万華鏡の雫-13

砕け散るように

 俺と恵波は、結局用務員の見まわりが来て見つかってしまった。この教室の鍵が、職員室に返ってきていないのを不審に思われたらしい。
「何かあったのかい」と恵波が泣き顔だから用務員のおじさんは注意より心配してくれて、「相談を誰にも聞かれたくなかったんで」と俺がとっさに言うと「そうかそうか」と意外と寛容にうなずいてくれた。そして、俺たちはとりあえず帰途に着かされた。
 二十時が近かった。すっかり夜が降りた外では、闇の中で冷え切った風が唸っている。雪でも降りそうに寒くて、空気の匂いも冷たい。
 一応、通学路に人目はない。だから、俺たちは手をつないで、すると恵波は、何度もこちらを見上げて嬉しそうに咲ってきた。その笑顔を守るためなら何でもしたかった。恵波のおねえさんともそう約束した。
 名残惜しく恵波と別れたあと、夕食は抜きで部屋に帰った俺は、そこにいた早凪に声をかけた。
 早凪は床に腹這いになって本を読んでいた。まだ前髪をヘアピンで留めていて、俺の声に気だるく瞳をこちらを向ける。俺は深呼吸して、制服も着替えないまま早凪のかたわらにしゃがんだ。早凪は一度まばたきをしてから、「何?」と細い首をかしげてくる。
「もし、なんだけど」
「うん」
 早凪の目を見つめたまま言っていいのか、俺は少し視線を床にそらす。
「何というか、早凪に死んだほうがいい奴を紹介したら、その死ねばいい奴はどうなる?」
「………、意味が分からない」
「いや、うん──だからさ。あのクラブでは、殺される奴を調達してるって言ってただろ」
「そうだね」
「だから、死ねばいいような奴を教えて、そいつをその調達の獲物にすることはできないのか?」
 早凪は俺を下から上に眺めて、あっさり言い当てる。
「殺してほしい奴でもいるの?」
 俺はほぼ肯定としてうつむき、早凪はあきれたような息をついて本に目を落とす。
「そんなの、殺し屋にでも頼めば」
「殺せるならいいんだろ」
「一応、行方不明になる理由のある奴しか獲物にはしないよ」
 首を垂らし、まあそうだよなと当然の答えなのに、けっこうがっかりする。獲物がいると雪見の名前を言えば、早凪やあの店の奴に殺してもらえる。期待してしまったけど、それは安直すぎるか。
 雪見を殺したい。普通の高校生の俺には、殺人なんてリアルじゃない。しかしゆいいつ、俺の中で生々しい「殺人」があって、それはあの赤い夜で──
 まあ無理なんだよなとベッドに荷物を放って、まず制服を着替えることにした。恵波をどうやって守り、雪見をどうやって退けるか。死ぬことでしか逃げられない。雪見が死ねば一番確実だと思った。けれどしょせん、非現実だ。
 悩みながら上半身を脱いで、クローゼットからトレーナーを引っ張り出していると、何となく視線を感じた。振り返ると、早凪が起き上がって膝の上で本を閉じている。
「水澪」
「ん」
「確かにそれで、殺したい奴は殺せる」
「はっ?」
「でも、見返りは?」
「えっ、で、できるのか」
「俺だって、自分の都合で殺してもらって、あの人を手に入れたんだよ」
 あの人。つくえの上にある、液体の中の気味が悪いオブジェに目が走る。
「だけど、ただで殺してもらえるとは思ってないよね?」
「ん、まあ。金は──」
「金しかはらえないならあきらめて」
「いや、金はないけど」
「じゃあ、何をしてくれるの?」
「………、何が、欲しい?」
 早凪は俺を見つめて、くすりと笑った。
「何でもできる?」
「ど、努力はする」
「そっか」
 早凪は床に手をついて立ち上がり、つくえに歩み寄って何やら引き出しを開けた。
 暖房は効いているけど、俺は背筋の寒気に急いでトレーナーを着て、下半身もジーンズになる。制服をハンガーにかけていると、「こっち来て」と早凪が振り返ってきた。
 俺が歩み寄ると、早凪は何かをさしだしてきた。
「開けてみて」
 鍵、だった。「秘密」のまま、いまだ開けられることのない箱をちらりとした。
「いいのか」
「うん」
 俺はちょっと躊躇いかけた手で鍵を受け取ると、その木製の箱の鍵穴を覗きこんだ。生唾を飲みこみ、もう一度、早凪の瞳を確認する。早凪は薄笑いだけ浮かべている。
 もうショックで自失はしないと誓いつつ、ゆっくり鍵を刺してまわした。かちゃっ。その音を聞き届けて、しっかり息を吐いてから、思い切って蓋を片手で持ち上げる。
 静かに、それに目を落とした。一瞬、それが何なのか混乱した。でも、めずらしくもない見慣れたものでもあった。ただ、どうしてこれが早凪の「好きな人」なのか──
「……え? え、これ……」
 そこで他のオブジェと同じく、瓶の中で液体に浸かっているのは──切断された、男の性器だった。
 俺はとっさに理解できなくて早凪を見た。早凪は静かに微笑んでいる。
「いつ、俺の好きな人が女だって言った?」
「はっ……?」
「俺も男しか興味がないんだ。いや、男の死体、かな」
「じょ、冗談だろ」
「冗談でそれ持ってると思う? 女の死体じゃつまんないくらい、俺は男が好きなんだよ」
 眉を寄せた。待て。ちょっと待て。さすがに、俺を殺させろと言われたら、ちょっと考えたほうがいいのではないか。俺がそう思ったのは察したのか、「それもいいなと思うけど」と早凪は否定せず、蓋をつかんだままの俺の手に手を重ねる。
「俺を抱くことはできる?」
「えっ」
「穂村を裏切って、俺を抱いてくれる?」
「な、何言っ──」
「水澪に抱かれたい。してくれるなら、誰だか知らないけど、誰だろうと殺してあげるよ」
 誰だろうと。脳裏に雪見がよぎった。奴は悠然とこちらをかえりみる。あのさわやかな笑顔。陰湿な笑顔。勝ち誇った笑顔。恵波をもてあそんで、犯して、それを撮影して。恵波から大事なおねえさんも奪った。
 そう、あいつからは死ぬことでしか逃げられない。でも恵波には生きてほしい。俺のそばにいてほしい。そのための犠牲なら、いくらでもはらう。はらう腹はくくって早凪に持ち掛けたのだ。だとしたら──
 死ねばいいと思った。恵波をあんなに傷つけた。俺の大事な人をあんなかたちで辱めた。そんなやつ、殺してやりたいくらい憎い。でも俺が殺したって、きっと恵波が喜ばない。
「……分かっ、た」
 早凪は首をかたむけ、少し目を眇めた。でも何も言わず、箱の蓋を閉めてまた鍵をかけた。俺はぎこちなく早凪を見た。早凪は子守歌を歌う母親のように優しく微笑み、「誰に死んでほしいの?」と訊いてきた。
 数日後、雪見の暮らすマンションの一室がひどい火事になった。私物は何もかも焼け落ちてしまったらしい。だが肝心の雪見の遺体は見つからず、行方も不明で、ニュースは雪見自身が火を放って逃亡したのではないかと予測をまくしたてた。
 学校にもマスコミが押し寄せて通学路をふさぐので、しばらく休校になった。生徒たちはラウンジに集まり、テレビに映る、まだ犯人とは断定されていないので目隠しの入った雪見の写真、そしてぼかしの入った自分たちの高校の映像に騒いだ。
 隣に立っていた恵波が俺を不安そうに見つめてくる。俺はそんな恵波にちょっと咲ってから、無言でラウンジから部屋に戻った。
 昨夜留守にしていた早凪が、いつのまにか帰宅していた。俺を見ると、つくえの上に置いているものをしめした。歩み寄って見ると、そこには雪見がいつもかけていた眼鏡があった。
「今日も学校休み?」
「ああ」
「そう。ラッキー」
 あんまり心のこもらない台詞を吐いてから、早凪はベッドサイドに腰を下ろした。俺は気まずくそれを見る。早凪はヘアピンを抜き取り、さらりと前髪を下ろした。そしてまっすぐ俺を見つめ返してくる。
「その眼鏡じゃ、証拠にならない?」
「……いや。なってるよ」
「そう。よかったね、死んで」
「早凪は、立ち会ったのか」
「眼鏡もらっただけ」
「そうか」
「で、どうすればいいの? 穂村みたいに、なよなよとは誘えないんだけど」
 かったるそうにシーツに手をついた早凪に、そうだよな、と少し息をつく。当然、気は進まない。それでも、俺は早凪と契約したようなものだ。恵波を雪見から解放してもらった。その代わり、これからは、恵波に隠して早凪と肉体的に関係する。
「……どういうのがいい?」
「水澪の好きなプレイでいいよ。ただし、そのあいだは俺だけを見て」
「ん、……うん」
「俺以外のことは考えないで」
「分かった」
「一瞬でも穂村のこと考えたら殺す」
「……分かってるよ。じゃあ──脱いで」
「全部?」
「全部」
「ふうん」と肩をすくめ、早凪は素直に服を脱ぎはじめた。俺はしばらくそれをぼんやり眺めていた。早凪は雪のような肌をしていて、本当に折れそうに華奢だった。
「水澪」と薄いシャツ一枚の胸がはだけた早凪に名前を呼ばれ、はっとして俺も上半身を脱ぐ。早凪の視線が来る。「何?」と訊きながら、俺は半裸の早凪にかぶさって、シーツに押し倒して上になる。
「……何か」
「うん」
「ずっと、我慢してたから」
「え」
「水澪の軆ってよく見たことないや」
「見ていいよ」
 早凪は俺の軆を目でたどって、「触っていい?」と訊いてくる。うなずくと、細い指先が俺の筋肉の弾力を確かめる。
「水澪に、好きな人がいるのはすぐ分かった」
 俺は早凪の髪を梳きながら、その首筋を甘く咬んでみる。
「一度、穂村と廊下歩いてるの見て、あああいつかっていうのも分かった」
 白い肌はなめらかで、クリームを舐めるみたいに舌触りがいい。
「だから、ずっと我慢してたんだよ」
「……うん」
「一番近くで、何度も、毎晩、我慢したんだ」
 早凪の細腕が首にまわり、自然と口づけあって舌が濃厚に絡む。唾液の水音が小さく響く。息継ぎもできない代わりに喉がうめく。ひんやりしている早凪の手が動いて、俺の軆を確かめていく。一瞬、唇が浮いて息を吸う。
 早凪は俺のジッパーを下ろし、下着から俺のものを取り出した。俺は何も反応していなかった。口づけあいながら、早凪はその柔らかさを手のひらになじませていく。
 反応、しなくてはならないのだろうが。というか、すると思ったのだが。なぜか、あの血が集中していく疼きが湧いてこない。早凪のものにジーンズ越しに触れると、彼のほうは昂ぶりかけていた。その興奮が移らないものかとまさぐっていたけど、どうしても俺は微熱さえ感じない。
 ふと早凪が小さく笑った。顔を浮かせて早凪の目を覗く。「柔らかいね」と言われて、何だか不能だと言われたようで頬が染まる。そんな俺に口づけて、熱っぽい頬にもう一方の手で触れ、「ずるいよ」と早凪は唇をちぎって息を吐きながら切なくささやく。
「水澪が硬くなったら、俺でも普通のセックスできるかもって思ったのに」
「……ごめ、」
「こんなの、死体と一緒じゃん」
 俺は早凪を見る。早凪の脚のあいだのものがくっきり硬くなる。
「我慢しようと思ったのに」
「早凪──」
「……殺したい」
「え」
「ずっと、殺したかったんだよ?」
「……え、あ──」
「水澪を殺したいよ。どうしよう、もう水澪のこと殺したいよ」
 俺は目を開いた。早凪の瞳がゆがみ、そこから雫があふれてきたのだ。
「やっぱりダメだ。こんなの我慢できない」
「早凪、」
「頭がおかしくなりそうなんだ。いらいらするくらいだよ。水澪を殺したい。俺だけのものにしたいよ。もうあんな奴のところには行かせたくない。でも、殺さなきゃ俺のそばにはいてくれないんでしょ?」
「……い、いや、ちゃんと関係は続け──」
「違う、そうじゃない、死んでほしいんだよっ! 死ねばいい、水澪なんか! 死ねば俺のものだ。俺だけだ。ねえ、やっぱり死んでくれないかなあっ?」
 何か言おうとした俺の喉を、早凪の両手が素早くぎゅっと捕らえてきた。息が圧される。思わずすくんだのに合わせ、早凪の手が急激に俺の首を絞め上げてくる。
 目を開いた。早凪が泣いている。それを白黒に霞みかける視界で見つめる。親指が刺さる喉仏が痛い。息ができない。本当にできない。こめかみの血管がつまって脈打ってくる。唾液さえも通らない。絞まるところに生唾が溜まっていく音がする。
 やばい。やっと、うっすら抵抗が浮かんだが、もう指先にまで力が届かない。
 いや、そもそも俺は早凪に抵抗していいのか? 俺はもう早凪の奴隷のようなものだ。すべては恵波のためだった。そう、恵波のためなのだ。俺の大事な恵波。そのためになるなら、もう、何もかも仕方ないのではないのか。このまま殺されるのさえ、仕方ないのではないか。
 そうだ。俺は殺されるしかない。
 ごめん、恵波。このまま死ねるくらい、俺はお前が好きだから──
 そのときだ。何か、小さな物音が聞こえた気がした。脳が痙攣していた俺は、かろうじて薄目を開けた。
 ……コン。
「……水澪?」
 コンコンッ。
「いる?」
 そのとき、どっと喉に空気が雪崩れこんできた。いきなり喉が楽になった。落ちかけていた視界が明滅して映りはじめ、痛いほどの酸素に俺は激しく咳きこむ。
「水澪!? どうし──
 最後まで、ドアの向こうの声は聞き取れなかった。両手を取り落とした早凪が、壊れたような激しい声を上げて泣き出したのだ。
 俺は息を切らして喉を抑えながら早凪を見た。早凪はどくどく涙を生む目を痛むように抑え、ぱっくり口を開けて、子供のように泣いていた。俺は早凪の名前を呼ぼうとしたが、絞めつけられて声がつぶれてしまっていた。
 ドアを強くたたく音が続いている。
 スプラッタ映画みたいなイメージで破裂しそうだった脳が、急速に息をするのを感じる。肩を切らして、吐きそうにくらくらするのを何とかこらえようとする。平衡感覚まで狂っている。
 俺のものは、やはり柔らかい。そして、酸欠で倒れこんで軆が重なっていた早凪のものも、硬さを失ってぐったりとなっていた。
 俺は息を喘がせながら首を捻じり、つくえの上のそれを見やった。目玉。舌。心臓。そして性器。好きな人。パーツだけになった、早凪が愛した男。
 本当は、早凪はすごく弱い奴なのかもしれない。殺さなきゃそばにはいてくれない。死ねば自分のものだ。早凪はそんなことを言った。早凪に何があったかは分からない。でもきっと、早凪はもう死んだ相手にしか心を許せないのだ。死体しか愛することができない。それは、残酷なようで、とても弱々しい。
 早凪の引き裂くような泣き声で、ドアの向こうの人の気配が増えてきている。俺は服を着て、泣きじゃくる早凪にも服を着せ、そっとふとんをかぶせた。何とか声が出そうなのを確かめてから、言い訳も思い浮かばないまま、俺はドアを開けるためにベッドを立ち上がった。

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