romancier obscur

Koromo Tsukinoha Novels

START OVER-5

 古村の実家はマンションの一室で、リビングでテレビを観ていたおかあさんは、突然息子が女を連れてきたのでびっくりしていた。けれど、わりと嬉しそうに対応してくれて、「ゆっくりしていってくださいね」と言ってくれる。武上のことは本当に知らないらしい。
 古村は自分の部屋に私を案内して、「冷えてきたな」とホットコーヒーを淹れてくれた。「どうも……」と受け取ると、「ベッド座っていいから」と言われて、そうする。古村も隣に腰かけてコーヒーをすすった。深入りの匂いが部屋にただよう。
「古村」
「ん」
「おかあさんの中で、古村のその指輪の相手が、私になったかもしれないんだけど」
「なっただろうなあ」
「………、武上と結婚するんでしょ」
「プロポーズ、まだしてなかったし。考えてただけ」
「別れるの?」
「そしたら、城嶋が彼女になる?」
「ならねえよ」
「そうだよな。じゃあ、やっぱずるずる実留香と結婚するのかもな」
「……結婚式に私を呼ぶなよ」
「呼ぶに決まってるだろ。俺の大切な人なんだから」
「嫌がらせなんだけど」
「そうだよ。俺を見てくれなかったことを後悔してほしい」
 私が眉をひそめていると、コーヒーを飲みほした古村はベッドに倒れこんだ。
「ガキの頃、よくここで、城嶋のこと考えながらオナニーしたなー」
 私は思わず噎せそうに動揺しつつ、「バカじゃないの」と切り捨てる。古村は楽しそうに笑ったあと、起き上がって私の背中を抱いてきた。
「城嶋……」
 名前と共に、吐息が私のうなじを這う。平静を装ってコーヒーを飲もうとすると、古村はマグカップを取り上げてベッドスタンドに並べてしまった。
 そして、腕を引っ張って私をシーツに押し倒す。
「いい?」
 古村がそう言ったので、「拒否っていいの?」と真顔で返すと、古村は微笑んで「ダメ」と私の耳元でささやいた。
 そうして、私は古村と寝てしまった。古村の熱っぽい指が素肌をたどって、強いキスの痕が紫色に咲いていく。私は指の関節を噛んで、何とか声をこらえた。それでも、古村の指先が脚のあいだにたどりつき、核を探り当てられて敏感にいじられると息がもれる。
 キスの舌遣いもそうだけど、その指遣いも繊細で、まるで快感をすくい出すように感じさせてくる。「俺のも触って」と言われて、私は腰にわだかまっていく快感に小さく息を切らしながら、古村にスラックス越しに触れた。
 硬くなっていて、本能的にそこにキスをしたいと思った。だから、ファスナーをおろして、取り出したものにそうすると、古村は切なくうめく。そうやってしばらくお互いを口や指でなぐさめていたら、自然と膣の奥が小さく痙攣して「欲しい」と思った。
 それを言うと、ゴムをつけた古村は私の上になって、入口にあてがい、ゆっくりと分け入ってきて──
 初めの動きは緩やかだったけど、次第に荒々しくなっていく。古村は突き上げながら核をさすり、大きな快感が訪れて私の軆はびくんと反応した。それでも古村は動きを止めなくて、私は絶頂しためまいから立ち直る前に、また快感にまとわりつかれて、あっさりとまた達してしまう。
 結局、自分が何度いったのか、もうよく分からなくなった。古村も私の中で、ゴムの中にたっぷりと射精した。
 息遣いが部屋の空中を彷徨う。古村は私の瞳を見て、引き抜かないうちに唇を重ねた。快楽の名残で浮かされた私は、それに少しだけ応じた。「好きだよ」と古村は私の耳たぶを甘咬みする。
「ずっとこうしてたいくらい好きだ」
 私は軽くはずむ呼吸だけしていて、それに言葉は返さなかった。いかされまくった腰から肢体までが、蜜が絡みついたみたいに甘やかにだるい。
 あーあ、彼女持ちとやっちゃった。しかも、別に私自身は古村をどう思ってるのか分からないうちに。
 流されまいと思っていたのに。古村のキスや言葉、瞳や指に負けてしまった。こんなの、泥沼に飛びこむのと同じだ。
 明け方まで、私は古村の腕の中にいた。休日だったらまだそうしていたかもしれないけれど、今日も平日で出勤だ。始発が出る頃、とりあえず部屋に戻ることにした。
「じゃあね」と私が玄関のドアを開けると、「城嶋」と古村は呼び止めてくる。
「何だよ」
「また会ってくれる?」
「……分かんない」
 古村が何か言おうとしたけど、聞く前にドアを開けて外に出た。
 朝の凛と冷えた空気に思わず身震いした。エレベーターで地上に降りると、蒼ざめた黎明の中を駅に向かってぼんやり歩いていく。住宅街は静かだったけど、駅前は早くもざわめきはじめている。
 私は電車に乗って最寄り駅に帰りつき、部屋に急いだ。本当は五分でいいからぼうっとしたいところだけど、振り切って身支度を整えると、何もなかったような顔をして出勤する。
「先輩、おはようございますー」
 私がオフィスに到着した数分後、武上がめずらしく始業ギリではない時刻に出勤してきた。そして、何だか覇気がなく私に声をかけてくる。
 どうしたの、と言いそうになったけど、いつも邪慳なのが急に気遣ったら怪しいか。なので、「死んでるな」と言うと、「昨日、健太くんからおやすみの電話がなくてえ」と武上は目をこすろうとして、化粧に気づいたのか手をおろす。
「よく眠れなかったんです」
「……そういうの、初めてなの?」
「そういうわけじゃないんですけど。朝には電話来て、寝落ちって言われます」
「じゃあ、それ信じてろ」
「寂しいじゃないですかっ。あたしは健太くんの『おやすみ』がないとダメなのに」
「………、自分からかけないの?」
「かけましたよ。でも健太くん、寝たらもう電話出ないから」
「ふうん……」
「あー、もうダメ。つらい。今日は仕事の効率悪いんで、よろしくお願いします」
「何をよろしくされるんだよ……」
 武上は自分のデスクに向かっていく。私は内心ほっとしたものの、いつもみたいに武上の目を睨みつけて説教できなかったなと思う。武上が違和感を覚えなかったのならいいけれど──
 そして、その日以来、古村から相変わらず何かしら連絡が来た。私はそれに、一応、返事をする。会ったのはあの一回だけど、古村とつながっているだけで、武上に対しては気まずさが募った。
 武上は、本当にうざったい後輩だけど。だからって、彼女に嫌がらせしたいとかは思っていないし、裏切っているのは心苦しい。
 そんな頃、糸依が筑紫のイベントのチケが当たったとかで連絡してきた。「真幸も行けば、物販でグッズふたりぶん買えるから!」と懇願され、いつものことなので「はいはい」と請け合っておいた。
 かくして十月も下旬にさしかかった週末、いつものバリキャリの風格とは違う、完全に彼氏に会うときのメイクやファッションで決めた糸依と合流すると、私たちはイベント会場に向かった。
 モールの中に入った会場で、とりあえず先行物販で「戦利品」を買ったら、イベント中は私はウィンドウショッピングなりカフェでお茶なりしていればいいそうだ。
 お言葉に甘えて、入場が始まって糸依が会場に入っていくのを見送ると、私は今年の冬服やらコスメやら見て、カフェモカをテイクアウトした。イベント会場が入ったフロアに戻ると、ドームになった最上階までの吹き抜けに面する、誰もいないベンチに腰をおろす。
 糸依に古村のことを相談しようか、ちょっと迷っている。でも、さすがに怒られるよな、一線を越えたことは。
 どうして私は、あのキスに流されてしまうのだろう。私もけっこう古村のこと好きなのかな。それは、嫌いじゃないけど。私は古村のことなんて完全に忘れていた。幼かった彼の夢を見ても、思い出せなかったのだ。そう、でも──夢でさえ情熱的な恋ができない私に、少年だった古村は「好き」と言ったっけ。
 そして、現実でも奴は言った。あの頃からずっと好きなんだ、と。その気持ちは知っていた。揶揄われていたのを見た。私もそのときから、実は古村を意識していたのだろうか。
 考えこみながら、カフェモカのほのかなチョコレートの味をすすっていると、「ねえ、あっちのお店も見たい!」とどこか聞き憶えのある、はしゃいだ女の声がした。
 思わず、身構える。だって、武上の声じゃなかった? まさか、とおそるおそるあたりを見まわすと、吹き抜けの向こう側には、糸依みたいにデート服で決めた武上がいた。
 その連れのすがたはもちろん古村だ。こちらには気づいていないようだったので、気づかれる前にすぐ顔を伏せる。
 何でこう遭遇すんだよ、と歯噛みしても、ここは休日の市街地のモールだから、デートスポットではあるか。
 古村と武上、デートとかしてるんだな。別に険悪になったりしてないんだ。私を優先したいようなことを言っといて、古村は何だかんだ武上にも優しくしている。
 あいつ、なかなかに悪い男だぞ。だったら、揺れる必要なんてないじゃない。きっと古村では私は幸せになれない。それなら、私は──
 そのうち、イベントで推しとの時間を満喫して、ほくほくした様子で現れた糸依が声をかけてくる。顔をあげた私に、糸依は驚いて目を開いた。
「え、何かあった?」と言われて初めて、私は自分が泣いていることに気づいた。
「まったく……何をしてるんだよ、あんたは」
 私が泣いているところなんか、糸依は初めて見たと思う。だから、奴にしては狼狽えた様子で、私をモール内のファミレスに連れこんだ。
「大丈夫?」「何かされたの?」と心配してくれていたけど、ついに私が古村との関係について口を割ると、糸依は露骨に面倒臭そうなため息をついてそう言った。
「バカなの?」
 しかも、追い打ちのようにそうあきれてみせた。それに言い返せる立場でもない私は、「はい……」と神妙にうつむく。糸依はまだテーブルにそれしかないので、お冷やをごくっと飲む。
「いいか、真幸」
「はい」
「古村くんは、今すぐブロックしろ」
 私は糸依に顔をあげた。
「え……いや、それは──」
「そんなのね、初恋を久しぶりに思い出してふらっふらしてるだけだから。遊びなんだよ」
「遊び……」
「古村くんだけじゃない、真幸にとってもちょっとした火遊びなの」
「……そう、なのかな」
「何、古村くんが好きなの?」
「分かんない……」
「武上さんから掠奪したいほど、本気なの?」
 口ごもってしまうと、「だったらやめとけ」と糸依は両断した。
「あんたが揺れてるのも、自分が古村くんの初恋相手って優越感でしょ。あんた自身の気持ちで揺れてるならまだしも、完全にほだされてるだけじゃない」
「……そうなのか」
「武上さんから奪うことより、あんたには古村くんに変な情があるだけで、『好き』って気持ちがないことが問題だと思うわ」
 私には、古村への気持ちはない。そう、なのかな。そこまで古村を想ってないのかな、私。
 なぜか、あの夢が脳裏によぎった。怒ったような拗ねたような顔で、「好きなんだよ」と私に言ってくる昔の古村。
 もちろん、当時は言われなかった。でも、私は知っていた。だって、あんなにみんなに揶揄われてたもんね。同窓会で語り草にもなってたよ。
 糸依の言う通り、これは優越感なのだろうか。彼の初恋相手で、刷り込まれただけの揺らぎなのだろうか。
 私たちは、子供じゃなくなった。成長して、蕩けるようなキスをして、一晩じゅうベッドで愛し合った。そんなことができるほど、大人になった古村のことを、私は──
「……何で、泣いちゃったんだろう」
 糸依はこちらを見て、何か言おうとしたけど、私は畳みかける。
「ひどい男だって思うよ。いまさら何なんだよって思う。でも、あいつ、私のこと『ずっと好きだった』って言った。忘れられなかったって。告れなくて後悔してたって。何か……何でさあ、そんなこと言うの? そう言ったのに、どうして武上と咲ってるの? わけ分かんないよ」
「………、」
「私だって……嫌だよ、あんな奴、好きになりたくなかった」
「……真幸」
「再会なんかしなきゃよかったんだ」
 私を見つめる古村の瞳が、まぶたにちらつく。それを、武上に向けていた彼の笑みがぐちゃぐちゃにする。かき乱されたみぞおちに、私はついにまた泣き出してしまう。
 糸依は、しばらく私をそのまま泣かせていた。そのあと、仕方なさそうなため息をつく。
「もし真幸が古村くんのこと好きなら、私はあんたがどう突っ走ろうが止めない。掠奪愛でもいまさらの恋でも応援する」
「糸依……」
「でも──親友しては、あんたに傷ついてほしくないんだよ。やっぱり、連絡先ブロックするほうを勧める」
「……傷つく、かな」
「もう傷ついてるじゃない」
 唇を噛み、視線を下げる。ひたひたに濡れた睫毛が重たい。
 このまま古村と会っていたら、私は傷つく。糸依の言う通りだろう。彼の腕に奪われるたび、どんどん欲しくなる。ひとり占めしたくなって、武上に嫉妬も覚える。でもそれをぶつけてはいけなくて、あまつさえ殺さなくてはいけなくて、絶対に心はずたずたに苦しくなる。
 古村のことは、拒否る。話さえせずに、無言でブロック。それしかないのだ。

第六話へ

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