砕け散る日々
陽葵とタクシーに乗りこみながら、まだ頭は放心状態だった。
「どちらへ?」とドライバーに訊かれて、俺が何も言わないので、メモを見て代わりに陽葵が伝えてくれた。ばたんとドアが閉まり、「瑞栞」と陽葵は俺の手を強く握る。
俺は暗い車内で陽葵の顔を見て、涙が出てこない自分は薄情なのか、あるいはおかしくなってしまったのか分からなくなった。
──電話から聞こえてきた言葉が、とっさに理解できなかった。何? 家族が三人とも、殺された? 何言ってんだこいつ。質の悪い、手のこんだ悪戯電話か?
しかし、相手はとうさん、かあさん、そして弟である初栞のフルネームを言って、『間違いないですね』ともう一度確認してきた。
「え……あの、待ってください、も、もう一回言ってもらわないと……」
『金居新太さん、金居志桜里さん、金居初栞さんは、昨夜何者かに自宅で殺害されました。なので、瑞栞さんにはお話を伺いたく──』
「嘘……ですよね? え、だって、何で。何でですか? 殺されたって誰に、」
隣にいる陽葵が、俺が「殺された」という言葉を発した瞬間、服をぎゅっとつかんだ。
『それは、今から捜査していくところでしてね。ただ、無理心中などの形跡はなかったので、事件に巻きこまれたと見ていまして』
刑事らしき男の声は、もう俺の耳を素通りしていくばかりだった。頭ががらんどうになって、「殺害」という言葉ががんがん鳴り響いた。
無理心中? そうだよな、三人がそんなのするわけない。なのに、自宅でみんな死んだ。事件に巻きこまれたって……何だ? 強盗か? それとも、何か怨み? まさか。そんな、殺されるほど怨まれるような人たちじゃなかった。誰だよ。どこのだれが、俺の家族を殺したっていうんだ。
呼吸が荒くなってきて、『瑞栞さん?』と電話の声に何度か呼ばれて、はっとした。
「え……あ、えと、俺は、どうすれば」
『事情聴取したいので、こちらに来ていただけますかね』
「事情……って、俺、何も知らない……」
『ご家族とは疎遠で?』
「そういう、わけじゃなくて……え、何で。分からないです。俺のほうが訊きたいですよ。何で、とうさんたちが殺されるんですか」
『詳しい話は署でしますので。まずは──』
俺はぱっくりとした目を一度まばたきしてから、深呼吸し、「言うの、メモして」とようやく陽葵のほうを見た。陽葵も表情をこわばらせていたが、うなずいて自分の手帳を持ってくる。
俺の手や膝は震えていて、頭は真っ白で、まだ現実を拒絶していた。陽葵が警察署の住所と刑事のアマモリという名前を書き取ると、「今からタクシーで行きますので」と俺は何とか言い、電話を切った。
陽葵と視線を重ねた。「ほんとに?」と陽葵もまだ受け入れられないのか問うてくる。「分からない」と俺はぽつりと答え、俺たちは急に暗い森で迷子になったように抱き合った。「嘘だ。絶対嘘だよ」と俺が繰り返すと、陽葵は俺の頭を撫でてうなずいた。
涙が、出てこない。いや、涙なんていらない。だって、こんなの全部冗談か、悪い夢だ。
とうさん。かあさん。初栞。
殺されたなんて、そんなのあっていいはずがない。
俺たちはマンションの前にタクシーを呼んで、しっかり防寒すると、恋人つなぎのまま部屋を出た。そして、こうして俺の地元周辺に向かうタクシーの中で、交わす言葉さえ見つけられずにいる。
二十分くらいで目的の警察署に到着すると、深夜だけど建物はけっこう明るくて、パトカーがちょっと騒々しく何台も停まっていた。代金は陽葵がはらってくれて、「ごめん」と何とかそれは言うと、「こんなの気にしないで」と陽葵は俺の手を握りしめた。
ふたりで警察署に入ると、受付や窓口みたいなところはさすがに閉まってしんとしていたので、紺の制服の警備員を捕まえて、刑事の名前を出してみた。「天森警部ですね、こちらです」とまだ若い警備員はきびきびと俺たちを案内して、階段をのぼり、するとそこは一階と異なり、人が思いのほか廊下を行き来して騒がしかった。
『捜査一課』というドラマで見たことのある名前のプレートのあるドアの前で、警備員は「失礼します」とノックしてからドアを開けた。
「天森警部に、このおふたりがいらしてます」
「ああ、真中くん。待ってた方だね。助かったよ」
「いえっ。では、お疲れ様ですっ」
警備員は俺たちにもお辞儀をすると、一階に戻っていった。
俺は開かれたドアから、散らかったデスクが雑然と並ぶ室内を覗いた。そんな俺に、「金居瑞栞さんですか」と声をかけながら近づいてきた、とうさんよりは若そうな四十代ほどの男がいた。
「こんな深夜にご足労いただいて、申し訳ないですね」
「え……と、その、とうさんたちは今」
「検死してもらってます。そちらの方は」
「あ、俺の同棲してる恋人で、」
「平原陽葵です」
「ひまり──さん。ああ、志桜里さんのケータイに登録があった方ですかね」
「はい。あの、私たち、状況がぜんぜん分からなくて。犯人とかまで分かってるんですか?」
「今のところは、何とも。ただ、ご近所の方も驚いてましてね。怨まれるような方々ではなかったとは聞いています」
「あ、当たり前ですよっ。何ですか。強盗ですか? でもそんな、盗むようなものはうちに……」
「瑞栞さんにも、ご家族が事件に巻きこまれる心当たりはないと」
「ないですよ、そんなもんっ。何で……こんなの、嘘だ。やっと、こないだちゃんと話もできたのに」
「瑞栞」
「殺されたって、何、死んだ? みんな死んだってことですか? 初栞なんてまだ高校生だし、そのためにとうさんも仕事頑張ってて、かあさんも俺のこと気にかけてくれて──そんな、誰が。誰なんですか? 早く犯人捕まえてくださいよっ」
天森さんにつかみかかりそうになった俺を、陽葵が抱きつくように必死に抑えた。俺はまだ何か言いたかったけど、何をどう言葉にすればいいのか分からなかった。
ただ、急に、みんなが揃っておいしいと言った焼きプリンなんかがよみがえった。そして、一緒に食べた豆乳鍋。それを食べながら、とうさんとかあさんは俺と初栞が生まれるまでの話をしてくれた。初栞は期末考査の最中だったんじゃないか? とうさんと一緒に、俺と陽葵の子供は女の子がいいとか言って。かあさんとは、昼にラーメンも一緒に食べた。
そのとき、俺は何を言ったっけ。かあさんに生んでもらったことを感謝したりして──何だよ、その最後の「ありがとう」は。フラグみたいで、最悪じゃないか。
もっと、話したかった。同じ想い出を増やしたかった。とうさんとかあさんに孫を抱かせたかった。初栞の彼女にだって会いたかった。そんなふうに家族の顔を思い出すほど、いつのまにかどくどくと涙が止まらなくなっていて、喉がぎゅうっと絞めつけられて、俺はその場に座りこんでしまった。
陽葵が俺を抱きしめて、俺はその体温にすがりながら嗚咽をもらした。頭がぐらぐらして、自分がこのまま境界線を越えて発狂しないか不安になった。
とうさん、かあさん、初栞、うわごとのように呼ぶけど返事はない。永遠に返事はないのだ。三人は死んでしまった。もう絶対に、その声を聞けない。話もできない。初栞の頭を小突くことも、かあさんに微笑んでもらうことも、とうさんともっともっと打ち解けるのも、全部叶わなくなってしまった。
何で、そんなことになるんだよ。
俺の家族が何をしたっていうんだ。
強盗でも、恨みでもないってことは、バカな愉快犯やイカれた快楽犯なのか? どうして、よりによって俺の家族がそんな異常な犯行に巻きこまれるんだ。あの人たちは、とても優しくて温かくて、こんな俺であろうと受け入れてくれる人たちだったのに!
俺があんまり取り乱して泣くものだから、いったん応接間のような部屋のソファで休ませてもらうことになった。俺は陽葵を抱きしめて、その肩に顔を伏せて、声を出して泣きつづけた。
陽葵も泣いているのが分かった。それでも、彼女は俺の頭を撫でていてくれた。
ショックが鈍痛になってきて、ぼんやりした頭に涙はやがて涸れてきた。それでも、子供のように陽葵にしがみついて離れられなかった。「刑事さんと話す?」と静かに訊かれても、いやいやをして目をつぶった。さいわい、そろそろ話せるかとか天森さんが急かしてくることはなかった。
しかし、ずっとここにいても何も始まらない。夜明けが近づいてきた頃、やっと俺は陽葵と部屋を出た。
天森さんは会議に出ているとかでいなかった。
「家族がどんな状態とか、ちゃんと教えてもらえますか」
俺がそう言うと、天森さんより若い、俺と同い年くらいの男の刑事が、俺だけを奥の狭い部屋に招いた。
三人とも複数の刺傷があり、おそらく致命傷も刺殺だろうということだった。かなりの惨殺現場だったようで、初栞の部屋も、両親の寝室も、血みどろだった。おそらく寝ているところを一気に心臓を止められ、それから執拗に腹を刺されていた痕跡があったそうだ。
「僕は怨恨の線も捨てきれないと思います」と若い刑事は語った。お前の意見なんかは知らないと、言い返せなかった。
事件は明け方に公開捜査となり、一気にマスコミやネットニュースに拡散された。三人の通夜や葬式は俺が仕切らなくてはならず、そんな知識もなかったので、人に迷惑ばかりかけながら喪主を務めた。葬式には無遠慮にマスコミが駆けつけ、俺の家族の顔写真も実名も断りもなくテレビで流された。
俺に記者会見を開けという声もあったが、それは断った。何を話せって言うんだ。手がかりのない犯人と、その犯人の尻尾もつかめない警察への怨みつらみしかない。
仕事は、しばらく休むことにした。通勤でマンションを出るたび報道陣がいるし、部屋にこもって茫漠としている以外、何もできなかった。仕事に出たって、マグカップを取り落として、割りつづけるだけだ。マスターも報道で事情は察して、「無理することはないよ」と無期限の休暇を許してくれた。
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