角砂糖をちょうだい-7

罪作りなドクター

 そんなわけで、ご両親と紫磨ちゃんと晃穂くん、そして私と紅磨くんでしばらくリビングで歓談した。蒼磨くんは絵梨紗ちゃんに勉強を教わりにいっているらしい。「今度はあいつが受験生かあ」なんて言うおとうさんもおかあさんも、少しのワインでほろ酔いで、お酒が飲めない紅磨くんのご両親だなあと思ってしまう。
 その紅磨くんはちょっとずつ晃穂くんに歩み寄って、晃穂くんはやや堅くなりつつもそれに応じている。私と紫磨ちゃんはふたりを見守っていたけれど、「そういえば」とふと紫磨ちゃんが私を振り向いた。
「こないだは、蒼磨が押しかけて迷惑かけたみたいですみません」
「あ、ううん。蒼磨くん、ときどき遊びに来るし。特にあのときはショック受けてたから」
「みたいですね。絵梨紗も気にしてました」
「絵梨紗ちゃん、告白してきた男の子とはどうなったのかな。知ってる?」
「まだ返事はしてないみたいですけど。返事を迫られたら、断ると思いますよ」
「そうなんだ」
「絵梨紗は昔から蒼磨ひと筋なので」
 私はまばたきをして、「蒼磨くんにそれ通じてないよね」と確認した。「鈍感なんですかね」と紫磨ちゃんはグラスのアイスレモンティーを飲む。
「蒼磨くんは、絵梨紗ちゃんに何度も振られてるって話してたけど」
「絵梨紗もなかなか素直になれないみたいで。年上っていうのをかなり気にしてるんです」
「年上」
「蒼磨が一年早く生まれてたらなあってよく言ってます」
「……なるほど」
「私は気にしなくていいと思うんです。蒼磨も気にしてないし」
「そう、だね。でも、気にしちゃう気持ちは分かるかな」
「悠海さんとにいさんは七歳差でしたっけ」
「うん。年下の男の子にぐいぐい来られると、どうしたらいいのか分からなくなるときはあるよ」
「そうなんですか。悠海さんって、絵梨紗とは話したことないんでしたっけ」
「挨拶くらいかな。どうして?」
「にいさんの彼女も年上だよって話したとき、あの子、親近感持ってたようなので。話してみたいって言ってました」
「そっか。絵梨紗ちゃんが話したいなら、私はぜんぜん構わないよ。しっかり意見できるわけじゃないけど」
「ほんとですか」
「それで蒼磨くんと向き合ってくれるきっかけになるなら」
「ありがとうございます。じゃあ、悠海さんが話してくれるって伝えておきますね」
 私はうなずき、そうだよね、と思った。紫磨ちゃんは絵梨紗ちゃんの親友だ。絵梨紗ちゃんの相談は、紫磨ちゃんが一番聞いてきたと思う。
 年上。確かにたった一歳差。だけど、十代には大きい。私が紅磨くんに告白されてどぎまぎしたみたいに、絵梨紗ちゃんも蒼磨くんからのアプローチに素直になる自信が持てないのかもしれない。
 夕暮れが降りてきた頃、紅磨くんと晃穂くんはようやく打ち解けはじめた。駅前での別れ際には「紫磨のことよろしく」と紅磨くんは晃穂くんの肩を軽くたたいて、すっかりおとうさんより紅磨くんに畏縮していた晃穂くんも「はいっ」とそれに元気よく答えていた。私は見送りについてきた紫磨ちゃんと顔を合わせて、笑ってしまう。
 晃穂くんは紫磨ちゃんに「また連絡する」と約束し、私にも頭を下げると、先に改札を抜けていった。「俺たちも帰ろっか」と紅磨くんは私の手を取り、「うん」と私はその手を握り返す。
「紫磨、蒼磨にもよろしく」
「分かった。悠海さん、絵梨紗のことお願いします」
「絵梨紗ちゃんの都合のいいときが決まったら教えてね」
「はい。連絡先教えてもらってすみません」
「ううん、紫磨ちゃんなら」
「何? 女子会すんの?」
 紅磨くんが首をかしげ、「私だけ女子じゃないよ」と私は苦笑いする。
「紅磨くんにも、私が説明しておくね」
「よろしくお願いします。ほんと、こんな兄貴までお任せしちゃって」
「ふふ、私には頼りになるよ。じゃあ、紫磨ちゃんは帰り道に気をつけて」
「はい。じゃあまた」
 私は手を振って、紫磨ちゃんは会釈し、「幸せにしてもらえよ」と紅磨くんは妹の頭をぽんとした。そして私たちも改札を抜けて、夕焼けが射しこむ電車でいつもの町に帰る。
 部屋に向かう前にスーパーに立ち寄り、紅磨くんのリクエストでハンバーグの材料を買った。茜色の空が薄暗くなりかけて、涼しい風がするりと流れていく。
「蒼磨くんに会えなくて残念だったね」と私が言うと、「受験生に勉強中断してこいとは言えないしね」とスーパーのふくろを持ってくれている紅磨くんは咲う。
「しかも絵梨紗といるなら、邪魔すると拗ねるから」
「そっか」
「あ、それで、悠海さん、絵梨紗と何かあるの?」
 私はこくりとして、絵梨紗ちゃんが私と話したいと言ってくれていることを話した。例の男の子には返事をしていないこと。絵梨紗ちゃんも蒼磨くんを想っているらしいこと。でも年上というのを気にしていること。「そこは悠海さんは先輩だもんね」と紅磨くんはくすりとして、「紅磨くんに告白されたときはびっくりしたもんなあ」と私はしみじみ思い返す。
「俺、けっこうだだ漏れだった気がするけど」
「まさか恋愛感情とは思わなかったもん」
「告白したら意識してくれたよね」
「ん、まあ。でも確かに、紅磨くんの気持ち受け入れていいのか迷ったなあ」
「絵梨紗もそんな感じなんだね」
「そうみたい。でも、蒼磨くんなら大丈夫だよって言いたいな。紅磨くんの弟だもん」
「これだけ想ってきたんだから、蒼磨は浮気はしそうにないね」
「はは。でも私、蒼磨くんが子供の頃、にいちゃんやめて俺にしないかって言われたなあ」
「えっ、何それ。そんなん言われたの」
「紅磨くんもいたよ。憶えてない?」
「………、言ってた気もする」
「恋愛とか分かってない頃の話だけど。高学年になったあたりからは絵梨紗ちゃんだけだよね」
「俺から悠海さん取ろうとするとか、やっぱかわいくない……」
 仏頂面の紅磨くんに噴き出していると、あたりも暗くなってマンションに着いていた。部屋に到着すると、「俺も手伝うよ」と言ってくれた紅磨くんとふたりでキッチンに立つ。手ごねハンバーグとにんじんのグラッセ、ハムときゅうりのポテトサラダ、そしてコンソメスープに白いごはん。そんなメニューをテーブルに用意すると、ふたりでまったりと夕食の時間を過ごした。
 私も紅磨くんも病院勤めで、祝日はきちんと休みが重なるのが嬉しい。すぐにまた仕事が始まるけれど、今はささやかにふたりきりだ。蒼磨くんと絵梨紗ちゃんにも、好きな人とのこんな時間を知ってほしいな、と思う。
 紅磨くんの気持ちを知ったときは、私も驚いてとまどったけれど、受け入れてよかった。紅磨くんが年下だから、なんて理由で心を閉ざしていたら、今感じている幸せは何ひとつなかったのだ。
 その夜、紅磨くんは私のことを抱いてくれた。私に触れる紅磨くんの手はいつも優しい。欲望に任せて荒っぽく抱かれたことはないと思う。じっくり蕩かした入口から私の中に分け入って、奥まで満たしてくれる。私の角度や位置、タイミングを紅磨くんは毎回確認して動いて、私の震える息遣いにキスしたり、ほてる首筋を甘く咬んだりする。
 私は紅磨くんの背中に腕をまわして、筋肉のついた軆にしがみついた。耳元でかすれそうな声で名前をささやかれると、どきどきして力が抜けそうになる。揺蕩っていた快感がどんどん大きく波打ち、押し寄せてくる。喘ぐ声がこぼれると、紅磨くんは私を抱きしめて、核に響くように貫いた。それが追い討ちになって頭の中が白くなり、私はいつも紅磨くんの名前を呼びながら絶頂に達してしまう。締めつけた刺激で紅磨くんも爆ぜて、私の中でコンドームにどくんと吐き出す。
 しばらく、そのまま汗ばんだ軆を重ねて息を切らしていた。やがて上になった紅磨くんが先に動き、引き抜いてコンドームを捨てると私の隣に横たわって髪を撫でてくれる。
「早く一人前になりたいな」
 不意に紅磨くんがそんなことを言ったので、私は首をかたむけてそちらを見る。
「俺、悠海さんとの子供は欲しいから」
「子供」
「でも、その──悠海さんの年齢って気にしたことなかったけど、子供生んでもらうなら少し考えなきゃいけないね」
「そう、だね。南乃とか、ほんとに三十までにふたり生んじゃったもんなあ」
「今のうちにいっぱいふたりの時間過ごして、結婚したらすぐに作ろうね」
「うん。って、そんな簡単にできるのかな」
「分かんないけど。まあ、頑張ろう」
 私は咲ったあと、小さくあくびをもらして紅磨くんの温かい胸に顔を伏せた。「眠たい?」と訊かれてこくんとすると、「寝よっか」と紅磨くんはベッドスタンドのライトを消す。室内が暗闇に包まれ、手探りにごそごそと毛布をかぶる。
 抱き寄せられると、紅磨くんの心臓の音が鼓膜に近づいた。優しい、澄んだ心音。睫毛を伏せてその音に耳を澄ましているうち、意識が溶けて私は深く眠ってしまっていた。
 そんな甘やかな連休が終わって、朝早く出勤する紅磨くんを見送ったあと、私自身も身支度して病院へと出発した。更衣室で白衣を着て、まだ患者さんのいない待合室を横切って心理室に入ろうとしたとき、「悠海ちゃんっ」と弾んだ声に名前を呼ばれた。
 振り向くと、七重先生が例によってにこにこして近づいてきている。「どうかしたんですか」とまたろくでもないことを言うのかなあと思いつつ訊いてみると、「こないだ会えたよー」と先生は屈託なく咲った。
「会えた、って」
「茉莉紗ちゃん」
「は……はっ? どうやって」
「昼休み、いろんな場所で待ち伏せた」
「ストーカーじゃないですか」
「恋をするとストーカーはやっちゃうね、うん」
「恋……」
 受付の藤尾さんをちらりとした。しっかり目が合ってしまい、明らかに怒りのこもった眼つきをされた。いや、私にそんなガンを飛ばされても。遠藤さんは関わりたくないのか、気づかないふりをしている。
「先生、あの──」
「それでね、ふふふ、何と連休中に一度デートをしてもらったのです」
「えっ、OKしてもらえたんですか」
「僕の魅力を総動員して口説いた」
 茉莉紗さんは口説くだけでは振り向く気がしないけれど。ただでさえ、初対面の先生の印象は最悪だったようだし──「頑張ったんですね」としか言えない私に、「頑張った!」と先生は子供みたいな笑顔でうなずく。
「ただ、先生」
「はい」
「もしつきあうことになったら、もう浮気はダメですからね」
「了解っ」
 ほんとに分かってるかな、と胡散臭く感じつつ、再び藤尾さんを一瞥する。今度は視線はぶつからなかった。
 茉莉紗さんに恋人ができるのなら、私としてはありがたい話ではある。七重先生が相手というのが、至極不安だけれど。
「じゃ、また報告聞いてねー」と先生は浮かれた足取りでひらひらと診察室に行ってしまい、私も藤尾さんに何か訊かれる前にと、急いで心理室のドアを開けた。

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