白日の少年-15

白日の少年

 そのあと、僕は保健室に戻って、お弁当を食べながら壱野くんと白田先生に経緯を話した。「じゃあ、教室復帰?」と壱野くんに言われて、「松瀬先生とも相談する」と僕は空になったお弁当箱にふたをして答える。「そっかあ」と壱野くんは寂しそうにソファに沈んだものの、すぐに笑みを作って「よかったな」と言ってくれた。
 わずかに複雑そうなその様子に、僕がうなずくことにぎこちなくなっていると、「あのね」と白田先生が声をかけてくる。
「壱野くんってさ、香河くんと同じクラスだったら、教室に行けるんじゃない?」
「えっ」
「はっ?」
「それでも無理かな?」
 僕と壱野くんは顔を合わせた。壱野くんはまばたきをしてから、頭をかき、「そりゃあ、香河くんが俺の面倒見てくれるなら」と言う。
「でも、香河くんは親友と仲直りしたわけだし」
「壱野くんなら、鈴里とも仲良くなれるよ」
「……けど、」
「というか、その鈴里くんと同じクラスになれるかは分からないんだけどね。壱野くんが香河くんと同じクラスって言うなら、考えてみるって先生方もいるの」
「マジでか」
「香河くんも、教室に戻ろうって話になったら、壱野くんが同じクラスにいると心強いんじゃないかって」
「そう、ですね。壱野くんが一緒なら」
「この高校、二年から三年でもクラス替えはあるから。選択科目をいくつかかぶらせる必要はあるけど、それをクリアすれば考慮してくれるみたいだよ」
 壱野くんはしばし考えてから、「しろちゃん、俺が保健室登校続けるの、うざったい?」と問いかける。「そんなことはないけど」と白田先生は声をやわらげる。
「壱野くん、毎日学校に来れるパワーはあるじゃない? きっと、友達を作れたら教室のほうが絶対楽しいと思うの。周りがみんな年下ってプレッシャーあるかもしれないけど、香河くんだって年下なのに仲良くなれたでしょ」
 壱野くんは僕を見てから、「うん」と曖昧にうなずいて肩をすくめる。白田先生は僕を見て、それからまた壱野くんを見ると「無理にでも教室行けなんて、私は言わないけど」と椅子を立って壱野くんのかたわらに行く。
「高校時代の教室がかけがえないとは言えるよ。そこで想い出作れるなら、やっぱり、それが素敵な高校時代だと思う」
 壱野くんは白田先生を見て、それから僕を見た。そしてちょっと首をかしげて、「香河くんが迷惑じゃなかったら」といつになくひかえめに言う。白田先生は僕を向き、僕はもちろん首肯した。「よしっ」と白田先生は壱野くんの頭をぽんとする。
「じゃあ、その話も進めていこう。香河くんも、クラス復帰のことを放課後にでも松瀬先生に伝えてごらん。先生、きっと喜んでくれるから」
「はい。──あ、壱野くん」
「ん」
「次の試験は、ここで受けると思う。そのあと、三学期の終わりは教室に戻ったとしても、ここに壱野くんに会いに来ていい?」
「お、おう」
「三年になったら、鈴里のこと親友として紹介もする」
「分かった」
「壱野くんが同じクラスなら、僕も頑張れる。それに、もし壱野くんが教室無理で、また保健室登校になっても、僕はここに会いにくるよ」
「ん。サンキュ」
 そうして僕たちが笑みを交わしていると、チャイムが鳴った。五時間目の予鈴だ。「とりあえず、試験勉強しますか」とようやく壱野くんがいつもの軽い調子で言って、僕はうなずいてかばんからノートを引っ張り出す。そして、放課後まで協力して勉強に勤しんだ。
 放課後、僕は深実くんが来るのを待って、保健室にずいぶん居残っていた。
 待っているあいだに、松瀬先生にクラス復帰の件を話に行こうと思ったら、新聞部に写真を削除させたことを松瀬先生が保健室に伝えに来てくれた。そのとき僕も教室に行ったことを話し、それを聞いた松瀬先生は「それが目標だったもんな」と力強い笑顔で褒めてくれた。
 そのあとも深実くんを待っていて、壱野くんもつきあっていてくれたけど、彼女さんから連絡が入って「気にしなくていいよ」と言うと「じゃあ、また明日っ」と壱野くんは先に帰っていった。僕は白田先生にゆず茶をもらって、それをすすりながらストーブの前にしゃがんで火を見つめていた。
 ちょうど白田先生が席を立っていたときだ。時計を見ると、十七時が近づいていた。遅いな、とさすがに心配になっていると、ふとノックが聞こえて僕はぱっと立ち上がった。
 ドアを開けたのは、深実くんだった。忘れて先に帰ったかも、とも思いはじめていたので、ほっとした。けれど、深実くんはうつむいている。駆け寄るまで僕は気づかなかった。
 泣いている──……
「深実、くん?」
 僕が狼狽えた声で名前を呼ぶと、深実くんは僕を見て痛々しく微笑んだ。
 嫌な予感がよぎる。そう、たとえば、親友の子にひどく拒絶されたとか──
「親友、だって」
「えっ」
「俺とは今まで通り、親友だって」
「それ、って……」
「何も、偏見も嫌悪もなかったです。気持ちを伏せたせいかもしれないけど」
「じゃ、じゃあ、何で泣いてるの?」
「あいつに、もう気持ちはないって思ってたんですけど。いざ、対象外だって分かると、やっぱ……」
「………、」
「すみません。うざったいですよね。そんな気持ちはないって言ったのは今日の朝なのに」
「……ううん」
「拒絶されるより、よかったんですよね。親友ではいてもらえるんですし。親友……」
 深実くんは目をこすって、「親友かあ……」と噛みしめるようにつぶやいた。
 好きなんだな、と思った。その親友が、深実くんは本当に好きだったのだ。僕が鈴里を想っていたように。
 僕は深実くんの肩をさすって、暖かい保健室に招くとソファに座らせた。僕も隣に座って、「僕は待ってるから」と声をかけた。
「……えっ」
「深実くんの親友の子への気持ちが落ち着いて、僕を見てくれるようになるまで待ってる」
「先輩……」
「そばにいるよ。僕も深実くんをひとりにしないから」
 膝の上の深実くんの手を握ると、深実くんも躊躇ってからそれを握り返した。
「先輩は……」
「うん」
「先輩は、死のうしたことがあるって話してましたよね」
「うん」
「俺は、先輩が生きててよかったです」
「深実くん──」
「何か、節操ないみたいですけど。俺、先輩のことも、………」
「いいんだよ、無理に言わなくても。分かってるから。その気持ちがぶれなくなるまで、僕は待ってる」
「ほんとに、俺のこと嫌いになったりしませんか」
「しないよ。深実くんがどれだけ親友の子を想ってたかも知ってる。簡単に切り替えられないのも分かる。それでも、僕は深実くんの隣にいる」
 深実くんは首を垂れるようにうなずき、涙をぬぐった。そして少し咲うと、「でも」と僕の瞳を瞳に受ける。
「やっぱり、早く気持ち整理しないと。誰かに先輩持っていかれるほうが嫌です」
 僕も軽く咲って、「そうだね」と深実くんの頭を撫でた。深実くんは鼻をすすって、僕の肩に頭を乗せてくれた。僕はその頭に頬を当て、すると、深実くんの髪はさらさらとしていた。
 大丈夫。今すぐには無理かもしれないけど。僕はきっと、この子と想い合うようになる。
 夕暮れが保健室に落ちて、茜色に染まっている。ほのかなエタノールの匂い。すっかり生徒は下校して、静かだ。
 たぶんすぐに白田先生が戻ってくる。だからそんなに密着していられないのだけど、もうちょっとだけ。
 僕は深実くんを覗きこんで微笑みかける。深実くんも僕の笑みを見て咲う。
 視界の端では、ストーブがゆらゆらと燃えている。その光のように、僕の中にも暖かな光が芽生えていくのが分かった。
 ──学年末考査のあと、このクラスは一ヶ月ほどで解散だけど、僕は教室に戻って過ごした。
 鈴里とは予想よりすぐに仲直りできた。水内や舞根とは口をきかなかったけど、彼らなりの解釈とか傷痕は知っているので、強引に近づくことはしなかった。僕を受け入れてくれる人と話ができれば、それでじゅうぶん安心できた。
 また家に鈴里が遊びに来るようになると、僕の家族もほっとした様子で歓迎してくれた。「私のことも避けてたでしょっ」とおねえちゃんに言われて、鈴里はばつが悪そうにして、けれど「ごめん」と素直に謝っていた。三年生に進級するのを機に、通院も切り上げることが決まった。
 そうして三年生になり、僕は壱野くんと同じクラスになれた。壱野くんはさほど浮くわけでもなく、僕と話しているところを見かけたクラスメイトに気さくに話しかけられ、軽快に応じたりしていた。鈴里は別のクラスだったけど、言っていた通り、壱野くんに親友として鈴里を紹介した。僕に壱野くんの話を聞いていた鈴里は、「夕絽を励ましてくれてありがとうございます」とまずお礼を言っていて、「いや、大したことしてないよ」と壱野くんは柄にもなく照れていた。
 春の陽射しが、あっという間に初夏の厳しさになる連休、初めて深実くんと校外で会った。かなり暑くて、朝のテレビで今年初めて熱中症という言葉を聞いた。
 高校の最寄り駅で落ち合い、私服すがたが互いに新鮮ではにかんでしまう。「どこ行こうか」と訊くと、近くに水族館があるのを深実くんが調べてくれていた。「涼しいところがいいかと思って」と言った深実くんにうなずき、僕たちは電車で移動することにした。
 電車の中は早くも冷房が効いていた。とはいえ、連休だけあって混んでいるのでちょうどいい。座席は空いていなくて、ドア付近に立って深実くんに触れそうになる軆にどきどきしていた。「つかまってないと危ないですよ」と、深実くんはどこにも寄りかかっていない僕の手を自分の腕にかける。
 深実くんの体温が手のひらに広がって、頬が熱くなった。少しだけ深実くんを見上げると、深実くんもわずかに頬を染めていた。けども、結局僕たちはお互いの頬のほてりには触れなかった。
 水族館に一番近い駅で降りて、見慣れない町並みを歩きながら青空を見上げた。太陽が白く輝いている。
 あの太陽の下に引きずり出されるのが、怖くて怖くて仕方がなかった。さらされて、ひどいあつかいも受けた。でも、どうしてだろう。今は太陽の下を歩けるのが誇らしい。深実くんと並んで歩いているのが嬉しい。だって僕は、何も悪いことはしていないのだ。
 罪を犯していると日の元に照らし出されたけど、今、僕を罰しようとする人はいない。僕のそばにいる人は、ありのままの僕を受け入れてくれている。男でありながら、男に恋をする僕を認めてくれている。僕の性は、何ひとつ罪ではなかったのだ。だから僕は堂々と白昼を歩いていい。僕は悪いことなんてしていない。
 今、僕は深実くんが好きで。深実くんの心も、癒えるほど僕にかたむいてきている。僕たちが幸せになるまで、あとひと息だ。
 やがて結ばれる人と、こうしてまばゆい太陽の下を並んで歩いている。真っ白な光に照らされて、前に進んでいる。すごく満たされた気持ちだ。そう、僕たちの恋は穢れたものなんかじゃない。
 まっさらで、これから始まる、とても幸せな約束。僕はやっと、白日の中を歩み、惑わされずに恋をすることができるのだ。

 FIN

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