角砂糖はおあずけ-11

隠されていた本音

 それから、会議が始まって各店舗の売り上げや人気メニューの情報交換をして、例によって数名の社員さんが感想文を読み、最後は食堂で食事会になった。水津さんがまったくこちらを見ないのがすごく怖いのだけど、どうしたらいいのか分からない。
 荷物を取りにミーティングルームに戻った帰り際、真垣さんがもう一度話しかけてきて、「ごめんね」と謝ってから「綾川さんと木ノ村くんはしっかりしたふたりだから」と水津さんに諭してくれた。水津さんはかすかにそれにうなずき、でも涙でもこらえているみたいにまばたきをしている。
 それは、紅磨くんが気になって私にきつく当たってたくらいだ。泣きたくもなるのかもしれない。もしかして、これからついに謂れのないイジメまで始まるのかな。それを思うと、何だか頭が痛くなってくる。
「真垣さん」
 自分の店舗のバイトの子がやってきて、「じゃあ」と立ち去ろうとした真垣さんを私はとっさに呼び止める。
「うん?」
「え、えと……あの、たまにうちの店舗に遊びに来てくださいね」
「いいの?」
「みんな待ってますよ」
「ふふ、そっか。ありがとう。今度是非。これからも、水津さんと一緒にあの店舗をよろしくね」
 真垣さんはそう微笑むと、バイトの子とミーティングルームを出て行った。私はふうっと息を吐くと、「帰りましょうか」と水津さんに声をかける。真垣さんを見送っていた水津さんは、急にうめいてその場にしゃがみこんだ。
 ここから嫌味の猛襲がついに来るか、と構えると、水津さんが何かをぼそっとつぶやいた。
「えっ」
 聞こえなくて訊き返すと、水津さんは両手で顔を覆って頭を横に振った。
「水津さん?」
「……しい」
「えっ」
「恥ずかしい……」
 思いがけない言葉に私は目を開いた。水津さんは眼鏡を取って目をこすった。
 泣いている? 泣くほど恥ずかしい? 何が?
 わけが分からなくてぽかんとしていると、水津さんは震える息を吐いた。
「真垣さん……」
「えっ」
「真垣さん、と……つきあってるのかと」
「は?」
「綾川さんは、真垣さんとつきあってるって」
「はっ?」
「引き継ぎのとき、あんなに綾川さんを頼りにしてねって言われて、綾川さんのことよろしくって言われて、真垣さんが綾川さんを信頼してるのが分かって。それって、つきあってるから……」
「い、いやっ。ないですよっ。それは、ないです。ほんとに、その、紅磨くんとなので」
「本当に?」
「私と紅磨くんのほうが、見てて怪しくないですか……?」
「………、姉弟みたいなものかと」
「そっちのほうがショックですけど……」
「ご、ごめんなさい」
 水津さんを見た。初めて謝られた。しかもたどたどしい口調で。私はしばし考え、水津さんのそばにしゃがみこんだ。
「水津さん、もしかして真垣さん好きですか」
 水津さんは肩を揺らし、うつむいて眼鏡をかけて表情を隠したものの、こくりとした。思わず私は大息をして、何だ、と首を垂らす。
 じゃあ、簡単だ。水津さんは、私と真垣さんが特別に親しいと思って、そこに嫉妬していたのだ。紅磨くんはぜんぜん関係なかった。むしろ気づいていなかった。
「私、入社式のときから真垣さんに憧れてて。近づきたいのに、どうしたらいいのか分からなくて。今の店舗の店長を引き継ぐことになったとき、告白しようと思ったけど、真垣さんが綾川さんの話ばっかりで。失恋したんだって、勝手に思って」
 まあ、真垣さんはもともとは私に想いを寄せてくれていたけれど。ぶっちゃけ、一度デートもしたけれど。そのあと、私は紅磨くんを選ぶことを伝えたし、それが私の幸せならと真垣さんは身を引いて応援してくれた。
「ごめん、なさい……。私の決めつけで……何か、ずっと」
 私は水津さんを見つめた。ほてった頬にはまだ涙が滑っている。私は仕方なくて笑ってしまい、「大丈夫ですよ」と言った。
「水津さんに嫌われてないなら、それでいいです」
「……私、引け目を感じるとすぐ攻撃的になってしまうんです。嫌われようとするみたいに。それが分かってるから、初対面の人とかすごく苦手で、それで入社式でも浮いちゃって。それを真垣さんが助けてくれて」
「真垣さんも、その話してました」
「憶えてて、くれてるんですか」
「はい。仕事はできる人だって言ってました。だから、これからは私たちバイトの意見とかも聞いて、一緒に頑張っていきましょう」
「……いまさら、みんな」
「そこは私がうまく架け橋になってみるので。バイトのみんなのこと、怖がることはないんですよ」
 水津さんは涙に腫れた目で私を見て、「真垣さんの言う通りにしてればよかっただけなんですね」と濡れた頬をぬぐう。
「えっ」
「綾川さんのこと、ちゃんと頼りにすればよかった」
「………、でも、私も情けないとこはありますから。そういうときは、水津さんが注意してください」
 水津さんは鼻をすすって、「本当にごめんなさい」と言いながら立ち上がった。私はかぶりを振って、「新幹線の時間ありますし、とりあえず出ましょう」とうながした。いつのまにか、ミーティングルームに残っている人がほとんどいなくなっている。荷物を提げて、「お疲れ様です」と出て行こうとすると、「泣き虫店長をよろしくなー」と声をかけてくる社員さんがいて、「了解ですー」と私は笑いながら答えておいた。
 新幹線と電車で地元に戻ると、やっぱりお店に顔を出すのは零時をまわってしまった。紅磨くんはバックにいて、テーブルに突っ伏して居眠りしていた。『帰るよ』というメッセは送ったものの、新幹線では水津さんと話をしていてそれだけだったので、そのあいだに眠ってしまったらしい。
「紅磨くん」と私に肩を揺すられて、紅磨くんは唸ってまぶたをぴくんと動かした。
「零時まわってるよ」
 そう言った私が頭に手を置くと、上体を起こした紅磨くんはぱっと振り返り、「悠海さんっ」と相変わらず子犬っぽく嬉しそうに咲う。
「おかえり。やっぱ遅くなったね」
 そう言いながら、紅磨くんは視界の端で水津さんもいるのに気づいて、心持ち言動をセーブしている。私は紅磨くんの隣の椅子に座ると、「真垣さんに会ったよ」と微笑んだ。
「マジで。元気そうだった?」
「相変わらずマイナスイオン」
「真垣さん会いたいなあ」
「遊びに来てくださいって言ったら、今度是非って言ってたよ。水津さんのことも心配してたし、来るんじゃないかな」
「水津さんのこと」
 私は水津さんを見て、「紅磨くんには話していいですか」と確認を取る。「木ノ村くんなら」と水津さんがいつになくなだらかな口調で言ったことに、紅磨くんは少し驚きながら私を見る。
「あのね、水津さんってずっと前から真垣さんが好きだったんだって」
「えっ」
「で、ここを離れるとき、真垣さんが私のことよく話してたから、まあ……何というか、」
「……嫉妬、です」
 水津さんが正直に端的なひと言を言て、「ええっ」と紅磨くんはさらに驚いて私と水津さんを交互に見る。
「だから、水津さんって私に強く当たってたんだって。でも、真垣さんが私と紅磨くんがつきあってるの、水津さんに教えちゃって。それで逆に──和解、というか」
「俺と悠海さんが店内でつきあってるのはいいんですか」
「そこはしっかりしてると真垣さんも言ってたので」
「マジかー。わー、さらに真垣さんに頭上がんなくなるし。え、じゃあ、もう悠海さんをイジメない感じですか」
「イジメ……というか、態度は改めます。他のバイトの人とも、ちゃんと話します。私、バイトの人と向き合うのを逃げてたので」
「わっ、悠海さんすげえっ。水津さんにここまで言わせるとは」
「真垣さんのおかげだけどね」
「悠海さんもすごいよ。そっかー。じゃあ、俺も改めてよろしくお願いします」
「はい。木ノ村くんの仕事は、とても頼りにしてます」
 紅磨くんはにっこりして、水津さんもひかえめに笑みを作った。それから、まだお店にいるバイトと水津さんが少し話す仲介になるため、私と紅磨くんは閉店までお店にいた。明日は私も紅磨くんもオフだし、時間は気にしなくていい。
 真垣さんに少しアドバイスされた、という体で水津さんは何とかバイトの子と話をして、真垣さんを知っている子はわりとそれで納得したし、知らない子も「入って初めて水津さんの笑顔見れて嬉しい」と言っていた。
「水津さん、なじんでいってくれるといいね」
 通る車も少なくなって暗い帰り道、私の荷物を代わりに持ってくれる紅磨くんはそう言った。私はうなずいて、「やっぱり真垣さんはモテるんだね」なんて言う。
「真垣さんは、水津さんの気持ち知ってるの」
「たぶん知らないかと」
「水津さん、いつか告白できるかなあ」
「ライバル多いだろうね」
「真垣さんだもんなあ。もしうまくいったら、水津さんの自信になるかな」
「何かあっても、真垣さんがついてるのは心強いよね」
「昨日までの水津さんなら失恋しろとか思ってたけど。今はうまくいくといいなと思う」
「はは」
「悠海さんをイジメてたのが、嫉妬だったとはなあ」
「紅磨くんが好きだから、その嫉妬かと思ってた」
 紅磨くんは笑って、「それはないでしょ」とアパートへの角を曲がる。車道沿いではなくなり、いっそう暗くなって、私は紅磨くんと手をつなぐ。
「これから水津さんが柔らかくなってくれれば、店の雰囲気も良くなるかな」
「バイトと向き合うって言ってたし、関係は良くなると思うよ。そしたらみんなのモチベーションも上がるし、売り上げも回復してくるかも」
「真垣さんがいた頃くらいには回復したいね」
「ね。水津さん、仕事はできるって真垣さんにも言われてたし。実際、私あれこれ言われてたけど、そのぶんバイトのことよく見てたってことかもしれないしね」
「そっかあ。会議行ってきてよかったね」
「ほんと。これからまたしっかり頑張れそう」
 私がそう笑むと、「でも、明日は俺とゆっくりだよね」と紅磨くんが言って、私はこくんとする。
「俺も歯医者終わったし」
「えっ、そうなの」
「うん。昨日終わった。へへ、今度こそティラミス作ってもらえる」
「じゃあ、明日作ろうかな」
「ほんと? すげー楽しみ」
 無邪気に咲う紅磨くんに、そっか、と私は胸を撫で下ろした。歯医者、通わないんだ。戸宮さんともこれからは何もない……よね、たぶん。訊いて確かめたかったけど、被害妄想だったら恥ずかしくて訊けなかった。
 公園沿いを抜けると、少し歩けば私の部屋だ。明日はいっぱい紅磨くんに甘えよう。そして、戸宮さんのことなんて忘れなきゃ。甘いのがお預けなのは、もう終わりなんだから。

第十二章へ

error: