相談ごと
五月の中旬に入った日、仕事を終えて更衣室でスマホをチェックすると、紫磨ちゃんからメッセが届いていた。絵梨紗ちゃんに私の連絡先を伝えていいかという内容で、私は『大丈夫だよ。』と返信しておいた。既読がすぐつく様子はなかったので、スマホをしまったバッグを肩をかける。
七重先生と受付のふたりには、もう挨拶していたので、そのまま更衣室から廊下に出てエレベーターで地上に降りた。
まだ初夏だとは思えない陽気で、日射しがまばゆく視界に射しこんでくる。行き交う人がにぎわう駅前を抜け、帰宅の前にスーパーに向かった。今日の夕ごはんは何がいいだろう。五月だし、たけのこのごはんとか食べたいかな。合うおかずってどんなのがあるだろ、とレシピサイトを見ようとスマホを取り出して、病院をあとにして十五分くらいのあいだに、着信がついていたのに気づいた。
新しい友達の通知だ。絵梨紗ちゃんかな、と友達一覧を開くと、『えりさんを友達登録しますか?』というポップアップが現れる。たぶん“えりさ”の“えり”だろうと推して、『はい』をタップした。すると、トークルームにメッセが届いている通知も来る。
『初めまして。絵梨紗です。
こーまにいちゃんの彼女さんのゆうみさんで合ってますか?』
歩きながらだと、入力する指が安定しない。私はいったん立ち止まり、近かったコンビニのひさしに入った。クリーニング屋や喫茶店の並ぶ通りで、ガードレールの向こうでは車が往来している。
『初めまして。ちゃんと合ってます。』
私の返事にすぐ既読がつき、『わあっ、ゆうみさん、連絡先ありがとうございます!』とぽんとメッセが表示される。
『しまちゃんに聞いたんですけど、あたしとお話してくれるってほんとですか?
突然で迷惑じゃないですか?』
『いえ、私でよければお話聞きますよ。』
『あああ、嬉しいです!
ゆうみ姉さんって呼びたいです!』
思わず噴き出してしまい、どうやら姉の茉莉紗さんとは雰囲気が違う女の子なのは察した。蒼磨くんを相手にしないとか聞いていたし、そっけない子なのかなとも思っていたのだけど、文面で人懐っこいのが窺える。
『呼び方は自由にどうぞ。
お話する機会なんですが、私は平日はお昼過ぎまで仕事なことが多くて。
絵梨紗ちゃんの都合はどうですか?』
『私も平日の昼間は学校です!
でも休日は、ゆうみさんはこーまにいちゃんと過ごす感じですよね?』
確かに、と思ってやや返信に悩んだものの、『絵梨紗ちゃんが休日のほうが都合つくなら気にしないでください。』と答える。
『あたしも土日はそーまに勉強教えてるかもしれないんです。
用事あるからごめんねって言うと、またあいつ勘違いするかもしれないし。』
なるほど、と思っているとメッセは続く。
『ゆうみさんに会うってほんとのこと言っても、そしたらあいつついてきそうで。
そーまがいたら、肝心なこと相談できない……』
『じゃあ、学校が終わった放課後とかどうですか?
夕方なら私も仕事上がってるので。』
『いいんですか?
お仕事のあとも、いろいろいそがしくないですか?』
『大丈夫ですよ。
紅磨くんに言っておけば、少し遅くなるのも平気です。』
『ありがとうございます!! 助かります!
場所はゆうみさんが決めておっけーですよ!』
場所かあ、とちょっと考える。けれど、いつものファミレスでいいか、と結局思い、駅名とファミレスの名前を伝える。
『こーまにいちゃんがバイトしてたとこですか?』
『あ、そうです。私もそこでバイトしてて。』
『おおっ! じゃあ、あのファミレスってこーまにいちゃんとゆうみさんが出逢った場所なんですね!』
正確にはそれ以前にもあれこれあったけど、一応ここは『そうです。』と答えておく。
『こーまにいちゃんって、今は病院で働いてますよね。
ゆうみさんは今もあのファミレスでバイトしてるんですか?』
『私は駅前の心療内科で働いてます。
いつか紅磨くんと開業したいので、その勉強です。』
『ふたりで開業! いいなあ!
その話もすっごく聞きたいです。
あ、それで、会ってもらう日なんですけど、急かもだけど中間の試験期間に入る前がよくて。』
『中間っていうと、五月末くらいですか?』
『そうなんです。
だから、あたしは明日とかでもいいんですけど。
すみません、いきなりすぎますか?』
明日──も、午前診のみの出勤なので、私が先に行って待っておくことができるだろう。『じゃあ明日、仕事終わったらファミレスで待ってますね。』と応じると、うさぎが万歳しているスタンプが来て、続いて『ありがとうございます!!』と絵梨紗ちゃんは力いっぱいお礼を述べてきた。
私はくすりと笑みを噛むと、『明日はカーキのチュニックを着ていくので、それを目印にしてください。』と伝え、『目印は大事ですねっ。あたしの制服はえんじのブレザーです!』と絵梨紗ちゃんも特徴を教えてくれた。
『あ、ゆうみさんごめんなさい! ホームルーム始まっちゃう。明日、ゆっくりお話しましょう!』
絵梨紗ちゃんのそんなメッセが飛んできて、私は素早く了解のスタンプのみ送った。既読はついたけど、メッセは続かない。ふうっと息をついて、スマホにかたむけていた首を上げる。
明日の夕方。紅磨くんも了承してくれるだろう。紫磨ちゃんには絵梨紗ちゃんから報告が行くと思うし、とりあえず私がやることは、明日ちゃんとファミレスで絵梨紗ちゃんの話相手になることか。
けっこうテンション高い子だったなあ、とスマホをバッグに入れかけたものの、違う、とそもそもはレシピを見たかったのを思い出した。そう、夕食のたけのこごはんに合うおかずだ。そのままコンビニの日陰でいろいろ見た結果、ぶり大根とかぼちゃのサラダ、あさりのお味噌汁を添えることにした。そうと決まると、通りをまっすぐ行った先のスーパーに急いで、材料を見繕って、十六時前に部屋に帰宅した。
まずは洗濯を始めて、軽く掃除も済まし、十七時頃からゆっくりと一時間以上かけて夕食を作った。十九時前に洗濯物がほかほかに乾燥まで仕上がり、ハンガーやラックに片づける。それからテレビを眺めつつ、私が絵梨紗ちゃんに言えることって何かなあと考えたり、かたわらのスマホをいじったりしていた。
不意にスマホが鳴って、手に取ると『電車乗った~帰る~』という紅磨くんのメッセがポップアップになっていた。ひとり微笑んでしまいつつ、『お疲れ様。ごはんできてるからね。』と返信すると、『今日の晩飯何?』なんてラリーが始まる。しばし文字で会話していると、紅磨くんが急に『着いた! 十五分で帰る。』とメッセを飛ばしてきた。
そこで私は慌てて立ち上がり、料理を温めなおす。湯気にふんわりといい匂いがただよってきた頃、「ただいまー」と紅磨くんの声がして、私は「おかえりなさい」と玄関に駆け足で向かった。
紅磨くんが汗ばんだ服を着替えてひと息つくと、一緒に夕食を食べながら絵梨紗ちゃんの話をした。「わりと活発な子?」と訊くと、「遠慮はあんまりないね」と返ってきた。そんな子でも恋となると臆病になるんだな、なんて微笑ましく思う。
「悠海さんを巻きこんでごめんね」と謝った紅磨くんに私はかぶりを振り、「私が役に立てるなら」と言った。紅磨くんは優しく咲って、「ありがとう」と言ってくれた。
そんなわけで翌日、私は仕事を上がるとファミレスに向かった。ランチタイムが終わる直前の十五時前で、私はあまり考えずにランチのオムライスとコーンポタージュのセット、それにドリンクバーをつけた。
学校が終わって、こちらまで帰ってくるのを考えると、けっこう待つことになるだろうと思ったので、本を持ってきた。紅磨くんが読み終わって本棚に入れていた、海外の心理学者の翻訳本だ。映画や漫画に共感することを取り入れた心理療法について書いてあり、おもしろいなと読み進めつつ、柔らかな匂いが立ちのぼる料理もゆっくりと食べていく。
やがてお皿が空になって、ウェイトレスの回収によってドリンクバーのグラスだけが残っても、黙々と本を読んでいた。ランチタイムが終わって静かだったはずの店内がまた騒がしくなってきて、学生が増えたことに気づいていると、「いらっしゃいませ」の声に「えーと、待ち合わせなんですけど」と答えるのが聞こえたので、何となく入口を見やった。
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