暮れて明けて
今年のクリスマスイヴは、火曜日だった。
どこも混んでいるだろうし、贅沢をしたいわけでもない俺と陽葵は、部屋でゆっくり過ごすことにした。ただ、陽葵が頑張ってその日をオフにしてくれたので、昼にようやく役所に行って、自立支援の申請をしておいた。
混みあう一階の総合を通ったとき、なぜかカップルを見かけるなあと思ったら、「これで夫婦だねー」という声がちらりと聞こえて、イヴに入籍するカップルかと気づいた。
家族を喪ったぶん、俺も陽葵と結婚したいと思うけど、せめて喪が明けてからだろう。そういえば、家族の葬式のときに陽葵の両親も来てくれたそうなのだが、隣に陽葵がいたことすらおぼろげにしか憶えていないので、改めて会ったときはそのことも詫びないといけない。
夜は久しぶりに陽葵と一緒に料理を作った。チキンとか食べれるかなあと思っていたら、「何か手抜きみたいだけど」と断りつつ、陽葵はプレーンのサラダチキンをチーズと塩胡椒だけで焼いた、さらりとした味のチキンを用意してくれた。
雪のような粉砂糖が綺麗なショコラタルトは、つきあいはじめてから、毎年陽葵が作ってくれる。
それから、サラダにリゾット、かぼちゃスープまで、陽葵は重くならないメニューを考えてくれていた。その中で俺は和風リゾットを担当して、カブや大根を小さな角切りにしたり、その切った野菜と米を醤油で煮こんだりした。
食卓では、俺が作ったリゾットを陽葵が「おいしい」と言ってくれて、俺はずいぶん陽葵の料理を「おいしい」と言っていないことに気がつく。でもおいしいと言われておいしいと返すのも白々しいかなあと、「陽葵の料理が一番好き」と言ってみた。すると陽葵は、少しきょとんとしたあと、嬉しそうににっこりして、「私は瑞栞の全部が大好き」と答えた。
深夜に目が覚めたとき、電気もついていない暗闇にひどい恐怖があることを話して以来、俺たちは就寝時にも明かりを消さないようになった。陽葵にとっては眠りにくいだけなのに、彼女はそんなことより俺が動けずに声も出せない状態になることを心配する。
イヴの夜もそんな明るい寝室だったけど、「陽葵とずっとしてない」と俺がつぶやくと、腕の中の陽葵はこちらを見上げ、「私もちょっと寂しい」と素直に軆を寄せてきた。
俺はガラス細工に触れるように、丁重に陽葵の軆に触れて口づけた。それでも陽葵の軆は敏感になっていて、コンドームをつけた俺が中に来るとしがみついてきた。痛いわけじゃないのは、俺の動きで陽葵が甘い声をもらしたので分かった。俺は息を切らしながら陽葵を求め、陽葵はその瞬間が来るまで、何度も俺の名前をささやいてくれた。
土曜日、陽葵と午前中に病院に行った。次の土曜日は、まだ年明けの休診だから、今週は二週間ぶんの薬を出してもらった。帰り際、「来年もよろしくお願いします」と頭を下げると、「こちらこそよろしくお願いします」と先生は微笑んだ。
薬局で薬をもらうと、「ちょっと寄っていいかな」と駅前のモールに陽葵を誘った。左右にショップが並ぶ大通りのような一階の通路には、屋台のアクセサリーショップがあったはずだ。「あった」と俺がその屋台に近づくと、陽葵は「何か欲しいの?」と不思議そうにする。
「いや、その……夕彩がさ」
「夕彩くん」
「陽葵に、指輪はプレゼントしたほうがいいって言ってて」
「え」
「ほんとは、もっと──ブランドとか、ダイヤとか、そういうのが当たり前って分かってる。でも、今はその余裕ないから」
「瑞栞……」
「ごめんな、かっこ悪くて。俺も陽葵に指輪はあげたかったんだ。いろいろあるから派手に婚約とかもできないけど、それでも、俺は陽葵と結婚するから」
陽葵は俺を見つめ、つないだ手に力をこめると「もうプロポーズになってるよ」とくすっとした。「あ、」と俺がいろいろ言い過ぎたのに気づいて慌てると、「嬉しい」と陽葵は笑顔を見せて、「ここの指輪、どれでもいいの?」と上目遣いで訊いてくる。「たぶんここなら、今の俺でもペアリングも買える」と言うと、「よし、じゃあ一番似合うの見つけよう!」と陽葵は俺をリングのショウケースの屋台まで引っ張った。
「ペアリングは、このへんになりますよ」
完全に話を聞いていたらしい店員らしき女の子が、けっこうずらりと並ぶリングの中から一部をしめす。陽葵の横顔がきらきらしているのを見て、俺はほっとしながら、一緒にショウケースを覗きこんだ。
「このへんの、クロスデザインのリングは人気ですよ。クロスデザインは指を細く見せてくれます」
解説をくれる女の子に、「刻印とかってできるんですか」と確認すると、女の子は「無料で可能です」とにっこり答えてくれる。
「刻印は日数をいただくんですが、もともとペアリングはおふたりのサイズに合うものを取り寄せなので、刻印しちゃうほうがお勧めです」
「じゃあ、名前入れたい……よな?」
陽葵はうなずいてから、「クロス確かにかわいい」とメンズがブルーカラー、レディースがゴールドカラーとクロスになっているリングを見つめる。
「重ねると、&の文字とかハートマークが分かるリングも人気ですね」
「あ、ハートマーク分かるとか懐かしい。昔そんなキーホルダーあったかも。えー、すごく迷う。瑞栞はどんなのがいい?」
「俺は、まあ、シンプルなほうが」
「男性用はシンプルなデザインで、女性用はかわいめのデザインにしてあるペアもありますよ」
「これとか」と女の子がしめしたリングを俺も陽葵も素直に見る。
「重ねると、シルバーの男性用リングが、ストーンを使った女性用リングを包みこんでるようなデザインで素敵です」
そのとき、「すみませーん」という声がかかった。「はいっ」と応じた女の子は、「ゆっくり見ていってください」と俺たちににこっとすると、客らしき女の子たちのところに行ってしまった。
そのあとも陽葵は悩み、最終的に、初めに目をつけたクロスデザインと、女の子が勧めてくれた重ねるリングまで絞った。「私ここまで選んだから、瑞栞に決めてほしい」と言われたので、今度は俺が悩む。
これは結婚指輪ではないし、婚約指輪ですらない。でも、そこまでつないでいきたい初めての指輪だ。そう思うと、『クロス』は教会での誓いのような感じがあって、ゴールを目指すスタートとして良い気がした。
その意見を言ってみると、「なるほど」と陽葵も首肯し、「じゃあ、クロスのリングにしようか」と指さす。「うん」とうなずいた俺は、こちらを気にしてくれていたのか、さっきの女の子とすぐ目が合う。
「お決まりですか?」と女の子は近づいてきて、「これにします」と俺はクロスデザインのリングをしめした。「とてもお似合いです」と女の子は微笑み、「指のサイズ測らせてもらってから、入荷した際のご連絡先だけ」と俺たちをレジの屋台まで案内してくれた。
入荷は基本的には二、三日後だが、年を越したらこの屋台が休みで、さすがに三箇日は挟むらしい。大晦日まで、ちょうどあと三日だ。年内がいいけどなあ、と俺は思ったものの、陽葵は帰りの電車ですでにご機嫌だった。俺は胸の内で、ペアリングの助言をくれた夕彩に感謝した。
入荷の連絡があったのは、さいわいなことに三十一日だった。陽葵ももちろん年末年始の休暇に入っていて、すぐにふたりで指輪を受け取りにいった。
部屋まで待てなかったので、モールのベンチに並んで腰かけ、俺は陽葵の左薬指にゴールドカラーの指輪をつけ、陽葵も俺の左薬指にブルーカラーの指輪をつけた。陽葵は左手を店内の照明にかざして見つめ、「ありがとう、瑞栞」と何よりも嬉しい最高の笑顔をくれた。
そして年が明けた昼下がり、夕彩が俺たちの部屋を訪ねてきた。曰く、彼女もいないし、親戚の子供へのお年玉で金もないし、仕事くらいしかやること自体ないのが泣けてきたそうだ。
「美容師の子は残念だったね」と俺からそのへんのことは聞いていた陽葵が言うと、「見事に連絡ないから、女ってむごいわ」と夕彩は肩をすくめた。
俺はみっつのカフェオレを淹れて、リビングに持っていく。夕彩はソファに座り、陽葵は座卓についていたので、俺は陽葵の隣に腰を下ろした。
夕彩はそんな俺を見つめて、「少しはマシになったみたいでよかった」とマグカップを手にして、ひと口カフェオレをすする。
「あ、夕彩も葬式来てくれたんだよな。ごめん、俺、あのときをぜんぜん憶えてなくて」
「うん、すげえ顔面蒼白で、お前まで実は幽霊じゃねと思った」
「夕彩くん」
「………、お前とは中学のときからだから、おじさんとおばさんには俺も世話になったよ。初栞も生意気だけどかわいかった」
「……うん」
「犯人とかは? ニュースで流れることなくなったから知らなくて」
事件から、もう一ヵ月が経つ。さすがにマスコミも飽きたのか、次のネタにいそがしいのか、俺のマンションの前をうろついている様子はなくなった。露骨に騒いでいた奴がいなくなっただけで、まだ観察している奴はいるのかもしれないが。
警察からは断続的に連絡があり、俺が通院にも至っていることを聞いてから呼び出すことはしなくなったが、犯人に関しては目星が立ったという話もない。そのあたりを話すと、「そっか……」と夕彩は息をついて背凭れに寄りかかった。
「あー、ほんと、まだ信じられねえや。そんなことになる理由がないだろ」
「犯人の動機は、俺もぜんぜん想像がつかない。怨恨、とか言ってきた警察の奴もいるけど」
「強盗とかではないのか?」
「荒らされた形跡がないとは言われてる。それに、殺され方がほんとにえぐかったみたいで」
「殺され方で言われてもなあ」
「もっとひどい人いるから。瑞栞が犯人だと思ってるような警察の人もいたんだよ」
「……マジで? 最悪だな」
「陽葵の証言だけじゃ身内だから怪しいって感じだったし、その人はまだ俺を疑ってるのかもしれない。担当の刑事さんには、色眼鏡がいてすまないねって言われたけど」
「担当の刑事さんは、ちょっとぶっきらぼうだけど、悪い人じゃないみたい」
「そっか。まあ、担当が疑ってるんじゃないなら、まだいいのかもな。警察よく分かんねえけど」
そう言って夕彩はカフェオレを飲み、俺と陽葵もマグカップを手に取る。俺は陽葵をちらりとして、夕彩は「あの日」と同じ日に事件が起きたことをどう思ってるんだろうと思った。訊きたいけれども、やはり陽葵の前で雪舞の話題は出せない。
「ん、いつのまにか指輪してんじゃん」
マグカップを置いた俺と陽葵の手元を見て、ふと夕彩が目をとめた。「あ、」と俺も自分の左手を見て、少し決まり悪くなる。
「何か、……まあ」
「『まあ』って何だよ。婚約?」
「婚約はしてないけど、プロポーズはされたの」
「それは断ったということですか?」
「だったら、指輪受け取ってないよ。夕彩くん、女から見たら、そういうところだし」
「でも、指輪のこと言ってくれたの夕彩だから。ありがとな」
「瑞栞は夕彩くんに甘いと思う」
「そ、そうかな」
「陽葵ちゃんも、大事にされてるだろ。男が指輪さしだしてくるのは本気だぜ」
陽葵は俺を見て、俺は照れ咲ってから「本気だよ」とうなずく。すると陽葵もはにかんで微笑し、夕彩はそんな俺たちの様子に舌打ちなんかしたが、きっと内心では祝福してくれているのだと思う。
【第十四章へ】
