ふたりで
「お久しぶりです、金居さん」
先生は一年半前と変わらず、白衣を羽織ったスマートな男の人だった。歳は訊いたことがないが、俺より何歳か年上というくらいだと思う。俺は頭を下げ、「ご無沙汰してます」と言ってから、デスクトップPCが設置されたデスクと向かい合うソファに腰かけた。
「口上に聞こえるかもしれませんが、この度はお悔やみ申し上げます」
「……いえ。ありがとうございます」
「恋人の──平原さん、ですか。今日はご一緒ですか?」
「一緒に来てもらいました。その、彼女としては、犯人が俺のところに来ないかっていう不安もあるみたいで」
「金居さんのところにですか?」
「家族全員殺したいなら、俺、残ってるじゃないですか」
「……なるほど。犯人は捕まってないんですよね」
「そうですね。警察も……俺にあれこれ訊いたわりに、何やってんだろうと思うけど」
乾いた笑みがこぼれてしまい、何笑ってんだ、と我ながら思った。愛想笑いなんかしなくていいんだ。この人は、俺のことをだいたい知ってくれている。あの一瞬の夢だって、笑わずに聞いてくれるだろう。
「先生」
下を向いてつぶやいた俺に、「はい」と先生の落ち着いた相槌が来る。
「………、俺、は」
「はい」
「わりと……家族と、うまくいってなかったとか、そんなあたりでここに来るの辞めちゃって」
「そうでしたね」
「でも、最近……最後とか、ほんとにうまくいってたんです」
無意識に「最近」を「最後」と言い直す自分に愕然として、また頭の中が暗闇に圧迫されてくる。息遣いや指先が震えて、視線が定まらないことが怖くて目をつぶる。
「俺、今は喫茶店で働いてて、でもそれもバイトだから親はいい顔してなかったんです。弟も、こんな俺が兄貴で情けないって。そういうのが、やっとなくなってきてたんです。あの日かあさんは、俺がそばにいて彼女と幸せになってくれたらいいよって……とうさんも、俺の前で笑うようになってたし。弟も『勉強教えろ』とかだけど、また懐いてくれて。これからまた家族とこんなふうに過ごせるんだって、ほっとしたところだったんです。なのに、何で……よりによって、同じ日、なのかって」
「同じ日」
「同じ日なんです。十二月一日。高校のときのあの子が死んだ日も、十二月一日で」
「それは──」
「あの子が夢に出てきて、みんな殺してやるとか言うんですよ。すごく怖いんです。みんな殺すって、『みんな』って俺を含めた家族のことですか? 俺もあいつに殺されるんですか? それとも、死ぬのはまた俺の周りの人ですか? あいつ死んだのに、ぜんぜん死んでないじゃないですか。幽霊とか、そんなことまで考える自分が嫌です。でも、同じ日とか呪われてる気がして、考えることがずっと同じになって。昼間も、夜も怖い。昼間は仕事休んでて部屋にひとりだし、夜、陽葵がそばにいても夜中に目が覚めるとひとりで。陽葵は『起こして』って言ってくれてるけど、暗い中で動けないときとか、声も出ないんです。だから、陽葵が隣にいても起こせない。何とか電気をつけて、今、実家の自分の部屋にいるわけじゃないってことを確認しないと、冷静になれない。真っ暗の中にいると、自分が寝たきりになったみたいに感じて、何もできない……『助けてくれ』すら、声にならない」
タイプ音と引き換えに、俺の言葉をPCが吸いこんでいく。そのタイプ音を聞くと、自分は今、病的なことを言ってるんだなと客観的に思う。
「自分が、自分のことばっかりで嫌だ。何で、もっと家族の夢とか、思い出すとか、そういうのじゃないんだろう。もちろん思い出すことはしますけど、思い出して警察でぐちゃぐちゃに泣いて、あれからセーブかかってる気がする。夢も。夢も見ない。声を幻聴で聞いたりする。幻聴って分かってるんで、幻聴じゃないのかもしれないですけど。その声が、ほんとにとうさんたちそんな声だったかなとか考え出すと、正解がなくてまた落ちこんで。家族のことをもっと考えたいけど、思い出すと頭がばらばらになるから、どうしたらいいのか分からない。こんなんじゃ薄情なのに。もっと俺が思い出して、憶えてて、ちゃんと三人が生きてたことを証明してあげたいのに。俺はそれすらできない。何にもできない。あいつのときと一緒。あいつが死ぬのを止められなかったみたいに、俺は家族がこの世から消えていくことを止められない。何でこんな無気力ばっかで、好きな人を助けられないんだろう。自分が嫌だ。今、泣いてないことからして嫌だ。泣かないと、先生にもあんまり伝わらないですよね。何で、家族が殺されたのに、そのことを話してるのに俺は泣いてないのかな。こんなに……俺は、ひどい奴だったんでしょうか」
言葉を連綿と吐きながら、俺はどうしても泣けなかった。まだ家族が死んだなんて受け入れていなかった警察署では、あんなに泣きじゃくったのに。
葬式が終わって、できる限り修復された家族の遺体が灰になって、俺の部屋には骨壺がみっつあって。いろんな人に、いろんな言葉をかけられた。部屋では鬱に閉じこめられた。そのうち、どんどん心が乾燥してしまったみたいだ。
家族が殺されたことで涙が出てこない。でも、そうだからといって、生々しく両親や初栞の笑顔を思い出すのも怖い。怖い? だって、思い出したら、あの温かい光景に血が通ったら、俺は──
ああ、最後の言葉は何だったっけ。
『また来るよ』
俺の三人への最後の言葉は、それだった。
今度は陽葵も連れて、家族に会いたいと思った。
俺がそう言うと、三人は咲ってくれて。
咲って……くれて、
「金居さん」
喉が締めつけられて、不意に言葉も息も詰まる。
「泣けないことも、感情のひとつです。そのことで自分を責めないでください。もちろん、今そうして泣けていることは、金居さんの心が正常に生きているということですから、大切にしてほしいと思います」
先生を見たけど、頬を伝う水分で視界が滲んでその表情は見取れなかった。水分はぽたぽたと顎から膝に落ちて、ジーンズの生地を濡らしていく。俺はずきずきする喉を抑え、嗚咽をもらした。
あの日から、家族が殺されたと知った日から、すごく久しぶりに泣いた。陽葵にしがみついて泣きそうになることはあったけど、どうしてもつっかえていたものがこぼれおちて、俺は家族の笑顔を鮮やかに思い出して泣いた。先生はそんな俺に余計な言葉はかけず、吐き出すままに泣かせてくれた。
やっと落ち着いてくると、「すみません」と俺はぼそりと謝った。相手は医者とはいえ、ほぼ同年代の前で三十の男が泣くのもなかなかみっともない。
「泣けなかったのなら、余計につらかったですね」と先生は言い、俺は小さくうなずいた。先生は少しPCの画面を見てから、「僕の考えすぎだといいのですが」とふと口調を陰らせた。
「金居さんが気にかける高校時代の子、死因に事件性はあったんでしょうか」
「えっ」
「幽霊とかの話ではないのですが、ただ、同じ日というのは……偶然にしては、僕も気になって」
「そう、ですよね。あ、でも……初めて話すのかな、彼女は自殺だったんで、犯人が同じとかそういうのはないと思います」
兄貴も殺したことを話したら、雪舞を特定できてしまうのでそれは黙っておく。「そうですか」とそれでも先生はむずかしい顔をしていたものの、それ以上突っ込んで訊いてくることはなかった。
だが、闇雲に話すうちに、確かに俺も思った。あの日と同じ日って、いったい何なんだと。
そのあと、抑鬱と不眠の薬を処方してもらい、陽葵も先生と五分ほど話した。すぐに戻ってきた陽葵に、「何か言われた?」と訊くと、「平原さんもつらい気持ちだと思うけど、金居さんのそばにいて見守ってあげましょうって」と陽葵は俺の隣に座って手を握った。
それから俺を覗きこみ、「泣いたね」と目元に触れてくる。「何かかっこ悪かった」と俺が言うと、「かっこ悪くていいから、私の前でも我慢はしないでね」と陽葵は柔和に微笑む。俺はうなずき、「普段は泣きたくても泣けない感じなんだ」と打ち明ける。「先生の前だと、それが楽?」と問われて、「そうなのかな」と俺が首をかしげると、陽葵はくすりとして「ひとまず、ここにしっかり通おう」と言った。
「瑞栞は今、それだけ頑張ればいい」
「……うん」
「あとは私に甘えていいから」
「何か……収入もそうだけど、家事とかも全部させててごめん」
「いいんだよ。瑞栞がそれでそばにいてくれるなら」
「ちゃんと、いつか返す。その、子供ができたときとか、陽葵の負担になりそうなことは俺が全部やる」
「うん。それでいい。今は甘えよう」
俺はこくりとして、陽葵の肩にもたれた。陽葵は優しく俺の頭を撫でていてくれて、ふと受付の人に遠慮がちに呼ばれて、ふたりではっとする。
慌てて立ち上がって受付に向かい、会計をしてもらって、俺は自立支援の手続きについても訊いておいた。役所に行かなくてはならないことを言われて思い出しつつ、ひとまず、自立支援が通ったら一部返金されるということで診察料をはらった。
次の予約は、来週の土曜日の午前中が取れた。
「お気をつけて」と見送られて病院を出ると、同じビルの一階に入っている薬局に処方箋を出して、薬をもらう。薬代もけっこうかかったので、本当に早く役所には行かないといけない。
役所は平日の十七時までだが、陽葵は仕事を早退して、付き添うと言ってくれる。「絶対に瑞栞をひとりにしない」と陽葵は俺を見つめて、俺は小さく笑むと、彼女にそっとキスをした。
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