雪の十字架-9

初冬の日に

 そんなふうに過ごしていると、カレンダーは十二月になった。十二月一日が「あの日」だから、十一月が終わる日は、いつも心臓が痛くなる。
 そんな俺をよく知っているのは夕彩なので、連絡をくれたり、会いにきてくれたりする。今年は朝に出勤なのかというメッセが来ていて、『ひとりでいるより、そっちのほうがいいから。』と答えておくと、夕方が終わりかけてきた頃に、夕彩は喫茶店に顔を出してくれた。
「えーと、得意なのカフェラテだっけ?」
「カフェオレな」
「じゃあそれ」
 そう言いながら、カッターシャツとジーンズというラフな夕彩は、カウンター席に腰かける。俺と夕彩は、疎遠になった時期もないせいか、昔から容姿の違いをあまり感じない。
 夕彩にお冷やとおしぼりを出した俺が、「カフェオレ淹れていいですか」と確認すると、マスターは「もちろん」とうなずいてくれた。店内は夜へとにぎやかになってくる少し前だったので、カフェオレを出した俺は、夕彩と雑談することも許してもらえた。
「学校のコーヒー牛乳とは、やっぱ違うなー」
 ひと口すすった夕彩がそう言って、「最近の小学校は、コーヒー牛乳なんて出るのかよ」と俺が訊くと、「フルーツ牛乳もたまに出るぞ」と夕彩は笑う。ちなみに、夕彩が勤める小学校は、同じ最寄り駅ではなくても、やや地下鉄をくだったところの都会の街並みの中にある小学校だ。
「今日は日曜日か。学校はないのか」
「仕事はあるよ。ちょっと抜けてきた」
「大丈夫なのか」
「何とかなるだろ。校内だと息抜きがないんだよ」
 俺はくすりとして、「こないだのメッセでも、『高学年つらい』って」と思い返すと、「つらいぞ」と夕彩はカフェオレを飲む。
「今の俺が悩んでるの、生徒のガチ四角関係だからな」
「三角関係ではなく」
「女子ふたりが、グループぐるみで抗争するまでに男子を取り合ってんだけど。男子つきあってる奴いるんだわ。お前それ公表して、ふたりを鎮めろっつったけど──」
「それは、今度はふたりが結託して、クラスじゅうからのイジメになるんじゃね」
「………、そうか。それもあるんだろうが、男子だわ」
「男子、というと」
「誰とまでは教えてくれないけど、本人曰く、つきあってるの男子だからって」
「同性愛まで来たか」と俺がこまねくと、「来ましたよ」と夕彩は頬杖をつく。
「本人はイジメられるというより、『BLとか言われたくない』っつってたけどな。小学生で、すでに完全に腐ってるのいるからな」
「あれは、俺には分かんねえ文化だな」
「俺も分からんわ。ただでさえ、『夕彩ちゃんって受けっぽい名前だねー』とか言われるし……いや、ほんともうやめて」
「お前の名前、すごいきらきらだもんな……」
「お前もなかなかだろうが。あー、また今月の席替えで席が近いとか近くないとか、同じ班が嫌だとか何とか揉めるんだぜ」
「まあ、女子ふたりは勝手にやってればいい話でもあるし、男子を守るのが先決なんじゃないか。お前に打ち明けたのも、そうとう勇気出したんだと思うぞ」
「だろうなあ。偏見とかにはさらしたくないな。つか、しっかり名前出さずに相手守るのがえらいよな」
「俺もそう思う。イジメとかは起きてないのか、別件で」
「その女子ふたりの嫌がらせのなすりつけあいがすごくて、たぶん起きてない。クラス全体に、そこまでキャパがない。つっても、男子連中が日陰になってるからな、気をつけないといけないけど」
「大変だな……」
「大変だよ。しかもくたくたで帰宅しても、俺には飯作ってくれてる嫁も彼女もいねえよ」
 つい噴き出して、「今、彼女いなかったっけ?」と首をかしげると、「別れた」と夕彩はさくっと答える。
「マジで。何だっけ、美容師の?」
「別れた。一緒に店を持とうって告ってきた同僚と結婚するって」
「うわ」
「俺も結婚考えてたのにって言ったら、『そう言ってくれるのが遅かった』とか言うわけ。好きなのはちゃんと俺だったからって……でも、こうなるまで言ってくれなかったから私は夢に逃げるねって」
「きついな」
「きつい。だからな、瑞栞……お前はマジで陽葵ちゃんと婚約だけでもしといたほうがいい。そして、誠意として指輪を渡せ」
「婚約かー。いや、まあ婚約はできるけどさ、指輪買う金は正直ないっていうか」
「いいんだよ、そんなの陽葵ちゃんも分かってるだろうが。ペアのリングなら、そのへんの千円のジャンクアクセでもいいんだよ。女はとにかく、お前のこと好きだぜって意思表示が欲しいんだよ」
「そっかあ。意思表示はしてるつもりだけど」
「夜にな」
「う、……まあ、それとか、わりと『好き』っていうのも言うようにしてる」
 夕彩は真顔になったあと、「恥ずくね?」と眉を寄せ、「俺は言葉くらいしかないからなあ」と俺は苦笑いする。
「でも、そうだな。結婚は真剣に考えてるから、婚約はしてもいいのかな。ただ、そしたら親御さんに改めて挨拶に行かなきゃいけないだろ。俺、陽葵の親御さんには仕事辞めたの言ってないもん」
「お前も意外と暗雲かよ」
「言ってないというか、最後に会ったのが同棲決めたときで。そのとき、けっこう年収とかちゃっかり訊かれたのがトラウマ」
「親が収入に文句つけんなよなあ。ま、陽葵ちゃんならひっくるめて話して、まだ親には報告しないけどっつって軽めの指輪渡すのはいいんじゃね」
「そうだな。それは検討しておく。ありがと」
「おう。って、十七半近いな。そろそろ戻らねえと」
 店の時計を見上げた夕彩が言い、俺も店内が騒がしくなっていることに気づく。定時を過ぎたお客さんが、まったりしにきつつあるようだ。
 夕彩がカフェオレを飲み干すと、俺はレジまで行って会計も担当した。「陽葵ちゃん幸せにしてやれよ」と言ったあと、夕彩はちょっと考えて、「こないだのメッセは、何かきつくてごめん」とも言い添えた。俺は微笑んで首を横に振り、「俺が幸せにするのは、確かにあいつじゃなくて陽葵だから」と答える。すると、夕彩は満足そうに優しく咲い、マスターにも軽く会釈して店を出ていった。
 俺の職場だからというのもあるのだろうが、この日に雪舞のことには直接触れないのが夕彩らしいなと思った。本当に、昔からいい奴なのに。恋人だけは何だか続かないのだが、今回こそ本気みたいだなと思っていた。
 それでも夕彩は昔からモテるから、次の心配はそんなにいらないだろうが、今度の失恋の痛手は長引くかもしれない。俺も同じような言葉で陽葵をほかの男に奪われたら、もはや生きるか死ぬかになりそうだ。
 陽葵のことを、もっとちゃんと捕まえておかないといけない。指輪かあ、なんて考えつつも、まだ仕事中なのを思い出すと、夕彩の席を片づけ、いそがしく働いた。
 今日も店を上がったのは、二十二時頃だった。十分歩いて帰宅すると、陽葵が迎えてくれて俺は冷えた腕で温かい彼女を抱きしめた。「今日は何と、ハンバーグです」と言った陽葵に、「やったー」なんて返して、ふたりで笑った。
 部屋は暖房で暖かく、陽葵がハンバーグやフライドポテト、ポタージュスープ、白いごはんも並べているあいだ、俺は服を着替えて、スマホに着信があることに気づいた。
 何だろ、と確認すると電話着信だ。最近ではかなりめずらしい。来たとしても、出てみたところで、どこから番号を知ったのか知れない悪質な勧誘とかだ。と思ったら、やっぱり知らない番号からの着信だった。しかも固定番号だから、余計怖い。こんなの、無視して折り返さないのが一番だ。
 そう思ってスマホをソファに投げたところで、いい匂いの夕食が座卓に揃って、「いただきます」と俺と陽葵は向かい合って食事を始めた。
 食後はいつも通り食器洗いをして、それぞれに入浴した。髪の匂いも煙草のものから陽葵と同じ好きなシャンプーの匂いになって、俺はリビングに向かった。
 すると、「瑞栞」と先にシャワーを浴びて髪も乾かした陽葵が、ソファから俺を手招きする。
「何?」
「瑞栞のスマホ、さっきから何回か鳴ってるよ」
「え、嘘」
「画面見ちゃったけど、通話じゃなくて電話っぽいよ」
「もしかして固定番号だった?」
「どうだろ。そこまでちゃんと見てないけど」
「さっきも何か来てたんだよな。そういや拒否ってないや」
「この時間だよ? 同じ番号なら、本当の連絡かもしれない」
 俺は陽葵を見たあと、「前の職場かな」と真っ先にそれを思いついてつぶやいた。変えたのはアプリのアカウントで、携帯の番号までは変えていない。いまどき、携番にまでかけてきて、接触する奴もいないだろうと思ったのだけど──
 俺の表情が明らかに曇ったので、「私が代わりに確かめてみる?」と陽葵が気遣ってくれた。だが、万一変な電話だったら、女性の声だと相手も高圧的になるかもしれない。だから、陽葵に頼るのはダメだ。
「えと、じゃあ、そばにいて」と言うと、陽葵はうなずいて、俺はその隣に座った。スマホを手に取って確認すると、本当に同じ番号からだ。帰宅して気づいた番号とも一致する。ずっと同じ番号から──
 何だろ、と心当たりがなくて胸がもやもやするのも感じつつも、俺はその番号をおそるおそるタップして、スマホを耳に当てた。コールはほとんどなく、すぐに相手が出たのでどきっとした。
『はい、こちら──』
「あ、あのっ」
 相手にあれこれ言われはじめたらキリがなくなりそうなので、俺は会えてさえぎって強い口調で続けた。
「何度もこの番号で電話来てるんですけど、何か用事ですか?」
『あ……ええと、すみません、こちらは警察なんですが』
「はっ?」
 警察? 何。何の冗談だよ。何でそんなのが俺のスマホに──
『こちらが、何度も電話をさしあげているんですね。失礼ですが、お名前伺ってよろしいでしょうか』
「えっ……と、金居、瑞栞……」
 フルネームを答える俺に、陽葵の不安そうな視線を感じたけど、微笑みかけて安心させる余裕が出てこない。
『金居瑞栞さん。──承知致しました。すぐ担当の者と代わりますので、そのままお待ちください』
 内線のメロディが流れて、「どうしたの?」と陽葵が俺の腕を引っ張ってくる。「何か、警察……」と俺が言って、陽葵も驚いた顔をしていると、『もしもし』とさっきの女の人の声から打って変わった、男の声が聞こえてきた。
「あ、もしもし……」
『金居瑞栞さん? ご本人で間違いないですね?』
「は、はい」
『すみませんね、家の番号が分からなくて、いきなりケータイにかけてしまって』
「あ、うち家電ないので。すみません」
『ああ、だから登録見たけどなかったんだね……』
 登録? 何の登録だ? 心臓がざわざわと黒くなっていく中、その男の声は予想もしない現実を告げてきた。
『落ち着いて聞いてくださいね。今日の夕方くらいですかね──あなたのご家族、おとうさんとおかあさんと弟さん、三名が自宅で殺害されているのが発見されました』

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