家族の時間
かあさんとの何だかあとから気恥ずかしくなる昼食のあと、スマホを見ると『もしおかあさんたちと夕食も一緒するなら、私も職場の子と食べて帰ろうか?』という陽葵のメッセが届いていた。
実家に来ると、かあさんだけに会って帰るのも何だか変な気がして、結局夜まで過ごして夕食を食べてくることが多い。だから俺も、陽葵の提案は気が楽だったので、『たぶん今日も家で夕食食ってくから、そうしてくれていいよ。』と返しておいた。
それから、『かあさんとメッセとかで話してくれてありがとう。』とも送信したところで、ふっと既読がついた。まもなく「まかせろ!」という猫のスタンプが来て、『おかあさんと何か話せたなら教えてね。』と敏感に察したメッセも続いた。ほんとに俺は陽葵を大事にしないとなあ、と改めてしみじみ感じた。
十五時のおやつの時間、かあさんはいそいそと焼きプリンを取り出し、「どうせだから例のカフェオレを淹れてちょうだいよ」と言った。「豆の種類とかあるの?」と訊くと、「家にある奴で」と主婦らしい返しが来た。
出てきたレギュラーコーヒーは中細挽きだったけど、深煎りだったし、コーヒーフィルターもメリタだったので、まあいいだろうと思うことにした。
俺が集中してカフェオレを作っているのを見て、かあさんは何だか嬉しそうだった。瓶に入った焼きプリンを食べながらカフェオレを飲んだかあさんは、「あ、ほんとにお店の奴だ」とおいしそうに飲んでくれた。
焼きプリンはみっつ入りを買ったので、あとはとうさんと初栞のぶんということで俺はカフェオレだけ飲んだ。やっぱ店か家の細挽きのがおいしい、と思ったけれど、これはこれで飲める代物だったので、ほっとした。
夕方になると、かあさんは「四人なら鍋がいいねー」ということで買い物に出ると言った。「ゆっくりしてなさい」と言われたけど、行くのは駅前のスーパーで車ではないそうなので、荷物持ちならできると思って俺もついていくことにした。ひとりになるのが不安でここに来たのだから、そちらのほうが精神的にも助かる。
スーパーで細挽きのコーヒー豆を見つけたので、「これだとおいしいよ」とかあさんに言うと、さくっとかごに入れてくれた。今夜の鍋は豆乳鍋だそうで、かあさんが買っている十七時を過ぎた見切り具材は、肉だんごやら白菜やらえのきやら。
「こんな重いの持って帰れてたのかよ」とすぐに暗くなりそうな夕暮れの帰り道に問うと、「私は、お米買うときくらいしか車じゃないから」とかあさんは笑っていた。
「プリン食ったよー。うまかった」
家には初栞が帰ってきていて、俺の顔を見ると開口がそれだった。俺は噴き出してから、「今日、鍋だぞ」とぱんぱんのエコバッグを軽く持ち上げる。
「あー、食える食える。余裕」
そう言う初栞はまだ制服すがたで、帰宅して間もないようだ。
「陽葵さんは?」
「今日は友達と食ってくるって」
「浮気されるなよー」
「もう、初栞。陽葵ちゃんがそんな女の子なわけないでしょ」
「それ言われたら、反論できないのが悔しいわ」
「陽葵……浮気……」
「瑞栞っ。あなたが一番信じなきゃいけないところじゃない」
「う、うん。そうだな」
「初栞、早く着替えてきなさい。瑞栞は、今度こそリビングでゆっくりしてなさい」
「ありがと。そうする」
「兄貴、ヒマなら期末考査の勉強教えて」
「いや──忘れたぞ。高校の勉強とか」
「えー、俺いるんだから憶えとこうぜー」
「………、ちょっと、先に教科書を読ませろ」
「よしっ。持ってくる!」
にかっとした初栞は、ばたばたと二階に上がって、「あの子は騒々しく育ったわー」とか言いながら、かあさんは俺の手にあったエコバッグを引き取ってキッチンに向かった。
俺はリビングでカウチに腰かけて、何となくテレビをつけて、ぼんやりニュースを眺めた。そうしていると、すぐに初栞が教科書を抱えて戻ってきて、邪慳にされるよりいいんだけど、と思いつつ数学や英語の教科書を開く。
案の定よく憶えていないながら、ぼんやりした記憶と教科書の情報を照らし合わせて、何とか問題を解いて、初栞にもその解答になる原理を説明した。
「ただいま。何だ、ふたりで勉強してるのか」
初栞がプリントの予想問題を応用で解いているあいだ、俺は今度は国語の古文をどう説明するか悩んでいた。残る社会と理科は、暗記しろとぶん投げることもできるけども、国語は説明がむずかしい上に暗記にも頼れない。
感覚なんだよなあ、と思っていると、ふと背後にそんな声がかかって、俺と初栞はかえりみた。
「とうさん。おかえりっ」
「おかえり。初栞が、もうすぐ期末だからって」
「呼び出されたのか?」
「いや、偶然俺が来てたんだけど」
「とうさん、兄貴がこないだのうまかった焼きプリン持ってきてたよ。あれ、とうさんが一番喜んでたよなー」
「そうなのか?」と俺は言いつつ、そういえば我が家で一番甘党なのはとうさんだったなと思う。以前持ってきたときは、俺が帰ったあとで食べたみたいだったから、その反応は初めて聞いた。
「おとうさんは、お酒も甘いものも好きだもんねー。ほんともう、何ヵ月のお腹かなあ」
かあさんがそんな口を挟んで、俺と初栞は笑ってしまう。「かあさん、気にしてるんだからよしてくれ」ととうさんも苦笑すると、「邪魔して悪かったな」と俺たちに言って、かばんを置いてネクタイを緩めた。
俺は昼間のかあさんの話を思い返し、着替えようとしたのかリビングを出ていこうとしたとうさんを呼び止めた。「ん?」と振り返ったとうさんに、俺はわずかに口ごもったものの、顔を上げる。
「とうさんとかあさんが結婚したいきさつ……というか、プロポーズとか聞きたいんだけど」
「はっ? 何……どうした、急に」
「いや、その、陽葵との参考にしたい……かも、って」
まばたきをするとうさんに、「だって、とうさんはかあさんに成功したわけじゃんっ」と俺が照れながら言うと、「まあ」とかあさんもちょっと頬を染めて、初栞は何だかおかしそうに笑い出した。とうさんはいっときぽかんとしていたが、「ま、まあ」と決まり悪そうに咲う。
「瑞栞と陽葵さんの参考になるなら、話すぞ」
「ほんと?」
「お、今夜は告白鍋ですかー」
「初栞。瑞栞は真剣なんだから」
「瑞栞は、その……陽葵さんと、しっかり考えてるんだな?」
「うん。陽葵を幸せにしたい」
俺がいつになくはっきり言うと、「そうか」ととうさんは嬉しそうに何度もうなずき、「孫にも会いたいなあ」と照れ隠しなのか何なのか飛ばしてきた。俺は笑ってしまいつつ、「陽葵の軆の負担にならないあいだに」と答える。
「そうねえ、おかあさんも初栞はもう三十代のときだったから、初産じゃなくても大変だったもん」
「俺、姪がいいな。女の子。妹欲しかったし」
「そうだな。うちは兄弟だから女の子がいいな」
「いや、そこまでは約束できないけど」
「そうよー。男の子でもいいじゃないの」
今は夢見心地の話をしているうちに、何だかみんなでまた笑ってしまった。
ああ、ちゃんと家族だな。そんなふうに感じた。みんな、俺が何を考えているのか分からなかっただけなのだ。ちょっと踏みこんだだけで、こんなに心地よく笑うことができる。そして、この家族の中になら、やっぱり陽葵にも入ってほしいと、そう思った。
かくして、夕食ではまろやかな豆乳鍋をつつきながら、とうさんとかあさんの馴れ初めから結婚式まで、初めてしっかり聞いて楽しく過ごした。話すうちにかあさんがアルバムまで引っ張り出してきて、俺や初栞の幼い頃の写真も見た。
こうして、振り返る想い出を共有できるって、なかなか貴重なのかもしれない。
最後には「俺も彼女が欲しいーっ」と初栞がじたばたしだして、「お前はまだまだこれからだ」と軽く酒も入ったとうさんは大笑いしていた。
そんな温かい夕食のあと、俺は「また来るから」と残して家を出た。外はぐっと冷えこんでいたものの、軆だけでなく、何だか心もぽかぽかしているような気分だった。
今日は、何か、来てよかったかもしれない。実家に来ると、ああ来なければよかった、気なんか遣うんじゃなかったと後悔していた頃もある。でも、今日は来てよかった。俺がそう言ったら、陽葵もきっと喜んでくれる。
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