新しくなる日に
年が明けて、元日だけはバイトが休みなので、ふたりで初詣に行った。電車で一番近い神社まで出向いて、人混みと渋滞を縫って鳥居をくぐった。
寒いけどよく晴れていて、一年の始まりとしては気持ちいい天気だ。にぎやかに露店が並び、中でも回転焼きの甘い匂いやたこ焼きの香ばしさにはつい惹かれそうになる。けれど、まずはお参りのために参道に並んだ。
かなり混雑して人がぎゅうぎゅうで、私は紅磨くんの腕にしがみついた。「大丈夫?」と訊かれて「こうしてれば」と答えると、「ちゃんとつかまっててね」と紅磨くんは手もつないでくれた。周りには家族連れや恋人同士、友人の集まり、いろんな人がいてざわめいている。
冷たい風が吹いているけれど、人に揉まれてさすがにちょっと暑いくらいになってきた頃、拝殿の前に出た。握っておいた小銭を賽銭箱に投げて、今年も紅磨くんといられますように、と祈る。それから右手に抜けて、おみくじがあったので引いてみた。
「吉だって」
「俺は小吉」
「どっちのほうがいいんだっけ?」
「どうだっけ。俺は大吉じゃないならとりあえず結んでいく」
「私もそうしよ」
そう言っておみくじを細く折ろうとしたけど、その前に内容にも目を通した。良好や安定の暗示より、激励する言葉が多かった。恋愛も『波乱に動じない』と書いてある。
波乱。私は紅磨くんを見上げて、何かあるのかな、と思った。これまで紅磨くんとは穏やかだったし、これからもそうだと思っていたけど──
「何?」とおみくじがいっぱい結わえられた木で隙間のある枝を探す紅磨くんがこちらを見て、私は首を横に振った。
おみくじを枝に結びつけると、露店で回転焼きのカスタードと焼きそばを食べた。焼きそばは紅磨くんとふたりで分けた。それからいつもの町に帰る電車に乗って、「お正月だし実家に帰ろうか」と話し合って、私たちは同じ地元の駅までやってきた。
「こないだ話したけど、よかったら俺んち来る?」
夕暮れが始まって、空は橙々色と桃色が溶け合って透けている。駅を出て同じ方向に歩いていると、手をつなぐ紅磨くんがそう尋ねてきた。
私は紅磨くんを見上げて、「お正月に押しかけていいのかな」と首をかしげる。
「切っかけがないとなかなか来れないじゃん」
「じゃあ、紅磨くんもあとで私の家来る?」
「俺は行っていいよ」
「そっか。じゃあ──先に、紅磨くんの家に」
「うん」
そんなわけで、一緒に紅磨くんの家に向かうことにした。どんなご両親だろうなあ、とどきどきして、つなぐ手に力をこめる。中学校の前を通ったとき、懐かしいな、なんて思っていると「俺ここに通ってたよ」と紅磨くんが言って、「じゃあ後輩なんだね」と咲ってしまった。
閑静な家並みに入って、通りに面した一軒家が紅磨くんの家だった。紅磨くんは鍵を取り出して玄関を開け、「あけましておめでとー」と声をかけた。それにしずしずとついて入ると、「紅磨兄だ!」と中で声がして、「今のは弟」と紅磨くんが説明してくれる。
「弟さんいるんだ」
「蒼磨っていうの。あと、紫磨って妹もいる」
「私はひとりっこだなー」
「何かそんな感じ」
紅磨くんがそう笑ったとき、「えー、紅磨の夕食用意してないよー?」と面倒そうに言いながら奥から女の人が現れた。「あれはかあさん」と言われて、私がこくんとすると、おかあさんも私に目を留めて、「あらっ」と表情を切り替える。
「彼女? 紅磨の彼女?」
「彼女ーっ」
弟の蒼磨くんが叫んで、おかあさんの後ろから現れ、紅磨くんと私の前で仁王立ちする。まだ小学生くらいの男の子だ。
「そうだよ、彼女の綾川悠海さん。通してやって」
「やだもう、おとうさん、紅磨が彼女連れてきたーっ」
嬉々として中に声をかけるおかあさんに、私は紅磨くんの袖口を引っ張って、「何か恥ずかしいけど」と頬を染める。「家族多いとこんなもんだよ」と紅磨くんがくすくす笑うと、「正月からどこ行ってたんだー?」とおとうさんも顔を出す。
「普通に初詣行ってきたよ」
「まあ、そう言うよな……」
「いやほんとだし」
「照れるな、分かってるから」
「ぜんぜん分かってねえよ」
「彼女さん、こんなエロガキですみませんね」
「エロはとうさんの頭の中だから」
紅磨くんとおとうさんのやりとりをしりぞけて、「ええと、悠海ちゃん?」とおかあさんが私に笑顔を向けてくる。
「あがってあがって。何にもないんだけど」
「あ、お邪魔します」
「もうひとり、紫磨っていう中学生の女の子がいるんだけどね。お隣に遊びにいってて」
「茉莉紗と絵梨紗んとこ?」
こちらの会話に逃げてきた紅磨くんに、「そう」とおかあさんはうなずく。
「あっちの娘さんみたいだよねえ、もう」
紅磨くんに茉莉紗さんという同い年の幼なじみがいるのは知っている。絵梨紗さん、という名前は初耳だけど、語感からして茉莉紗さんの姉妹だろうか。
「騒がしくてごめんね」
リビングに通してもらいながら紅磨くんにささやかれ、私は笑顔で首を横に振った。歓迎してもらえているみたいなのでよかった。
暖房が利いたリビングでは、テレビが正月番組を映し、座卓にはおせちが広げられていた。キッチンからの甘い香りは、ぜんざいだろうか。「適当に食べていいからねー」とおかあさんに割り箸を渡されて、いいのかな、と思いつつ、手をつけないのも悪いかと無難そうな黒豆を口に運ぶ。
「俺、このあと悠海さんの家に行こうと思うんだけど」
だしまきの最後のひと切れを頬張ってから紅磨くんが言うと、「顔は憶えてもらってるのか?」とおとうさんは湯飲みのお茶をすする。
「いや、初めて行くんだよ」
「伺うことは伝えてあるんだろうな」
「別に」
「お前、親父さんに嫌われるぞ」
「何で!?」
「彼女の親父ってもんをナメてかかってるとな──」
「いえ、あの、うちのおとうさんそんな厳めしい人ではないので」
「悠海ちゃんが気を遣うことになるのが一番心配でね」
「大丈夫ですよ。おっとりした人なので。紅磨くん、怖がらなくていいから」
「お邪魔しますって電話は入れとく……?」
不安そうにつぶやく紅磨くんに苦笑していると、「おねえちゃん」と脇から蒼磨くんが顔を出してにこっと咲ってきた。私がそれに、ややとまどいつつ咲い返すと、蒼磨くんは私の膝にちょこんと座った。「蒼磨っ」と紅磨くんに腕を引っ張られると、「やーだーっ」と蒼磨くんは私にしがみついてくる。
「やだじゃないっ。悠海さんは俺の彼女なのっ。お前、絵梨紗がいるだろうがっ」
「絵梨紗なんか嫌いだーっ」
「また喧嘩かっ。だからって悠海さんに懐くなっ」
「うー、絵梨紗、高学年になって俺のこと何かバカにしてるし!」
「そりゃお前がガキっぽいからだ! 兄貴の彼女に泣きつくなっ」
「うー、うー、うー」
仕方なく私が蒼磨くんの頭をぽんぽんとすると、「紅磨兄より俺にしてもいいよ!」と蒼磨くんがぱっと無邪気な顔を上げる。おとうさんはからから笑って、甘い匂いのぜんざいを持ってきたおかあさんも「あらあら」と笑う。紅磨くんだけが「この……っ、」と蒼磨くんにいらだっていて、私は「そう言ってくれて嬉しいけど」と蒼磨くんにきちんと言った。
「私は紅磨くんと一緒にいたいので、蒼磨くんは別の女の子を探してね」
一瞬リビングが静かになったので、え、と顔を上げると、「うん、いい」とおとうさんが言って、「いいね」とおかあさんが続け、「紅磨兄に負けたあ」と蒼磨くんは床に転がってじたばたする。
私は紅磨くんを見て、すると紅磨くんは笑みを噛みしめていた。「何でそんな笑うの……」と恥ずかしくなりながら言うと、「嬉しくて」と紅磨くんは私の髪を撫でる。「よしっ」とおとうさんが膝を打った。
「紅磨、このぜんざい食ったら、悠海ちゃんのご両親にしっかり挨拶してこい」
「お……おう」
「ちゃんと気に入ってもらうんだぞ。とうさんもかあさんも応援してるからな」
「な、何だよ急に」
「おかあさん、悠海ちゃんの愛を感じたわー」
「蒼磨もぐずぐず泣くより、絵梨紗ちゃんと仲直りしてこい」
「紅磨兄ばっかりずるいよお」
「この子、構ってもらえるのがうらやましいだけだから、気にしないでね。悠海ちゃん、おぜんざいどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
おかあさんからお椀を受け取って、ほかほかと甘いぜんざいを割り箸ですくって食べる。「じゃあ、これ食べたら悠海さんち行こっか」と紅磨くんが言って、私はうなずいた。
ぜんざいを食べるうちに蒼磨くんの機嫌も直って、「夕ごはんだから、紫磨呼びにいって」と言われたら素直に立ち上がって家を出ていっていた。私と紅磨くんも立ち上がり、玄関までおとうさんとおかあさんに見送ってもらった。
「またおいでね」と言ってもらえてほっとしながら、「よろしくお願いします」と私は改めて頭を下げた。すると「少し、話を聞いてて」とおとうさんが言ったのでどきんとする。
「紅磨に押されて、つきあってくれてるんじゃないかと心配してたけど。悠海ちゃんも紅磨を想ってくれてて嬉しかったよ」
私はおとうさんを見上げて微笑み、「今の私があるのは紅磨くんのおかげです」と言った。するとふたりともうなずき、紅磨くんも私の手を取った。「じゃあまた」と挨拶して外に出ると、もう暗くなっていた。
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