万華鏡の雫-8

赤い夜

 二時間目からさりげなく教室に混ざって、一日を過ごした。帰りのホームルームで雪見が現れ、恵波のほうを盗み見ると、顔をうつむけていた。雪見のことも、どうすべきか考えなくてはならないのに。殴るどころではない。にこやかに生徒に話す雪見を、真っ二つに引き裂いて殺したかった。
 俺のつくえにコルク色の封筒を投げ入れていたのも、雪見なのだろう。宣戦布告のつもりか。恵波のプライバシーを盗撮して。下着も盗んで。精液をつけて返すなんて。死ねばいいのに。
 放課後、もちろん俺は恵波を部屋まで送り届けた。恵波は不安そうに俺を見つめていた。ルームメイトがまだいないようだったので、俺はその部屋で短く恵波とキスをした。そして「また明日な」と微笑み、部屋に帰った。
 早凪は私服で椅子に座って、スマホをいじっていた。首を捻って俺を見ると、「おかえり」と口元だけで笑った。
「そのスマホって、いつのまに持ちこんだんだ」
「入学したときから持ってたよ。ないと死活問題だからね」
「……死活ってほどではないだろ」
「そうでもないよ。情報はここからもらってるし」
「情報」
「今夜、ちょうど入荷したみたい。今夜って言っちゃったからさ、調達からしなきゃいけないかと思ったけど」
「はあ」
「じゃあ、とっとと着替えて。出かけるよ」
「どこに行くんだ」
「俺がいつも行ってるクラブ」
「……クラブ、ですか」
「ちょっと特殊なクラブね」
 訝しみながらも、ぐだぐだ話していても仕方ないので制服を着替えた。それを待っているあいだ、早凪はずっとスマホをいじっていた。メールだろうか。着信があって、何か読んでくすくす笑っている。
 何というか、つかみづらい奴だとは思ってきたけれど、本当に何を企んでいるのだろう。また明日、と恵波に言った。明日──俺帰ってきてるよな、と一瞬思ったけど、考えこむより振りはらった。
 夕食前なら、寮から外に出るのは自由だ。夕食後、先生がひと部屋ずつ確認にまわる。そのとき、俺は早凪は風呂だトイレだとごまかしていたわけだ。さすがにユニットバスに踏みこんでまでの確認はないので、それで済む。今日はふたりとも留守にするのでどうするのかと思ったら、逆にまじめに外泊届を出してきたそうだ。
 春にこの町にやってきたものの、俺は外出することなんて、滅多とない。駅前の景色も春に見たまま慣れていなくて、ただ暮れる日の中を行き交う人はみんな防寒をしっかり固めている。
 十二月が近く、皮膚を裂くような勢いの風は確かに冷たい。俺は学校のコートしか持っていないのでそれを着てきたが、早凪は私服のジップアップを着ていた。帰宅ラッシュで混んでいる電車に揺られ、乗り換え、また揺られ、けっこう遠くまで来た。駅を出発したのが十八時過ぎで、時刻は二十時になろうとしていた。
 たどりついたのは、イルミネーションと人混みが騒がしい街だった。煙草、香水、店先のテイクアウトの匂い。「いつもこんなとこまで来てるのか」とはぐれないようにしながら訊くと、「まあね」と返ってきた。
 ふと路地に入った早凪は、薄暗い道を進み、ステッカーだらけのガラス越しに、地下への階段が見えるドアを押し開けた。ややすくみそうになっても、こんな初めて来る場所、置いていかれるわけにもいかないのでついていく。音楽が地響きのように鳴っていて、降りるほどボリュームがすごくなってくる。やがて階段が終わり、薄暗い室内で人がうごめきあっている光景が飛びこんでくる。早凪は俺を振り返って笑った。
「怖い?」
「………、こんな、とこ──何しに、」
「穂村じゃなくてごめんね」
「え、」
 狼狽えたのと同時に、早凪はするりと俺と腕を組んで混雑に踏み出した。何。何だ。まさか恋人の振りでもしろとかいうのか。何のために。というか、男同士で──
 と思って、ふと周りを見まわして気づく。男だらけということはなかったが、普通に口づけを交わす男同士がいる。女同士もいる。男女があんまりいない。
「何だよ、ここ。いや、俺は男同士とか分かるけど──」
「この部屋には用事ないから落ち着いてよ。こっち」
 早凪は俺を引っ張り、カウンターの中にいたおっさんに声をかける。何やら目配せがあってから、早凪はスタッフルームのドアに進んだ。まさかここで働いているのか。それを手伝えとか。それなら、まだマシか──と思ったところで、早凪は腕をほどいて俺に微笑んだ。
 何、だろう。その笑顔に、違和感を覚えた。早凪は微笑むまま目を細める。目? 目つきか? そのとき突然、恵波の言葉がまたたくようによみがえる。
 あの人、ほんとに危ないと思う。朝、あの目で思った──
「……早凪、」
「見てたらいいから」
「は?」
「それで、俺のことを理解してくれるだけでいい」
「理解……って」
「何でもするんだろ?」
 キッチンが備えつけられた部屋の中には、男がふたり、女がひとりいた。その三人に早凪が混じり、俺は不安ばかり覚えながらもついていく。男のひとりが鍵を取り出し、キッチンからさらに奥に行けるドアを開けた。重そうな黒いドアが引かれて、同時に、苦しそうなうめき声が聞こえてきた。え、と立ちすくんだとき、早凪はもう一度俺を振り返って手をさしだして、繰り返した。
「何でもするんだよな?」
 ──俺は、ただ見ているだけだった。それでいいよと早凪は子供に言い聞かせるように言った。
 がらんとした部屋の床に、全裸の男が目隠しされ、猿轡をされ、手足を縛られて転がっていた。細身の軆で海老のようにくねって、逃げようとしている。状況を楽しんでいるようには見えなかった。むしろ焦りと恐怖が伝わってくる。
 俺はあとだからと言った早凪は、俺の隣に座って一緒に見ていた。その男の頭に、腹に、股間に、激しい蹴りが飛ぶ。男は胃を踏み躙られて胃物を吐き、喉を蹴飛ばされて血を吐く。
 三人は男をさんざん暴行して、やがて女が男にまたがって、黒いマニキュアの爪の指で男の首をきつく絞めはじめた。遊びではない。残りの男は、ひとりはそれを見ながら自分の勃起をなぐさめ、もうひとりは男の猿轡を外して、喘ぐ口に勃起を押しこんでいた。
 早凪の低い笑い声が乾いて耳に流れこむ。
 女は快感を表情にたたえ、親指を緩めたり絞めたりを繰り返し、生死を痙攣する男の呼吸をもてあそんでいる。自慰をしていた男が、先に目隠しに射精を飛ばし、ついでもうひとりも男の口の中に精液を氾濫させた。
 いよいよ、女が肩から力をこめて男の首を絞めた。猿轡は転がったままなのに、もう悲鳴どころかうめき声もなかった。顔が青黒く変色していく。舌が垂れてびくびくわななく。女の息が荒い。たぶん、感じている。
 そして、女のそれが絶頂に達した瞬間、縛られた男も絶命した。三人が嬌声のような歓声を上げた。
 ふと頭を撫でられ、びくっと俺は隣を見た。早凪が咲っている。見ててねと言われた。
 立ち上がった早凪は、男のひとりからナイフを受け取り、女と入れ違いに男の死体にまたがった。そして事切れた口に口づけて舌をすすり、思いっ切りその舌をナイフで切り取った。血飛沫が大袈裟なほど上がり、それはびちゃっと早凪にも飛んだ。
 早凪は笑っているまま、今度は目玉をひとつ繰り出し、もうひとつは指先で圧してつぶした。そうしながら、喉をずたずたに切り裂いている。その血をこくんとちょっと飲んで、唇を舐めながら次は腹を一気に裂いて、真っ赤な内臓を優しく取り出す。
 舌、目玉、臓器──丁寧に並べていくそれを、他の三人が回収して瓶の中の液体に浸していっている。
 早凪は最後に、男の硬くなるはずもないそれをしゃぶりながら、自分の興奮をしごいた。そして、それが爆ぜたとき、ナイフで切り傷をつけていた柔らかな性器を一緒に切断した。口にくわえた性器を、恭しく指でつまんで床に置いてから、早凪は停止している俺の目と目を合わせて、妖艶と言えるほどの笑みを浮かべた。
 瞬間、心臓がばくばくとふくれあがって、目がまわってこめかみがきしみはじめた。涙がこぼれて、息遣いが引き攣ってくる。床の上で指がかたかたと震え、凄まじい吐き気がせりあげる。我慢、しないと──
 そう思ったときには、床にめいっぱい吐いていた。いくら吐いても足りない。胃液まで吐いたけど足りない。
 何。何だ。俺は何を「見ていた」のだ。こんな、の──
「水澪」
 びくんと顔を上げると、血に染まった早凪がいつのまにかかたわらに立っていて、俺を見下ろしていた。俺が声を出せずにいると、早凪は何だか女神のような微笑を浮かべた。
「これで、秘密は共有したね」
 何で、と言いたかった。なぜだ。なぜ早凪は、俺にこんな“秘密”を打ち明けたのだ。そもそも、早凪は人を殺して興奮する人間なのか?
「水澪は穂村をあの部屋に泊めてるよね。だから、俺も同じ」
 同じ? これが、こんな犯罪が、俺と恵波の関係と同等の秘密だというのか?
 ふざけるな。
 そう言いたくても、さっきまでの赤い光景、そしてなぜかいまさらどっと押し寄せる血の臭いに、何も言えない。
 早凪はかすかにおののく以外はこわばったままの俺を見つめ、にこやかに続けた。
「これからは、俺の好きな人も部屋に連れこむよ?」

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