行き詰まる真実
「あっ、瑞栞さん」
先に俺が店を覗くと、通りに面した窓を拭いていた女の子が、腰までの長い髪を揺らして振り返った。
瑞々しい黒い瞳、すっとした鼻梁、ふっくらした唇。軆も量感があるタイプだけど、ざっくりとトレーナーとジーンズを着ているので、線はあまり強調されていない。
「穂乃芽ちゃん、久しぶり」と俺が微笑むと、「お久しぶりです」と穂乃芽ちゃんは雑巾を持ったままぺこりとした。
「あけまして──じゃないっ、ええと、この度は」
「いいよ、気にしないで。陽葵も一緒なんだけど」
「陽葵さん。わあ、嬉しい」
穂乃芽ちゃんは表情を輝かせ、「こんにちは」と陽葵が俺のあとから現れると、「お久しぶりですっ」と声をはずませる。
「久しぶり、穂乃芽ちゃん。元気だった?」
「元気……元気かな? どうなんだろ。大変なときかもです」
「大変」と俺と陽葵が首をかたむけていると、「瑞栞くん」とカウンターからマスターの声がかかった。俺は慌ててカウンターに駆け寄り、陽葵は穂乃芽ちゃんのそばに残る。
「すみません、来ちゃいました」
恐縮しながら頭を下げると、マスターは穏やかにうなずく。
「うちなら遠出にもならないから、気晴らしになるかなと思ったんだ」
「ありがとうございます。早く仕事も復帰しなきゃいけないんですけど」
「焦らなくていいよ。事情を聞いて、穂乃芽が手伝ってくれてる」
「穂乃芽ちゃん、高校生になっていそがしくなったんじゃ」
「あの子は、どうも学校に馴染めないみたいでね」
マスターの言葉に、俺は穂乃芽ちゃんを一瞥する。
穂乃芽ちゃんは、中学時代から学校を休みがちな女の子だった。イジメがあるとか、そういうわけではなくても、何となく教室を居心地が悪く感じるらしい。だから中学時代も、学校をサボって早退した日には、ここに来て店を手伝っていたわけだ。
「高校もつらそうなんですか」
「不登校になっているみたいだよ」
「……そうですか」
「ここが逃げ場になっているなら、私はそれでいいと思うから受け入れているんだけどね。ねえさん──私の姉には甘やかさないでくれと言われるよ」
「俺も、穂乃芽ちゃんがここにいれば楽になるなら、尊重してあげていいと思います」
「うん。だから、瑞栞くんも休んでいいんだよ。楽になったら、また顔を出して、カフェオレを作ってくれたら嬉しい」
マスターの言葉に俺はこくりとして、「掃除とかしてるなら、手伝おうかなとも思って」と申し出る。「じゃあ、テーブルや椅子をアルコールで拭いてもらおうか」とマスターは無駄な遠慮は抜きにして頼んでくれた。
陽葵はいつのまにか、穂乃芽ちゃんと窓を拭きはじめながら話をしている。俺はふきんにアルコールの霧吹きを馴染ませ、テーブルや椅子、カウンターを丁寧に拭き掃除していった。
くすみのなくなった窓から透明色のオレンジが射しこみはじめた頃、大晦日まで営業して大掃除が今になった店内は、すっきり綺麗になった。使った掃除用具もしまうと、俺と陽葵はカフェオレ、マスターはブラックコーヒー、穂乃芽ちゃんはガムシロップをたっぷり入れたコーヒーを、四人がけの席に着いてそれぞれ飲む。
雑談が穂乃芽ちゃんの不登校の話題になると、「何かあたし、グループ行動ができないんですよね」と穂乃芽ちゃんは仏頂面でコーヒーをすすった。
「単独行動でいいのに、そうだと担任がうるさくて。仲良くしたい子の名前を言ってみなさいとか言われたときはビビりました」
「言わせてどうするんだろ」と俺が首をかしげると、「その子と引き合わせたりするんじゃない」と陽葵は肩をすくめる。
「それ、友達じゃないじゃん」
「そうなんです。そんなの友達じゃないんですよ。小学生ですよ、担任が『穂乃芽ちゃんと仲良くしてあげてね』って仲介するとか」
「たまにいるよね、受け持つ学年を間違えてる先生」
陽葵はそう言って、俺が淹れたカフェオレを飲み、「お店で作ったカフェオレもおいしいね」と俺に微笑む。俺が照れ咲いを返していると、「瑞栞さんと陽葵さんは、やっぱ憧れだなあ」と穂乃芽ちゃんはうっとりと息をつく。
「あたしにも、そういう人がいつかできるのかなあ」
「できるよ。私も瑞栞に出逢うまで、結婚も意識できるような人いなかったもん」
「分かる、おふたりはいずれ結婚ですよねっ。指輪もしてるし」
けっこうみんな目をとめてくれるなあ、と俺は陽葵と決まり悪く咲い、「そうだ」とふと穂乃芽ちゃんの隣のマスターを向く。
「マスター、指輪って仕事中もつけてて大丈夫ですか」
「派手なものでなければ大丈夫だよ」
「よかった。何か、してないと落ち着かなくて」
「瑞栞も? 私も、ずっとつけてる指輪とか初めてだけど、違和感なくなっちゃった」
脈絡なくそんな話をして咲っていると、外で明かりがぽつりぽつりと灯りはじめ、やがて俺たちも解散することになった。
「気分転換したいときはいつでもおいで」とマスターは俺を励まし、「ここなら瑞栞ひとりでも大丈夫かな」と陽葵も言ってくれた。「瑞栞さんのこと、見かけないねって気にかけてるお客さんもいますよ」と穂乃芽ちゃんも報告してくれて、俺はひとりひとりにうなずいた。「ありがとう」と言いながら、俺は遺族としては周りに恵まれているほうなのかもしれないと感じた。
そして、三箇日を過ぎた午前中、陽葵に見守られながら天森さんのスマホの番号に電話をかけた。でも土曜日のせいか天森さんは出なくて、「やっぱ、まだ休みなのかも」と俺が言っていたところで、電話着信がついた。
表示されているのは、『天森さん』──
俺は慌てて通話ボタンをタップした。
「もしもし。金居ですけど」
『これはどうもどうも。どうかなさいましたか?』
「いや、えと……その、捜査とかって、どうなってるのかなとか。犯人は……?」
『ああ、何もお知らせできずにすみません。なかなか暗礁に乗り上げてましてね。かなり用意周到な犯行のようなんです』
「用意周到」
「侵入口らしき窓に破損があったほかに、家には荒らされた様子もなく。指紋などでも不審なものは見つかっていません』
「……そうですか」
『すみませんね、金居さんも犯人逮捕まで不安かと思いますが──』
「あ、あの」
『はい』
息を吸い、吐き出すのと一緒に、先日のフード男について話した。考えすぎだとあしらわれるのも覚悟していたのだが、天森さんは思いのほか真剣に聞き入って、考えこむ沈黙をよこした。
『顔は』
不意に途切れた沈黙に、「えっ」と俺は声をもらす。
『顔は見ましたか?』
「あ、えーと……いえ。フードではっきり分からなくて。体格から見て、男だとは思います」
『そう、ですか。私もあれだけの犯行ですから、女性の力ではちょっと、とは思ってましてね』
「………、恋人が、もし犯人が俺たち一家を怨んでるなら、俺を殺しにくるんじゃないかとも心配してて」
『そうですね……。先ほども言ったとおり、犯行は計画的です。おそらく、行き当たりばったりの強盗ではないでしょう』
「怨恨じゃないかって、言ってた警察の人もいました」
『そこは犯人を問いつめないと言い切れませんがね。分かりました、その男については会議で報告します。また何か気になることがあれば、すぐに知らせてください』
「はい。すみません、年明け早々」
『いやいや。どうせ私は、家にいても年頃の娘に煙たがられるだけですからね』
天森さんは苦笑して、それから電話を切ると、俺は電話の内容を隣にいた陽葵に伝えた。陽葵はうつむき、「おかあさんたちが、誰かに怨まれてたなんて考えられない」と俺の腕にしがみついた。
行き当たりばったりではなかった。用意周到。計画的。三人とも滅多刺しにされて殺された。俺だって、家族が怨まれていたなんて考えたくない。でも、捜査が難航しつつも静かに浮き彫りになってくるのは、犯行にこめられた凄まじい憎しみだ。
いったい犯人はどんな奴なのだろう。まず動機を問いただしたい。何の怨みがあって、俺の家族を惨殺した? 俺ひとりでは、もう分からない。早く捕まってほしい。そしてせめて、俺は大丈夫だからと陽葵にささやき、彼女を安心させてあげたかった。
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