顔を上げられない
昔から、春は好きじゃない気がする。一年間かけて築きあげたものをあっさり壊される季節だ。ある程度クラスに溶けこむ術は持っていた俺は、死にたいほど憂鬱ではなくも、やっぱり去年のクラスの友人たちとばらばらになるのが惜しかった。
淡い桃色の桜の花びらが、青空からひとひらひとひら舞い落ちてくる。今年の重たい気持ちは、それとは違う原因だけれど──。
あちこちの花壇の香りが乗った風は、ややひんやりとしていても、陽射しが暖まってきたからちょうどいい。四月十日の月曜日、土日のせいで今年は始業式がいつもより遅れた。
制服を着こんで、二年生の教科書を回収する大きなかばんを連れる俺は、にぎやかな同世代たちの中、車道沿いの坂道をくだって、押し黙って登校している。
登校拒否の絶好の機会を逃している気がする。でも、逃げたくないと決心したし、登校しなくてどうするという問題もある。
家にはいられない。一日じゅう俺の顔を見ることになれば、かあさんは気が狂ってしまうだろう。あるいは俺を病院に連れていく。とうさんも黙っていなくて、俺を引きずりだすはずだ。
かといって、床下にしまわれる野菜みたいに、完全に部屋に閉じこもっておくというのも俺には限度がありそうだ。家を出て学校に行かなければ、湿気った場所で錆びた金属に穴が空くみたいに、次第にダメになっていく。
かといって、グレるのは怖いという凡人の感覚もある。それに、非行に走るのはストレートの特権であるような妙な感覚もある。ゲイでも、学校をサボって窃盗をやり、打撲を負わせた恐喝の金で酒や薬に溺れていいのだろうか。
ついでに異性をたらす。この項目が入った途端、どんな逃避も単なるヤケに見えてくる。といって同性をたらす──当然の道に堕ちたという印象がある。家にいられず、非行もできず、俺はぐるっとまわってここにしか来れない。
後悔したくないなんて、えらそうなことを思っても、俺がこうして桜が降る校門をくぐっている理由は、そんなものなのかもしれない。何もかも怖い。ここに来るのは怖いけど、逃げ出すのも怖い。
今日はキリのいい日だったと思う。ゲームが一ステージクリアしたところが中断しやすいのと同じだ。
もうやめよう。思い切る猶予は、二週間もあったのに。辞めてどうする? そんな不安で、しょせんずるずると昇降口をのぼって校舎に入っている。
去年までの友情を混ぜ返される憂鬱が懐かしい。せっかく持った友達と、使用期限が切れたみたいにクラスが変わっただけで遠ざかるなんてバカバカしい。新しい出会いなんてどうでもいいから、仲のいい奴と同じクラスになれますように──そんなふうに願っていたものだが、今の俺は、クラスが新しくなろうと何も変わらないと分かっているから憂鬱だ。
廊下に放った上履きを履くと、スニーカーは持参のふくろに入れて教室に連れていく。クラス発表は、例年通り始業式のあとなので、今年度の靴箱がどこなのかも帰りにしか分からないわけだ。
行く教室は旧学年の教室で、始業式も旧学年の列で参加する。その後、体育館に残って新学年のクラスを言い渡され、新学級でホームルームをしたら解散──一年生の終了式にもらった用紙に書いてあった。
拷問刑のような一年一組とも、本当の本当に今日で最後なのだが、ぜんぜん嬉しくない。新しくなったといって何なのだ。俺の問題は学級規模でなく、学年、あるいは学校規模だ。それに、あのクラスの何人かとは、なおも同じクラスになる。その中に賢司、久米がいないとも限らない。あのクラスの誰とも同じクラスにはなりたくない。いや、俺のことを、俺がゲイだと知っている奴とはもう関わりたくない。
誰も俺なんか知らないところに行ってしまいたい。そして、せめてこれ以上の経験は止めてしまいたい。一年生のときの脳裏に焼きつく火傷だけで、俺の背骨はじゅうぶん重みにきしんでいるのだ。
やっぱりダメだ。朝陽の中、取り留めなく笑いさざめく階段をのぼり、こうしていざ教室に向かっていると、負けたくない決心なんかおがくずみたいに吹き飛ばされ、とっとと非常階段を降りるのが賢明に思えてくる。
あのときの気持ちは本物だった。逃げても悔やむだけで、それこそ記憶に最大の火傷を負わせるだろうと。でも、目の前を苦痛が切りつけると、どうしても今、肌を膿ませる熱に悲鳴を上げて、投げ出したくなってしまう。俺の感受性は、いつのまにこんなに狭まり、過敏に縛られて、自由でいられなくなったのだろう。
教室のドアは閉まっていた。迷信主義ではないのだが、こんなふうにドアが閉まっていて朝から嫌な気分になる日は、ろくでもない一日になるに決まっていると思うようになった。初めは、嫌な一日になる気がするという程度だったのに、今では“決まっている”と断定する。
何の根拠があって決まっているのか自分でも分からないが、とにかく、そんな気がしたら絶対そうだと信じこむ。バカみたいだと自分でも思う。精神をうまく制御できないようになりかけていた。
きらきらと朝陽が射す廊下を、あくびを噛む男子生徒、はしゃぎ合う女子たちが通り過ぎていく。俺は息をつくと、感覚がまわらず重い腕を持ちあげてドアを開けた。
ざわめきのいくらかがこちらに息をひそめ、白々しく吹き返したり嫌そうに顔を合わせたりする。まばゆい教室に散らばる、そういう光景のにおいは覚えているままだ。顔を伏せてため息は殺し、後ろ手にドアを閉めて窓際の前から四番目にいく。前にもなったことがある席だ。かばんを置いたり座ったりする前に、つくえや椅子を確認するのも習慣になった。
休み時間につくえに両面テープがはりつけてあり、気づかず置いたノートが取れなくなったことがある。登校すると椅子に釘が打ちこんであり、やはり気づかずに座って、巨大な蜂にでも刺されたように思いきり腿をつんざかれたこともある。
「飢えてるだろうと思って刺しといたんだけど、ちょっと位置がずれてた?」
久米はそう言って笑ったものだった。何でそんなゲイがやることに詳しいんだ、と思うときもある。わざわざ調べているのか、実はあいつもホモなのか。仮に後者だとして、自分を嫌悪をするのが怖いあまり、俺に矛先を向けているのだとしたらたまらない。そんな気配は感じないけれど──これからそういう同性愛者とは出遭ったりするかもな、と同族なら味方だとも言い切れない現実に、異常はなかった席に着きながら息をこぼす。
春陽が暖かなつくえに突っ伏し、新学期を疎みつつ、楽しそうにしゃべるみんなとかけはなれる。すぐそばなのに、牢屋の鉄格子越しのように遠い。
分かっている。二年生になっても、新しいクラスになっても、俺の毎日はこんなふうだ。何もかも新しくなった、まっさらな場所にでも行かない限り、やりなおせない。いや、そういう場所に行ってさえ、記憶や指向は置いていけないのだから、解放されるか危ういのに──当の現場に居続けて、何が変わるというのだ。
チャイムと同時にやってきた堀川が進級を語るヒマもなく、体育館への集合の校内放送がかかった。荷物は廊下に放り出しておく。
堀川は終了式の最後のホームルームで、俺という存在があったくせに、美しく一年一組を締めくくっていた。教師なんて、保身のためなら、週刊誌の記者が金のために何でも書くみたいに、何でも言うのだ。いつからか、あいつは俺とだけは絶対に目を合わせない。新しい担任だって、こんなものだろう。
犯人を知っている推理小説を読むより退屈な始業式のあと、元担任が出席番号順に生徒たちに新しいクラスを伝えていく。俺は二年四組だった。
不吉だ。何となく。四という数字。
別に誰とも同じクラスになりたくない俺の気がかりは、二年四組になった奴が俺がクラスにいることに嫌悪をもよおすだろうということと、とりわけ同じクラスになりたくない奴──賢司、久米、小学校のとき仲良くしていた奴がクラスメイトだったらということだ。貧乏くじがどのクラスに行き着くか、俺の足取りを睨みつける眼がありそうでうつむきながら、二年四組の集落にたどりつく。
みんな、友人が何組になったかの確認がいそがしく、まだ新しいクラスに振り分けられようとはしない。発表が広まるほど列が崩れる体育館は、同じクラスになれた歓声や別れてしまった不平の声でにぎやかになる。
こういう、水飛沫のようにはじけては溶け合う話し声や笑い声の中にいると、混ざれない自分を鮮明に感受し、みんなが近づけないこの被膜で窒息しそうになる。だから、上履きを見据えてその場で木みたいに突っ立っていると、やがて練るほどまとまるパン生地のように今年のクラスメイトたちが集まってきた。
【第三十九章へ】
