角砂糖はおあずけ-5

好きになってしまったから

 私のいる公民館前の花壇の周りには、同じく同伴で来たらしい親御さんや年齢の違う友達や恋人が集まって、式典のあいだはそこで待つような感じだ。私はコートのポケットに入れていたスマホを取り出し、ヒマつぶしにSNSを見たりアプリで遊んだりする。そうしていると十時半になって、公民館の扉が閉まって式典が始まった。
 新成人みんなが式典に参加するわけではなく、どちらかといえば再会を楽しむ子や、紅磨くんが言ったようにナンパに勤しむ子もいる。式典って三十分くらいだったかなあ、とあんまり記憶に残っていないので首をかしげる。
 私はスマホで検索画面を開き、このあたりのレストランを調べた。歩ける距離にあるのは、パスタ、ハンバーグ、和食──くらいか。けれど公民館と同じ最寄りだと、混雑がひどいかもしれない。私の部屋がある駅に戻るか、それでも混んでいたら、たぶん紅磨くんは私の料理でも喜んでくれると思うけれど。
 でもおごるって言っちゃったしなあ、と自分の言い方を後悔していると、「弟さんか妹さんと来たの?」と突然声をかけられた。「えっ」と慌ててスマホから顔を上げると、夫婦らしき優しそうなおじいさんとおばあさんがいて、何秒かまごついたのち、「あ、弟と」と思わず嘘をついてしまった。「そうなの、おめでとう」と笑顔で言われて、あやふやに咲い返していると、ふたりはにこにこするまま通り過ぎていった。びっくりした、とか思っていると、やがて式典が終わって公民館の扉が開いた。
 式典のあいだしばらく引いていた人混みが、さっきよりさらに激しく押し寄せてくる。満員電車と同じぐらいの混雑で、「久しぶりーっ」とか「会いたかったあ」といった声が飛び交う。私は取り落とす前にスマホをポケットにしまい、成人式かあ、と思った。
 本当に、あまり記憶に残っていないのだ。二十歳ということは自殺しようとしてまだ一年くらいだから、頭の中は真っ白だったと思う。だけど、あのときもう紅磨くんには出逢ってたんだよね、なんてひとり咲ってしまっていると、「悠海さんっ」と声がして私はごった返す新成人の中に目を凝らした。
 紅磨くんがこちらに手を振って、人をよけながら近づいてきている。やっと私の前にたどりついた紅磨くんは、大きなため息をついて「こいつらみんなタメとか」と苦笑し、私も笑ってしまった。
「式典のあいだ、大丈夫だった?」
「うん。あ、散歩中のおじいちゃんとおばあちゃんには話しかけられた」
「え、何て」
「弟か妹と一緒ですかって」
「彼氏」
「すみません、弟と言いました」
「えっ、彼氏じゃん!」
「何か言いづらくて。ごめん。おめでとうって言ってたよ」
「えー。俺、今日は彼氏に見えない? いつものほうが弟じゃん」
「うん、スーツなのはかっこいい」
「かっこいい?」
「かっこいいよ」
「へへ、悠海さんがかっこいいって言ってくれるならいいや」
 紅磨くんが嬉しそうに咲ったとき、「木ノ村くんっ」と女の子の声がした。私と紅磨くんがそちらを向くと、式典の前に友達に呼ばれて離れていった女の子が、人混みから私たちのほうに歩いてきている。
「よかった、まだいたあ」
「戸宮。何?」
 着物の裾を少し持ち上げてこちらに抜けてきた女の子──戸宮さんに、紅磨くんは首をかたむける。
「ん、っと……このあとって、どうするのかなって」
「彼女とメシ」
「彼女!? え、茉莉紗?」
「何でみんな、茉莉紗って言うんだよ……。俺の彼女、この人」
 そう言って紅磨くんはぐいっと私の肩を抱いて、私は若干恐縮しながら戸宮さんを見る。案の定、戸宮さんはぽかんとして、「は……?」とつぶやく。
「えっ……え、おねえさんじゃなくて?」
「うるっさいな、俺は彼氏だって」
「いくつ?」
「二十七歳」
「うわ、アラサー」
「『うわ』って何だよ」
「茉莉紗は? 茉莉紗はどうしたの?」
「どうもしねえよ。あいつは幼なじみだし」
「嘘でしょ。木ノ村くんは絶対茉莉紗とつきあうと思ってた」
「仲はいいよ。つきあうのはない」
 戸宮さんは私のことをぶしつけに眺めて、納得いかないような仏頂面になった。その気持ちは、何となく分かるけども。
 茉莉紗さんとも友達なのだろうか。だとしたら、確かに私なんて釈然としないだろう。あるいは、この子自身が紅磨くんに好意があったとしても──
「残ってたら、またあれこれ誘われんのかな。めんどいし、悠海さん、行こう」
「あ、」
「何おごってくれんの? 悠海さんの手料理?」
「……どこも混んでるから、私が作ったほうがいい気がしてた」
「よしっ。じゃあ、まず一緒にスーパー行こ。──じゃあな、戸宮」
 紅磨くんは戸宮さんにあっさり別れを告げると、私の肩を抱くまま出口へと歩き出した。私はそれに歩調を合わせつつ、ちらりと戸宮さんを振り返った。戸宮さんは置いていかれて茫然としていたものの、私とかちりと目が合うと、苦々しく睨みつけてきた。
 私はぱっと視線をそらし、紅磨くんの腕の中に隠れる。
「紅磨くん」
「うん?」
「紅磨くんって、中学時代、モテたでしょ」
「えー。いや、別に」
「絶対隠れファンとかいたと思う」
「いないよ、そんなの。いても興味なかったし」
「ほんと?」
「俺は小学生で悠海さんと出逢ってたからねっ」
「私、紅磨くんの青春を奪ってないかな」
「何で。そんなことないよ」
 私は紅磨くんを見上げた。紅磨くんも私を見下ろす。分かる。戸宮さんの気持ちは分かる。紅磨くんなら、私よりもっとかわいい女の子が捕まえられる。そんなこと、紅磨くんを好きになる前から分かっている。
 それでも、もう、私も紅磨くんを好きになってしまったんだもの。この男の子となら、結婚を夢見るくらい、本気で愛しあえるの。私は紅磨くんの肩にことんと頭を乗せると、「私がおばさんじゃなかったらなあ」とつぶやく。
「悠海さんはおばさんじゃないよ」
「あの子、アラサーだってヒイてたよ」
「アラサーも女子だから」
「そうかな」
「俺は悠海さんがアラフォーでもアラフィフでもいいよ」
 さすがに私が噴き出してしまうと、「咲った」と紅磨くんもにっこりする。私は紅磨くんを見て、「ありがと」と微笑んだ。「悠海さんは咲ってたらいくつでもかわいいから」と紅磨くんは私の肩をぎゅっと抱き寄せ、私も素直にうなずくと紅磨くんに寄り添った。
「紅磨くん、何食べたい? 私の作れるもの」
「料理はときどき作ってもらってるから、お菓子食べてみたい」
「お菓子かあ。レシピがあれば、カスタードの焼きプリンが作れるかも」
「マジで。すげー食べたい」
「子供の頃、作っては食べるのにハマったことあるんだよね。あとは、普通にクッキーとか……焼きりんごとか」
「焼きりんごって普通? それも気になる」
「芯をくりぬいてね、そこにキャラメルソース流しこんで焼くだけ。簡単だよ」
「甘い?」
「甘さなら焼きプリンかな」
「じゃあプリン」
「焼きりんごも今度作るね。今、りんごって春まであるから」
「よっしゃ。楽しみっ」
「材料、スマホで調べていかないと。あんなに作ったのに、ずいぶん作らないだけで忘れるなあ」
「もう忘れないように俺がちょくちょくリクエストする」
「うん、よろしく」
 そんなことを話しながら、公民館の敷地を出て、駅までの道を歩いた。
 空が晴れかけて、青空が覗いている。
 紅磨くんが二十歳。でも、誕生日の去年の十月に「お酒飲めるね」と言うと、「酒は味が無理」なんて言われた。そういうところもあって、まだまだ子供っぽいのかなと感じたりするけれど、本当は出逢ったときから紅磨くんのほうが大人なのだ。
 朦朧として泣いている私に言ってくれた。生きていたら、好きだと言ってくれる人も現れると。そして本当に数年越しに現れて言ってくれた。私のことが好きだと。
 だから、はたから見たら釣り合わない恋人同士かもしれなくても、許してほしい。私を一途に想ってくれるこの男の子が、私は本当に大切で、大好きで。歳が離れていても、それよりもそばにいたくて、どうしようもない。
「紅磨くん」
「ん?」
「さっきあんなの言ったけど、やっぱり私、小学生の紅磨くんに出逢っておいてよかったな」
「え」
「それがなかったら、紅磨くんとは何もなかったかもしれないし」
「………、」
「一緒に成人をお祝いしたり、できてなかったかも」
「……そうだったら、俺は意味がないような奴だったよ」
「えっ」
「悠海さんに好きだって伝えたいから、悠海さんが好きになってくれた今の俺ができたんだ」
 私は紅磨くんを見つめた。そして柔らかく微笑すると、「何か全部運命みたい」と言った。「運命だよ」と紅磨くんも微笑んだ。
 運命。そうだとしたら、これからも大丈夫だ。少しくらい障害があっても、私たちなら大丈夫。
 このときはそう思った。それから先が、なかなか甘くないなんて。そんなのは、まだ知らなかったから──

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