から、二本スティックシュガーを取り出して紅磨くんにさしだす。「サンキュ」と紅磨くんはコーヒーにお砂糖をふたつ溶かして、やっとコーヒーをすする。
「はあ、あったまる」
「早く服着なよ」
「そだな。ベッド出ると意外と寒かった」
私は笑ってトレーナーを渡し、紅磨くんはいったんマグカップをシンクのふちに置いて服を着た。「顔洗ってきていい?」と訊かれてうなずくと、紅磨くんはユニットバスに行ってしまった。私はコーヒーを飲みながら、朝陽が室内を明るくしていくのを見つめる。
紅磨くんとつきあいはじめて、あっという間に八ヵ月も過ぎた。初恋で、当然のように軽率にあつかわれていたからだろうか。紅磨くんの優しさには毎度びっくりしてしまった。
デートで歩調を合わせてくれること。さりげなくキスをしてくれること。昨夜だってきちんとコンドームをつけてくれた。そして何より、倦まずに私に「好きだよ」と言ってくれる。
甘くて、穏やかで、楽しくて、恋がこんなに幸せなものだったなんて、紅磨くんとつきあって初めて知った。
私は自分の飲みかけのコーヒーを置いて、何となく、紅磨くんのマグカップのコーヒーを飲んでみた。思わず笑ってしまう。やっぱり、甘い。これでコーヒーをやっと飲むことができるような、まだ子供のような一面もある男の子なのに。私はすっかり紅磨くんに夢中で、彼無しの将来が思い描けなくなっている。
でも、もしかしたら、そんな彼だから、この恋を甘い味にさせてくれるのだろうか。お砂糖が、人よりもうひとつだけ多い。だから、紅磨くんは私に人より甘美な愛をそそいでくれるのかもしれない。
紅磨くんが戻ってきてコーヒーを飲み終わったら、朝食に好きな味のトーストを食べて、昼からのバイトまでのあいだ、結ばれた余韻に浸ってふたりでゆっくりしよう。
紅磨くんの腕に包まれて、甘えて、甘えられて──いつまでも、そんな関係でいられたらいいな。お砂糖多めで恋をしたい。甘いものはいつだってまた食べたくなる。だから、仮に喧嘩があっても、会えない時間があっても、すぐにまた恋しくなるの。
そして、そんな紅磨くんとの甘やかな恋、きっと私は、もう手離すことができないと思うんだ。
FIN